11
(この男にとって、私はいつまで子供なんだろう)
目の前にやってきた銀髪の男を見上げ、エレクトラは無言で睨み付けた。
困ったような笑みを浮かべた奴に、慣れた様子で頭を撫でられる。
まるで癇癪を起した子供をなだめるみたいな扱いにカチンときた。
違う。そうじゃない。
なんで、この人はこんなに女心に疎いのか。
口に出して文句を言いたくなったけれど、声を出したなら余計なことまで零れ出しそうで、エレクトラはぎゅと唇を噛み締めたまま、ひたすら視線だけで悪態をついた。
言外の訴えがどれだけ伝わったかはわからない。ただ、受け止めるようにエレクトラを見つめていた彼の視線が不意に逸らされた。
違う、レミオを見たのだ。
釣られてそちらに顔を向ければ、少し離れたところで無抵抗ですと訴えるように両手を上げたレミオがにやにやと笑っている。
「はいはい、邪魔者は退散しますよ。ついでに出歯亀も追っ払っておきましょう。一つ貸しで」
「借りとこう」
二人の間で交わされる意味の分からないやり取りに、ちょっとイラっとした。エレクトラだけがわからないのは腑に落ちない。
それが子供っぽい感情であることを理解していながら、それでも、不満は隠せない。
片手をひらひら振って、レミオが船内に戻っていく。その横顔は揶揄い混じりの余裕のあるもので、先程イライアスに掴み掛かっていた時のような焦燥や憤りは全く残っていなかった。
自分たちはあっという間に互いの蟠りを解消してしまうのだから、男たちは本当にずるい。
(私も殴りかかろうかな)
いつもは除外されるけれど、拳で語り合えば、エレクトラにだってわかることがあるのかもしれない。
ぐっと握り込んだ拳を、大きな手が包み込んだ。
驚いて顔を上げると、さっきよりも近くにイライアスがいる。咄嗟に後退ったエレクトラの手が強い力で引かれ、前のめりになったところを腰に腕が回される。気が付けばエレクトラはイライアスの腕の中にいた。
「な、な……」
言葉に詰まるエレクトラを逃さないとばかりに閉じ込めて、男は掴んだままの手に軽く力を込める。
「拳で語り合うのはダメだって前にも言っただろ」
「じ、自分たちはやってる癖にっ」
「俺たちはいいんだ。でもエレクトラは女の子だから駄目」
「もう、子供じゃないんだよ。女も男も同じだろう?」
「子供じゃないからこそ、男と女は違うんだよ。エレクトラ」
窘めるような声音が、ふと色を変えた。耳元で名を呼ばれ、背筋を走る戦慄にエレクトラは動揺のあまり顔を上げた。
見下ろす孔雀藍の双眸に、――――囚われる。
かっと体中の血液が沸騰したような気がした。
知らない感覚に、エレクトラは逃げ出したくなって反射的に腕の中でもがき出す。
(ずっと、私の想いなんて気が付かなかったふりを続けていたくせに)
なんて、甘く情熱的な目で見つめてくるんだろう。
男の心境の変化の理由がわからない。わからないから、混乱する。
「な、んで……」
「終わらせることばかり考えていたから、お前の想いに答えることは出来ないと思っていた。でも、開き直ったら覚悟も決まったからな」
言って、男はエレクトラの手を取った。
硬い掌の豆だらけの手だ。全然女らしくないその手を恭しく掬い上げ、男は指先に口づけを落とした。
「勝手なのはわかってる。それでも、お前が好きだ」
真っすぐな視線で愛を告げられて。心臓が、止まった。
本当にそう思ってしまったくらいの衝動に、息が詰まる。
エレクトラは掴まれていない方の手で、彼の胸を叩いた。
「ずるすぎるっ」
「男ってのは大概がずるいもんだ」
「ずっと、私の想いを知っていて……っ、それなのに!」
「すまん」
「すまんじゃないっ。いつになったら女として見てくれるのかって、ずっと……、ずっと!」
高ぶる感情に堪えていた嗚咽が混じり出す。せっかくしゃべらずに堪えていたものが全部無駄になっていく。
震えるエレクトラの身体を温かな腕がぎゅっと抱きしめた。
「とっくの昔から女として見てた。魅力的過ぎて、我慢するのに苦労してたくらいだ」
「そんなの全然……っ」
わからなかったと続けようとしたら、じっとと半眼閉じて見つめられた。
「それこそ年の功だろ。いったい幾つ離れていると思っているんだ」
「14!」
むっとして大きな声で即答すれば、わかってるじゃないかと、イライアスは渋い顔で溜息を付いた。
「こんな年の離れた男より、他の男の方がお前を幸せにできると思ってた。でも」
真摯な声が途切れ、男の瞳が絡めとるかのようにエレクトラを見つめる。
「お前が俺を望んでくれるなら。……俺も腹を括ってお前を望んでもいいか」
ずっと奪われ続けているというのに、また、心が奪われる。その苦しくも切ない感覚に、エレクトラは泣きそうな顔で叫んだ。
「海賊なら強引に奪っていきなさいよっ」
「大切だから。お前の意思を大事にしたいんだよ」
紳士なところも嫌いじゃないが、こういう時くらい強引に奪ってほしいと思うのは、女の我儘だろうか。まだ、私に言わせるのか。
エレクトラの頭にかっと血が昇った。
「私は!ずっと昔から、貴方しか望んでないっ」
視界が滲む。溢れてくる感情を制御できなくて、涙腺が崩壊した。
もう、男の表情なんて全く見えない。涙に淀む視界の先で、男が動いた。
零れる涙を受け止めるように男の両手がエレクトラの頬を包み込む。
親指でそっと涙を拭われ、眦に口付けられて。
「一緒に生きてくれ、エレクトラ。愛してる」
耳元に囁きが落とされる。
エレクトラはイライアスの首に腕を回して抱き着いた。
「もっと早く聞きたかったっ。でも、……許す」
ぎゅっと抱きしめ返してくれる腕の強さが心地良くて、嬉しくて。
ようやく叶った恋心に、頬を伝う涙は、いつしかうれし涙に変わっていた。
……物語であればここでめでたし、めでたしで終わるところだ。
が、現実というのかなり意地悪らしい。
いくら感極まった状態であっても、流石に延々とは続かない。
冷静さと言うものは、ひょっこりと戻ってきてしまうものだ。
と言う訳で、エレクトラも涙が止まればそろそろと平静を取り戻りつつあった。
いや、平静には程遠い。嬉しさが過ぎれば、この状態はもう羞恥以外の何ものでもない。
いや、幸せなのだけれど。
(でも、ちょっと、これ、どうすればいいのよ……っ)
エレクトラは男に抱き着いたまま、固まっていた。
そっと離れて彼に微笑む、なんて高等技術、エレクトラは習得していない。
そもそもが、キャラじゃない。
それなのに、幾ら恋する相手にとは言え、泣いて喚いて、醜態をさらしたのだ。
どんな顔して離れればいいのか、全くわからない。
それも、この恋は叶ってしまったのだ。片思いの相手ではなくて、そう、恋人……。
考えた瞬間、ぼんっと頭から火が出そうなほど顔が熱くなる。
いや、今は、それは考えちゃいけない。
嬉しいのだけれど、同じくらいに恥ずかしい。
エレクトラが羞恥に悶えているのに気が付いているはずなのに、イライアスは抱き込んだまま彼女を離さず、甘やかす様に背中をなでている。
その手が心地良くて、やめてとも言えない。
誤魔化すように、いや、まさに誤魔化しなのだけれど、エレクトラは声音だけでもいつもの調子を必死に作って話題を変えた。
「ね、ねえ、貴族に、戻るの?」
「戻らない。海賊として生きると決めたからな」
「もう一つ、教えて。……なんで名前教えてくれなかったの?」
恐る恐るした問いかけに、くすりと耳元で微笑まれる。苦笑交じりに話されたのはエレクトラにとってはなんとも拍子抜けの理由だった。
「隠しているつもりはなかったんだ。ガレの家名の方は確かに隠していたけどな。ただ単純に銀髪の海賊の二つ名の方が有名になっちまったから、シルヴァと名乗った方が早くなって、イライアスを名乗る機会がなくなっただけなんだよ。だから、レミオやジェラルドは知っていたと思うぞ」
「なんだい。知らなくてすごくショックだったのに」
男の腕の中でがっくりと肩を落とす。
「悪かった」
「なら、イライアスと呼んだ方がいい?」
「そうだな。父さんが付けてくれた名前なんだ。気に入っているから、呼んでくれるなら嬉しい。ああ、いや」
ふと、何か思いついたように、男が言葉を切った。
不思議に思ってエレクトラがほんの少し距離を取って男の顔を見上げる。
やんわりと目尻に皺を寄せ、男は愛おしそうにエレクトラを見つめた。
「エル、と呼んでくれ」
「え……」
「俺の愛称」
他の誰にも呼ばせない、特別。
驚いた顔をしたエレクトラは、少しして照れたように、嬉しそうに、笑った。
けれど、彼女が「エル」とうまく呼べるようになるのは、随分先の話。
思っていた以上に照れ屋で可愛らしい恋人に、イライアスの大人の余裕がごっそりと持っていかれるのも、これからの話だ。
クレメントはこれにて終了です。
何かを守ろうとする人達のその姿はとても恰好良いと思うのです。
そう見せれているかは別として。(苦笑)
幕間を挟んで、「再会編」の予定です。
多少は甘くなるはず、です。多分。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。