4
交渉のテーブルに着くに当たりイライアスが求めたのは、クレメント幹部の参加だった。
そう言い出すことは将軍にとって予想の範疇だったのだろう、彼はあっさりと頷いた。
そういえば牢を出るときに「他にも作戦を知らせておきたい者達が居る」と言っていたのを思い出す。あればどうやら、クレメントの面子のことであったらしい。数十分後にはクレメントの主軸全員が部屋に揃うことになった。
見張りは付いているものの、その手足の枷はすでに外されている。
イライアスはほっとして仲間の元へと駆け寄った。
「レミオ!エレクトラ!みんな無事だな?!」
「「それはこっちのセリフだ!」」
見事に重なり合った叱責が、勢いよく飛んできた。鬼のような形相を向けられて、さっきまでの心配は何処へやら、イライアスは顔を引き攣らせて後退った。
ぞぞぞっと背を這い上がってくる嫌な予感に、冷や汗が零れ落ちる。
逃がすかと言わんがばかりにじりじりと仲間に取り囲まれ、包囲が完成した途端。
始まったのは、案の定。長い、長いお説教、であった。
角を生やしてガミガミと船長を叱る海賊たちと青い顔で素直に叱られている船長。
なんとも締まらない邂逅に、少し離れたところでリディアム侯は思わず口元を緩めた。
仲間思いな海賊もいたものだ。
一見情けないやりとりだが、命がけで助けに来ることも、本気で叱ることも相手を本当に大切に思っていなければ出来はしないだろう。
それだけ彼らが揺ぎない絆を紡いできたということだ。
その事実が、彼が信頼できる仲間たちと生きてきたということが、老いた男には、唯々、感慨深かった。
絶望に沈むことなく、裏切りにあっても人を信じることをやめず、彼は自分で大切なものを見つけ、そして生きてきたのだ。その強さは、友人に本当によく似ている。
(逞しいな。流石お前の息子だよ。……ハーネスト)
戦友の面影に語りかけながら、リディアム侯は叱られ続ける彼をのほほんと眺め続けた。
その様子はまさに好々爺。しかして、その心は正しく他人事である。
人の不幸は蜜の味、いやいや、微笑ましいやり取りではないか。
(しかし、あの様子では……いつになったら終わることやら)
終わりそうにない気配を察して苦笑を零すと、年若い将軍を見た。
同じような顔をして、彼も笑っている。
「止めませんと、どうやら先にすすめませんな」
「そのようです。さて、シルヴァ船長。いえ、せっかく返したのですから、シルヴァラント伯と呼んだほうがよろしいでしょうか」
差し挟まれた言葉に苦言が止み、助かったと、ほっとしたのはほんの一瞬。
イライアスは、苦い顔で首を振った。
「やめてくれ。海賊に身を落とした俺が名乗れば、ガレの家名を貶めることになる」
「卑屈ですね」
間髪入れずばっさりと、浅黒い肌の青年が吐き捨てた。
レミオ達を連れてきた見張りの男だ。肌の色、黒髪黒眼からして東方の民だろう。
むっと海賊たちが非難の目を向けるその横で、軽薄な騎士が遠慮もなく噴き出した。
「ソル、今、一拍も置かなかったよね」
「事実でしょ」
「こらこら。反射で会話するのはやめなさい。将軍ももう少し従者に自重というものを覚えさせるべきではないかな?」
「申し訳ない。私も同意見だったので、うっかり止めそこねました」
「……将軍……?」
軽快に飛び交う言葉に、ようやく彼らも船長以外に目が向いたらしい。
クレメントの乗組員たちはぽかんとして沈黙した。
海賊としては中規模のクレメントにはそれなりの数の船員がいるが、中核を担うのは6名とそれほど多くはない。船長シルヴァ、副船長のレミオ、操舵手のジェラルド、航海士サミィ、船大工エレクトラ、船医ラジオルというのがその顔ぶれである。
先ほど一番止まらなかったのは、紅一点のエレクトラだ。豊満な体躯の美女だが、辛辣な言葉と男に負けない腕力でハンマーを操る強者である。その隣で同じような厳しい顔をしていたのはレミオ。中肉中背の一見どこにでもいる中年という風体だが、知略の面では誰よりも頼りになる男である。喧嘩の腕もそれなりで、見た目に騙されると手痛いしっぺ返しを食らう。だが、何も言わずの威圧感も相当怖いとイライアスは改めて思い知った。そんな二人を宥めていたのが褐色の肌の岩のような大男、繰舵手のジェラルドだ。彼は東方の民の血を少しだけ引いているらしく、頼もしい怪力の持ち主だが、小さめの黒い瞳は円らで愛嬌があり性格はとても温厚だ。そして、一歩引いたところで同じように憤っているのがありありとわかる顔をして、エレクトラの言う事に頷いていたのがサミィとラジオルの兄弟だった。二人とも垢抜けた金髪碧眼の色男だが、女好きでお調子者のサミィと真面目なラジオルでは随分と性格が異なる。
と、まあ個性豊かなメンバーだが、全員、頼りになる仲間であることには間違いない。
初めはイライアスが伯爵と呼ばれたことに驚いていたが、今は何に対して驚いているのか、さっぱりわからない。
ざっくばらんな会話なのか、美貌の将軍に対してなのか、そこに勢ぞろいする面々に対してなのか……。何にせよどうでもいいことだと、馬鹿らしくなってイライアスは考えるのをやめた。
将軍と対面して以降、どうにも投げやりな思考が否めない。
だが、まず、すべき事なのは謝罪だろうと、改めて仲間に向かって頭を下げた。
「俺のせいでお前らまで捕まっていたとは思わなかった。本当にすまない」
言った途端、勢いよく頭を叩かれる。
「船長をおいて逃げる腑抜けに思われていたわけかい?あたしたちは」
はっとして頭を上げれば、間近にエレクトラの顔があった。美しい紫の瞳には怒りの炎が激しく燃えている。
しかし、うっすらと膜を張っているのは、きっと涙だ。
『悲しむ者がいると知るべきだ』
それはつい先ほど言われたばかりの言葉。将軍を見れば、彼は少しだけ肩をすくめた。
「違う、そうじゃない。俺は……」
「違うと言ってもやったことはそういうことですよ。あんたの首一つで俺たちはお咎めなし?そんなもん誰だって納得する訳ないでしょうが」
腕を組んだレミオに淡々と言われ、口を噤む。平坦な語気に滲むのはやるせない怒りだ。
仲間たちが、どれほど悔しい思いでいるのか。
彼らの目に同じものが浮かんでいるのを見て、イライアスは、もう一度、頭を下げた。
だが。
「クレメントは船長捕まえれば芋弦式で楽だったねー」
謝罪の言葉は、本日何度目かの軽口に阻まれる。
ねーっと、性懲りもなく同意を求めてくる騎士に、イライアスの額に青筋が浮かんだ。
空気を読まないにも程がある。
なんでこいつは色々と、色々と、とにかく色々と台無しにするのか。
「こんだけ真面目な場面で茶化す観衆がどこにいる!」と言いかけたものの、笑顔で「ここに」とか言われるのが簡単に想像できしまって、苦情は意味のない呻き声になって零れ落ちた。
睨みを効かせる海賊などなんのその、当の本人はにっこり人懐っこい笑みを浮かべて、やはり「事実でしょ?」などと言うから、イライアスの予想はあながち間違ってはいないはずだ。
流石は将軍の配下。本当に性格が悪い。
まあまあと、リディアム侯が仲裁に入った。
「義賊といわれても、昔とは違い随分と肩身が狭くなっていたでしょうからな。義を貫き通して、海賊同士でやり合うばかりでは損害も蓄積するばかりだったでしょう。よくやっておったものですよ」
しみじみと同情的な言葉を掛けられて、海賊たちは何とも言えない顔になる。
前侯爵と違い、現リディアム侯に対してはどちらかと言えば、好感を持っている。どう反応してよいのかわからなくなるのも無理はない。その上、穏やかな笑みを浮かべるその様子はまさに品の良い老紳士という風情で騙されそうになる。
しかし、イライアスは忘れてはいなかった。
将軍が、彼を「狸」と呼んだことを。
思わず懐疑的な眼差しを向けると、将軍が可笑しそうに口を開いた。
「侯こそ、少々手加減して差し上げないと。彼らが随分、居心地悪そうだ」
「ふむ。そのようですな」
案の定、海賊たちの反応を楽しんでいたらしい領主と将軍に、イライアス以外の全員が途方に暮れたような顔をした。
イライアスとて、その気持ちはわからないでもない。
先ほどまで似たような思いを味わっていたのだから。
しかし。
(このままではらちが明かないか)
諦めの吐息が零れ落ちる。
リディアム侯の真意は深すぎて読めないが、将軍のそれは明らかに作為的だ。
こちらから切り出すのを待っている。
乗せられるのは癪だが、いい加減からかうのもやめてもらいたい。
イライアスは仕方なしに話を振った。
「で、将軍。俺たちに何をさせたい?」
もったいぶることもなく、将軍はあっさりと言葉を落とした。
「騎士団との共闘を」
部屋の中がしんと静まり返る。
「…………は?」
「ここに新たな基地を置きます。西の玄関口であるルクセイアを中心に防衛線を強化する」
「何を考えてるんだ?海賊と騎士が共闘?」
唖然とするイライアス達に、将軍は至極真面目な顔で頷いた。
悪い冗談にしか聞こえないというのに、この男にとっては違うらしい。
「求めるところが同じであれば立場など何ら問題にはならないでしょう?常駐する騎士団は今後、どうしたって船での戦いを知らなければならない。だが、一朝一夕でなんとかなるものでもないですからね。特に今回は貴方達が鍵だ」
「……どういうことだ?」
「時を置かずして、このルクセイアが戦場になる、と言うことです」
突如として予想もしていなかった不穏な事態を突きつけられ、海賊たちは息を呑んだ。
「侵攻ってことか?」
呻くように呟いたサミィの横で、レミオが腑に落ちない顔をする。
「……だが、ここの海流は特殊だ。攻めるにしても敢えてここを狙うとは思えない」
「確かに今まではそうでした。ですがこれからもそうとは限らない、ということです。現にケンドルオールが開戦の準備をしている。船の性能が上がってきているということもありますが、ハラヴィナ湾の整備が裏目に出ましたね」
「マジかよ……」
「ええ。今、西の大陸は各国の奴隷解放の余波で情勢が不安定です。一部の国は同盟を強化し安定を図りましたが、それに弾かれた国は国内の不満を躱し、力を誇示するための方法として搾取……つまりは戦争を選んだ」
「……」
「ケンドルオールの真の目的は、大国エトリブラへの侵攻。オルフェルノはその足掛りとして狙われているようでしてな。堂々、寄港要請が送り付けられてきたのですよ。スナヴァールとの戦争からまだ3年。国が疲弊していると取られても仕方がないのかもしれませんが」
将軍の言葉を継いだリディアム侯がやれやれと首を振った。
イライアスは一瞬、何を言われているのかわからなかった。
(疲弊…?活気にあふれたこの国が?)
11年前であればいざ知らず、今のこの国が疲弊している、と言われても。
賑わう街、活気ある人々。
確かに戦争の傷跡はそこかしこに残るが、復興著しいオルフェルノのどこからも、当時のような慟哭は聞こえない。
「人は見たいものだけ見て、事実を都合の良いように脚色するものだよ。愚かしいがね」
「まあ、そういうことです。彼等はここを中継として利用する気でいるようですが、こちらとしてはそれを受け入れるつもりはない。軍事行動中の他国の軍を安易に寄港させたとなれば、我が国も協力していると捉えられかねませんからね」
エトリブラはオルフェルノの友好的な同盟国だ。かの国が国境で睨みを利かせていたからこそ、オルフェルノはスナヴァールの全軍と戦わずに済んだ。そのエトリブラとの関係を揺るがせるような行動をするわけにはいかないし、するつもりも更々ない。
だが、いくら本来の目的がこの国でないとしても、ケンドルオールの協力要請を拒めば、その矛先はオルフェルノにも向く。
だからと言って、海賊に協力を求めるだろうか?
イライアスは釈然とせず眉を寄せた。
「協力を乞う相手が間違っていないか?」
「そうですか?海賊ほど海での戦いを知るものはいないと思いますが」
「犯罪者に頼るなんて、あんたに矜持はないのかい?」
不思議そうに首を傾ける将軍に、エレクトラが辛辣に言い放った。そんな彼女のわかりやすい挑発を、彼は微笑みでさらりといなす。
「今回、迎え撃つには圧倒的に準備が足りないのです。ならば、今ある資源を最大限有効活用するべきでしょう?私は誰一人無駄死をさせる気はない。だからこそ、貴方達を選んだ。実行部隊に貴方たち以上の適任はいないと判断して。それを矜持の無さと判断するならば、それはそれで構わない」
国を守るために騎士は命を懸ける。そこに誇りを抱いていることは確かだ。
だが、その命は決して安いものではない。
「私はこの国を守るために戦うことを否定する気はない。そのための犠牲もやむを得ぬと思っている。だが、誰一人代わりのいる人間などいないことも知っている。人は死んだら補えん」
代えの利くようなものではないのだ。容易く散らせるような愚は侵さない。
それが、ヴィルヘルムの自尊心の在り方だ。
灰色の瞳が静かに、彼らを見据える。
威圧するような視線ではない。
だというのに、どこか落ち着かない気分になるのは、その揺るがない瞳に己の揺ぎを自覚するからだ。
(何を迷う。自分が決めた道を進むと、そう決めただろうが)
イライアスは腹に力を籠めると、無意識に詰めていた息を吐きだした。
揺らぐのは将軍の求めるものがわからないからだ。
否、何故協力を求める相手としてクレメントを選んだのか、その理由が。
「なぜ俺達なんだ?海賊なら他にも居る」
「クレメントが義賊である。その一言に尽きます」
将軍の答えは淀みない。
「弱き者の味方であり、この街を、人を大切に思っている貴方達であれば、我ら同様、目の前で大切なものが壊されることを避けたいと望む。そう思ったからですよ」
「壊される……」
ヴィルヘルムは一つ頷くと、イライアスだけでなく、クレメントの全員を見回した。
「街が戦場になる、というのはそういうことです。対立を回避するとなれば、寄港を許可せざるを得ない。ですが、ケンドルオールの寄港要請が、略奪行為の黙認強要であることは周知の事実。安価な補給と兵士たちの長旅のストレスを解消させるため、人や街は蹂躙されるでしょう。かの国は略奪行為を、強さの証だと思っている節がありますからね」
どちらにしろ、こちらは無傷ではいられない。ならば、戦って国を守ることを選択するのは当然の帰結だ。だが、クレメントの協力が得られないのであれば、今の騎士団だけで敵を海上に封じるのは難しい。どうしたって海岸線を戦場にせざるを得ない。
それによって多くのものを失うのはこの街の人間になる。
「民は避難させることが出来ますが、街はそういう訳にはいきません。戦場と化した街を知らずとも、略奪に踏みにじられた街ならば貴方達も覚えているはずです。己の家が焼き払われ、住み慣れた愛すべき街が瓦礫と化す。確かに人さえ生きていれば、街は復興するでしょう。けれども住人達はもう一度、故郷を失うことになる。……それを貴方達は良しとしないはずだ」
違いますか、との問いかけに応えはない。しかし、誰一人として、それを否定することはなかった。
彼らは想像するだろう。いや、思い出しているのかもしれない。
壊れた街並みを、火と煙に巻かれ煤けた焼け野原を。
起こりえる、現実として。
それを回避しようと望むか、否か。
本来であれば虜囚であるクレメントに選択肢などない。ただ命じればよい。
だが、ヴィルヘルムはクレメントの海賊としての矜持と信念を理解して、それを曲げさせることなく協力を得ようとしている。
彼らに変われとは言わない。変わる必要があるとも思っていない。
子供たちの憧れの義賊のまま。
彼らが守りたいものを守ればいい。
だから、ヴィルヘルムは命じるつもりはない。
時間がかかろうとも、自分で決めさせる。
自分が、どうありたいか、どうしたいか、を。
命じられたからではない。
自分で決めたからこそ、最後までやり遂げようとする、その強さを知っているから。
今は、ただ静かに待つだけだ。