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あれはいつの話だっだか。
きっかけも覚えてはいないが、いつものように伝令にやって来ていたチャリオットが、不思議そうに尋ねたことがあった。
「エレクトラ嬢みたいな女性は珍しいよね。大体、将軍って女性に好まれるのに」
女性受けの良い美しい容貌に、作り物だと言うのを感じさせない柔らかな態度。エスコートはスマートで、多彩な話題で会話を飽きさせることもない。地位も名誉もあり、頭も切れて腕も立つ。大抵の女性から好意に満ちた眼差しを向けられるのも納得な優良物件。
それが、ヴィルヘルム・セレジオ・オルヴィスタム・ドレイチェクという男なのだが。
毛嫌いしているとまではいかないが、将軍の姿を見ると顔を顰める程度にはエレクトラの嫌悪はわかりやすかった。その態度に将軍の方が全くと言っていいほど頓着していないから、咎められることもないが、彼に非があってのものではないので中々に失礼ではある。自覚しているエレクトラとしては、少しばかりバツの悪い顔で頬を掻いた。
「見た目は確かにいい男だけど。中身知ってたら惹かれないわよ。掌で転がされるなんて冗談じゃないし。ああいう手合いは、恋愛なんてしない。政治も男女の関係も同じ駆け引きでしょう?先を読む男だもの。何を望んでいるかを読んで、あとくされなく遊ぶだけよ。そんな男なのに、魅力的だなんて女の敵だわ。魅了しておいて、冷たく切り捨てるんじゃない?」
少々私怨が含まれている気がしないでもないが、人間外見じゃないのよ、というのは一理ある。しかし、それを言う彼女自身、相当な美人なのだから、どうとってよいか迷うところだ。
まあ、単純に将軍のような一癖も二癖もありそうな人間を好まないだけなのだろう。
「なんか痛い目でも見たの?」
きょとんと目を瞬かせたチャリオットに、エレクトラは横に首を振った。
「あたしが、じゃないわよ。私の周りね。友人だとか、姉がね。いい男にちょっと粉掛けられるとすぐに舞い上がって付いてっちゃって、本当に馬鹿みたい。あの人たちも馬鹿だと思うけど、一番悪いのはそういう男だと思うのよね」
「ふーん、なるほど。反面教師ってやつか。うーん、そう言う事なら、半分正解だけど、半分は不正解だねー」
少しだけ可笑しそうに、その瞳に柔らかな光を滲ませてチャリオットは笑った。
「え?」
「将軍のこと。誤解していると思うよ。たぶん。過去の将軍ってことであれば当て嵌まるところもあるけどね。将軍は恋をしないっていうのは間違いだよ」
「……」
将軍が、恋。
違和感しかない文字の並びに、エレクトラは、あの冷淡な男の顔を思い浮かべて、……露骨に顔を顰めた。
全く、想像できない。
「ま、信じられないと思うから、信じなくてもいいけどね。今は」
「今は?」
何だ、その勿体ぶった言い方は。
胡乱な眼差しを向ければ、伝令騎士はにんまりして片目を瞑った。
「それは、後でのお楽しみってことで!」
あれから暫く経つが、そういえば最近あの男を見ない気がする。
エレクトラは部屋を見回して、首を傾げた。
「あのお調子者はどうしたんだい?」
居たら居たで鬱陶しいのに、居ないとそれはそれで気になる男だ。
騎士と海賊の話し合いに口を挟むことなく、優雅に茶を飲んでいた彼の上司は、ああ、と頷いた。
柔軟な対応が利くという理由で、海賊との調整はほぼチャリオット一人が担っていたから、彼らがその不在に違和感を覚えても不思議はない。
「仕事をしていますよ。彼は伝令騎士ですから」
「ちゃんと仕事してるんだな」
意外そうな顔をするイライアスに、
「一応有能なのですけどね」
本人には絶対に言わない事実を口にして将軍は苦笑を零した。
実を言えばあの男、複数の言語を流暢に操り、情報戦に強く、駆け引きは巧妙で、剣の腕も馬術も一級品、修羅場も冷静に潜り抜ける凄腕なのだが、一見お調子者の彼をそう評価するのは非常に難しいだろう。
ヴィルヘルムが本人にその評価を伝えないのは、もちろん、調子に乗るのがわかっているからである。
「王都に使いに出しただけですから、そろそろ戻ってくると思いますが、意外ですね」
「何が」
「あれの不在を、寂しがるとは思っていませんでした」
「寂しがってないわよ。煩いのが居ないから、違和感あっただけ」
「まあ、そう言う事にしておきましょうか」
爽やか笑顔がなんとも性格の悪いことである。
それも揶揄っているわけでない当たり、本当にやりにくい。そういうことは心に秘めて置いてもらいたい。
「しかし、将軍もハイナ殿もしばらくすれば王都に戻ってしまうからな。これからは、我々とも馴染んでもらえると助かる」
将軍の横で、壮年の騎士がのんびりと言った。筋肉質な大柄な男で、彼に合わせて作られているはずの騎士服がどこか窮屈そうである。さっぱりと短く刈り上げられた褐色の髪に、厳めしい顔つきは、ともすれば人を寄せ付けない外見だが、人柄の滲む明るい瞳と暑苦しいほど激しく自己主張するもみあげがどこか愛嬌を感じさせている。
グエランドル・レイゼ・ノルスタード・バチェス。
今後ルクセイアに駐屯することになる右翼師団の団長である。
初対面の時、名乗りとともに差し出された手を、反射的に取ってしまったイライアスは、しまったっという顔で手を引いた。
が、時すでに遅し。
がっしりと握手の交わされた手を見下ろして、片目を瞑ったイライアスは諦め交じりに尋ねた。
「バチェス……って、俺の記憶違いじゃなければ、公爵領じゃなかったか」
後ろで仲間がドン引きする音がした。
(待て待て、俺を置いて逃げようとするんじゃない)
顔を顰めるイライアスとにじり下がる仲間たちを見て、グエランドルは豪快に笑った。
「バチェスを名乗ってはいるが、継いでいるのは兄だ。後継でもない、右翼師団長ともなると、爵位とは無縁でいられんものでな。いらぬ領地を与えられても俺には無用の長物、領民にも申し訳がない。という訳で、バチェスを名乗っているだけの関係者だ。あまり気にしないでもらいたい」
「そうは言われても、なぁ」
オルフェルノには4つの公爵家があるが、その一つエルナードが王族に適正者がいるときのみ与えられる爵位であるため、実質は三家だ。中でもノルスタード家は王家との繋がりが深く、永く信頼の置かれてきた家であり、その発言力は非常に大きい。
「そんなに偉いの?」
こそっと尋ねてくるエレクトラに、肩越しに耳打ちを返す。
「公爵家の中でも筆頭、と呼ばれている」
察したのか、さりげなく一歩後ろに下がった。
(だから、自分たちだけ逃げるなっての)
恨みがましい視線を送れば、頑張ってくれと無言の声援を受ける。
全くもって嬉しくない。
ふうと、溜息を付いて、改めて正面の騎士を見つめた。
イライアスも貴族であったが、ガレ家は伯爵家でしかない。公爵家の人間と関わるような機会は持ち合わせていなかった。それがこうして、海賊になってから関わりを得るのだから、縁と言うものは何とも奇妙なものだ。
逃避に近い感覚で、そんなことをしみじみと思っていると、グエランドルが懐かし気に目を細めた。
「ハーネスト殿によく似ておられる。侯も懐かしいと思われているのではないかな」
「父を知っているのか?」
「シルヴァラントを継がれる前、貴方のお父上は右翼師団で第二師団の副師団長をされていたのだよ。第二師団の両翼ハーネストとゲイルと言えば、見習いの私たちの憧れであった」
イライアスの知らない父の姿だ。
執務机に向かっている姿ならばどれだけでも思い出せるが、剣を振るう姿となるとほとんど記憶にない。
「父はあまり騎士時代のことを話さなかったからなぁ」
「懐かしむことで、領主として中途半端になることを嫌ったのかもしれぬな」
そこまでしなければ、騎士への未練を断ち切れなかったのか。父の意外な一面を垣間見た気がして、イライアスは父の過去に興味を抱いた。
「そのゲイルって騎士はまだ、騎士団にいるのか?」
問いかければ、グエランドルはきょとんとした顔をして。
それから、微笑むとゆっくり首を振った。
「今は退役し、領主をしておられる」
「……そうか」
少しだけ期待をしていたらしい。イライアスの顔に浮かんだ僅かな落胆の色を、グエランドルは塗り替える様に笑みを深める。
「かの人の名はゲイル・サヴァリ・ノルスタード・リディアム。私の叔父で、君のお父上の親友であり、好敵手であった。今はこの地の領主であるよ」
その時の衝撃をどう言い表わせばよいか。
あれから、本人にその真偽を確認することも出来ず、イライアスは少しだけそわそわとした日々を送っているのだが、だからと言って右翼師団長に間に入ってもらいたい訳でもなく。
折を見て話をしてみればいいかと納得しているつもりなのだが、ふと自覚なしにリディアム侯を見ている自分に気が付いて、イライアスは誤魔化すように頭を掻いた。




