第9話:終わりゆく村と生きていく人々
私はレシピに目を通しながら調合を開始した。まず最初に入れるべきはあの赤い果実だ。あの果実の中に含まれている栄養成分を釜の中に溶け込ませなければいけないからである。私がそれを入れようとすると、突然プーちゃんが止めてきた。
「ちょい待ち。シー姉が採って来たやつは使わないの?」
「まずはちゃんと成功するか調べようと思って。甘さとかでもしかしたら出来る栄養剤が変わるかもしれないし」
「ふーん……まあいっか」
この栄養剤自体を作るのは初めてだから、なるべく失敗したりして材料を無駄にしない様に気を付けないと……。
次に私は先程作った気付け薬を少しだけ釜に入れ、ゆっくりと掻き混ぜ始める。これによって果実と気付け薬の双方の栄養成分を抽出する事が出来る。ある程度混ぜた私は中和剤をプーちゃんから受け取ると、数滴加えた。これによって複数の成分の強制的な合成、合体による大量のエネルギーの発生を抑える事が可能になる。
「こんな感じかな……」
手早く掻き混ぜ、それぞれの成分を引っ付けた私は、釜の中身が緑色になっている事を確認し、蓋をした。
「どん位掛かるの?」
「うん、数分程度かな。すぐに出来ると思うよ」
私は数分間皆から見守られながら待ち、ようやく釜の蓋を開けてみる。
中を覗いてみると楕円形にスポイトの様な口が付いた透明の容器が入っており、更にその中にはレシピ集に書いてあった通りの紫色をした液体が入っていた。
「どうかなヴィーゼ、出来てる?」
「うん。これで大丈夫だと思う」
私は釜の中から栄養剤を取り出すと、お父さんに手渡した。それを受け取ったお父さんはトヨさんに近寄り、手渡す。
「トヨさん、恐らくこれで何とかなる筈です」
「トヨ婆、やってみよう。もしかしたら本当に解決出来るかもしれない」
トヨさんは少しの間栄養剤を見つめていたが、やがて仕方がないといった様子でそれを受け取り、腰を上げた。
「……一回だけ、一回だけ試してみるよ」
そう言いながら家を出るトヨさんの後を、私達は急いで追いかけていった。
村の中を歩いていった私達は、やがて少し開けた場所に出た。そこには家が建っている訳でも無く、小屋が建っている訳でも無く、新しく家を建てる土地という感じでも無かった。
「ここが、畑さ」
「えっ……」
ここが……畑? シーシャさん達からの話で植物が育たなくなったって聞いてはいたけれど、ここまでなの……? こんな、雑草一つすらも生えない程のものなの? 村のほかの場所に植物が生えてないのは人が住んでるから多少生えてないだけだと思ってたけれど、もしかしてこの村、もう完全に何も育たなくなってるんじゃ……。
「こんな枯れた場所見た事ないね?」
「うん……まさかこんな……」
「ヴィーゼ、プレリエ、僕はこの村の状況も、未知の生物に何か関係してるんじゃないかと思ってるんだ」
「どういう事?」
「やっぱり不自然なんだ。他の場所はまだ緑豊かなのに、どうしてここだけがこんな風になっているのか……。誰かが意図的にやってるとしか思えない」
もしお父さんが言っている事が本当の事だとしたら、いったい誰がこんな事をしてるんだろう……こんな事をしていったい何になるの……?
「ねーねー! とにかくさぁ、やってみよーよ!」
「トヨ婆」
「……ああ」
トヨさんは栄養剤が入っている容器の口の部分を地面に刺した。すると、容器内に入っていた液体が少しずつ減っていき、それに比例するかの様に畑から芽が出始めた。芽は明らかに普通ではない速度で成長していき、僅か数秒で様々な野菜へと変わっていった。
「凄い……」
シーシャさんやトヨさんは驚いていたが、私達も驚いていた。
「凄いねヴィーゼ……」
「う、うん……こんなに効果あるんだね……」
お母さんはこの栄養剤を作った事があるのかな? 正直、ちょっと土地に栄養を与える程度だと思っていたけれど、ここまでだと行き過ぎな気もする。それともあの赤い果実が原因かな?
「と、トヨ婆、早く皆に知らせないと!」
「……そうだね」
トヨさんは畑を後にし、村の家々を周り始めた。それによって一人、また一人と姿を見せ始めた。その顔は驚きに満ちており、目の前の光景に呆気に取られていた。
「お父さん、お母さんはこれを使った事があるのかな?」
「どうだろう。少なくとも僕は見た事が無いな。でも彼女なら、使った事があるかもしれないね」
お母さんはとにかく優しい人だった。もし今回みたいに困っている誰かが居たら、絶対に見捨てられない人だった。お母さんは、ヘルムート王国に住む皆にとってもお母さんみたいな人だった。
「……ねぇお父さん」
「どうしたのプレリエ?」
「お母さんはさ……生きてるよね?」
「…………」
「だって、だってさ、お母さんはこれ以上に凄い物も作れたんでしょ? なら、ならさ! 生きてるよね! だってこんな凄い事も出来たんだからさ!」
プーちゃんのその表情はいつになく必死なものだった。寂しがりやな彼女は、お母さんが死んでしまったという可能性は考えたくないのだろう。もちろん、私も同じだ。
「プレリエ、彼女は……ブルーメは行方不明になっているだけだよ。でももうあれから何年も経ってる。何処に居るのかも分からない」
「じゃ、じゃあさ! やっぱり生きてるよね!」
「……そうだね。僕もそう信じたい」
プーちゃんはお父さんの服を掴む。
「ね、ね! じゃあさ、お父さんの仕事ついでに捜そうよ! 色んな所行くんだよね?」
「プレリエ、気持ちは分かるけど仕事を優先しないと……」
「お願い! なんならあたし達だけで捜すから! 仕事の邪魔はしないから!」
私はプーちゃんの手を握る。
「プーちゃん……」
「ヴィーゼもそうしたいよね! 今までもずっとそう思ってたよね!」
それに関しては反論出来ない。私だってお母さんに会えるのならまた会いたい。出来る事なら、また一緒に暮らしたい。皆で一緒に居たい。
「それはそうだけど……」
「ねぇヴィーゼ……ねっ?」
「お父さん……」
お父さんは目を閉じ、小さく溜息を吐く。
「……分かったよ。邪魔にならない程度にね?」
「よし! 決まったねヴィーゼ!」
「う、うん」
私達が話していると、村の人達と共にトヨさんとシーシャさん、そして杖を付いたお爺さんが戻ってきた。その人はトヨさん以上に皺が深い顔をしており、飢えのせいもあってかあまり元気が無い様だった。
「貴方達が、してくださったのですかな?」
「はい。うちの娘達がやってくれました」
「ねーねー、爺ちゃん誰?」
「ちょ、ちょっとプーちゃん!」
お爺さんは礼節に欠ける反応にも優しく微笑んだ。
「これはこれは失礼しました。ワシはこのダスタ村で村長をやっとります、ミスミと申します」
「えっと、私はヴィーゼ・ヴュステです」
「あたしはプレリエ! この可愛い顔を忘れないでね!」
「すみません村長……礼節に欠ける子で……」
「いいのですよヴァッサさん。噂には聞いておりましたが、どちらも聡明そうなお子さんだ」
あれ? 村長さん、私達の事知ってたのかな? お父さんは調査とかで色んな所に行ったりしてるから有名なのは分かるけれど、私達ってあの国から出た事無いんだけどなぁ……?
「聞いたヴィーゼ? 聡明そうだって!」
「その反応は聡明さの欠片も無いよ……」
村長さんは私達の手を取り、握手をした。皺くちゃのその手からは、この村を守り続けてきたこの人の人生が感じられた。
「ありがとうございます。これで村も安泰じゃ」
「いえいえそんな……」
「やーっ照れちゃうなぁ!」
そんなやり取りを見ていたトヨさんは畑を見ながら口を開く。
「安心するのは早いよ耄碌ジジイ。今、何とかなっただけだ。これからもこうとは限らない」
「トヨ婆……」
「シーシャ、あんたも村から出て森を見てたら分かっただろう? ここはもう人が……いや、生き物が住める場所じゃなくなりつつあるのさ」
「でもこの栄養剤があれば少しずつでも……!」
トヨさんに反論しようとしたシーシャさんを止めたのはお父さんだった。
「僕もトヨさんの考えは合っていると思います」
「どういう事、なのですか?」
「各地で未知の生物が発見されているというのは既に申し上げたと思いますが、それと同時にこの村の様な箇所も確認され始めているのです」
「それは、土地が枯れていく場所が他にも確認されたという事ですか……?」
お父さんは畑に近寄ると屈み、土を触る。
「見てくださいこの土を」
私はお父さんと同じ様に土を一握りし、確認してみた。
「あっ……」
「ヴィーゼ、気付いたかな?」
「うん……この土、凄くサラサラしてる……まるで本で見た砂漠の砂みたいな……」
「ん? それっておかしくない? ヘルムート王国にも畑はあるけどさ、こんな土じゃ無かったよね?」
そう、プーちゃんの言う通り、こんな土じゃなかった。そういう地域に適応している植物ならこういう土でも育つかもしれないけれど、ここに今生えてきた様な植物達はこんな土じゃ絶対に育つ筈が無い。多分、今成長してきたこの野菜達は、あの栄養剤の力だけでここに何とか生えてる状況なんだ。
「今二人が言った通りです。ここの問題は何も解決していません」
それを聞いた村人が一人声を上げる。
「で、でもこうして生えてきてるじゃないか!」
「ただの一時しのぎに過ぎません。この栄養剤の効果だっていつまで続くか分からない。数日持つかもしれないし、もしかしたら数時間が関の山かもしれません」
その言葉を聞いて、村人達の中からは動揺している声が聞こえた。折角土地枯れが治ったと思ったらこれなのだから無理は無いのかもしれない。
「僕としては、ここから移住する事をおすすめします」
「ヴァッサさん……貴方の仰りたい事は理解出来ます。しかしワシらはここで生まれ、ここで育ったのです。そう簡単に故郷は捨てられんのですよ」
「馬鹿言うんじゃないよ耄碌ジジイ。判断力が鈍りきったかい?」
「トヨ、君もヴァッサさんと同意見なのだろう?」
トヨさんは村長さんに詰め寄ると胸倉を掴んだ。
「いいかい、あたしもあんたと同意見ではあるよ。でもね、世の中理想だけじゃ生きていけないんだよ。あんたは村長だろう、今あんたがするべき事は何か、よく考えてみな」
「トヨ婆、止めてくれ!」
「……いいんだシーシャ」村長さんはトヨさんの手を離すと、畑へとゆっくり歩いていった。
「……ワシらは森の民じゃ。今までずっとここでそうやって生きてきた。そしてこれからも、そうしたいと思っとった。じゃが、もう潮時なのかもしれんなぁ……」
「村長! 私が! 私がすぐに水の精霊を見つけて……!」
「もういいんじゃよシーシャ……あれはな、嘘なんじゃ……」
「え……」シーシャさんは明らかに動揺している。
「お前はこの村の中では学がある方じゃ。外に出れば、ここよりも便利な街がある事に気付くじゃろうと思うてな……。そしてそれを見つければ、お前はこの村に居る子供達を連れて行ってくれるじゃろうと思ったんじゃ」
「嘘……? じゃあ、水の精霊は……」
「……ただの昔話に過ぎん。そんなものが実際に居るのかどうかはワシにも分からんよ」
村人達は村長の話を黙って聞いていた。恐らく、彼らもシーシャさんがそうしてくれる事を望んでいたのだろう。これからの未来を作る子供達を守ろうとして……。
「それでどうすんだい? ここに残るのかい?」
「いいや……もう嘘はつかんくてもいいじゃろうて。ヴァッサさんの言う様に皆でどこかに移住するとしよう……」
そう言うと村長は私達に深く頭を下げるとゆっくりと元来た所へと歩き始めた。それに釣られる様に他の村人達も一言お礼を言いながら各々の家へと戻っていった。その場に残されたのは私達家族とトヨさん、そして虚ろな表情をしているシーシャさんだけだった。
「シーシャさん……」
「わた、しは……今まで頑張って……必死で、必死で捜して……村のために……」
「シー姉……」
「……」
トヨさんはシーシャさんの両頬に手を当てると額を引っ付けた。
「いいかいシーシャ、確かにあんたの精霊を捜すって頑張りは無駄になったかもしれない。でもね、あんたがそこのチビッ子達を連れてきたから、あの耄碌ジジイの考えを変える事が出来たとも言えるんだ」
「トヨ婆……私は、何をすれば、いいんだろう……村を救えないのか……? どうやったらここを……守れるんだ?」
「……今はその時じゃ無い。あんたは頑張ったんだよ……シーシャ」
シーシャさんがこんな顔をするなんて思わなかった。凄くしっかりとした人ってイメージがあったから余計に……。もしかしたらシーシャさんはあの嘘を信じ過ぎていたから、ここまで呆然としてるのかな……。
「……それで、あんたらはどうすんだい?」
「僕は仕事がありますから、またこれから村を出ます。他の所も調べなければなりませんので」
「そっちは?」
「私達もそうするつもりです」
「そっ! あたし達が居ればお父さんの仕事なんてすーぐ終わっちゃうよ!」
「そうかい……なら今晩だけでも泊まっていきな。今から出たら野宿する破目になるよ」
お父さんは少し考えた後、頭を下げた。
「ありがとうございます。それでは今夜だけ」
「ああ、そうしな」
私達はシーシャさんの手を引きながら歩くトヨさんの後へと付いていった。