第95話:ガラス越しの運命線、裁断されし運命線、そして二人の
船へと戻ってきた私達は一旦別れ、それぞれやらなければならない事を成すために行動を開始した。お父さんとシーシャさんはプーちゃんから指定のあったハサミと眼鏡を探しに倉庫を出て行き、残されたヘルメスさんはプーちゃんから何かを耳打ちされると少し困惑した様子を見せていたが、やがて頷いて倉庫を出て行った。
「あ、あのプーちゃん……何を作るつもりなの?」
「うん、今からそれを説明したげよー!」
そう言うとプーちゃんは私の手を引き部屋を飛び出した。勢いよく引っ張られる様にして廊下を走り抜け、借りている部屋へと入るとプーちゃんはお父さんが机の上に残していた紙に楔の図を描き始めた。
「いいヴィーゼ、あの楔はヘル姉が言ってたみたいに決められた状況になる様にする力がある訳じゃん」
「う、うん……それは聞いたけれど、そんなのどうやって無効化するの?」
楔の図の先端から曲線を描く様に線が引かれ、その線は先端部分へと戻って行った。するとプーちゃんはそのまま反対側の部分にも同じ様な曲線を描いた。それはまるで数字の8を表すかの様な線だった。
「あのねヴィーゼ、多分あの楔の力ってこういう構造だと思うんだ」
「えっと……どういう意味?」
「いい? 見ててね」
プーちゃんは自分で引いた線を指でなぞり始めた。細くて小さな指は線の上をぐるぐると動き続けており止まる様子は無かった。
「描き始めと描き終わりが同じ場所っていうのは分かるよね?」
「う、うん」
「そんでさ、この両方が交わってる部分にもし表と裏があったとしてもね、絶対に必ず同じ場所に帰ってくるんだよ」
確かいつだったかこういう図形を本で見た覚えがある。誰が作った物だったかはすっかり忘れてしまったが現実でも再現可能な図形であり、化学的にも応用出来るといった事が書かれていた様な気がする。
「つまりどっちからどう行っても必ず同じ場所に行きつくって事だよね?」
「うん。で、肝心なのはこっから」
プーちゃんは更に楔の様々な場所から線を伸ばし、先程の交わっている部分へと行きつく様に何本も描いた。最早それは何かの芸術作品であるかの様な見た目になっており、一種の美しさを感じさせた。
「あの楔は他にもこんな風に線が伸びてるんだと思うんだ。で、そのどれもがこの真ん中に繋がってる」
「つまり、絶対決められた場所に行きつく」
「そっ! こういう原理だと思うんだ!」
どういった理屈であんな現象を起こせるのか考えもしなかった。でもこういう風に説明をされれば結構納得がいく。この線みたいなものが一本でも残っている限りは『先駆者』の目的が達成される未来は確定してしまう。逆にこの線を全て消してしまえば……。
原理が分かった瞬間、頭の中に対処するための答えが浮かび上がった。それは恐らくプーちゃんと同じものであり、調合を行うためにはハサミも眼鏡も絶対に必要になる物だった。そしてヘルメスさんに頼んでいた内容も理解出来た。
「そっか……そういう事か」
「分かってくれた?」
「うん。ヘルメスさんに頼んだのは調合用の道具でしょ?」
「そっ。多分あたし達の血を使うだけじゃダメだと思うんだ」
全てに得心がいった私は白紙にレシピを書き始めた。必要なのはハサミと眼鏡と血、そしてヘルメスさんが作ったという楔と似た力を持った道具だった。あれと同様の力を持った道具を一緒に混ぜる事で、ハサミと眼鏡にそれに関与するための力を付与する。そうすればプーちゃんが表現していた線を見る事も切る事も出来る様になる。これさえ完成すれば、あの楔は最早ただの置物に過ぎないという事になる。
そうしてレシピを書いているとお父さんとシーシャさんが戻ってきた。どうやらレレイさんに頼み込んでシップジャーニーの人達が使っているハサミや眼鏡を貰ってきたらしい。
「こ、これでいいかい?」
「うん! おっし、じゃあヴィーゼ!」
「うん!」
急いで釜に火を点けてレシピに従った道具を入れ始める。まずは眼鏡を投入し、その後ナイフで指を少し切って二人分の血を入れた。普通の調合を行うだけならここまでしなくてもいいが、相手が高度な錬金術を基に作られた物とあっては念には念を入れる必要があった。その後、ヘルメスさんが戻ってくるまで待っていると十数分後には部屋の中へ飛び込む様にして入って来た。その手には小さな楔が二つ乗っていた。
「こ、これっ……!」
「ありがとヘル姉!」
「ヘルメスさん、お願いしといてアレですけれど、どこで調合してきたんですか?」
「え、えっとね……一応いつでも家に帰れる様に道具を作ってあって……」
そう言えばヘルメスさんがここの船に初めて侵入してきた時は瞬間移動するみたいにして現れた。この人が持っているあの羽根みたいな道具を応用すれば、自分の体の位置さえも自由に移動させる事が出来るのかもしれない。それならこの早さも納得だった。
「ヴィーゼほら!」
「あっうん!」
プーちゃんに急かされた私はヘルメスさんから貰った小型の楔を一つ釜の中へと入れ、すぐに蓋を閉めた。小型の道具であるためそこまで調合時間は掛からなそうだったが、血のおかげか実際は予想よりもかなり早く調合が終了した。蓋を開けて取り出してみると眼鏡の見た目は変わっていなかったが、試しに掛けてみるともう一つの楔から出ている小さな線の様なものがしっかりと視界に現れた。手で触れてみても簡単にすり抜けてしまい、どうやら人の力で直接介入する事は不可能そうだった。
「ヴィーゼ、次行こう!」
「うん!」
今度はハサミと血、そして楔を入れて調合を開始した。調合時間は先程とさほど変わらずかなり早く済み、見た目もまたそこまで変化しているという様子は無かった。私達とヘルメスさん以外は何を作ったのかよく分かっていない様だったが、これに関しては説明が難しい上に実際に『線』を見ていないと理解出来なさそうだった。
「か、完成しました?」
「はい。これでいける筈です」
「行こう皆!」
私達は急いで部屋を駆け出して倉庫へと向かった。そして内部に設置された鏡を通して再びあの空間へと戻るとすぐに楔が設置されている部屋の中へと入った。内部は相変わらずの様相であり、中心では楔がズンと鎮座していた。そしてその楔からは、小型の楔と同じ様に大量の『線』が出ていた。そのどれもがあの図の様に中心の交わる部分へと伸びており、プーちゃんの仮説は正しかったという事が実証された。
「ヴィーゼ、プレリエ、大丈夫そうか?」
「大丈夫だよシー姉。やっぱあたしって天才かも」
「あはは。かもね」
ハサミの持ち手に指を通し、呼吸を整える。
「プーちゃん、いい?」
「もち!」
お互いに視線を向けて頷くとそれぞれの一番近くにあった『線』を挟み切った。手応えは無かったものの、目に映っている『線』は確かに切断されて霧の様に消滅した。
プーちゃんのレシピは正しかった。やっぱりこの『線』が同じ場所に辿り着く様にしてるんだ。でもこの繋がりが全部消えてしまえば、この楔はただの置物に過ぎなくなる。
チョキリ。チョキリと一つずつ一つずつ切っていく。『線』が再生されるという様な事は起こらずに『線』は順調にその姿を消していった。何分もの間切り続けてようやく最後の一本になった。それはまさにプーちゃんが描いていた中心部分『表も裏も無い線』だった。しかし、すぐにハサミを入れてみたものの、何故か切る事が出来ずまるで鋼の様な固さだった。
「あ、あれ?」
「ヴィーゼ?」
「プーちゃんこれっ……何で……!」
「ど、どうしたんですか!?」
「ヘルメスさん、最後の一つが……切れないんです! ハサミが通らない!」
「あたしがやる!」
プーちゃんも参戦してきたものの同じ様に一切歯が立たなかった。二人で何度も執拗に刃を通し続けても切れ目一つ入る様子がなかった。
どうして……!? どこかでレシピを間違った!? でもそんな事ある筈がない……他の『線』はあれだけ簡単に切れてたのに、これだけ異常に頑丈だなんておかしい……どうしてこんな……。
「……そっか」
「プーちゃん……?」
「ここだけ頑丈にしてあるんだ。ここが全部の基盤部分だから。そうだよね、ヘル姉?」
「わ、私ももう細かい所までは覚えてないです……で、でも当時の私ならきっと、二人と同じ様に作ったかも……」
確かに、もし私がこの道具を作るってなったら、ハサミや眼鏡と同じ様に自分の血も使うかもしれない。一滴入れるだけでも人智を超えた力を授けられるなら間違いなくそれを選ぶと思う。きっと最後のこれが固いのもヘルメスさんの血が最も色濃く残っている部分だからだ。だからこそ、ただ数滴分の血を入れただけの私達の道具じゃ太刀打ち出来ないんだ。
プーちゃんと目を合わせると小さく頷いた。出した答えは同じだった様だ。
「ヘルメスさん……血は濃ければ濃いだけ力が増すんですね?」
「え、えっと多分……そうだと思います、はい」
「ヴィーゼ、何を言って……」
「お父さん、シーシャさん、これが終わったら頼みますね……」
「おい何を言ってるんだ、二人共……」
プーちゃんと向かい合う。その目は決意に満ちていた。正直私には少しだけ恐怖があった。しかし、もうこれしか方法が思いつかなかった。それにこの子と一緒なら大丈夫な筈だと信じたかった。
「ヴィーゼ……」
「プーちゃん……」
「っ! まさかっ……!?」
ヘルメスさんが止めようと動く前に素早く行動に移した。私達はハサミの刃を開くとお互いの左手首に当てて思い切り引いた。その瞬間熱されたかの様な痛みが手首に走り、私達の手首からは大量の血が流れ始めた。お父さんもシーシャさんも、そしてヘルメスさんも驚きのあまり呆然としている様子で声一つ上げていなかった。
流れ出る血でハサミを真っ赤に染めると二人で最後の『線』の交わっている中心部分に同時に刃を当てて、力の限り挟み込んだ。これだけの事をしたにも関わらず、すぐに切れる事は無かった。しかし、少しずつ確実に切れ目が入っていく手応えがあった。私達二人の血の方がヘルメスさんの血の濃さを超えようとしている証拠だった。
「ヴィーゼッ! プレリエッ!」
「止めないでお父さん……っ!! これなら、これならいけるの……!」
お父さんを声だけで制すと、どんどん乱れていく息を二人で整えてからタイミングを合わせる。
「いくよ……」
「うん……」
二人同時に寸分違わぬタイミングで力を込めた。その瞬間最後の『線』はプツンと切れ、空中で真っ赤に染まりながら消滅していった。それを見た私達は体の緊張が解けてしまい、ふっと足から力が抜ける。
「ヴィーゼプレリエ!!」
お父さんは倒れる私達を受け止めると酷く動揺し、どうすればいいのかと狼狽えていた。目の前で泣きそうになっているお父さんの顔が霞んでいく。体に熱いものが乗り、プーちゃんが引っ付いてきたのだと分かった。見なくても理解出来る。ずっと一緒だったのだから。
「……! ……くしろ!!」
シーシャさんが何かを怒鳴っているが上手く聞こえない。ヘルメスさんの声も聞こえたが、頭が上手く働かない。体がふわりと浮き上がり、揺れる。それと同時にプーちゃんの感覚が無くなった。一緒に居る筈の大切なあの子の感覚が、大切な妹のプーちゃんが、大切な私の……。
頭の中が暗闇に包まれた。




