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 ケンドルオールの敗走から2週間。

 追い打ちをかけるよう、向こうに送っておいた使者から状況が伝えられてきた。


 残念ながら、こちらの立てた正式な使者に、あちらは会おうとすらしないらしい。門前払いの理由が、「王は多忙である」と言うのだから呆れてものが言えない。表立っては何事も無いように鷹揚に構え、使者からの書状を受け取り検討すると言って時間を稼ぎ、使者を王宮に留めおくことで行動を制限する。それが無難なやり方だろうに。

 お蔭で、使命を果たさねば帰国は出来ぬという、大義名分いいわけを片手に使者は堂々王都に滞在し続け、精力的に情報収集に勤しむことが出来るのだから、こちらとしては何とも有難い話だが。

 一通り目を通した報告書をリディアム候に差し出すと、ヴィルヘルムは彼の向い側に座った。

 予想していた通り、敗戦の余波は、あの国の屋台骨を揺るがしているようだ。

 激昂し、早々に再戦をと吠えているのは国王のみ。命辛々戻ってきた兵士たちの士気は低く、指揮官は責任を取らされ拘留中。他の将校たちはレギオンの指揮を互いに押し付け合っているという。


 当然だ。


 弱点を明らかにされ、対レギオン策を持つオルフェルノとの再戦となれば、戦闘は確実に厳しいものとなる。重ねてここ数年の無理な造船が祟り、資金不足は誤魔化しようがなく、補給物資にも不安が残るような状態なのだ。

 幾らヴィルヘルムから無能の烙印を押されていようとも、流石に此処まで分の悪い戦いを喜んで拝命するほどの馬鹿はいなかったらしい。


「現実が見えていないのは王だけですか」


 報告書を読みながら、ふむと息をついた侯爵に、ヴィルヘルムは冷笑を浮かべ首を振った。


「そうでもないでしょう。見たくない現実から目を背けているのは側近たちも同じです。なればこそ、誰も王を諫めない」


 しかし、あちらが使者を無視し続ける限り、捕虜交換の交渉もまた進まない。まあ、受け入れれば敗戦について認め、交渉のテーブルに着かなければならないのだから無視する他ないのかもしれないが、それを「どうせ捕虜など奴隷にしているに違いない」と勝手な暴論でこちらが偽りを述べているように広めるのは頂けない。


「自分たちが敗戦国の人間を奴隷にするからと言って、こちらも同じようにするとは思わんで貰いたいものですな」


「全くその通りです」


 確かに捕虜たちに戦場となった湾内の片付けをさせているが、それは自分たちのしたことの尻ぬぐいだ。恥じ入らねばならないような非道な行いは断じてしていない。


「しかしながらこのままでは埒が明きませんな。捕虜たちはどうされる?」


 大部分を敗走させたとは言え、逃げ遅れたケンドルオール軍の兵は千を優に超えている。彼らを収監しておくのもタダではない。


「当人たちとの交渉次第でしょうね。出来るならば自国のことは自国で何とかしていただきたいですから。これ以上巻き込まれるのは御免です」


 かの国から回答を得られないのは、残念ながら予想の範疇だ。

 一度の敗戦ではあの王は変わらなかった。時間を与えれば、自国の疲弊を見ようともしない王は今一度この国を攻めようとするだろう。ならばもう少し冷水を浴びてもらって、目を覚ましてもらうしかあるまい。

 その渦中で王族が滅びようと、体制が変わろうと知ったことではない。

 王が守るべき人間であれば、あの国の者達が守るだろう。


「ああ、見て見ぬふりを続けているマルドゥエル同盟にも多少は懐を痛めてもらいましょうか」


 ふと、思い立ったように、ヴィルヘルムが言う。


 マルドゥエル同盟。

 それは奴隷廃止を打ち出した西の大陸の5ヶ国が互いの安定を求め、経済的打撃を最小限に留める為に結ばれた同盟である。ケンドルオールも王弟レオリウスが同盟加入を打診したが、王が強硬な奴隷制継続派であったことから方針の違いを理由に断られ、ケンドルオールは大国の中で孤立した。今回の強引とも言える遠征は間違いなくそれが切っ掛けだ。

 しかし、いらぬ火種を撒いたとは言え、彼らは自国の利を優先しただけなのだ。

 素直にその責を負うだろうか。


「果たして、そう上手くいきますかな」


「行かせます」


 気負うこともなく断言され、リディアム候は喉元で笑った。彼の場合、根拠のない自信でないのが恐ろしい。


(さて、さて。一体どこまで予測して用意をしておったのか)


 この様子では、同盟国が是と言わざる終えない状況はすでに作られているのだろう。


「いつも以上に用意周到ですな」


「なに、失態を取り戻そうと必死なのですよ」


「ほう?」


 興味を引かれて先を促せば、ヴィルヘルムは僅かに声を低くした。


「……戦争など起こさせないと約束をしたのです。だと言うのに、舌の根も乾かぬうちに今回のこの事態。自分の甘さを痛感しましてね」


「つまり、単なる私情だと?」


「ええ」


 ぞっとするような美しい笑みが男の面を飾る。笑っているようで、灰色の目は全く笑っていなかった。

 リディアム候は一度だけ瞬くと苦笑を零した。

 何かに執着するような人物ではなかった。温和怜悧に見せかけて、冷静沈着、冷酷無比という言葉がこれほど似合う男もいないと思っていた。

 目を瞠るような才覚に成熟したその知性。試すように老獪な狸が仕掛ける言葉遊びに動じることなく乗ってくる豪胆さ。それは年を経た男たちをこそ、面白いと思わせた。

 故に、見た目とは別のところで男の年齢を忘れていたが、そういえば己からすれば若造と言ってよいほどには若い青年であったことを思い出す。


 その男が、誰と口にしない約束の相手。


 孤児の娘を妻に迎えたのは聞いていた。どのような目論見があってのことかと興味はあったが、その答えは、どうやら思ってもみなかった理由のようだ。

 凍える冷たさはそのままに、その瞳の奥に燻る蒼い炎を見つけ、リディアム侯は興味深そうに眼を細めた。


「大切な女性のようだね」


「ええ」


「王よりも、ですかな?」


 穏やかな口調で鋭利な声が落とされる。

 喉元に見えない切っ先が向けられているような緊張感が室内を包み込むのを、ヴィルヘルムは真っ向から受け止めた。


「もしあの子と王、二人が崖から落ちそうになっていたのなら。……まずは王を助けますよ」


 よくある例え話だ。


「ほう」


「王を支えると決めた私をあの子は愛してくれているので」


「それで奥方を失っても?」


 男は妻を犠牲にしても、王を優先するのか。


 揺るがぬ忠誠に安堵する反面、どこまでも冷淡に切り捨てることの出来る彼に如何ばかりかの落胆を覚えながら、そう問いかける。


 男は、どこか自慢気に笑った。


「失いません。私が助けに行くまで頑張ってくれると約束してくれましたからね。守られるだけの娘ではありません。私を守ろうとするとても強い人なのですよ」


 その表情があまりに意外過ぎて、侯爵はぽかんとする。

 そして、じわじわと沸きあがってきた感情に、堪え切れなくなって噴き出した。

 まさか、ここで惚気られるとは思わなかったのだ。


「そ、それは……っ、なかなか剛毅な女性ですな」


「笑いながら言われても、素直に感謝できませんね」


 肩を震わせて口元を隠した老紳士に、ヴィルヘルムが呆れた視線を向ける。


「失礼。将軍が女性でこうも変わるとは思わなかったものでな。少々老婆心が過ぎたようだ」


「それに関しては他の者にも同じように言われていますから自覚しています。今までの行いのせいであると自省の日々ですよ」


 珍しく苦み切った表情で彼がぼやくから、また笑みを誘われる。こんな姿を見たのは騎士学校の学生の時以来だ。

 その変化は悪いものではないように思われた。


「もう少し詳しく話を聞きたい気もするが、そろそろ話を戻そうか」


 流石に脱線し過ぎた自覚はある。

 彼の端々に残る笑みの残滓には触れず、ヴィルヘルムは相槌を打った。


「そうしていただけると助かります。……捕虜との交渉のことでしたね。今、交渉相手として考えているのは、分団長のノース・フェルノ。暫く観察していましたが、彼が妥当でしょう」


「先鋒の将官ではなく?あの中で最も地位が高いのは彼だろう?」


「ええ。地位的には彼が勝ります。ですが、彼には人望がない。そして、自分本位な小心者です。ケンドルオールの民のために革命を起こすような覚悟は持てないでしょう」


 捕虜となったとき、自分の命を賭して部下の助命を願った将校はノース・フェルノだけだった。怪我をおして部下を庇おうとする彼と、今にも倒れそうな彼を懸命に守ろうとする部下たちの絆をみて、ヴィルヘルムの中で可能性が生まれた。

 捕虜との直接交渉を本格的に視野に入れ始めたのはその時だ。

 ケンドルオールが自国の兵士たちを救おうと交渉に応じるなら良し。もし無視するのであれば、捕虜たちにこれからのあの国を託そう、と。

 そのまま倒れるのを待っても良かったが、彼らが自国を守ろうとするならば、それに手を貸す方がケンドルオールの国民の犠牲は少なく済む。


「他国とは言え、むやみやたら被害を拡大したわけではありませんからね。自分たちで守る気概があるのならば協力は惜しみませんよ」


「優しいのかそうでないのか、……貴殿は矛盾していますな」


 そう言ったリディアム候に、眼鏡の硝子越しの目が向けられる。


「そうですか?私としては己の行動は一貫していますよ。私は王の剣であり盾。オルフェルノを守るためならば手段を選ぶつもりはない。ですが、騎士として非道であろうとは思わない。ただ、それだけです」


 彼は決して揺るがない。

 その言葉に迷いが混じることがない。

 だからこそ、この国の騎士たちはこの男についていくのだろう。


「我が国の守護狼……か。アルムクヴァイド王の治世が乱世となるか大平となるか。それは貴殿次第なのかもしれませんな」


 静かな呟きを、ヴィルヘルムは明確な意思を持って否定した。


「いいえ。それを決めるのは王であって、私ではありません」



 雑踏の中で、人々の営みを嬉しそうに眺める王の横顔を思い出す。

 アルムクヴァイドは民のために平穏を望んだ。


 高々数十年で構わない。誰もが、ともに笑い、ともに泣き、大切な人と当たり前に生きて行けるそんな世を。


 永遠なんて信じない。人は忘れるものだから。

 これほど多くの犠牲を強いられた今のオルフェルノで戦争を望む声は少ないだろう。しかし、50年後、60年後。今生きている人間が居なくなった時、人々は同じように平和を望むだろうか。それは、その時にならなければわからない。


 だからせめて、手の届く限りの平穏を。









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