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 顔を上げ目にしたのは、貴公子然とした若い男だった。

 男のイライアスでさえ目を瞠るほどの美貌に、すらりとした体躯はしなやかで厳つい海賊に囲まれてきた彼からすれば些か痩身に映る。

 しかし、どこか侮れない雰囲気を感じ取り、全身に緊張が走った。


 眼光だ。


 穏やかな表情に隠され、眼鏡に遮られていても、灰色の瞳に宿る凍土の冷たさは隠しきれない。

 差し込む光にその髪色が紺青だと知れれば、その冷厳たる存在感の理由を悟る。


 この国の若き英雄。


「……冬狼将軍」


 絞り出されるような掠れた声に、彼は軍人とは思えぬ柔らかさで微笑んだ。


「名乗る必要は無いようですね。クレメントの船長……、いえ、イライアス・ガレ・シルヴァラント伯爵」


 世間話でもするようなさり気なさでそう呼ばれ、虚を突かれたイライアスは目を見開いた。思わず問い返しそうになる衝動を咄嗟に押し殺す。


 何故。

 何故、仲間たちですら知ることのない過去を、この男が知っているのか。


 動揺はわずか。

 油断のならない男には気が付かれただろう。

 しかし、彼はそれを指摘することなく、胸元から一通の手紙を取り出して開くとイライアスの前に置いた。

 色褪せた紙に走るその文字には見覚えがある。

 少し神経質そうな硬い筆跡。……紛れもなく、父親のものだ。

 それは前リディアム侯の不正、領民たちの困窮する状態が克明に書かれた訴状であった。


「先のリディアム侯にとって、王都から遠いこの土地は己の懐を潤すのに最適な土地でした。しかしながら、すぐ隣の領地には清廉潔白な貴方のお父上がいらっしゃった。……さぞかし目障りだったことでしょうね」


 16年前のことだ。将軍が何処からかこの手紙を手に入れたのかはわからない。しかし、父が望んだ相手にこれが届いていたとは到底思えなかった。あの時、しかるべきところにこれが届いていたのならば、父は処刑などされていなかったはずだ。


 脳裏に、王都へ向かう父親の後ろ姿が甦る。

 馬車に乗る寸前、安心させるように向けられた笑み。あの時、あれが最後の別れになるなんて思ってもいなかった。

 懐かしさが胸の痛みを呼び起こし、手紙を見つめたまま、イライアスは皮肉げに笑った。


「まるで見てきたように語るのだな」


「調べ上げたことを語っているにすぎません。シルヴァラント伯爵の罪が冤罪……いえ、捏造であったことはすでに証明済みです。しかし、告げる相手がいなかった。貴方が生きていることはわかっていましたが、書面上ガレ家の人間はすべて処刑されたことになっていましたからね。所在が掴めず困りました」


 ぬけぬけと言う将軍に、イライアスは吐き捨てる。


「嘘をつけ。父の汚名を雪げる程の能力があるならば、俺の居場所などとっくに掴めていたはずだろう」


 否定の言葉は返らなかった。見え透いた嘘を重ねるつもりはないらしい。

 ならば。


「今更、俺に父の手紙を見せた目的はなんだ?」


 イライアスは手紙を睨みつけたまま尋ねた。


「協力を」


 端的な応えに、一瞬思考が止まる。

 ゆっくりと時間をかけ、その意味を理解したとき、心の底から浮かんできたのは、嘲笑だった。


「罪人に、か?ふざけた事を」


「おや、貴方方は義賊ではなかったのですか?」


 わざとらしく驚く様子が苛立たしい。

 思わず舌打ちが零れるが、将軍は気にした様子もない。


「クレメントを名乗る義賊の噂は随分と前から聞き及んでいました。海賊でありながら高い教養と、崇高なる目的意識を持ち、強かでありながら弱い者を助ける誠実な貴方に惹かれて海賊になる者たちまでいると。私は国民を守るものならば、海賊であっても構わなかった。だから、貴方たちを放置した」


 放置、と言われてイライアスはぐっと奥歯を噛み締める。


「俺たちを利用していた、というわけか」


「利用?貴方たちは貴方たちの理由で略奪行為を続けてきただけだろう。私はそれを傍観していたに過ぎない」


 それが利用でなくてなんだというのか。

 口にされない不満を分かっていて、将軍は素知らぬ顔で続ける。

 容赦なく、ただ現実を。


「海賊は海と関わる者たちにとって驚異であり、憧れだ。安易に消す訳にはいかなかった。しかし、漁師たちの生活が安定し、港が交易で栄え始めた今、海賊あなたたちはもう英雄ではなくなる」


 時代が変わったのだ。


「……わかっているさ。海賊など所詮、荒くれ者の罪人に過ぎない」


 国王が、領主が民を守るのであれば義賊面した海賊など不要だ。

 心の奥底では理解していたことを突き付けられ、イライアスは目を閉じた。


「クレメントの船長シルヴァ。貴方が捕まるかどうかは賭けだった。だが、その調子では捕まらないわけがないな。貴方には初めから逃げる気が無かったのだから」


 男の心情は、将軍に読まれている。

 諦めも、慙愧の念も全て。

 それなのに、命で罪を贖うだけでは許されないのか。


「……」


 吐露させられる悔恨に、どろりとした虚脱感が全身を支配していく。

 己の信じてきた道を己で否定することが、想像以上の痛みをもたらしているというのに。


 将軍は容赦の欠片もなく、言い放った。


寛容なるものクレメントの意味を、貴方の心がまだ持ち合わせているのであれば」


 しんとした静寂の中、室内に響いた声は決して大きなものではなかった。

 だが。


 言葉に秘められた、その強さに。


 イライアスは思わず目を開け。

 顔を、上げてしまった。


 ――――視線がぶつかる。


 狼の目に射抜かれて、本能的に眼が逸らせなくなる。

 瞳に宿る強い意志に、胸の奥から何かが呼び覚まされるような感覚に襲われながら、同時に。

 凍える氷の眼差しが、諦めも後悔も、全てを凍らせて吹雪の中に消し去っていく。


 呼吸さえ忘れるような静寂は、一瞬。


「逃げずに、戦え」


 まるで断崖から突き落とすかのような冷徹さで、将軍は命じた。

 ぐうと、喉が鳴る。


「……償うことさえ、許されないのか?」


 零れ落ちた声は渇いて擦れ、情けないほどに弱々しい。

 見下ろす灰色の瞳には何の熱もありはしないというのに、焼鏝を当てられているかのような灼熱感に胸を焼かれ、息が詰まりそうになる。


「償う気があるのなら、尚更死ぬべきではないだろう。死は償いではなく、ただの逃避だ」


 懊悩する男に将軍は慈悲もなく続ける。


「貴方は守る手段にてっとりばやい方法を選んだだけだろう。略奪行為に正義はないが、貴方たちが義賊と呼ばれていたのならば、どこかに正当性があると思った人々がいたということだ。つまりはそれが、貴方がどうにかして守りたかった領民たちではないのか」


「……物は言いようだな」


 絶望を覗き見させられた直後、死地から無理やり引きずり上げるような乱暴さに、イライアスは途方に暮れた。だが、それを行う本人は至って平然としたものだ。


「何が悪い?完全無欠の正義の味方などこの世界のどこにも存在しない。少しばかり世をよくしたいと思う人間がいるだけだ。誰にだって欠陥もあれば、出来ないことも少なくはない。一人の人間にできることなどちっぽけなものなのだから、多少狡くても構わないだろう?」


 繊細そうに見える外観に反して、この男。

 存外、面の皮が厚い。


 図々しくも涼し気にそう宣う男は、この国の守護神ではなかったか。

 しばし唖然として将軍を見つめれば、彼は彫像のような美しい顔に人の悪い笑みを浮かべた。


「私はただの人間だ。私に出来ることは限られているし、何かあれば悲しむ人がいる。ならば、狡くても卑怯と謗られようとも、手段を選ぶつもりはない。貴方ももっと、周りを見たほうがいい。貴方が死ねば、悲しむ者がいると知るべきだろう」


「悲しむ者……」


「貴方の抱く罪悪感と悲観的な達成感はわからなくもないが、素直に開き直るものひとつの手だと思うが?」


 あれほど重く圧し掛かっていたものだというのに。

 将軍に掛かると悩む程のものではなかったかのように感じてしまうのは、いったい何故だ。

 思わず、溜息が零れ落ちる。


「……あんたと話してると、悩んでいた俺が馬鹿らしくなってくるのは何故なんだろうな?」


「さあ?案外、悩んでいる事自体、馬鹿らしいものだったのかもしれませんね」


 恨みがましい視線を物ともせず、しれっとして返される。


 ああ言えば、こう言われる。

 一体、何なんだ。


 思わず髪を掻き毟ろうとして、両手を繋ぐ手枷の存在を思い出した。

 捕まってもいいと思ったのは事実だ。

 海賊の存在が害となるのならば、そろそろ幕引きをしなければならないと思っていた。

 しかし、クレメントには存在価値があると将軍は言う。


 ならば。


 自己満足の贖罪よりも、己の信じた正義で今、出来ることを。


 澱の様に心の奥に凝っていたものは、いつの間にか霧散していた。

 イライアスは笑った。


「毒を食らわば皿まで、だな。聞こうじゃないか。あんたの話」


 諦めに濁った瞳に光が灯る。イライアス本来の強い光。

 それを確かめて。


「ようやく海賊らしくなったじゃないですか」


 将軍は目を細め、初めて作り物でない表情を返した。











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