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給仕によって次々と食事が運び込まれる。
ふわっと食欲をそそる匂いを漂わせ、大きな円卓に並べられていくのは大皿料理だった。
「この方が好きなように食べられるだろう?」
意外そうにテーブルを眺めるクレメントの面々にリディアム侯がそう答えると、
「あたしたちはいいけどさ」
エレクトラが遠慮がちにリュクレスに視線を向けた。
優しい気遣いが嬉しい。リュクレスはほんのりと頬を赤らめて口元をほころばせた。
「私なら気になりませんから、大丈夫ですよ。たくさんで食事を囲むのはとても楽しいです」
きゅんとするような可愛らしい笑顔に表情を緩めた者たちは、だが直後、隣から流れてきた冷気に一斉に顔色を青くした。
全くもって大人気のない独占欲である。
無言のやり取りに右翼師団長とお調子者の伝令騎士が肩を震わせるその横で、曲者老紳士がくすくすと笑いながら、冷気を払うべく手を叩いた。
「さて、彼女もこう言っていることですし、食事を始めよう。こんな風に食事を食べるのははてさていつ振りかな」
「侯でもこんな風に食べることあったのか?」
消えた寒気にほっと一息着いていたイライアスが、意外そうな顔をした。
「昔は結構ありましたよ。ねぇ、将軍」
「ええ、貴方と食べると扱かれたことまで思い出して、些か複雑ですが」
「扱き……?」
「彼は元軍人。オルフェルノの騎士です。私が騎士学校に入った頃にはまだ現役の指導者でしたから、それはもう、びしばし鍛えられました」
少し考え込んでから、リュクレスがヴィルヘルムの方を見る。
「入った頃……なら、ヴィルヘルム様10歳くらいですか?」
「ええ」
「その頃からすでに剣技は一目置かれていましたな」
「……優秀な師が居ましたからね」
「ベルガディド・ラグエル卿でしたな。頭脳も剣技も非常に秀でた御仁であったのに、一体どこへ行かれたのか」
その行方ならば、とヴィルヘルムが答えることはない。尊敬する師であったが、歪み堕ちていった男を惜しむ思いはヴィルヘルムの中に欠片も残ってはいなかった。
「先に逝って待っているぞ」
叔父の末後の言葉が脳裏をかすめる。
それを、ヴィルヘルムは何の感慨もなく流して肩を竦めた。
「さて。自分の望みには正直な人でしたから、望んだ世界に居るのではないでしょうか?」
「そうかもしれんね」
含みを感じたのか、納得したのか。
全く窺わせることなくリディアム侯は頷くと、仕切り直すように周りを見回した。
「さあ、続きは食べながらにしよう。無礼講で構わない。ゆっくり食べていきなさい」
その言葉を合図に、昼食は和気藹々と始まった。
流石、侯爵家の料理人が作る食事はうまい。
がつがつと豪快に食べ始めた海賊たちの姿に、リュクレスはちょっとだけ目を丸くして、それからヴィルヘルムを見上げた。
きらきらした目が楽しそうに細められる。
「美味しそうにたくさん食べているのを見ているとうれしくなって、幸せな気持ちになりますね」
ぽかぽかと温かな笑みを浮かべた少女にそんな風に言われてしまえば、照れつつもイライアス達だって嬉しくなってしまう。
しかし、隣に居た彼女の夫は渋い顔をした。
「君は……。まさか、見ているだけでお腹いっぱいになりましたなんて、言いませんよね?」
「は?」
「えっ?」
「マジ?」
「ふう」
「あ」
「…………えへ」
驚きに手を止めた海賊たちに、やはりと溜息を付いたソル。そういえばと気が付いたチャリオットの声に、つい、笑って誤魔化したリュクレスだったけれど、ヴィルヘルムの心配げな表情に申し訳なくなって眉尻を下げた。
心配させてごめんなさいと頭を下げる。
頑張って食べているのだけれど、気持ちが付いてこないのか、残暑のせいか少しずつ食欲は減ってきていたのだ。
下げられたリュクレスの頭の上に、自嘲の混じった溜息が落とされる。
「心配をかけてしまった私が不甲斐ないのでしょうね」
「違いますっ!」
慌てて頭を上げれば、ヴィルヘルムが苦笑した。
「いいえ、何せ私には前科がある。君が心配するのも無理はない。ですが、君の憂いはもう晴れたでしょう?」
そう言って、リュクレスの頬に優しく触れる。
「手の届く距離にいて、互いに無事な姿を確認することが出来る。だから、少しずつでいい。ゆっくりでいいから。一緒に食べましょう?」
やんわりと細められる灰色の瞳を見つめ返し、リュクレスは頬を包む大きな手にそっと自分の手を重ねた。大好きな人の確かな熱に、胸の奥がじんわりと温かくなっていく。
傍にいる。触れられる。
大好きな人が自分の名を呼んでくれる。
それだけで、安心する。こんなにも幸せになれる。
だから、溢れそうな愛おしさをぎゅっと抱きしめて、リュクレスは大きく頷いた。
ちょん、ちょんと手前の皿に少しずつ、一口サイズで乗せられた料理を頬張り、もぐもぐと噛んでから飲み込む。ぱあっと笑顔になって、ヴィルヘルムの方を見た。
「ヴィルヘルム様、これすごくおいしいです」
「それは良かった。私もその料理はおすすめですが、こちらも美味しいですよ。はい」
料理を乗せたスプーンが差し出される。所謂あーんに、暫く躊躇ってから、おずおずと口を開く。
ぱくりと食べてみるとヴィルヘルムがふんわりとほほ笑んでくれるから、恥ずかしいよりは嬉しくなってリュクレスも笑った。
「……若いっていいですなぁ。いやはや、見ているだけで幸せな気持ちになる。少々現実を見れない人もいるようだが」
「いやいやいや、将軍、人変わりすぎだろうよ?!」
「リュクレス嬢の前ではいつも、こんなんだよ。な、ソル?」
突っ込まずにはいられなかったサミィに、気配の少ない将軍の従者が無言で相槌を打つ。
「羨ましいなら、やってもらえば?」
「なるほど」
「無理!」
チャリオットの提案にぽんと手を打ったイライアスを威嚇するように睨み付けて、エレクトラは断固拒否を貫いた。
人前でいちゃつくなんて、恥ずか死ねると言うのが彼女の見解である。
「というか、お嬢さんだけ見れば可愛らしい、微笑ましいで終わるんだけどねー」
相手が将軍だから見てはいけないものを見ているような気持ちになるのだ。美形が無駄にその美貌を蕩けさせているのははっきり言うが目に毒だ。
犯罪臭しかしない。
「失礼ですね」
「何も言ってないだろ」
「顔にありありと書いてありますよ。全く」
嘆息するヴィルヘルムに、傍観しつつ食事に徹していたグエランドルが、ははっと声を上げて笑った。
「なるほど、若い近衛たちに恨まれる訳だ」
「?」
「以前、若い近衛騎士たちが噂をしていた癒しの侍女とは彼女のことだろう?それを横からかっさらって行ったのだから、それは恨まれもするはずだな」
納得したように頷く彼に、ヴィルヘルムが器用に片眉を吊り上げた。
「横からとは失礼な話ですね。彼らが出会う前からこの子は私の花ですよ」
(私の花……)
それは彼の特別ということ。
ほわんと照れつつ、リュクレスは嬉しさに緩む頬をぺちぺちと叩いた。
けれど、師団長の言葉には何か誤解がある気がして、首を傾げる。
「誤解だと思いますよ?騎士様たちは慣れない私に親切にしてくださっただけなので」
リュクレスが王城で侍女をしていたのは半年と少し。仕事に忠実な近衛達との接触なんて、王城内ですれ違った時に挨拶をする程度だ。
物慣れず、戸惑っていたリュクレスが助けられたことは何度かあるけれど、その逆は全くないと思う。
それなのに、どうしてそんな話になったのかわからないけれど。
どこかで冗談でも言っていたのだろうか。
不思議そうな顔のリュクレスを見て、ヴィルヘルムを見て、グエランドルは苦笑した。
「自覚なしか」
「ええ」
自覚?
浮かんだ疑問符を払うようにヴィルヘルムが頭の上に手を乗せた。髪型を気にしてか、いつもよりも慎重な手つきだ。
「ですが、私の想いさえ自覚してくれるならば、何も問題ありません」
そう言って向けられた眼差しは優しくて温かい。柔らかく包み込むような愛情に、リュクレスは気負うことなく頷いた。
(ヴィルヘルム様の想い……うん、それなら、わかる)
それならば、ちゃんと答えられる。
だから、思いの丈をいっぱいに詰め込んで「大好きです」と告げたなら。
唐突に腕を引かれ、ぎゅっと抱きしめられた。
だから、リュクレスは知らない。
子供のように純粋で真っすぐな恋心に、藍緑の瞳がどれ程美しく輝いていたのか。
頬を染め、嬉しそうにはにかむその表情に、その場の誰もが見惚れたことを。




