星の橋
夕季 きろ
「あのさ…やっぱり村に帰らない?」
ぼくはぼそりとそうつぶやいた。けれど、その言葉は焚火のパチパチと燃える音と、右手に広がる森の木々が風で擦れる音以外に何も聞こえてこない闇と月明かりの夜には、思いの外はっきりとロイドの耳に届く。
途端、隣に座ってボーッと焚火を眺めていたロイドが顔を上げ、ムッとした表情でぼくを見た。
「それは言わない約束だろ」
「でも…」
「おまえさあ、さんざん村の奴らにコケにされたの憶えてないのか?」
わかってる。いま村に帰ったらいじめっ子達に絶対バカにされる。
『やっぱり帰ってきたよ、あいつら』
『大口たたいてた癖に大したことねえな』
とか言われてずっとコケにされながら村で生活していかなきゃならない。そんなの絶対にイヤだ。だけど…
ぼくはロイドのムッとした表情から、視線を右手にある森の反対、左手へと恐る恐る向ける。
そこに広がっているのは崖とどこまでも落ちていきそうな奈落。そして夜にまぎれているけれど、よく目をこらすと見えるのは、向こう岸で満月に照らされながらゆらゆらと風になびいて揺れる草原。
向こう岸はすごく遠くて、橋なんて架かっていない。だけど、ぼくとロイドはこれからあそこまで渡って行くんだ。満月が一番高く昇った時に現れるという『星の橋』を渡って――
* *
ぼくらの村では、十歳になるとどっちかを選ばなきゃならない。どっちかていうのは、これから先ずっと村の中で生きていくか、それとも村を出て外の世界を目指し勇気を出して星の橋を渡るか。
なんで勇気を出さなければ星の橋を渡れないのか、それは、、、
「でもさロイド、ぼく、やっぱり怖いよ…」
ぼくは俯きながらロイドに不安をこぼす。
「だって、星の橋を渡った子ども達が村に帰ってきたことは一度もないんだよ? もしかしたら星の橋を渡ったら死んじゃうのかもしれないって、村でも噂してたし…」
そう、実は星の橋はどんな橋なのか、渡ったらどうなるのか、明確に知っている人は誰もいない。だって、渡ったはずの子ども達が村に帰ってきたことは一度だってないから。
だから、村でもしきたりとして星の橋は言い伝えられてきたけど、本当に星の橋が外の世界につながる架け橋だって信じる人は、村にほとんどいなかった。むしろみんなこう思っていたんだ、星の橋は渡ったら死ぬ『死の橋』だって。
「村を出発した時、ぼくは星の橋なんてへっちゃらだって、、、ロイドと一緒にもっと広い世界を見てやるんだって思ってた…」
ぼくはそこまで言った所で喉の奥に熱いものがせり出し、瞳からせきを切ったように涙が流れ始める。
「でもぼくにはやっぱり、、無理みたいだ、、ぼくは星の橋が怖い…死にたくない、、、」
涙と鼻水を流しながら、ぼくはメソメソと残っていた言葉をロイドに吐き出してしまった。
ぼくは怖かった、星の橋が。
ぼくは悔しかった、恐怖に負けたことが。
ぼくは悲しかった、ロイドと一緒に外の世界に行けないことが。
だから涙と嗚咽と鼻水が止まらない。
「アハハ!」
笑い声。ぼくは涙も鼻水もまだ流れていたけれど、驚いて顔を上げる。
「なんで泣くんだよっ」
と、言いながらロイドはカラカラと楽しそうに笑っていた。
「だって、、、」
「あのな、死の橋なんて話は絶対ウソだぜ」
ぼくは驚きのあまり泣いていたことも忘れて「ええ!」と大声を張り上げてすぐに、
「どうして!ウソなの!」
とロイドに詰めよる。
ロイドは「フフンッ」と得意そうに言ってから。
「死の橋てのは、星の橋を渡る勇気がなかった奴が作った作り話さ。どうせ、橋を渡ることに挑戦する度胸もなくて、村に引きこもってたおくびょーもんが流したんだ。自分が勇気のない人間だと思うのが怖くてな」
ぼくはそれを聞いて少し納得しかけたけれど、疑問がまだ残っている。
「じゃ、じゃあなんで星の橋を渡ったはずの子ども達は村に帰ってこないの? すぐに帰ってくるのは無理でも大人になってから、お母さんとお父さんの顔を見に普通は戻ってくるんじゃない? でも、村には一度だって誰も帰ってこないし…」
そうぼくが指摘すると、ロイドは呆れたように「はあ、、、」とつぶやき、
「星の橋を渡った子ども達が一人も帰ってこないだって? そりゃそうだろ。あんなつまんねー村、誰が帰るかよ。なあ、外の世界にはたくさんの物や人や感動があるんだ。村にこもってちゃ見えない景色や、出会えない人達がわんさかさ。おれはそういうのを見て、聞いて、触れてどんどん進んでいく。そりゃ、外の世界にだって辛いこととか、苦しいことはあるだろうよ。でもおれは、それでも進み続けるぜ。おまえと一緒に、」
と言って、さっきのようにカラカラと笑った。
気がついたら、ぼくの涙と鼻水はすっかり止まっていた。ぼくは涙と鼻水のあとを拭い、一つ深呼吸する。胸が軽い。心がすっきりしてる。
(ありがとう。ロイド。)
そう思った。けれどぼくは一言、こう返す。
「そっか。」と、
それを聞くとロイドも笑って、
「おう、そうだ。」
と返したのだった。
――――とその時、目の前が白い光に包まれた。
いきなりのことにロイドは「うおっ!」と声を上げ目をつぶる。ぼくはというと「うわあ!」と情けなく叫んで目をつぶり、隣に座っていたロイドにしがみついた。
どれぐらい目を閉じてロイドにしがみついていただろうか。そろそろ目を開けても大丈夫かなと思った瞬間、
「おい!見てみろ!ほら!」
と、ロイドが叫んだ。
ぼくはゆっくりと、ゆっくりと目を開く。そして、そこに移った景色に心の底から驚いて、体がひっくり返りそうになった。慌ててロイドがぼくを支える。
「これが、、星の橋…」
ぼくは声を小さくもらす。
そう、そこにはなんと、山を一つ飲みこんでしまうのではないかというぐらい大きな渦がまばゆい光をキラキラと輝かせて、渦の目をぼくとロイドに向け、こっちの崖から向こう岸までの間に浮いていた。それはまるでトンネル。『星のトンネル』だ。
「ほら行こうぜ!はやく!」
興奮したロイドはそう言って立ち上がり、ぼくの手を取り駆け出す。まだ呆気にとられていたぼくは慌ててこけそうになりながらも繋いだ手が離れないようにロイドと一緒に走る。
そうして、ぼくとロイドは奈落に落ちるすれすれまで駆けていき、手を伸ばした。だって星の端っこに触れることができそうだったから。でも触れることはできなかった。あともう少しで届きそうだけど、ヘタをしたら足を踏み外して奈落に落ちてしまう。
すると、ロイドが覚悟を決めた顔で「よし、」とつぶやいて、
「跳ぼう」
と一言、力を込めて言った。
ぼくは、
「えっ!奈落に落ちちゃうよ!」
と慌てて止める。だけどロイドは、
「大丈夫だ。絶対に。」
とぼくの目をまっすぐ見ながら、
「星の橋はおれ達の勇気を試しているんだ。ここで跳べるかどうかで外の世界に行けるかどうか決まる。だから勇気、出せって。」
そう言って、ニッと笑った。
ぼくはすごく怖かった。だけど、ロイドの言葉とその笑顔を見て決意する。ロイドと一緒にぼくは『跳ぶ』
「うん。わかった。やるよ、ロイド」
「そうこなくっちゃ!」
ぼくはロイドの手を強く握る。ロイドもぼくの手を強く握り返す。
「一、二の三でいくぞ、いいか!」
ロイドは星の橋を見ながら叫ぶ。ぼくも「うん!」と叫び返し、足に力を込める。
そしてぼくらは、
「じゃあいくぞ!一!二!の」
地面を思いっきり蹴って、
「三!」
跳んだ――――
* *
「すごかったな…」
とロイドがつぶやく。
ぼくは「うん…」と返事をする。
ぼくとロイドはもう放心状態だった。あまりにも星の橋を渡った時の体験がすごかったから。
だって、地面を蹴って跳んだらぼくとロイドの体が浮いたんだ。その次は、渦の目に吸い込まれて、その中を浮かびながらグングン向こう岸へと進んでいった。
それに、渦の中は七色にキラキラと輝きに満ちていて、とてつもなく綺麗で、、、。ぼくは思ったよ。あれは星の色なんだって。
でもそれも、長くは続かなかった。だって渡るスピードがすごく速くてすぐに、向こう岸に着いちゃったから。
ぼくとロイドが向こう岸に渡りきると、星の橋サアッと消えてしまった。まるで、夢を見ていたみたいに。
「もう村に帰ろうなんて言わないだろ?」
急にロイドがぼくに問いかけた。
ぼくは、
「もちろん!」
と強く答える。
それを聞くとロイドはニコッと笑って言った。
「じゃあ、行こうぜ!」
「うん!」
そうして、ぼくとロイドは並んで外の世界の草原へと足を踏み入れた。
もうぼくは、村には帰らない。辛いことがあっても、苦しいことがあっても、ぼくはロイドと共にどこまでも進み続ける。星の橋の思い出を引き連れて――――
私は後悔している。もし、外の世界を目指し星の橋を渡る道を選んでいたなら、私の人生は思い出に包まれ、希望に満ちたものになっていたのではないかと。
なぜ、村に残る道を選んだのか。それは、私は何も持っていなかったから。
苦難を乗り越え、思い出を手にしようとする勇気や、自らの弱さを見つめて、正直に向き合う強さ。そして強い絆で結ばれた友も。
だから、この物語は産まれたのだ。私の後悔と欲した景色を少しでも埋めるために。
しかし、書き上げて分かった。物語は私を救ってはくれないということを。むしろ、より心が渇き、前より強く思い出を欲している自分がいた。
ここで一つ、ちょっとした話をしよう。外の世界に関する書物を読んだことがある人なら『海』の存在を知っているかと思う。
海とは、外の世界のほとんどを飲み込んでいるといわれる水の巨大な集合体だ。その海の水、『海水』は不思議なことに塩が含まれているため塩辛く、飲めば飲むほど喉が渇いていくらしい。
そのためもし、広大な海で一人遭難した者がそれを分かっていても、水を求め海水を口にしたらどうなるのか。
それは、死だ。いくら海水を飲んでも渇きは癒せず、むしろ苦しみは増していき、最後には苦しい痛みを感じながら命は尽きる。
私が何を言いたいのか。つまり、私は海水を口にした遭難者と同じだということだ。
これから先も、私は渇きを癒すために友と星の橋を渡り続けるだろう。そして、渡るたびに私は渇いていき、いつの日か苦痛と共に死に至る。
物語は私を救ってはくれないのだから。