第79話:共鳴する血脈
4人で慎重に隣の建物の中へと入っていくと、中は薄暗い倉庫の様になっていた。古びた本がいくつも入っている本棚やいつ作られた物なのか分からない壺、中に何が入っているのか想像も出来ない箱などがそこら中に存在しており、特に目立っておかしい点は無かった。
「ここは……倉庫か?」
「みたいですけれど……」
「ヴィーゼ、ホントにここなのかな?」
実際あの地図にはこの島に印が付けてあった。しかし、それが本当にこの家を指しているのかまでは判断出来なかった。もちろんこの島のどこか別の場所に存在している可能性も十分にあり、あの石はあくまで偶然あそこにあっただけとも言えた。
「分からない……でも、あの石はこの場所を守ってるみたいに見えたんだ」
「うん、それはあたしもそうだけどさ。でも……こんな所にあるかな?」
「ちょっと見てみよう? どこかの影に置いてあるのかもしれないし」
私達はそれぞれ手分けして倉庫の中を探し始めた。箱を開けてみれば、いつ入れられたのかも分からない程黒ずんでいる肉の様な物が出てきた。恐らく腐敗が進み、最終的にはそれすら超えて真っ黒になってしまった物なのだろう。本棚の本はいくつか取り出して見てみても、学術書や小説だったりと特に妙な内容の物は無かった。
しかし、それらの本の内「遺跡調査記録書」と記載された分厚い本を本棚から出そうと引っ張ると、ガチリと音が鳴り、本棚が横へとずれ始めるとその奥からは地下へと続く様な階段が姿を現した。
「お~! かっこいいー!」
「これは、隠し扉……?」
「い、行ってみよう」
「待てヴィーゼ」
お父さんとプーちゃんと共に最初の段に足を下ろそうとした瞬間、シーシャさんが声を発した。立ち止まった私達をそっと退かす様に階段から離すと、シーシャさんは階段の前に立ちながら足元を見降ろした。
「ど、どうしたんですか?」
「……先客が居るぞ」
「えっ?」
「さっきこの本棚が動く時、床を見たんだ。だから分かる。誰かが来てる」
「どういう意味、シー姉?」
「……今はもう動いた後だから分かりにくいかもしれないが、この本棚が動いたルートには埃が無かったんだ。つまり、少なくとも一回は誰かがそれを少し前に動かしたという事だ」
言われた様に本棚の下を見てみたが、既に動いた後であったためそれが事実なのかどうかは確認が取れなかった。シーシャさんが嘘をつく様な人間では無いと分かってはいたものの、私の中にはある疑問が浮かんでいた。
「あのシーシャさん、もし誰かが先に来てたんだとすれば、どこかに足跡が残ってる筈じゃないでしょうか? 外から靴を拭かずに入れば砂や土が入ってくるでしょうし、歩けば足跡が付く筈ですよ」
「分からないかヴィーゼ? 足跡があったのならまだマシだ。足跡が無いという事は、答えは一つしか無いだろう」
そこまで言われて私はようやくシーシャさんの言いたい事が分かった。あの石の相手をするのに夢中になり過ぎていたせいで気付けなかったが、よく考えてみれば私達が一番今注意すべきはあの人だったのだ。
「ヘルメスさん……」
「ああ、彼女ならこの倉庫まで足跡一つ残さないというのは朝飯前だろう」
「僕もそう思う……。あの時甲板での彼女の行動を見てたけど、確かにあれを使えば……」
「……皆私の後ろに下がってくれ。私が先に行く」
シーシャさんは後ろに私達を下がらせるとナイフを抜き、一段また一段と階段を下り始めた。灯りが無いにも関わらず階段は妙に明るく、安全に下まで降りる事が出来た。そして地下室へと辿り着いた私達の目の前には、まさに話題に出していたヘルメスさん本人の姿があった。
ヘルメスさんは丁度外に鏡を運び出そうとしていた所らしく、私達の姿を見て酷く驚いた様子で目をパチクリと瞬かせていた。
「やはりか……」
「あ、う……え、えと……」
「それを下に置いて離れるんだ」
シーシャさんがナイフを向けながら脅すと、ヘルメスさんは大人しく鏡を床へと置いた。しかしその表情には焦りと動揺が見られ、あちこちへ目線が泳ぎ始めていた。私はなるべく刺激しない様にと声色を落ち着かせ、ゆっくりと尋ねる事にした。
「あの、ヘルメスさん、ですよね?」
「うえっ!? ははは、はいそうですけど……!」
「だ、大丈夫ですから落ち着いてください。……いいですかヘルメスさん、私達にはそれが必要なんです」
「そーそーヘル姉~お願い!」
ヘルメスさんは少しずつ呼吸を落ち着かせながらどうするべきか考えている様だった。彼女が持っている技術なら、この状況から一気に逃れたり私達全員を倒す事が出来る。もちろんそういった道具を持っていなければ不可能ではあったが、逆に言えば道具さえあればいくらでも可能であったため、彼女の良心に問いかけるしかなかった。
「ヘルメスさん、あんなわざわざ船まで奪いに来る様な事をしなくても、お互いに協力すればいいじゃないですか」
「ヴィーゼ、彼女を信頼出来るのか? またあの時みたいに……」
シーシャさんが言いたい事は分かっている。ノルベルトさん、もといリチェランテさんの事だ。あの時私達は言葉だけで簡単に騙された。そのせいであんな事になってしまった。でも人を疑ってばかりいる訳にはいかない。皆が皆悪い人な訳じゃない。人は人を信じないと生きていけないんだ。
「ヘルメスさんは悪い人じゃありませんよ」
「あたしもそう思うな。そんな雰囲気が全然無いっていうか……」
「わ、わ、私……えっと……」
彼女からは他の人間とは違った雰囲気を感じる。悪い事が出来そうにないっていうのは、ただ彼女の態度を見て悪事は出来ないと思っただけだ。でも、何だろう……それとは違ったものがある。上手く表現は出来ないけれど、彼女は他の人とは違う何か別のものを感じる……。
「事情を話してくれませんか?」
「……分かりました。じゃあえっとぉ……ふ、二人だけこっちに来てくれると……」
「駄目だ。ヴィーゼ、プレリエ、行くな」
私はこちらに視線を向けているヘルメスさんと目が合った。その瞬間、頭の中を覗かれているかの様な不思議な感覚を覚えた。何かの道具を使ったのかと考えはしたものの、私の本能はその考えを否定した。私の体はまるで何かの力に引っ張られる様にヘルメスさんの方へと歩み始めた。プーちゃんも私と同じ様に歩き出していた。
「おいヴィーゼ! プレリエ!」
「二人共戻るんだ!」
「違う……違うよお父さん……」
「あれ……? ヴィーゼ……あたし達さ、ヘル姉に会ったの初めてだよね?」
「うん……でも……」
二人でヘルメスさんの前に立った時、私達の中には不思議な感覚があった。それは、彼女がまるで自分の家族であるかの様な感覚だった。無論、血の繋がりがある様な家族ではないという事は自覚しており、お父さんとお母さんの事を忘れた訳ではなかった。しかし、目の前に居るこの人とは家族の様な何かで繋がっているという確信めいた感覚があった。
「あ、あの私達……」
「……やっぱりそうなんですね。二人も、私と同じ……」
「同じ? ねぇそれってどういう……」
「お話します。私は……あの鏡を使って行ける場所に用があるんです、はい」
「えっ? あ、ええはい」
「あの場所、あの場所はあっちゃダメなんです……。だから私が何とかしないとなんです……」
「えぇっとつまり……ヘルメスさんはあの鏡を壊そうとしてるって事ですか?」
「ど、どちらかというと封印の方が近いですけど……」
ヘルメスさんの目的は私達とほぼ同じだった。もちろん彼女には彼女なりの理由があるのだろうが、それでも行きつく場所は同じ所だった。彼女は嘘をついていない……私達の中には不思議な確信があった。
ヘルメスさんはやや怯えた様子でシーシャさん達の方へと目を向けると頭を下げた。
「あ、あのあの……こんな事お願いするのは図々しいとは思うんですが、きょ、協力しても宜しいでしょうか?」
「な、何なんですか貴方は! 何が目的なんです!?」
「お父様、ですよね……? あ、貴方には言えません……」
「理由は何だ? 言えない理由は? 私にも言えないか?」
シーシャさんは殺気立ちながら近づいてくると、凄い形相で睨み付けた。ヘルメスさんは先程の様な取り乱し方はせず、若干声を震わせながらも落ち着いた様子だった。
「こ、こればっかりは……。でもでも……絶対にあの二人を傷付けたりしません」
「何故言い切れる?」
「そんな事する理由があ、ありません」
しばらくの間シーシャさんは睨み続けていたが、やがて溜息を吐きナイフを収めた。その目からは敵意が消えており、殺気立っていた雰囲気もいつの間にか消えていた。
「本物だな」
「シーシャさん、何を……」
「ヴァッサさん、彼女は本物だ。彼女の目には、本物の怯えがある」
「それは……」
「今私はいつでもナイフを刺せる位置に置いていたんだ。その気になればすぐに急所を刺せる位置だった。修羅場を潜ってきた人間なら反撃に出る事が可能だった。だが彼女はしなかった」
「演技をしてるだけかもしれません……」
「いや、それはない。本物の怯えを持ち、完全に無防備だったんだ。甲板での事を思い返してみれば、彼女は誰一人殺そうとはしていなかった」
その通りだった。この人の技術があれば人を一人、いや複数人殺すのは容易い筈だ。それなのにこの人はリオンさんの体が一時的に動かなくなる様な何かを仕掛けただけだった。今でも私達全員を皆殺しにしようと思えば出来る筈だ。
「僕には……信じられない」
「そ、そうですよね……」
「ヴァッサさん、私はヴィーゼとプレリエの意思を尊重したい。もちろん貴方の意思も尊重したい。だが私は、彼女の意思も尊重してみたいと思ったんだ」
「お父さん、お願い。きっとこの人は……」
「あたしもヘル姉は悪い人じゃないと思うな。上手く説明出来ないけどさ、そんな感じするんだよ」
お父さんは私達それぞれに目を向けると葛藤した様子で「分かった」と口を開いた。
「悪いけど僕はその人を信じられない。でも二人が、シーシャさんがそう言うなら少しだけ信じてみようと思う」
「あ、ありがとうございます……!」
「ただし、僕は二人の父親だ。もし貴方が二人に何か危害を加えたら、僕は絶対に君を許さないし、逃がさない。それだけは覚えておいてほしい」
「ヒッ……え、ええもちろんそんな事、しないです、はい」
「……それなら戻ろう。鏡なら僕が持つよ」
お父さんはヘルメスさんに対してまだ警戒心を持っている様だったが、私達の考えを信じてくれたらしかった。私とプーちゃんは、やや怯えた様子のヘルメスさんに声を掛けて震えるその手を取った。私達に手を握られたヘルメスさんは少し安心した様子で小さく頷くと私達と共に外へと出た。
外はあの石のせいで滅茶苦茶に荒れてしまっており、そこら中に破損した家の壁や天井などが散らかっており、立っていた家々もほとんどが破損していた。中でも最も破損が激しかったのは、やはり私達が入っていたあの家だった。ほぼ半壊状態であり、まだ立っているのが奇跡と言ってもいい程だった。
「そういえばお父さん、あの花はもういいの?」
「え? ああ、うん。あの花がどういう植物なのかは二人から聞いてたし、それにあの力もあれ以上調べようが無かったよ」
「あ、あのあの……花というのは……?」
「あのねヘル姉、不思議な花があってさ、あたし達の地元の近くで偶然見つけたんだよ」
私達があの白い花と出会った時の話と石の対処のために家の中に置いてきた事を告げるとヘルメスさんは後ろを振り返った。
「……多分それはマシロバナですね」
「知ってるのかい、君……?」
「わ、私も見た事がありますから。今聞いた話だと、多分私が見たのと同じものな筈です」
「他の所にも生えてたんですか?」
「は、はい。でもでも……そっちの方は私で対処しておきました。あのままだと多分……生態系が崩れるかもしれなかったから……」
「生態系が……。という事はやはり、あれは外来種なのかな?」
「そ、それはえっと……」
ヘルメスさんは何かを隠す様に口籠り、それ以上は答えなくなった。そんな彼女を見てお父さんもそれ以上は聞こうとはしなかった。お父さんの仕事も考えれば聞いておきたい事だった筈だが、ヘルメスさんの態度を見てそれ以上は聞こうとはしなかった。警戒していながらも、やはり優しいお父さんのままなのが私には嬉しかった。
やがて上陸する時に使った船まで辿り着くと鏡を乗せ、それに続く様に私達も船に乗り込んだ。鏡一つに人一人増えたため、船を海へと押し出す際にシーシャさんが少し苦しそうな顔をしていた。本来なら手伝うべきなのだとは思ったが、私みたいに非力な人間が手助けしたところで却って邪魔になるのではないかと感じて黙っているしかなかった。
海へと押し出された船は私達を乗せて、来る時よりもゆっくりとした速度でシップジャーニーの巨大船へと戻って行った。




