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ヴィルヘルムはあまり仕事の話はしない。しかし、だからと言って全くしないわけではない。
だから、クレメントのことは少しだけ、話に聞いていた。
16年前の西方地方の領主の悪政、それに苦しめられる領民達。そして領民を守るために立ち上がった銀髪の義賊イライアスと彼に惹かれ集った海の男たちの、その義勇。
「まさに物語のようですが、その正義の味方が海賊だというのは何とも皮肉なものですね」
話の中の正義の味方と言えば、大抵が勇者や騎士、それから王子様だ。しかし、現実はその誰でもなく、悪役が定番の海賊だったのだから、ヴィルヘルムがそう言うのも無理はない。
彼自身、話をするとき出来るだけ主観を入れないようにしている。確認出来ている事象を整理分析して、まるで歴史書を読むように語ろうとする。だからこそ、そうした上でさえ、彼らの行動が庶民の好む物語のよう思えてしまえることに苦笑するしかなかったのだろう。
ヴィルヘルムの柔らかな表情を思い出し、リュクレスもまた、やんわりと目を細めてエレクトラに笑いかけた。
「イライアスさんはエレクトラさん達の英雄なんですよね?」
リュクレスにとってのヴィルヘルムと同じだ、と。
彼らの話を聞いてからこっそりと、リュクレスは勝手ながら彼女に親近感を抱いていた。
邪気のないきらきらとした瞳を向けられ、エレクトラが苦笑する。
「海賊に憧れるなんてって、呆れないのかい?だって、馬鹿だろう?海賊は所詮犯罪者でしかないのにさ」
卑下している訳でも、後悔をしている訳でもない。ただ、他人から見たら愚かだと、そう思われることを彼女は理解していた。義賊と言われようとも、海賊が後ろ指を指される存在であることに変わりはない。
自嘲めいた顔をするエレクトラを見つめ、リュクレスは視線を下ろした。
膝の上に頭を乗せ眠る夫はまだ目を閉じたままだ。けれど、人の気配に敏い人だからきっと起きているに違いない。話を止めることが無い様に寝たふりをしてくれるその優しさに、ありがとうと伝えるように紺青の髪を撫でると、彼女はエレクトラに向かって微笑んだ。
「ヴィルヘルム様もですが、騎士様達は皆、自分の事を決して英雄とは言わないんですよ。……副官様は人殺しだと言いました。確かにそうかもしれません。戦争をしていて、誰一人、人を殺めなかった騎士様はきっといないのだと思います。でも、人の命を奪い、人の命を背負いながらこの国を守ってくれた人たちを、私は英雄だと思っています。ただ、彼らに家族や大切な人を奪われた人にとってはきっと違う。エレクトラさんにとってのクレメントも同じなのではないでしょうか。誰かにとって悪でも、エレクトラさんやその家族を助けてくれた海賊さんはきっと正義で、英雄なんです。だから、憧れるのも、味方になりたいとそう思うのも、おかしいことではないんじゃないかな」
『正義と悪』と言う観念で言えば確かに、海賊は『悪』なのかもしれない。
だが。
もし、勧善懲悪というものが本当に世界にあるのだとしたら、……それはとても一方的で理不尽なものなのではないだろうか。
誰にとっての正義なのか、誰にとっての悪なのか。
それは決して同じではないはずだから。
マリアネラの壊れた笑みを思い出す。
リュクレスにとってヴィルヘルムは紛う事なき正義だ。
だが、彼女にとってはそうではなかった。大切な家族を殺した悪だと、憎悪に身を焼くあの人の思いを違うと否定することはリュクレスには出来ない。
誰かにとっての正義が、誰かにとっての悪であることもある。
矛盾を孕んだ重責を背負う騎士団とクレメント。
何処に違いがあるのだろう?
無学なリュクレスには正しい答えなんてわからない。
だけど、自分なりに考えて、自分だけの答えを導き出すことはできるから。
「いいのかい、将軍の妻がそんなことを言って」
「これが私ですから」
一見子供のような少女は、とても静かな声で言って穏やかに微笑んだ。
「クレメントの略奪は、たくさんの人からたくさんのものを奪い取った人から、それを取り返す行為。奪われた人に分け与える行為。奪われたら辛いんだよって、相手の人も気が付ければいいですよね。そうしたら、クレメントは奪わなくて良くなるでしょう?そうしたら、皆さんで宝探しの旅に出れますね」
商人達にとって、略奪行為は迷惑以外の何物でもないだろう。けれど、奪われることの意味を知ったのであれば、奪い取ってきた者たちの気持ちにも思いを馳せることが出来るのかもしれない。
自分が同じ立場にならなければ気づけないことがきっとあるはず。同じ立場に立ったことで初めて痛みを知り、相手を顧みることが出来るのかもしれない。
きれいごとかもしれない、夢物語みたいだと笑われるかもしれないけれど。
自分の心の中にちゃんと優しい思いが仕舞われている、それを知らない人は多いと思うから。
「なんだか、あんたにそう言われると、海賊っていうのも悪くないものに聞こえるね」
絵物語のように優しい世界。
この世の中はそんなにいいものじゃない。彼女はそれを知らない訳では無いだろう。
知っていて、それでも、そうあればいいと願い行動する娘に。
周囲は絆されるのかも、しれない。
「一概に海賊といっても、色々な海賊が居ると思うので、私のこの感想はクレメントの方々限定のような気もしますけど。でも、私は自分が知っている海賊はクレメントの方々だけなので仕方ないですよね」
純粋な信頼を向けられて、子供のような憧れに瞳を煌めかせる娘に。
将軍が落された理由を、エレクトラは唐突に理解した。
世知辛いこの世の中の酸いも甘いも知っていて、辛いことを経験していながら、それでも誰かを信じて誰かのために手を差し伸べることが出来る。
それは確かに、強さだ。
雨風にさらされ、時に踏まれても真っすぐに空を目指し、満開の花を咲かせて精一杯生きる。
寝たふりをし続ける男の愛する、野の花のその逞しさ。
それは確かに守りたくなる尊さだった。