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追懐

 


「では、お先に失礼させていただきます」


 それはもう大切に大切に幼妻を連れて出ていく将軍を見送って、その姿が見えなくなった途端。

 ぐったりと室内の空気が緩んだ。

 残された海賊たちが心のダメージから立ち直り切れずに完全に脱力している様は、まさに屍累々という態である。


「この世には見ちゃいけないものってのが存在するんだな……」


 長い溜息を吐き出しながら呻くサミィに、全くもって同意しかない。

 しかし、将軍のあの姿に慣れているのか、はたまた単に図太いだけなのか、グエランドルは彼らの様子を面白そうに眺めながら、一番近くにいたイライアスの背を叩いた。


「まあ、冬狼と言われようとも、彼とて愛おしい者の前ではただの男であったということさ」


 宥めるように言われたのは割とありきたりな台詞だ。だが、納得するには少々……否、多分に普段との落差が激しすぎだ。もう少し人間らしいところを見てからであれば、此処までの衝撃は受けなかったのにとイライアスなどは思う。


「あれだけ人を思い通りに操るくせして、妻に対しては搦手もなしとか、マジで信じられねぇ」


 眉間を抑えた海賊に、リディアム侯はゆるりと微笑んだ。その笑みは年を経た人間だけが持つ深みのあるもの。


「思い通りにしたいわけじゃないから、でしょうな。愛おしく思い、その人の幸せを望むのならば、自分の思い通りにしても何の意味もない。人の心は操れない。出来るのは、正面から相手を見つめて誠実であること、それだけだ」


 好きな人に自分を好きになってほしい。それは、恋をしたことがあるものであれば、誰しもが共感しうる人の想いだろう。だが、その心を無理やり捻じ曲げ、強引に手に入れたとしても、きっと虚しさが募るだけ。何でも容易に手に入れられるようなあの男であっても、それは変わらない。

 だからこそ、相手にも己を望んでほしくて、その愛情を隠そうとはしないのだ。

 だが。


「でもさ。あんなにあからさまに大切にしてたら、弱点だって言ってるようなもんじゃない?」

 

 あれでは狙ってくれと言っているようなものだ。将軍を邪魔に思う者達にとって、彼女は間違いなく標的となるだろう。穿った見方をするならば、将軍の敵を炙り出すための囮。そう考える方が、よっぽど策略家の彼らしい。というのに、あの娘を見つめる瞳がそれを否定するのだ。

 本当に愛情を向けていなければ、あんな表情作り出せるはずがない。

 憂いた表情を浮かべるエレクトラに、笑みを残したまま侯爵は金茶色の瞳に酷薄な光を閃かせた。


「将軍の弱点?いいえ、彼女は逆鱗です。怒れる冬狼は恐ろしい。わざわざ死ぬ気で彼を怒らせるなど、それこそ愚者の行いだと思うが」


 その言葉に相槌を打って、グエランドルは席を立つと、その面から笑みを消した。


「見ていればわかるだろう?彼にとって彼女は特別だ。将軍としての立場など気にも留めない」


 彼女のことに関して彼は公人としての己を優先しない。傷つけようとするものは八つ裂きにされて終わりだ。


「そう、まさに経典通り。だからこそ、冬狼の花に手を出さなければ、平和は守られる」


 噛み含むようにそう言って、リディアム侯は冷えてしまった紅茶をゆっくりと飲み干した。









 ****





 妙に硬くなった空気を気にした様子もなく、予定があるとあっさり出ていった右翼師団長に続くように、クレメントも一言二言残して領主館を後にしてゆく。

 一緒に引き上げるつもりだったイライアスは、だが、侯爵に引き留められて、彼の執務室に足を踏み入れていた。

 初めて入るその部屋は、何故か父の部屋によく似ていた。おかしな既視感に部屋の中を見渡していると、リディアム侯が「似ているだろう?」と笑う。そして、もったいぶることもなく、あっさりと種明かしをし始めた。


「我々が第二師団で副師団長をしていた頃、上司の師団長は大変優秀な方であったが、整理が非常に下手でね」


 脈絡のない出だしに、イライアスは戸惑いつつも曖昧に相槌を打つ。


「見かねた君の御父上が部屋の整理に手を出してしまったものだから、結果私も巻き込まれた」


 副師団長となれば師団長の補佐も仕事のうちだ。片割れしか物の配置を覚えていないとなると、仕事に差しさわりが出る。あの頃は真面目だったものだと侯爵は思い出し懐かしそうに笑った。


「単純な話、師団長が物の位置を覚えてさえくれれば問題がなかったのだ。だが、彼は細かいことはとんと苦手でしてな。自分の部屋ならばともかく、整理する人間とその持ち主が異なるという面倒くさい事態になって、我々は共通の規則に則って物を置くという単純な手法を取ることにした。……一度身についてしまった習慣は中々に上書きが難しい。変える必要がなかったから余計にかもしれないが。私の場合はそれで今に至る。ハーネストもきっとそうだったのではないかな?」


「ああ、驚くほどよく似ていると思う。……なあ、騎士団ってのはやっぱり脳筋なのか?」


 思わず真面目に訝しんだイライアスに、侯爵は笑った。


「否定はできないな。騎士達は剣や拳で分かり合うことを嫌ってはいないから」


 騎士達。

 その言葉に、ふと美貌の男が思い浮かんだ。全く異なる性質の男だが、そういえば、彼も騎士であることに違いはない。


「……それは、将軍も含まれるのか?」


 思わず問いかけて、すぐさま自分で否定した。どんなことにおいても例外というものは存在するのだ。

 しかし、予想に反して、リディアム候は当然のように頷いた。


「王と彼が仲良くなった理由はそれだが?」


「…………マジか」


 意外過ぎる。


「ハーネストと私も例外ではないのだから、その血を引いた貴方も同じではないのかな?」


 なんだろう、切実に否定したい。そんな思いが露骨に顔に出ていたのだろう。リディアム侯はくつりと喉を鳴らし、それから、顔に深い皺を刻み微笑んだ。


「聞きたかったのだろう?御父上のことを」


 図星を指されてイライアスは口ごもった。気まずそうに髪をかき混ぜて、天井を見上げる。急かそうとしない侯爵の態度に甘えて少しだけ気持ちを整理してから、視線を戻した。


「貴方は父と親友だと聞いた。いい歳して親が恋しいって訳でもないが、ずっと両親のことを話せる人はいなかったし、だから。……少しだけ、興味が湧いたんだ」

 

 どこか言い訳がましい言葉に、侯爵はただ微笑むと、言った。


「いつになっても親は親、子は子。懐かしむのも大切に思うのも可笑しいことではない。ハーネストとて、よく息子自慢をしていたのだから、一緒だろう?」


 その言葉に、イライアスは確信をもってリディアム侯を見つめ返した。


「……あの手紙、あんたに宛てられたものだったんだな」


 将軍から渡された父の手紙。

 十数年経つとは思えない程、とても大切にされてきたであろう手紙に僅かに残っていた文字の滲み。あれは恐らく。――――彼の、涙だ。

 老紳士は浮かべていた笑みをやるせないものに変え、すとんと椅子に腰を掛けた。


「私は間に合わなかったのだよ。あの手紙が私の下に届いたときには、彼は既にこの世を去っていた」


 先王の政への関心の無さはオルフェルノ全体を揺るがせた。悪化する情勢に騎士団は国中に散って治安維持に当たっており、彼もまた、あの時国境近くまで遠征に出ていた。

 王都に戻った時には、もう全てが終わった後だった。


「ハーネストに掛けられた容疑など調査すれば容易く払いのけられる程稚拙なものだった。しかし、それ以上に調査が杜撰すぎた。彼の汚名を晴らすため、独自に調べ上げた結果を見て私は愕然とした。……この国は我々が守りたかったオルフェルノとは全く違うものになり果てていた」


 それは、王を見限るには余りある理由だった。


「西方地方の領主達の暴虐はノルスタードとしても、見過ごすことなど出来ない問題だった。正しい行いをしていたハーネストが罪を擦り付けられたことも許せなんだ。だが王はそれを見ようとしない。次期国王がアルムクヴァイド陛下でなければ、我々は恐らく王家の存続を望もうとは思わなかっただろう」


「は……?何を言って……」


 背中を這い上がってきた悪寒にイライアスは顔を強張らせた。

 父のことを聞いていたはずだ、その話をしていたはず。

 それなのに。父の冤罪が契機となり、公家は王家に反旗を翻そうとしていた。

 彼は、そう言っている。

 国が揺らぎ、その形を変えようとしていた。その可能性を今更に知らされて、イライアスは背筋をぞっと凍らせた。


「あの時、王太子で在られた現陛下が我々を諫めなければ、今王家はなかっただろう」


「ちょっと待てよ、その頃ってことは、王は」


 リディアム侯は穏やかな瞳で頷いた。


「まだ11歳の子供が、国を守ると、民を守ると、そのための力を欲するとはっきりと我々に言われた。即位を待たずとも必ず力を手に入れる。だから、あと5年待ってほしいと。ただ待てとは言わない、その時になったらすべてを覆すことが出来るよう、爪を砥げと」


 16歳になれば成人と扱われる。成人となった時点で、アルムクヴァイドは父を政務から遠ざけるつもりであった。しかし、父である先王はそれを待たずに、病死した。


「私がここにいるのは贖罪の一つだ。この地の者たちが己の足で立てるまで、私は彼らを守り、絶望から遠ざけよう。そして、過去のシルヴァラントのように平穏で長閑な風景を取り戻す。それが残された者の務めであると思って……。いや違うな。ただ悔しかったのだよ。親友を殺されて、どうだ、いい領地だろうと、手紙で何度も自慢された彼の領地が理不尽にも踏み荒らされたことが。手紙を読めばわかるだろう?あいつは私が間に合わないとわかっていた。わかっていて、その手紙を送ってきたのだ。私があいつをよく知っているように、あいつも私のことをよく知っていた。だからこそ、嘆くよりも怒りを糧に動くことをよく理解していた。あいつは、私に悲しんでは欲しくなかったのだよ。義憤にかられ行動することで悲しみが昇華すると知っていたのだ。そんな風に、人の心配をするくらいならば、もっと生き残ることに懸命になればよかったのに。残された者の悲しみを知りながら、あいつは残していくことに躊躇わなかった。そんなずるい男だよ、あなたの御父上は」


「……っ」


 責めるような声音ではなかった。ただただ、仕方のない男だと、呆れたように悲しんでいる。そんな声がイライアスの胸を突き刺し、声を詰まらせた。

 両親を失った時の喪失感。

 イライアスだけではなかったのだ。これほどに悲しんでくれている人がいたことに、そして、同じ残された者の寂寥を知るその言葉に、イライアスはほんの少しだが救われた気がした。


「騎士団にいた頃のあいつの話をすることも出来たが、貴方の聞きたかったのはそう言うものではないだろう?」


 柔らかな眼差しに、イライアスは頷いた。


「ああ。……父は絶望して死んでいったわけではないんだな。貴方を信じ、未来を託して希望を失うことなく死んでいった。なら、父と母の死は無駄ではなかったんだな」


 そして、残されたイライアスやリディアム侯と異なり、最後まで父とともに在り、逝った母。

 彼女はとても強い人だった。恐らく、父を尻に敷けるのはあの人だけだっただろう。淑やかで穏やかで、可愛らしい笑みのとても優しい人だった。父が大好きで、その好意を子供の前ですら隠そうともしないちょっと恥ずかしいくらいに愛情深い人。だから、父を一人でなんて絶対に死なせるはずがない。あの両親は、最後まで希望を捨てることなく、手を取り合って生きたのだ。


 ああ、とイライアスは赤くなった眼で、口元に笑みを浮かべた。

 両親の曇りない笑顔を思い出す。

 そして、母の一途な強さが、どこか将軍に似ている気がした瞬間。哀しみとは異なる、何とも情けないうめき声が口の中から漏れていった。











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