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『クレメントの海賊たちと言うのは、大人気ないちょい悪親父気取りのおっさん共である』
リュクレスの純粋な眼差しに気恥ずかしさを覚えたエレクトラが、苦笑しながら仲間のことをいろいろと話して出した答えがそれである。
勿論、格好いい所はたくさんあるが、それ以上に残念な所があるのがクレメントという海賊であった。
例えば、船長であるイライアスが尊敬されていることは間違いのない事実なのだけれど、それを素直に出せない男たちの船長の扱いは結構雑だとか。イライアス以外の船員が二つ名を口にしない理由は、自らが付けたその名前が黒歴史に他ならないからだとか。若かりし頃に考え出したそれは彼らにとって非常に恥ずかしいものらしく、知らないふりをしてやるのが暗黙の了解になっている。
当然ながら、エレクトラは子供の頃に直接その名乗りを聞いてはいるが、……確かにあれはないだろう。
思い出して微妙な顔になったエレクトラにリュクレスは小さく噴き出した。
「まあ、そんな奴らだから、一緒に居るのは飽きないんだけどね」
「ふふ、とっても楽しそうです」
「物は言いようってね。良い方に取ってもらえてよかったよ」
言い繕ったところで所詮、残念野郎どもに変わりはない。まあ、この際どうでもいいかと、エレクトラはぽんと膝を打って立ち上がった。
無事に戦いが終わったことを感謝するために断崖の教会へと参ってみれば、思わぬ出会いもあったものだ。
「つい話し込んじまったけど、邪魔者はそろそろ退散するわ。……ありがとう」
リュクレスを見下ろし、エレクトラはすっきりとした顔で笑った。
自分の想いを肯定されることがこんなにも、心を軽くするなんて思ってもいなかった。
何がとは言わず告げた感謝に、リュクレスは目を瞬かせてから、ふんわりと微笑んだ。
「こちらこそ、お話ありがとうございました。とても楽しかったです」
空気が緩む。緩やかに、穏やかに。細やかな沈黙さえ心地が良い。彼女の齎す雰囲気にエレクトラも頬を緩るませて相槌を打った。
「あたしもだよ」
この穏やかさを享受し、もう少し話をしたいとも思う。けれども、此処が引き時と本能がそう告げているから。後ろ髪を引かれつつも、「それじゃ」とあいさつを残してエレクトラは踵を返した。
ひらひらと手を振り、坂道を下っていく。
降り返ることのないその背中に、リュクレスも手を振り返す。そうして、彼女の姿が随分と遠くなった頃。
「ようやく帰りましたか」
小さく、ため息交じりの声が届いた。
視線を落とすと、開かれた灰色の瞳とぶつかる。
そこに眠気の名残はまるでない。やはり起きていたようだ。
「ごめんなさい。エレクトラさんのお話が面白くて、つい聞き入ってしまいました。煩かったですか?」
「いいえ。ただ、君を取られて、少々拗ねているだけです」
心配気に尋ねるリュクレスに、ヴィルヘルムは態と大人気ない言葉を選んで返した。行動でも示すように、横になったまま向きだけ変え、細い腰に腕を回して抱き寄せる。お腹に顔を寄せられたリュクレスはぴやっと背筋を伸ばした。
眼鏡に隠されていない切れ長の目に色気たっぷりの視線を向けられて、顔が燃えるように熱くなる。
くるくる回りそうな目で動揺あらわなリュクレスに、男は楽しそうに口元を綻ばせた。
彼がこんな風にあからさまな甘えを見せるのはリュクレスにだけ。
だから、リュクレスは恥ずかしいような、嬉しいような、少し申し訳ないような複雑な気持ちになって、へにょりと眉尻を落とした。
情けない顔で甘える夫の髪を撫でる。そうして口にしようとした謝罪は、伸ばされた手に遮られた。
「謝罪は要りません。かわりに今日は一日、たっぷり俺を甘やかしてくださいね」
蕩けそうなほど甘い顔で微笑まれて、きゅうと胸が疼く。
喉の奥を迫上がってくるような苦しさは、ただ愛おしいと思う感情で。言葉に詰まってしまったリュクレスは服の胸元をぎゅっと握って小さく頷いた。
口ほどにものを言う藍緑の瞳がヴィルヘルムを映し出す。それに満足した男は目を閉じた。
妻の膝の上を堪能すること暫し。程なくしてゆっくりと体を起こした。
夕刻はまだ遠いものの風は冷たさを含みはじめている。ヴィルヘルムにとっては大したことのない変化だが、女性が身体を冷やすのは良くないだろう。名残を惜しみつつ立ち上がった彼は妻へと手を差し伸べた。
「風が冷たくなってきましたね。そろそろ戻りましょうか」
差し出された手に小さな手が重ねられる。リュクレスは立ち上がろうとして、はたと動きを止めた。
途方に暮れたような沈黙の後、気まずそうな顔でふよふよと視線を彷徨わせる。
予想していたのだろう、ヴィルヘルムがやれやれとため息を付いた。
「……やっぱり、ですか」
「ええと、ちょっとだけ時間を頂ければ大丈夫ですよ?」
「ほう」
慌てて弁明するリュクレスに疑いの眼差しを向けながら、彼女の前に膝を着く。そして、遠慮もなくスカートの中に手を差し込むと、立てなくなった足をするりと撫でた。途端、びりびりとした感覚に襲われて、リュクレスは声もなく悶絶した。
完全に膝枕のせいである。
「原因であることを棚に置いてなんですが、そこまで頑張らなくてもいいんですからね?」
意地悪気だった表情を困ったものに変え、ヴィルヘルムは宥めるようにリュクレスの背中を撫でる。
身体を丸めて痺れを堪えていたリュクレスは、痺れが収まってくると躊躇いを滲ませて口を開いた。
「無理していたわけじゃないんです。ただ……」
「ただ?」
「ヴィルヘルム様に膝枕できることが嬉しくて、つい……」
その結果がこれである。恥ずかしさにリュクレスは伏せたまま顔を隠した。ヴィルヘルムの方はと言えば、何とも可愛らしい妻の言い分に思わず天を仰いでいた。
こんなに可愛らしいことを言われて、夫が妻に我慢する必要があるのだろうか。
(いや、ないな)
あっさりと結論を出し、少しだけ強引に細い腕を引く。勢いにつられて前のめりになったリュクレスの身体を懐で受け止めて、攫うように抱き上げた。
目を丸くする妻に、夫は欲を隠す気もない顔でうっそりと微笑む。
「では、私も。お返しです」
ほっそりとした身体は、いつまでたっても軽い。とめどない独占欲を身を焼きながら、ヴィルヘルムは驚く彼女のその額に、口づけを一つ、落とした。
己のために咲く花は、いつだって優しくて、――――愛おしい。
この数日後、右翼騎士団の一部を残し、将軍と騎士団は王都への帰還を果たす。
捕虜たちが予定調和の脱走劇を繰り広げるのは、その後のことである。




