第84話:太陽虫と眠りし怪物
船へと戻った私達は自分達の部屋へと戻り、ベッドへと腰を下ろした。プーちゃんは先程よりは落ち着いてきた様ではあったが、またしてもあの遺跡の様な人柱と呼ばれるものが存在しているという事実のせいで不安を感じている様だった。
まさかここにも犠牲になった人が居たなんて……。でもいったい何が目的で利用されたんだろう? あの遺跡は確か、一部の動物達が絶滅したりしない様に強化するみたいな力があった筈……今はもうその時の動物がどんなのだったかは思い出せないけれど……。
「……プーちゃん、落ち着いた?」
「う、うん……ごめん、大丈夫」
「お父さん、あの虫って何なんだろう? 肉食なのは分かったんだけれど、太陽の光に反応してるのはどうしてなのかな?」
「……ちょっといいかい」
お父さんは私だけを連れてベッドを離れ、プーちゃんには聞こえない距離で話し始めた。
「さっきは言わなかったんだけど、あの死体があった場所……壁に卵が付いてたんだ」
「卵って……」
「あの村で見た様なやつとは違うよ。触ってみたけど普通に柔らかかった。ただ……」
「ただ……?」
「卵の外殻の部分に苔類の一種が付着してたんだ」
苔? 虫と植物……どうしてその二つが引っ付いてるの? 苔は確か光合成をする筈だし、虫の方は肉食……共生関係になるにしてもあんな洞窟の中でどうやって……。
「えっと、それで……?」
「これは僕の推測なんだけど……多分あの虫達は卵のために太陽光を集めてるんじゃないかと思うんだ」
「何のために?」
「……その卵なんだけどね、大きかったんだ。今までに見た事が無い位にね。それこそ僕が知る限りでは、あの大きさの卵は存在する事がおかしい……」
プーちゃんの方を振り返り、聞かれていないか確認する。
「ど、どれくらい?」
「正確な大きさは分からないけど、少なくとも1メートルはある。虫はもちろんの事、陸生生物でも海生生物でも考えられない大きさだ」
少なくとも私達よりは小さい……でもお父さんの言う様に明らかに大きさがおかしい。虫達はそれを育ててる? でも卵って中に最低限の栄養が入ってるから育てる必要は無い筈なんじゃ……。
そこまで考えた時に、私の中にある憶測が生まれた。本来ならありえない筈だが、状況証拠から考えてそうとしか思えなかった。
「お父さん、あのね、今思った事があるんだけれど……」
「聞かせてくれるかい?」
「うん。卵の大きさが1メートルってさ、何となく人間に近い大きさだなって思ってね? それでもしその、そこで亡くなってた人が人柱になってその卵が作られたんだとしたら、虫はあくまでおまけなんじゃないかな?」
「というと?」
「虫達は太陽の光に反応してる。でもそれをどう使ってるのかまでは誰も分かってなかった。でもお父さんが見つけた苔が付いてる卵が本当だとしたら、虫はあくまで吸収した太陽光を卵に運ぶ運搬役に過ぎないんじゃないかな?」
お父さんは私の意見を最後まで聞いた後、十数秒程沈黙してから口を開いた。
「……有り得る。多分僕達やあの人達は注意を向けるべき対象を見誤ってるのかもしれない。あの卵をどうにかしないとまずい。ただ……」
「ど、どうしたの? またあの時みたいに壊せば……」
「いや、あの卵がどういったものを育てているのかが分からないと危険だよ。中に居るのが同じ虫達ならきっと僕らや国の人達は間違いなく、対処出来ずに殺される。逆に中に入っているのが一個体だけだとしても、それはきっと観測されていない新種の生物だ。どっちにしても危険過ぎる……孵化の条件すら分からないし……」
お父さんの言う事も尤もだった。もし中に居るのが見た事もない怪物の様な生き物だとしたら、きっと私達は何も出来ずにその場で殺される。リオナさんやリオラさんでも倒せるか分からない。そうなった場合、きっとこの国だけじゃ被害は収まらない……。
様々な対処法を考えてはみたものの何も思い浮かばず、私はヘルメスさんに意見を貰う事にした。私達よりも遥かに高い技術を持つあの人ならば、何かいい意見を貰えるかもしれないと考えたのだ。
「お父さん、私ヘルメスさんにも聞いてみる」
「……ヴィーゼ、それなら僕も行く」
「だ、大丈夫だよお父さん。ヘルメスさんは悪い人じゃ……」
「疑ってる訳じゃないよ。僕も専門家として意見を聞きたいだけだ」
私とお父さんはプーちゃんを置いて部屋を出ようとしたものの、出る寸前に裾を掴まれてしまい、理由を話しても残りたくないと返されてしまった。考えてもみれば、プーちゃんは怖がりなところはあるけれど、決して弱い子では無い。私達が勝手に決めていい事では無かった。
ドアをノックし、ヘルメスさんの部屋へと入った私達は伏し目がちな彼女に迎えられた。部屋の中にはいつの間にか釜が置かれており、何でも山から下りた後に遠距離移動が出来る道具を使って持ってきたとの事だった。
「ど、どうぞ、座ってください。あ、えっとお茶とか……」
「いえ。ヘルメスさん、ちょっと意見が欲しくて伺ったんです」
「い、意見?」
「僕から説明するよ」
お父さんから説明を受けている間ヘルメスさんは一言も口を挟まずに黙って聞いていた。時折手帳にメモをとる様な事もしており、彼女の中では既に何かしらの答えや理論が出来上がっている様な印象を受けた。
「……なるほど。虫と卵、植物……」
「どう思います?」
「う、うん。あのですね、多分お二人の予想は合ってると思います。生物を栄養として与えるよりも、いつでも手に入る太陽光の方が効率がいいですから……」
「対処法はあるかな? 僕としてはまだ観察を続けるべきだと思うんだけど」
「わ、私も初めての例なんで何とも言えないですけど、でももし卵が既に十分大きくなってたとしたら、もう時間は無いと思います、はい。だから今の内に対処した方が……」
「方法は?」
「えと、これを……」
そう言うとヘルメスさんは先程まで使っていた手帳を開いたまま、こちらへと差し出した。見るとそのページには、何を意味しているか分からない図解や数式が描き込まれており、ページの端には錬金術のレシピが書き込まれていた。
「……プーちゃん、これ」
「う、うん?」
図や数式の意味は分からなかったものの、レシピに書かれている道具がどういった力を持つ物なのかは理解出来た。それは生物の年齢を退行させる力がある薬剤だった。
「ヴィーゼ、これって」
「うん。私にも分かるよ。何故か……」
「ヴィーゼ、プレリエ、何が書いてあるんだい?」
「錬金術のレシピ……きっとこれなら……」
私自身、この道具が持つ力が異常なものであるとは分かっていた。生物を退行させる薬なんて有り得る訳がない。しかし今までの数々の調合……絵筆やキャンバス、杖の事を考えると再現可能であると思えた。あまりに非論理的ではあるが、これこそが一番の方法だとしか思えなかった。
「ヘルメスさん、材料ですけれど……」
「う、うん。何かの生き物の卵あるいは胎児、古代文明の遺物、後は液体があれば作れる、かな。液体と卵は問題無いかなって、思います、はい。ただ、遺物が……」
「大体どれくらい昔の物だったらいいんですか?」
「はっきりとは、い、言えないんだけど……古代に作られたっていう時間的意味が重要と言いますか、えっと……」
何か手持ちにそういった物はないかと考えたものの、なかなか該当する物は無かった。一瞬キャンバスの中の世界を思い浮かべたものの、あの世界は私達が見たものを再現、模倣した世界に過ぎないため、条件に当てはまらない様に思えた。
「えっとさ、ちょっといいかな?」
「どうしたのプーちゃん?」
「あのさ、ヘルメス姉は三つ目の鏡を手に入れるためにここに来たかったんだよね?」
「え、そ、そうですけど……」
「だったらさ、あの王女様に頼んでみない? あれだけ大きいお城だったら、鏡の他にも色々昔の物とかあるかもだし……」
「プレリエ、流石にそれは……」
「わ、私もそれが一番手っ取り早いかなって思ってます、はい……」
プーちゃんの言いたい事は理解出来た。確かにここに鏡が実在するのなら、そういった他の遺物もあるかもしれない。ただ、それを伝えたところで手伝ってもらえるだろうかという不安があった。虫を退治するためにお宝を下さいなんて、そんな事を本気で真に受けてくれるだろうか?
「僕としては賛成出来ない。そのレシピを疑ってる訳じゃないけど、話をきちんと信じて貰えるか疑わしいよ」
「で、でもこのレシピ的にはこの素材がいるんです……! 他じゃ代用が効かないというか……」
「……取り合えず、聞くだけ聞いてみましょう。もしかしたらっていう事もあるかもしれないですし……」
「あたしもヴィーゼに賛成。お父さん、一回行ってみよう? ダメだったらその時考えようよ」
「……分かったよ。ただ、無理そうだったらすぐに諦める。いいね?」
私達は外へと出ると市街を抜けて城へと向かった。念のために古物市や露店などでそれらしい物が売っていないか確認してみたものの、どれも遺物とは言い難い商品ばかりであり、素材としては使えそうになかった。
城に到着した後、門番の人達に案内してもらい中へと入り、以前と同じ様に待っていると女王が姿を現した。私達が対処法を持ってきたと思っているらしく、その目は期待に満ち満ちていた。
「お待ちしておりました! 何か対処する方法が分かったのですか?」
「ええ。その事で伺ったのですが……」
お父さんは私達が必要としている物が何なのかを説明し、ヘルメスさんはそこに補足の説明を加えて女王に遺物が必要な事を知らせた。女王は話を聞いている途中から妙にそわそわと落ち着きがない動きをし始め、私から見ても見るからに動揺している様に見えた。
「それでその、遺物という物が必要なのですね?」
「は、はい。理論的には必要です、はい……。お、お願いします。一つでいいので……」
「その……卵とやらを壊すだけでは駄目なのですか……?」
「不確定要素が多過ぎます。僕に錬金術の知識はありませんが、娘達が言うのなら本当にこの道具が必要なのだと思います」
女王は強く逡巡している様な様子を見せていた。恐らく遺物はここに存在しているものの、それを渡すのを躊躇っているといった様子だった。しかし、やがて女王は何かを決めたらしく二回拍手を行った。すると部屋の扉が開き、一人の召使いと思しき人物が入って来た。
その人物は整った服装をしており、長い髪を三つ編みにして後ろで纏めていた。その髪はどことなく緑っぽい色をしており、今までに見た事の無い髪色だった。
「お呼びですか」
女王はその人物に耳打ちをし、何かを伝えると「頼んだわよ」と言い残し部屋を後にした。咄嗟に止めようと一歩前に出たヘルメスさんの前に、その召使いは立ち塞がった。
「あ、あの、お願いします。ひ、必要で……」
「申し訳ございません。女王はこれより仕事です」
「三人共、帰ろう。お邪魔になる」
「いえヴァッサ・ヴュステ様、ここにお残り下さいませ」
「……どういう意味ですか?」
「この国に遺物は二つあります。ですがどちらも国宝、如何なる理由があろうとお渡しする訳にはいかないのです」
召使いは酷く無機質な声で話し続け、そのぶれる事のない真っ直ぐな瞳を私達の方に向けていた。
「ええ、ですから他の方法を……」
「それも必要ありません。何故なら女王が決定を下されたからです」
「あの、決定っていうのは?」
「この国を守護なさるという選択です」
「だ、駄目ですっ……! あれは正しい手段で対処しないと! 他の方法だと、な、何が起こるか……!」
「では女王の選択に反発されるという意思と取りますが、宜しいですか?」
お父さんが私とプーちゃんの腕を掴む。
「帰ります。他の方法で僕達は……」
「勝手な行動は困ります」
召使いがそう言った瞬間、私の耳にはバチッという音が聞こえ、一瞬にして倒れ込んでしまった。体を動かそうにも上手く動けず、声も出せなかった。それはプーちゃん達も同じらしく、まるで出来の悪い芋虫の様な動きをする皆を見ながら、私の意識は落ちていった。
ふと気が付くと私の頬にはふさふさとした感触があった。痺れている体を少しずつ動かしながら体を起こしてみると、自分が寝ていた場所には藁が敷かれているという事が分かり、辺りを見回してみるとプーちゃんとお父さん、そしてヘルメスさんが倒れていた。更にぼやけていた視界がはっきりし、ようやく私は自分が居る場所に気が付いた。
「牢、屋……?」
どうやら私達は王城にある牢屋に捕らえられたらしく、ひんやりとした空気を感じる、あまり長居したいとは思えない場所だった。
「プ、プーちゃん! プーちゃん!」
「んぅ……」
プーちゃんに息はあったものの、まだ意識は戻っていないらしく寝言の様な反応しか返って来なかった。同じくお父さんやヘルメスさんに声を掛けてみたものの、同じ様にまだ眠っている様だった。
あの時、魔法か何か掛けられた? 私が一番最初に目が覚めたのは偶然かな……。でもどうして牢屋何かに……? あの時召使いの人が言ってたのはどういう意味なんだろう? 女王が対処って……それが出来ないからお父さんを頼ったんじゃ……。
現状に関して色々と考えを巡らせていると鉄格子を叩く音が響いた。顔を上げて見ても外に誰かが居る様子は無かったが、音が鳴り続けている事から隣にある牢屋から聞こえてきているのだと気付いた。
「は、はい……?」
「やはりか、君だろうと思ったとも」
その声は投獄されたリチェランテさんの声だった。とても捕まっているとは思えない明るい声色だった。
「リチェランテさん?」
「全く驚きだな。君達も捕まったか。どうやらここの女王は気が短いと見える」
「あ、あの、ちょっといいですか……?」
私は他に話せる人が居ない都合上、リチェランテさんに意見を聞く事にした。この人は危険なやり方をする人ではあるが、少なくとも目的は同じである事は分かっていたからである。
捕まるまでの経緯を話し終えるとリチェランテさんは溜息を吐いた。
「あの女王は真正の馬鹿だな。あるいは相当な自信家か」
「あの人、何をするつもりなんでしょうか? お父さんを頼ったのは対処法が無いからじゃ……」
「違うな。あれはバレるのを恐れてるのさ」
「バレるって……何がですか?」
「私に聞くか? 君ならもう分かってる筈だろう? 答えは至極単純、遺物がだ」
「誰にバレるのを怖がってるんですか? 別に遺物なんてそれこそ、歴史的価値があるくらいで……」
鉄格子を二回叩く音が響く。
「おい鈍いな。いつもの聡明さはどうした? 遺物なんて物は言い様だ。つまるところは錬金術の産物なんだよ」
「えっじゃあ……」
「この国には言い伝えがある。トワイライト一族が持つ宝玉の力によって大地は緑に覆われ、川は澄み渡り、国を作った。そしてもう一つの宝玉によって敵対国を滅ぼし、永劫の破滅をもたらした。そうしてこの国は栄えてきた」
「まさか……」
「そのまさかだ。この国は二つの錬金術の産物を使い、不正とも言えるやり方で栄えてきた。それこそ御伽噺になる様な内容で」
今のリチェランテさんの話した言い伝えが本当なら、女王は国を保つのに必要な宝玉を持っていかれる訳にはいかなかった? それにあの時の「国を守護する選択」っていうのは、まさか宝玉の力を使う気じゃ……。
「じゃああの人は……」
「君の話を信じるなら、間違いなくあの大馬鹿者はその虫とやら相手に使う気だな」
「止めないと!」
「オイオイオイオイオイ。私が大馬鹿者って言ったのはあの若いガキんちょ女王の話だぞ? 君に言ったんじゃない」
「分かってますよそんなの! 何とかして止めに……!」
「オイ理解しろって。私が言いたいのは、今は堪えろという意味だ。チャンスは必ずある」
「チャンスって……」
「今は待つんだ。私の事を嫌う気持ちは分かるが、先人の意見は聞いといて損は無いぞ?」
リチェランテさんの言葉の真意が分からず戸惑っていると、後ろから声が聞こえた。振り返ってみるとプーちゃんが目を覚ましたらしく、私の方をぼーっとした目で見ていた。
「ヴィーゼ……ここどこ……?」
「プーちゃん! 良かったぁ……」
「妹の方も起きたか。それじゃあ他のもすぐに起きるな」
隣から立ち上がる様な音が聞こえる。
「それじゃあこっちも、ぐーたら海賊君を起こすとするかね」
まだ意識が完全に覚醒していないプーちゃんを撫でつつお父さんやヘルメスさんを見ると、まるでリチェランテさんの言葉を合図にしたかの様に声を漏らし、意識を取り戻した。
今はここを出る事を考えないといけない。シーシャさんやリオナさん、リオラさん達にも何とか合流して正しい対処法を教えないと。このままあの卵を力づくで消そうとするのは、きっとまずい事になる。そのためにも、リチェランテさんに協力してもらおう。せめて今だけは……。
私は決意を胸にお父さん達が完全に起きるのを待つ事にした。




