第80.5話:穢れ多きその石は、人間の手によって太平を得る
あたしがふと目を覚ましたのは綺麗な花畑だった。普段から素材に使ったりしている植物もあれば、今までに見た事が無い様な名前も知らない植物も生えていた。この場所がどこなのかは分からなかったけど、何だか幻想的で、もっと見ていたいと思う場所だった。
「ヴィーゼー?」
大きな声を張り上げて遠くまで届く様に叫んだものの、返事は帰って来ずにあたしの声はそのまま消えていった。
んー……これは夢っぽいかな? ヴィーゼと同じ夢を見たりした事もあったけど、今日のは違うっぽいかも。ちょっと寂しいけど、まあ起きたらまた一緒に遊んだり出来るだろうし、今はいっか。
あたしは多少の寂しさを感じはしたものの、割り切ってこの夢を楽しむ事にした。花畑で寝沿ってみたり、花の匂いを嗅いでみたりしながら時間を過ごしていると何か違和感に気が付いた。
「?」
辺りを見回してみたものの、景色に何かおかしなものが映っている訳でもなく、何か変な音が聞こえるという訳でもなかった。それにも関わらずあたしの本能は直感的に何かを感じ取っていた。
不安に思い立ち上がろうと地面に手を付いた瞬間、あたしの体は呑み込まれる様に地面へと沈んだ。四つん這いの姿勢のまま手足が埋まってしまい、焦って抜こうとしてもがっちりと固まってしまい抜け出せそうになかった。
「ヴィ、ヴィーゼー!!」
咄嗟に声を上げてみたものの何も返事は帰って来ず、あたしの体はじわじわと地面の中へと沈みこんでいった。どんなにもがいて抵抗しても止める事は出来ずついには完全に体が完全に沈下した。体全体が土に包まれ、顔も土によって覆われていたものの何とか目を開けて対処法を見つけ出そうとした。
「……!」
しかしそんなあたしの目の前に現れたのは、既に何とかして倒した筈のあの石だった。ヴィーゼの指示によってお父さんが動いて、その結果真っ白になっていたあの石だった。あの島に間違いなく放置してきた筈の石が、あたしの目の前に居る。
あたしは脱出しようと必死に手や足を動かそうとしたものの、少しでも動かした瞬間手足が周りの土によって締め付けられて、まともに動けなくなってしまった。
「っ!」
そしてそんなあたしが横を向いた時に映り込んだのは、同じ様に地面の中に埋まっているヴィーゼの姿だった。その目は閉じられたままでピクリとも動かず、ただただ土に包まれていた。何とか声を出そうにも口を開ける事すら出来ず、呼吸をしようとすれば鼻から土が入ってきて息も出来ないという状況になっていた。
そんな中、何とか抵抗をしようともがいていると突然体全体に何か衝撃が奔った。右肩の辺りから何かにぶつかった様な衝撃で、その後何かが倒れる様な音が聞こえた。
……いたた。今の何……? この石がやったの? でもそれにしちゃ妙な感じがするけど……。
「……?」
その時あたしは右手の指先に妙な感触を覚えた。触った事のある感覚であり、本来ならこんな土の中にあるのはおかしい、そんな感触だった。
これは……そっか。ヴィーゼも同じなんだ! ヴィーゼも多分あたしと同じ様に夢みたいな場所で捕まってる。それで動いてくれたんだ。さっきの衝撃は多分、あたしとヴィーゼがベッドから落ちた感覚だ! そしてあたしの記憶が正しければ、この位置には……。
指を搔く様にして動かすと、爪の間に何かが挟まる感触があった。それは土ではなく、もっと違う物だった。
やっぱり! あの絵だ! ステラ姉とルナ姉のためにヴィーゼと一緒に作ったあのキャンバス! 二つの絵によって繋げられた絵の中の世界! これだ! ヴィーゼはきっとこれを利用するためにあたしごとベッドから落ちたんだ!
あたしは息を止めるとぎりぎり動く範囲の体を動かし、隣で眠ったままのヴィーゼへと手を伸ばした。土はどんどんとあたしの体を圧迫してきていたものの、何とか指先同士を触れ合わせる事が出来た。その瞬間あたし達の体は末端から霧の様に散らばり始める。
「はっ!?」
ふと気が付くとあたしは自分達で作った絵の中の世界へと来ていた。慌てて周囲を見回してみると目印として作っておいた巨木の下にヴィーゼが倒れていた。
「ヴィーゼ!」
あたしが急いで駆け寄ってみるとすぐに目を覚まし、あたしと同じ様に慌てた様子でキョロキョロと見回していた。しかしあの石が居ない事に気が付くとホッと胸を撫で下ろしていた。
「プーちゃん……」
「ヴィーゼ、大丈夫……?」
「う、うん。プーちゃんは?」
「あたしは平気。でもまさかまだあの石が攻撃してくるなんて……」
「夢の中まで来られるなんて思わなかったよ……。きっとすぐにあの石もこっちに来ると思う。あの石は……生きてるんだと思う」
ヴィーゼの話には真実味があった。実際、島からはそこそこ離れているのに未だにターゲットにされていると考えると、きっとあの石はあたし達を全員倒すまで攻撃し続けてくる。夢の世界ならどんなに遠く離れていてもいつでも襲える。
「きっとあの時白くなって動かなくなったのは、動けなくなった訳じゃないんだと思う。ああやって私達を油断させて、私達の中に入って来てたんだ。だから現実では襲ってこなかった」
「あたしもそう思ったよ……。でもヴィーゼどうするの? 今はここに逃げられたけどさ、きっとすぐに来るよ……?」
「まずは、だよ……ここだから出来る事を試してみよう。ここは私達が作った世界……どういう風にするのか全部自由に決められるんだから」
それから数分待つと遂にあたし達の前に石が現れた。真っ白なのは変わっていなかったが、シー姉の攻撃で破損した筈の部分は直っていた。
「ヴィーゼ、あれ……」
「慌てないで……夢の中なら何でもありなんだよ。だからあの石はああやって自分を直した。そしてこうやって私達を追って来れた。だけれど……」
ヴィーゼは真っ直ぐに石を見つめると、右手を掲げた。その動きで察したあたしも揃って動きを真似る。
「ここだけなら! 何でもありなのは私達も同じっ!」
あたし達は二人で同時に腕を振り下ろし、石を指差した。あたし達の指先からは光が放たれ、それが石に当たると石は徐々に透明になっていった。
十数秒後には遂に石は完全な透明色になり、辛うじてそこに存在しているのが分かる程度の存在になっていた。その状態になってからこちらに対して攻撃をする様子もなく、大人しくなった。
「や、やった!」
「うん! 上手くいった!」
「プーちゃんならきっと私の考え分かってくれると思ったよ」
「へへんっ。何てったって、あたし達双子だからねっ!」
ヴィーゼに抱きつく。
ヴィーゼが考えている事は手に取る様に分かった。産まれた頃からずっと一緒に居たあたしにとっては絶対に間違える訳が無かった。頭のいいヴィーゼなら、きっとこうすると思っていたから。
あたし達が喜んでいるとそよ風が吹き、頬を撫でた。心地良い風だったが、そんな考えはヴィーゼの顔を見た瞬間、一瞬にして変わった。
「ヴィーゼ……?」
「プーちゃん、それ……」
……この感じ、あたしも同じなの……? あたしもヴィーゼと同じになってる? でも何で? 間違いなくもう完全に倒した筈……こんな事あり得ない筈なのに……。
ヴィーゼの頬には黒い斑点が出来ていた。その数は一つまた一つと数を増やしており、ヴィーゼの視線や反応を見るにあたしも同じ様に感染しているらしかった。
どうしよう……!? ま、まさかまだ攻撃出来るなんて! 何で……? 何で出来るの? 完全に透明になってる筈なのに!
「ヴィ、ヴィーゼどうしよう……!?」
「ごめんプーちゃん……私のミスだったかも……」
「ど、どういう事……?」
「……透明はある意味、白よりも純粋な色とも言えるかも。何にだって染められる……白にも黒にも他の色にも……何にでもなれる色なんだ」
「で、でも透明って色じゃないじゃん!?」
「違うよプーちゃん……色っていう概念があるから透明も存在出来るんだよ。そう考えると、透明も間違いなく色の一種とも言えるんだ……」
あたし達の足元に生えていた植物達はまるで取り囲むかの様に円形に燃え始めた。その炎で出来た円はあたしとヴィーゼを燃やそうとじわじわと近付いてきていた。
「ヴィーゼ早く消さないと!」
「プーちゃん、それも無理っぽいかも……」
「何言ってるの!? さっきみたいに……!」
そう言って腕を動かそうとすると何故か上手く動かず、ヴィーゼの腕が絡みついている様だった。
「ちょっとヴィーゼ何して……!」
「違うのプーちゃん……! 私達、繋がれてる……!」
よく見てみるとあたしの腕にヴィーゼの腕が溶ける様にして融合していた。あたしが腕を動かせばヴィーゼの腕も引っ張られて動き、更に胴体までも筆で撫でられたかの様に融合しており、最早自由に体を動かせる状態ではなくなっていた。
「ヴィーゼあたし、ど、どうしたら……」
「落ち着いてプーちゃん。今から最後の手段を取ってみる。無理に動いたりせずに私の動きに合わせて動いてみて」
「う、うん……」
あたしは最早正常な判断が出来ない狼狽しており、ヴィーゼの意見を聞く事しか出来なかった。とにかくあたしはヴィーゼの動きの邪魔をしない様に腕の動きを任せていた。腕からはヴィーゼの心臓の拍動が伝わってきており、完全に体が融合してしまっている事を改めて実感した。
腕を動かし終えたヴィーゼはお互いの腕が疲れない様な位置に腕を下ろすと、あたしに視線を合わせた。
「プーちゃん。私はやるべき事はやったよ。後はどうなるか祈るしかない」
「ヴィーゼ……あたし、やだよ……死にたくない……」
「プーちゃんを死なせたりなんかさせない」
「で、でももう後は祈るしか無いんでしょ……?」
「……うん」
あたしにはもう何も思い浮かばなかった。どうすればあの石を止められるのかまるで分からなかった。真っ白にしても透明にしても止まらない最強の防衛装置、誰が作った物なのかは分からなかったが、今はとにかくその人を恨むしかなかった。
「ヴィーゼ……あたし一人はやだよ」
「大丈夫……プーちゃんは一人ぼっちじゃない」
「最期まで……ううん、死んでからも一緒に居てくれる?」
「うん。絶対に一人にはしないよ」
いよいよ炎はすぐそこまで来ており、あたし達が焼かれるのも時間の問題だった。どうせなら一気にやってくれればいいものを、まるで嬲る様にじわじわと苦しめて来ていた。
もう限界かと覚悟を決めて二人で目を瞑った。しかし、何故か体が熱さを感じる事は無く、痛みすらも何も感じなかった。何が起こったのかと恐る恐る目を開けてみると、そこには見覚えのある人が立っていた。
「ヴィーちゃん、プレちゃん、これはどういう……?」
ステラ姉だった。元々この絵の世界は離れた所同士でもコンタクトが取れる様に、ヴィーゼと一緒に調合したもので、その内の一つはステラ姉とルナ姉の下に置かれている。
「良かった、間に合ったんですねシャルさん……」
「いや、本当に何が起きてるの? 何か絵に『助けて』って文字が出たから何事かと思って来てみたんだけどさ」
そっか。さっきのはステラ姉やルナ姉に助けを求めてたんだ。でも、ステラ姉を呼んでしまったらあの石の標的にされるんじゃ……。
「シャルさん……詳しいお話は後でしますけど、助けて欲しいんです。あそこにある石……あれに襲われてるんです」
「石?」
ステラ姉が視線を向けるとあたし達に向けて突風が吹き始めた。しかしステラ姉があたし達と同じ様に腕をかざすとその風は完全に消え去った。
「……あ~そういうあれね。理解したよ」
「お願いします……シャルさんしか多分あれは倒せない」
「しょうがないなぁ。『最も大切にすべきは友である。そして次に大切にすべきは友からのお願いである』ってやつだね」
ステラ姉はポケットの中からノミとハンマーを取り出すと石に向かって振り下ろした。ノミが当たる度に石が削られて、透明であるにも関わらずその形を変えていっているのが素人目にもはっきりと見えた。
カツーンカツーンと音が響く度に石が段々と小さくなってくのを感じ、それに従ってあたし達の体に起きていた症状も緩和していった。
何分経ったのかは分からなかったが、ステラ姉が一仕事終えた時には既に石は原型を留めておらず、内部が空洞になっている三角錐の中央に球が存在している芸術作品になっていた。あたし達の体に出ていた黒い斑点は完全に消え失せ、引っ付いていた体は元通りに治っていた。
「終わった……?」
「みたいかな?」
「良かったぁ……」
「やっぱり、あれは所詮石だったんだ。あの石だからあの力を使えてた。でも完全に違う形になってしまえば……」
「ただの芸術って事だね……」
あたしとヴィーゼは不意打ちが来ないかと若干ビクビクしていたが、何も起きないと分かり二人でホッと胸を撫で下ろした。ステラ姉は姿を変えた透明な石を拾い上げるとこちらに振り返った。
「さてと、何か二人共厄介事に巻き込まれてるみたいだね」
「でもシャルさんのお陰で助かりました。最後の賭けだったので気付いてもらえて良かったです」
「ま、大抵私か姉さんが工房に居るしね。もし私が居なくても姉さんがどうにかしてくれたと思うよ、うん」
「ホントありがとうステラ姉……」
ステラ姉は髪を弄り始める。
「ところでさ、二人のお母さんの事なんだけどね? ちょっとまだ……」
「……いいんです。協力してもらってるだけありがたいですから」
「そうそう。あたし達の方でも見つかったら手紙とか出すしさ」
「ごめんね本当。姉さんとも色んな観光客相手に聞いてみてはいるんだけどさ、全然情報が入らなくて……」
お母さんがどこ出身なのかはお父さんも分からないって言ってた。あたしにとってもヴィーゼにとっても、そんな事は些細な問題だけど、でもきっと探すには必要になってくる事なんだと思う。少なくともそれが分かれば、どうすればいいかも決められるんだけど……。
「実は私達の方でも分かってないんです。お母さんの出身地すら分かってなくて……」
「生まれも分かってないの? うーん……」
「ステラ姉?」
「……いや何でもないよ。また何か分かったら手紙を出すよ」
その後あたし達は簡単に別れの挨拶を済ませると各々外の世界へと戻った。どうやらお父さんも眠っていたらしく、机の上に突っ伏しておりあたし達が絵の中に居たという事には気が付いていなかった。もし気付かれてたら、どうやってこの絵の事を説明すればいいのかと思っていたため不幸中の幸いだった。
折角眠っていたのに散々な目に遭ったあたし達は、まだ体の疲れが取れていなかったため、再びベッドへと転がり込み、もう一眠りする事にした。
「プーちゃんおやすみ」
「うん。ヴィーゼもおやすみ」
あたし達はもうあの石が目覚めない様に祈りながら、二人が離れ離れにならない様に手を繋ぎ、ゆっくりとベッドのふかふかへと体を預けていった。




