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「だから言ったろう!この馬鹿どもっ。とっとと、休めっ!」


「しかしっ」


「薬なら死に物狂いでうちの薬師が用意してる。下らん譲り合いなんぞ続けるなら、今後は俺が薬を口に突っ込んで回るぞっ!」


 会議所に入った途端、行く手から飛んできた怒鳴り声にリュクレスは驚いて足を止めた。何だか聞き覚えのある声だなぁと思っているその横で、案内役を務めていたソルが呆れたように息を付いた。


「鬼軍医の本領発揮ですね」


「鬼軍医?」


「棺桶に片脚突っ込んでいる相手を投げ捨てる勢いで棺桶から遠ざける、ある意味死神の天敵なんですよ、ドクター・フェローは。捕虜相手でも手加減なしだな」


 先生はとても元気そうだけれど、ヴィルヘルムの言うように忙しくない……とは思えない状況だ。響き渡る声の方に目を向けながら、ちょっと心配になってきた。


「患者さんは減ってきたって聞いていたんですけど、本当はそうでもないんでしょうか」


「いや、間違ってないですよ。この騒ぎは大方、薬不足を気にして仲間に譲った奴らが病状を悪化させた……と言うところだと思いますが。ドクターに確認した方が早い。行きましょう」


「はい」


 さりげなく、でも当たり前のように手が差し出される。ソルはいつだって気遣い屋さんで優しくって温かいのだ。口元が緩むのを感じながら、リュクレスは躊躇うことなくその手に自分の手を乗せた。

 すれ違う人を上手に躱して歩くソルに手を引かれ、先へ先へと進んでいく。進むたびに大きくなっていく怒声に、「ぐえっ」とか、「おふう」とか、悲鳴のようなうめき声も混じり込んできた気がするのは……気のせいだろうか。

 そう思いながら角を曲がり、その先にヤンを見つけたリュクレスは、気のせいじゃなかったんだと妙に納得して、まじまじと彼と彼らを見つめた。

 うめき声の主は荷物のように容赦なくフェロー先生に担ぎ上げられた病人たちだったのである。

 確かに軍人のようにがっしりとした体格をしている先生だけれど、両肩に一人ずつ背負いながら、もう一人を引きずって歩いている姿には吃驚だ。


「フェロー先生、力持ちなんですね」


「いや、感心するところ間違ってると思いますよ」


 ほうと感嘆を零すリュクレスに、ソルが呆れた声を出した。


「ん?」


 耳聡くその声を拾ったらしいヤンが振り返り、こちらを見た。ぴたりと足を止めて、不思議そうに首を傾げる。


「リュクレスか。どうした?もう診察の時間だったか?」


 病人担いだままだと言うのに重たそうでもなく表情も変えないヤンに、リュクレスはこんにちはと挨拶をしてから、ちょっとだけ茶目っ気を効かせて片手で猫の手の真似をしてみせた。


「猫の手、しに来ました」


 猫の手でも借りたい忙しさだ。

 先日、幼馴染にそうぼやいた覚えのあるヤンは一瞬唖然としてから笑い出す。


「そりゃいい!貸してもらおうか。まずはそこに転がっている男たちを連れて行くのに協力してくれるか?」


「はい!」


 にいっと笑うヤンに元気よく頷いて、リュクレスはぽかんとしている男たちの前に膝を付くと、安心させるように笑いかけた。


「先生の言ったことは本当です。ちゃんとお薬なら足りるように皆、頑張っています。だから、ちゃんと治療しましょう?」


「し、しかし……」


「彼らの努力を無駄にするつもりですか?ドクターの言った不眠不休は言葉の綾でも、大袈裟でもないんですよ」


 ソルの温度のない声が落とされる。彼らの表情に戸惑いが生まれ、躊躇うように視線が泳ぐのを見つめて、リュクレスは一人の男の手を取った。


「行きましょう?」


 本当にやんわりと促すように手を引けば、彼はのろのろと立ち上がった。リュクレスがほっとして笑うと、彼以外の男たちもつられたように立ち上がる。咳込みふらつく男にはソルが肩を貸して、ヤンの後を追うように部屋の中へと向かった。

 四角い部屋の中は布の衝立で仕切られた寝台がずらりと並べられていた。明るい陽射しが窓から入り込んで、白いカーテンとシーツを照らし出している。とても清潔感のある綺麗な救護室だ。

 ソルたちの言うように、状況は確かに落ち着いてきているのだろう。いくつもの寝台が空床となっている。そんな空のベッドの一つに担ぎ上げた男の一人を放り投げると、ヤンはリュクレスを振り返った。


「適当に空いているところに転がしておいてくれ」


 そう指示しながら、もう一人の男も肩から降ろし寝台に転がしていく。治療すべき相手とは思えないくらい、何ともぞんざいな扱いである。それを見て、神妙な面持ちになった男たちが、自分から素直に横になっていく。しかし、リュクレスが手を引いてきた男は短い距離を歩くだけでも相当の負担だったようで、寝台に腰を掛けたものの顔を顰めて荒くなった息を整えていて、中々横になれそうにない。

 その様子に、リュクレスはきょろきょろと周りを見回してからヤンの下に向かった。何事か確認すると、隣のリネン部屋から大きなクッションをいくつか抱えて戻り、ベッドの頭もとに積み上げて、男に凭れ掛かるように促す。


「ここに凭れ掛かって下さい。身体を起こしていた方が息はしやすいでしょうから」


「……ありがとう」


「どういたしまして」


 弱々しい笑みに微笑み返す。


「いや、病人の扱いに慣れていますね。先生、お手伝いの方ですか?」


 衛生師団に所属する青年が期待するように近づいてきた。

 ヤンは引き摺っていた病人を寝台に上に持ち上げると、振り返って釘を刺す。


「手伝いは手伝いだが、頼むのは調剤のほうだ。あいつら寝かせんと流石に倒れる。それに、こいつに看護なんぞさせたら、旦那が激怒するだろうからな。地獄を見たくなかったら、可愛いからって手を出すなよ」


「は?」


「え、旦那?」


「既婚者!?」


 そこにいた衛生班の人々だけでなく、捕虜たちにまで病気を忘れたように大きな声を出されて、リュクレスはちょっぴり落ち込んだ。


(そんなに奥さんらしくないかなぁ……)


 しょぼんと項垂れるリュクレスの頭に、ソルが宥めるように手を置く。


「貴女が若いのは事実ですからね。擦れてないから、既婚者に見えないだけです。落ち込まなくてよろしい。それに」


 続きが気になって顔を上げれば、ソルが口元を僅かに吊り上げた。


「貴方のそういうところに主は弱いんですから、そのままめいっぱい振り回してやればいいんです」


 あまり表情の出ない顔なのに、黒曜石の瞳がいつになく輝いているから、これはリュクレスにだってわかってしまった。



「……ソル様、楽しんでますね?」


「当然」


「ちなみに、貴方は?」


「私はこの子の兄ですよ」


 衛生士の問いかけにきっぱりと答えたソルに、ちょっとだけ恨みがましい目を向けていたリュクレスがぱっと、嬉しそうな顔をした。

 花が咲いたような笑みに、どう見ても兄妹ではないだろうなんて、無粋なことを言える人は誰もいない。肌の色も顔立ちも全く共通点がなかろうとも、ぽやぽやとした少女が無邪気に信頼を寄せいている姿を見れば、納得するしかない。

 相変わらず仲が良いなと笑いながら、ヤンはソルへと顔を向けた。


「ソル、此処はもういいから、小会議室の方に案内してやってくれ。あっちに薬師たちがいる。できれば、リュクレスが手伝っている間、誰か寝かしておいてほしい。方法は問わん」


「わかりました」


「リュクレス助かった。中々言うこと聞かなくて困っていたんだ」


「お役に立てたのなら良かったです。……お薬ならちゃんと準備しますから、遠慮しないで治すことに専念してくださいね」


 リュクレスはヤンに向かってにっこり笑ってから、仲間思いの男達にそう言うと、ソルに連れられて部屋を出ていく。

 それを見送ると、ヤンは場の空気を切り替えるように手を叩いた。


「ほら、仕事に戻れ」


「了解」


 返事をして各自持ち場に戻っていく。その中で、何か思い出しかけて首を捻っていた青年が不意に声を上げた。

 傍にいた同僚が、顔を向ける。


「どうした?」


「いや、さっきの……」


「お嬢さん?」


「の、兄の方」


「ああ」


「あの人。……そう言えば将軍の従者、じゃなかったか?」


 将軍の秘された従者であり、最近になって表舞台に出てきた将軍直下の精鋭部隊隊長。毒への対策について話し合うことがあった際、一度だけ顔合わせをしたことがある。

 雰囲気が違うから全く気が付かなかったが、ソルと言う名前には確かに聞き覚えがあった。それに東方の民などそれほど多くは無い。

 その彼が、主という相手はただ一人。


「……つまり」


「あの子って、…………将軍の、奥方……?!」


 驚きの視線をくわっと四方から向けられたヤンは、「ん?」と言う顔をして、それから。

 面白そうに口の端を吊り上げた。











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