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 イライアスは改めて目の前の人物を見つめた。


 この国に居れば誰しも一度は耳にしたことがあるはずの英雄譚。

 その主人公たる冬狼将軍。


 極上の容姿と色彩は確かに冬狼神に重ねられるのに納得してしまうものだ。だが、その中身がふてぶてしいほど神経の図太い人間だったのは、はっきり言って意外だった。

 そんな彼の内心に気付いているのかいないのか。

 ……絶対気が付いているに違いない男は、さて、と話を中断すると、床に広げたままであったシルヴァラント伯の手紙を拾って折り畳み、イライアスの掌に乗せた。


「まずは、場所を移動しましょうか」


「は?」


「貴方以外にも作戦を知らせておきたい者達が居るのです。何度も同じ話をするほど私も暇ではないのでね」


 そう言って扉を叩くと、外から扉が開かれる。先を行く将軍に促され部屋を出たイライアスだったが、その背中を追いながら、僅かに顔を顰めた。


(何とも簡単に後ろを取らせるものだ)


 例え手枷があろうとも、こんなことでは殺すのは容易いではないか。


 海賊たちは常に裏切りと共に生きている。部下だった男に寝首を搔かれ、船長が変わるなどと言うのもそれほど珍しくはない。それは、クレメントであっても全く無縁の話ではなかった。

 安易な信用はただの愚行だ。

 将軍への評価が今一つ定まらない。

 食えない策士なのか、豪胆なだけのただの自信家なのか。

 考え込んでいるうちに、石畳の階段を上り切り、足元は厚みのある絨毯の惹かれた廊下へと変わった。執務区域に入ったのだろう。

 イライアスは試すように、わざと腕を振って手枷を鳴らしてみせた。


「おい、この手枷は何時まで嵌めとくんだ?外してくれないのか?」


「せっかちですね。鍵を持っている人物の所まで案内しているのですから少し待ちなさい」


 将軍は振り返りこともなく不満の声をあしらうと、暫く先に進み、辿り着いた先の扉をノックした。

 開かれた部屋の中は、イライアスが想像していたような執務室などではなかった。広間だ。

 柔らかな陽射しが、正面に並んだ窓からカーテン越しに差し込んでいる。頭上に輝くのは水晶のシャンデリア、木目調の美しい室内は流石貴族の屋敷と思わせるが、置かれている調度品は控え目で派手さはない。中央には大きな円卓が置かれており、老紳士が立ち上がって彼らを出迎えた。灰色の髪に落ち着いた金茶色の瞳、穏やかな雰囲気を纏うものの、その目が放つ覇気は将軍にも劣らないものだ。

 彼はイライアスを見てくつくつと笑うと、将軍へ話しかけた。


「流石は将軍、海賊シルヴァも貴方には屈しましたか」


「屈してなどいない」


 不服そうに言い返したイライアスを、紳士が穏やかな目で見つめる。


「いや失礼。言葉を変えよう。見失っていた標を見つけただろう?シルヴァラント伯」


 年の功というやつなのだろうか。自分でもまだ整理しきれていない心中を見事に言い当てられたような気がして、イライアスは言葉を詰まらせた。

 そんな彼を尻目に将軍は胸に手を当て騎士の礼をすると、同じように返した紳士に向かって首を振る。


「さて。私が彼に差し出したのは、それほど明確なものではありませんよ。もっと目先のものだけです。それはそうと、リディアム侯、鍵をお貸願えますか?」


 視線だけで手枷を示す将軍に侯爵は一つ頷くと、胸元のポケットから鍵を取り出し円卓の上を滑らせた。手元で止まった鍵を掴み、将軍は何の警戒もなく無言でイライアスの手のひらの上にそれを落とす。

 余りにも簡単に。安易、すぎるだろう。


「簡単に信じるんだな。俺が裏切ったらどうする気だ」


 顔を顰めたイライアスに、将軍は呆れた眼差しを向けた。


「私はそれ程間抜けではありませんよ。信じるに足る人間でなければ、協力など求めない」


「随分と自分の目を信じているんだな。過信は良くないと思うが?」


 挑発するような言葉が口を突く。それに答えたのは、将軍ではなかった。


「あははー、それは無い無い。将軍、人たらしだけど、甘くないからね」


 楽しそうな声が背後から掛けられ、驚いて振り返る。

 褐色の髪の青年が、扉に背を預けて呑気に手を振っていた。青い瞳には人好きする明るい色が浮かんでいるが、服装からしてこの男も騎士なのだろう。能天気そうに見えるものの、隙がない。そもそも入り口に立つ彼の気配は、今の今まで全くなかったものだ。

 一体いつから居たのかと思い、初めからだと気が付けば。

 ひやりと冷たいものが背中を撫でた。


「……そういうことか」


「そう言うことですよ~」


 にこにこと笑っているが、笑い事ではない。

 将軍が背を向けている間、イライアスの動向は彼に監視されていたのだ。不審な行動でも起こそうものならば、散っていたのは将軍ではなく、己の命。


 つまりはそういうことなのだろう。


 変な気を起こさなくてよかった、というべきか。

 イライアスの複雑な心中を察しようともせず、でもさ~と、全くもって騎士らしくない男は人を食った笑みで続けた。


「今のあんたに将軍を殺す理由なんて無くなっちゃってるでしょ?」


「…………」


 思わず、沈黙してしまったのは。

 唯の負け惜しみか、それとも。

 ……納得してしまった自分自身に驚いたのか。


 自分でも曖昧な胸の内。それでも、確かに将軍を害する感情は何処を探しても見当たらなかったのは事実だった。


 だが、しかし。


「当たり前でしょう。殺意を向けられなければいけないような疾しいことはしていませんよ」


 何故、なのだろう。

 当の本人にそう言われると、非常に図々しく感じられるのは。


「あんた、綺麗な見た目の割に随分と厚かましいのな」


 胡乱な眼差しを向ければ、相手は全く気にした様子もなく、


「生き馬の目を抜く世界で生き抜こうと思うのであれば、この程度当然のことでしょう。そこにもっと狡猾な御仁もいますしね。色々学ばれるとよろしいのでは?」


 そんなことを言うから。


 視線につられてリディアム侯を見てしまったイライアスは、そこにあった微笑みに、間髪入れずそれを辞退した。

 はぁと、大きな溜息が零れ落ちる。

 本調子が出ない。予想外の彼らの態度に、いつもの冷静さは迷子のようだ。

 そんな彼の様子に揶揄いが過ぎたと思ったのか、将軍が苦笑を浮かべて話を変えた。


「まあ、おしゃべりはこの辺までにしておきましょう。貴方の身を案じてまんじりともせず待っている方々がいますからね」


 が、その内容も、全くもってイライアスを冷静にさせるものではなかった。


「……どういうことだ?」


 嫌な予感がして将軍を見れば、意味ありげに微笑まれる。


「貴方を捕縛後、高札を立てたのです。クレメントの罪は全て船長が負うものとする。船長の処刑をもって、他の船員の罪は不問に処す、とね」


「で、船長奪還のために屋敷に乗り込んできたクレメントの皆さんは、漏れなく全員揃って生け捕りになりましたー!って、ことです」


 明るくそう続けた能天気な男に、イライアスは一瞬絶句して、それから全力で叫んだ。


「そう言うことは先に言えっ!」


 怒りに任せて掴み掛かったイライアスを横に飛んでするりと躱すと、男はまあまあと宥めるように掌を向けてから、軽快な足取りで窓辺に向った。窓枠を掴んで勢いよく押し上げる。


 開け放たれた窓から潮風が入り込んだ。


 嗅ぎなれた海の匂い、細やかな潮騒。

 そこに被さる様にして耳に届く複数の人間の騒めき……否、罵倒の言葉。慌てて窓際に駆け寄ると、イライアスは身を乗り出して中庭を見下ろした。


 そこには、仲間たちがひしめき合っていた。


 ぼろ雑巾みたいになって捕らえられているものの、怪我自体は大したことはないようだ。

 いつも以上に元気に喚いている。


「将軍から生け捕りにしろって言われていたから死者はいないよ。因みにボロボロなのは一方的な暴力ではなく、拳と拳で遣り合っての結果だから誤解のないようにね」


 言われて視線を向ければ、確かに見張りの騎士たちの顔も似たようなものだ。

 しかし、生け捕りにしろと言われたからと言って、拳で語りあう必要があるのだろうか。……との疑問は、何とも満足そうな顔をしている騎士たちを見て霧散した。

 少しばかり頭痛がしてきた。


「……騎士ってのは皆脳筋なのか?」


 剣はどうした、剣は。

 突っ込みたいのはやまやまだが、イライアスはそれをぐっと抑え込み、まず、するべきことを優先した。


「お前らっ!」


 大きな声を張り上げる。

 弾かれたように、海賊たちが一斉に顔を上げた。

 憔悴しきっていた顔が、イライアスの顔をみるや驚愕に目を見開いて喜色に変わる。


船長キャプテン!」


 誰かが声を上げた。

 それをきっかけに。


「生きてたーっ!」


 耳が痛いほど大きな歓喜の声が沸き起こる。

 怒号のような喝采が中庭を揺らした。









「さすがクレメントの船長は人気者ですな」


「ええ。彼を味方にできるかどうかが、今後の鍵ですから」


 止まない歓声。

 イライアスの背を見つめる侯爵に、ヴィルヘルムは静かに頷いた。

 実を言えば、クレメントの船長を助けに来たのは、彼らだけではない。クレメントに助けられた多くの者達が、嘆願書を持ってきたり、領主官邸に押し掛けたりと様々な行動で彼の助命を願った。

 そこまでの行動を起こさせるクレメント、その船長であるシルヴァの影響力は侮りがたいものがある。彼に野心というものがあったのであれば、それこそ脅威になっただろう。

 だが、彼の行動に私欲はない。クレメントが脅威となるのは民を害した時だけ。

 ならば、アルムクヴァイド王の治世を脅かすものではない。


(この国の守護として、共闘は可能)


 灰色の瞳がゆっくりと眇められる。

 ヴィルヘルムが求めるのは、シルヴァの海上での卓越した統率力と戦術、そしてそれを正確に実行するクレメントの操船技術と判断力である。

 他の海賊すら一目置く彼らの強み。

 報告を見るだけでも、彼の指揮の巧みさは疑いようがない。何より目を惹くのは、ここぞというときの思い切りの良さだろうか。引き際しかり、追撃しかり、戦いの転機には逡巡が生まれる。そんな場面でこそ、シルヴァの判断は非常に早くて大胆だ。

 自信家かと想像していたが、どうやら、そう言う訳ではなく、捨て身の強さと、『失ってはいけないもの』民を守ろうとするその意志がそうさせているようだ。頭が切れることは確かだが、なにより人情味あふれる育ちの良さが彼の根本のような気がしている。

 ヴィルヘルムなどより、余程民思いだ。

 過去の事件がなければ、素晴らしい領主になっていたことだろう。

 そう思い、隣に立つ老紳士の心中を推し量る。

 口元に笑みを湛え、どこか懐かしそうにイライアスを見つめる彼はその背に何を思うのか。


 過去の悔恨は消えない。

 それでも。これからの未来で後悔しないために。

 今はただ、なすべきことを。


「ようやく立ち直ってきたこの地を守り切るのが私たちの務めです」


「そうですな。今度こそ、間に合わせてみせましょう」


 交わされた言葉は歓声にかき消され、他の誰にも届くことはない。

 だが、二人だけに届いたそれは、揺るぐことのない、確かな彼らの覚悟であった。











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