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「こっちです。といっても、向いですけどね」
大会議室が救護室ならば、薬剤室は小会議室だ。
導線を考えての配置なのだろう。
救護室を出て十歩も歩かないうちに到着した部屋の前で立ち止まり、ソルはその扉を叩いた。
「どうぞ、勝手に入ってきてくれ」
扉の奥からくぐもった声が返る。扉が開かれると、ふわりと薬草の匂いがした。リュクレスにとっては馴染みのある匂いだ。
中ではよれよれの白衣を着た男女がごりごりと擂粉木を手に各々薬を作っているところだった。その顔には隠し切れない疲労が滲んでいるものの、手は絶えず動いたままだ。
扉越しに返事した人物だろう、年嵩の男が顔だけを向けた。
「ああ、従者殿か。どうした、なんか入り用か?」
「いいえ、貴方方を休ませろと、ドクターからの指示を頂いたので」
不思議そうだった顔がソルの言葉に引き攣った。
「……休憩なら交代で取っているんだが」
「クルフ殿、それ、ドクターに面と向かって言えます?」
若干、言い訳がましくなってしまった言葉に淡々と返されて、男が苦いものでも飲まされたような顔で沈黙する。ソルはリュクレスの背を押して室内に入ると、改めて彼に向き直った。
「彼女が応援に入ります。その間に誰か休憩に入って下さい。そうすれば少しは長く仮眠が取れるでしょう?」
リュクレスは慌てて頭を下げた。
「見習い修道女だった子です。救護院での経験もあるし、ドクターフェローのお墨付きですから、即戦力になると思いますよ」
応援という言葉に、室内の薬師たちの顔が一斉に輝く。が、クルフと呼ばれた男だけは喜ぶことなく、何かを窺うように暫くの間リュクレスの顔を見つめてから、眉間に皺を寄せた。
その目に宿っているのは、明らかな困惑。
「嫌な予感しかしないんだが。……もしかして、将軍の奥方か?」
ごぎっと手の滑った音がした。手首は大丈夫だろうかと、リュクレスが心配になって音のした方を見れば、眼鏡の女性が焦った様子で慌てて指で丸を作った。
そんなやり取りを視界に捉えつつも、ソルは話を続ける。
「もしかしなくとも、主の奥方ですよ。安心してください、主は承知済みです」
「よく、許したな」
「私がお願いしたんです。何か出来ることがあればさせてほしいと。どうか手伝わせてもらえませんか?」
呆れたような、半分信じていないような男に、リュクレスは一歩前に出てそう願い出る。
「本当に借りていいのか?」
「勿論。ただし、勧誘は不可です。そう言う訳で、まず寝に行くのは誰です?」
無表情のまま、ぱきぱき指をならすソルに、クルフは天井を仰いだ後、奥の二人を指さした。
因みにその一人はごきっと手首を鳴らした女性であった。
ことことと、鍋の煮立つ音がする。
ふんわりと漂うのは青臭い薬草の匂いと香ばしい茶の香りだ。
貸してもらった一角で、火の加減を気にしつつ、手元ではすり鉢の中の赤い実を細かく細かく、磨り潰す。そこに乾いた花の花芯を二摘み追加して、擂粉木でこんこんと叩いて小さな種を弾けさせると、混ぜ合わせながら粉状に潰していく。さらさらになったら、今度は薬草を刻んだものをたっぷり入れて、また、ごりごりと。すり鉢の中で磨り潰された葉の水分がじわり滲んで少しずつペースト状になっていく。
鍋の中を見れば、ぽこぽこと浮かび上がる水泡が、とろみが消えたことを知らせていた。
漂ってくる匂いからは、元の薬草の放つ、つんとした刺激臭はもうしない。
出来上がりは上々。リュクレスが鍋を下していると、調合をしていたクルフが手を止めて興味深そうにリュクレスの鉢を覗き込んだ。
「本当に手際がいいな。これで見習いとは信じられん。口頭で1回説明されただけで、此処まで正確に作れるなら今回だけと言わずに、一緒に働いてもらいたいもんだ」
「勧誘禁止って最初に言いましたよね、俺」
慣れない賞賛に照れているリュクレスが返事する間もなく、奥の部屋から戻ったソルが無情にも却下を告げた。
「はは、すまんすまん。これだけ腕が良いとつい、な」
すり鉢の中身をちらりと見てから、ソルはふむと首を傾げた。
「見ただけでわかるものなのですか?」
ソルはリュクレスの作る薬やポプリなど使用したことがあるから、その効果を身をもって知っているが、彼らはそうではない。
「わかることもある」
クルフはリュクレスの小鉢の中を指さした。
「綺麗にまんべんなく馴染んでいる。それだけでなく、色合いが異なるのがわかるか?」
「……少しだけ赤みが強いですね」
他の薬師の鉢とを見比べてソルがそう答える。
教えられた通りに作ってたはずなのだが、量を間違えたのだろうか。不安そうな顔をしたリュクレスに薬師が笑いかけた。
「目方を手で覚えているだろう?ほとんど秤の上で足し引きをしていなかった」
「ええと、はい。なんとなく感覚で覚えてしまっているので」
その言葉に若い薬師達がぎょっとする。リュクレスは慌てて手を振った。
「私は子供の頃から救護院でお手伝いをしていたんです。だから、身体に染み付いているだけで。本当にただの慣れなんですよ」
「なるほど、それならば経験は彼らより長いかもしれん。しかし、それが経験だけのものかというと、少し違う。緑の手と言ってな。薬が好む手と言うのは確かにあるんだ。その手は秤では測れないような微妙な差を感覚で知る。その日の気温、湿度、薬草の状態なんていう、目に見えない些細な違いだ。それを正確に感知して配分に加味する。だから、効能の高い薬をいつでも作り出せる。腕の良い薬師は大抵持っている才だが、恐らく貴女にもその才があるんだろう。この綺麗な赤みがその証拠だ」
納得したようにソルが頷く。
「なるほど。確かに、貴女の薬はよく効きますもんね」
「そうですか?」
「使用人たちが喜んでいたでしょうに。あかぎれや手荒れがすごくよくなったとか、最近体調が良いとか。庭師殿なんて、腰の痛みが激減したと、スキップでも踏みそうな程だったじゃないですか」
「それはレシピのお蔭ですけど。でも、嬉しいです」
「修道院の持つレシピを知るなら、見習いと言うより君はもう魔女だな。だとしたら、その薬湯はその一つかな?」
「はい」
「ソムの葉とトウキの節。滋養強壮のソムはわかるけれど、トウキは何故入れたんだ?すごくゆっくり煮立てていたけれどその理由もあるのか?」
魔女扱いにリュクレスは苦笑した。修道女たちに比べればまだまだ見習いでしかない自分が呼ばれてよい名称ではないだろう。魔女というのは薬草学に造詣の深い、修道士もしくは修道女のことを指し、薬師達とは異なる方法で薬を作り続けてきた彼らを賞賛する意味合いが強いものなのだから。
もぞもぞとする背中にちょっとだけ首を竦め、本当に見習いなんですよと訂正をしてから、リュクレスは説明を始めた。
「トウキには僅かですが、身体を温める効果があるんです。強力な熱冷ましを使用すると、発汗で一気に体温が下がってしまうことがあるので、その予防に使えるんですよ。効果は他の薬草に比べたら大したことないんですけど、飲みにくいソムととても相性がよくって、一緒にゆっくり煮立てるとソム特有のあの臭みを消して、飲みやすい薬湯にしてくれるんです。どうぞ皆さんも飲んでください。お疲れのようですから」
「是非」と請われ、リュクレスはカップに注いだ薬湯を一人一人に手渡していく。彼らは匂いを確かめて、口に含み嚥下してから、感嘆の声を上げた。
「確かに飲みやすいな。これなら、すんなり飲める」
「試行錯誤の賜物だそうです。手に入れやすいものでないと安価な薬にはならないので」
「甘いものや味の濃いもので味を誤魔化すのは有効だが、確かにそういう物は高価なものが多いな」
トウキは茶畑で摘まれるような茶葉ではなく、どこにでも生えているような所謂雑草である。簡単に手に入れることが出来、しっかりと乾燥させて煮出すだけで香ばしい香りのお茶になるため、市井では一般的な薬草茶として知られている。
二人の会話を聞いていたソルが、意外そうに尋ねた。
「薬師と修道女たちでは薬の知識も異なるものなのですね」
「まあ、役どころが違うからな。我々は新薬の開発や現存の薬の効果を高めるということを主な目的としているから、治療者というよりも研究者としての意味合いの方が強い。だが、魔女たちは人を癒すためにその方法を模索し続ける治療者だからな」
クルフに顔を向けられて、リュクレスは少し誇らし気に頷いた。
「救護院は傷病者を治療する中で、必要に迫られて野にある素材を組み合わせてきたという歴史があります。そして、長い時間をかけて積み上げてきたその成果がレシピなんです」
「なるほど。役割の違いという訳ですか」
「そういうことだな。しかし、修道院の持つ知識は同じ薬に携わる者として興味はあるね」
言われてリュクレスは不思議そうな顔をした。
「取り上げるとか、独占するとか言われてしまったら困りますが、教会の知識は隠されたものではありませんから言えば資料を開示してくれると思いますよ?」
さも当たり前のように言われて、クルフは沈黙の後、苦く笑った。
「ああ、そうか。……なるほど。情報を提供してもらうという発想が浮かばないあたり、俺も頭が固かったということかな。無意識に対抗意識でもあったのかね」
きまり悪そうに頭を掻く男に、リュクレスはふんわりと微笑んだ。
「日々の生活の中、手に入るもので試行錯誤を続けて薬効を向上させてきた修道院と、新たな薬草の発見や交配、新しい配合で、今までになかった薬を生み出す薬師様。取り囲む状況が異なるのですから、作り出すものも方法も違っていて可笑しくないのだと思います。でも、こうして、互いの知識を交換し合っていけたなら、……素敵な結果が生まれそうですよね」
目を細め、瞳を輝かせる少女の純粋な想いに。
つられたように薬師達は笑った。




