第78話:万象を超ゆるは人に非ず
私達の目の前には相変わらず虹色をした石が転がっていた。シーシャさんの矢によって欠けた部分も同じ様に虹色のままであり、本当に攻撃が効いているのかどうかも怪しかった。
どうすればいいんだろう……あの絵筆を使って「隙間」の中に封じ込めるっていう考えも浮かんだけれど、本当にそれでどうにか出来るかな……? もし、この石が「隙間」の中からでもこっちを探知出来て攻撃出来るとしたら……? そうなったら私達は永遠にこの石を止められなくなる。
「ど、どうするのさヴィーゼ……」
「……どうしよう。取り合えずシーシャさんを何とかしないと……」
「ヴィーゼ、プレリエ……触れるな……っ……。私ならまだ動ける……二人はここからヴァッサさんと一緒に、逃げるんだ……」
シーシャさんの体に現れている黒い斑点は着々と数を増やしてきており、弓を握っているその左手は既に完全に漆黒に染められていた。呼吸も酷く乱れており、後どれだけの時間もつのか怪しい状態だった。
……シーシャさんの言う通り触るのはまずい。だけれど、ここからシーシャさんを連れて逃げるにはどうしたらいいの? 引き摺って行く事も出来ないし、シーシャさんのこの感じ……動けそうにない。それに外で起きている突風……この体を守っている空気は耐えられるの……?
「……駄目だ。どうすれば……」
「ヴィーゼ、プレリエ、撤退しよう……船に戻れば薬も作れるかもしれない。彼女なら僕が連れて行く」
「だ、ダメ、だ……あなたも、感染するぞ……」
「ええ、でもそれしかありません……」
何か……何か無いの? あの石をどうにかする方法は……。唯一打開出来そうなポイントとしては、この石は動かないって事だ。動かないならこっちから仕掛ける事も出来る……。ただ問題はその方法……私達は必要以上に負傷せず、それでいて完全に無力化出来る方法……。
「ヴィーゼ……あたし思ったんだけどさ」
「何?」
「こいつ、シー姉の矢で欠けた、でしょ? ならさ、結構簡単に壊せるんじゃないかな……」
「確かにそうかもだけれど……でも無理だよ。これに触るって事は外の空気に触れるのと同じなんだよ?」
「どっちにしたってこのままじゃ皆やられちゃうよ……だったらあたしは、これに賭けてみる!」
そう言うとプーちゃんは鞄からナイフを取り出すと石に近寄り、ナイフを突き下ろした。しかしその瞬間突風に耐えかねたのか家を構成していた木材の壁が一部外れ、勢いよくプーちゃんの横からぶつかった。プーちゃんはそのまま木材によって壁に押さえ付けられ、動けない様に固定されていた。どうやら外の風圧は既に人を一人簡単に押さえ付けられるだけのものに達しているらしかった。
「プーちゃっ……!?」
私が駆け寄ろうとするとプーちゃんの手に握られていたナイフが手から落ち、欠けていた石の破片に当たった。その瞬間、火花が飛び散り、プーちゃんの足に接触した。するとその部分から小さな火が点き、じわじわとその体を上り始めた。
「ヴィッ、ヴィーゼっ!? あ、あたし何が!?」
「プレリエッ!!」
「あ、熱っ!?」
おかしい……ありえない。あんな小さな火花が人間の皮膚に当たっただけであんな風に着火するなんて……。それこそもっと燃えやすい物に当たって火が点くならまだしも、こんな……。それに……これだけの着火能力があるって事は、今プーちゃんの体を押さえている木材にまで達したらどうなるの? 人間の皮膚だけであんな小さな火が点く様なものなのに、それが木に触れたら……?
「み、水は! 水があれば!」
「……水が、あればいいの?」
「プーちゃんダメ! 下手に動いたら!」
「待って……か、鞄に中和剤を入れたままのフラスコ、が入ってるんだ。これならっ!」
プーちゃんは腕を無理矢理腕を動かし鞄からフラスコを取り出すと口で栓を抜き、自らの足に向けて緑色の中和剤をばら撒いた。しかし火はそのスピードを緩める事は無くじわじわと上り続けていた。しかし、中和剤が一部石の欠片に掛かっていたらしく、虹色だった物が部分的に緑色に変わっていた。
「う、あ、あつ……! あ、つっ……!?」
「プレリエッ!」
「待ってお父さん! 今の……もしかしてこの石……この色はそういう事なの?」
あの欠片は一部分だけが中和剤によって変色した。でもこの変わり方は上から掛けられたからその色になってるというよりも、最初からその色だったみたいな変わり方に見える。色を吸い込んでその色に変化したみたいな、そんな感じに……。もしそうなら……。
「お父さん……」
「ヴィーゼ、何とかしないとプレリエが!」
「落ち着いて……もしかしたら皆助かるかもしれないの」
「っ……ど、どうするんだい?」
「まずは、だよ……私達が見つけてきたあの白い花、お父さんまだ持ってるよね?」
「あ、ああうん。持ってるけど……」
お父さんは急いで鞄からあの花が入った容器を取り出した。容器がガラス製だからなのか、白く変色する現象は起きておらず、透明な物は変色させられないらしかった。
「その花をあの大本の石の上に置いて。何かあっても絶対に花だけはそこから動かない様に。最悪隣に置くだけでもいいから……」
「な、何を言って……」
「これ以上はプーちゃんもシーシャさんも危ないから……私から仕掛けるからお父さんも続いてっ!!」
私は自分の考えが合っている事を願いながら石の欠片の方へと駆け出した。欠片の側に落ちていたナイフを拾い手に持つとその瞬間指先が黒く変色し始めた。それと同時に外からは大雨が降り始め、雷鳴が轟き始めた。
やっぱりそうだ……この石は欠ければ欠ける程、一度に起こせる現象の数を増やしていく。でもそれはあの虹色のせいだ。あの色だから何でも起こせるんだ。だったら、その色を完全に一色に染められれば……。
「お父さん急いで!!」
私は左手の掌にナイフの刃を当てるとそのまま勢いよく引き抜いた。自分でも意識はしていなかったものの、相当強く刃が入ったのか掌からは血が想定以上に飛び出した。私はそのまま血が流れ出る左手で石の欠片を掴んで握り込んだ。するとプーちゃんの足を上っていた火は太腿の辺りでぴたりと止まっていた。
「お父さん!」
「あ、ああ!」
私はお父さんが花を石の上に置くのを横目に確認し欠片を手放すと、不自然に停止している火を押さえ付ける様に上から左手を押し当てた。当然手は火によって熱せられたが、それは想定の範囲内だった。むしろまだ火が残っていてくれたお陰で私の作戦は滞りなく進んだ。
「ヴィーゼ……っ?」
「だ、大丈夫だよ……プーちゃん、足が熱くなくなったら言ってね……」
「う、うん……」
お父さんの方を見ると既に石の上に花を置き終わっていた。しかしあの花の特性上、まだ漂白は始まっておらず、もう一つの残った石は未だ虹色のままだった。
「ヴィーゼ! な、何とか置いてみたけど! な、何でこんな……」
「お父さん、備えて……次が来るっ!」
数秒後、突風は収まりプーちゃんを押さえていた木材は床へと落下した。しかしそれを合図にするかの様に凄まじい雷鳴が響き、天井が一部崩落した。落下した天井には火が点いており、どうやら落雷によって着火したものらしかった。
「こ、これはっ!?」
「お父さん、シーシャさんを連れて外に出て。今なら二人は逃げられる……」
「な、何を言ってるんだい!? 二人を置いてなんて!」
「いや……ヴァッサ、さん……二人の言う通り、だ。今このタイミングで外に出られる、のは私達だけだ……」
「シーシャさん、あなたはっ……!」
「お父さん私を信じて! 今この石はっ……私とプーちゃんをターゲットにしてる。今その石はお父さんとシーシャさんをターゲットには出来ないよ……っ!」
出来る訳がない……。もし出来るなら、最初にシーシャさんが攻撃された時、私達全員を同時に攻撃してきた筈だ。でもしなかった……同時に攻撃をしてきたのは、石が破損して二つになってからだった。今あの石の破片は私の血で染められてる。私がこうやって妨害をしてるのにこれ以上の攻撃を仕掛けてこないのは……落雷しか出来ないのは……風が止んだのは……今は一つの現象しか起こせなくなってるからだ。
「お父さん早くっ!」
「お父さん、あたしとヴィーゼは大丈夫だから!」
私は解放されて壁際に逃げる様にもたれているプーちゃんの足を押さえ続け、同じ様に壁にもたれた。火はどんどん強くなり、私達を取り囲む様に燃え続けていた。その燃え方はあまりに不自然であり、お父さんやシーシャさんの方にはまるで向かっていなかった。それでいて同時にシーシャさんや私の体を侵食していた黒い斑点は姿を消していた。
「ヴァッサさん、い、行こう……!」
「で、ですが……」
「……いいから行くぞ!」
シーシャさんは病み上がりであるにも関わらず力強くお父さんの襟首を掴むと無理矢理外へと連れだしていった。残された私は炎の向こうに見える微動だにしない石へと視線を向けていた。その石の上にはお父さんによって置かれた白い花が乗っており、その上からじわじわと白く変色し始めていた。
「ヴィーゼ……」
「何?」
「大丈夫なんだよね……?」
「うん……風が止んだのもあの斑点が消えてるのも、上手くいってる証拠だよ」
「そっか……」
「大丈夫、お姉ちゃんが付いてるから」
石が漂白されていくに連れて火の勢いは弱まっていき、ついには完全な漂白と共に火は自然と鎮火した。私とプーちゃんは念のため少しだけ様子を見ていたが、それ以上は何も起こらず完全に無力化出来た様だった。
「終わった、の?」
「みたいだね……」
「はぁ~っ良かったぁ……」
プーちゃんは安心した様に息を吐き、ずるりと腰を下ろした。私もそれに釣られる様にその場に腰を下ろした。熱さのせいかそれとも恐怖のせいか私とプーちゃんの額からは大量の汗が伝っていた。
「……ねぇヴィーゼ」
「……うん? どうしたの?」
「いつまで触ってるの?」
「えっ!?」
私は火を押さえていた左手を離し、自らの掌を見た。傷口は火によって熱された事によって止血されており、血は完全に止まっていた。あくまで本で読んだだけの知識ではあったものの、何とか上手くいった様であり、プーちゃんの太腿にまで上っていた火も綺麗に無くなっていた。しかしプーちゃんの足には火が伝っていた事を思わせる様な小さな火傷痕が残っていた。
「あ、もう終わってたんだ……」
「そっ。終わってたの」
「もう……熱くなくなったら言ってって言ったじゃない……」
「あたしだって精一杯だったんだから分かんなかったんだよ」
「そ、そっか。そうだよね……」
確かに私が同じ立場になったらと考えると伝えられないかもしれない。それだけ今回の状況は危険だったし、何とか生き残れただけでも運がいいとしか言えない。
私の傷付いた手をプーちゃんが握る。熱さと痛さのせいか今一感覚が鈍ってはいたものの、大切な家族の手の温もりは確かに伝わって来ていた。
「痛かった?」
「……どうだろ。必死だったからよく分からなかったかな……?」
「ふーん……」
プーちゃんは私の手を握ったまま、その手を火傷痕の所へとそっと当てた。その部分はやはり手よりも温度が高くなっており、それだけ危険な状態だった事が伝わった。
「熱くなってるね……傷も出来ちゃってる……」
「いひひ……お互いにお揃いだね?」
「ごめんね……私がもっとちゃんとしてれば……」
私は空いている右手でプーちゃんの患部を擦った。これにどれだけの効果があるのかは分からなかったものの、お母さんもお父さんも怪我をした時はよくこうやってくれていた。
「いいんだよ。あたしが自分で突っ込んだんだし」
「でも……」
「いーってば」
凄く痛そう……これ位なら錬金術で軟膏でも作れば治せるかもしれないけれど、プーちゃんの体にこんな傷を付けてしまった。お母さんはよく「女の子はいつでも綺麗にしなきゃ」って教えてくれてた。私はともかくプーちゃんは可愛いんだから、本当はこんな事あっちゃダメなのに……。
「……ヴィーゼ?」
「何?」
「……エッチ」
「えっ!?」
予想外の言葉が飛び出し、私は慌てて手を離す。そんな私を見たプーちゃんはクククと含み笑いをし、悪戯っぽい目で私を見た。
「ヴィーゼってばエッチなんだね」
「いっいや待って違うよ!?」
「ククク……まっ、それもしょーがないかー。あたしってばこんな可愛いもんね?」
「ち、違うってばそんな! わ、私そんなプーちゃんの事そんな目でっ!?」
「……あたしはヴィーゼの事も可愛いって思ってるよ。あたしとそっくりな顔しちゃって……」
私はこんな状況でプーちゃんが見せた妙に色っぽい顔を見て、何故か心臓が高鳴っていた。そこにお父さんとシーシャさんが戻ってきたたえ、更にそれを増長してきた。
いや……いやいや、じょ、状況が状況だったしね、うん。吊り橋効果ってやつだよきっと……。
「二人共っ!!」
お父さんは私達に駆け寄るとそのまま抱き締めた。その体は小刻みに震えており、それだけお父さんが私達の事を心配していたという事が伝わってきた。
「ヴィーゼ、プレリエ、すまない。私のために……」
「い、いえ、いいんです。何とかなって皆助かったんですから……」
「怪我は大丈夫なのか?」
「ええ……これ位ならピーちゃんも私も薬で治せますから」
「ねーお父さん……そろそろ行こうよ。あたし達鏡を取りに来たんだよ?」
「プレリエ……僕はこれ以上進むのは反対だ。これ以上の物が潜んでいる可能性だってあるんだ」
お父さんの言う事も最もだった。あの鏡は何かしらの鍵であるという事しか分かっておらず、あの石が鏡を守るために置かれた物なのだとしたら、これ以上の何かがまだ仕掛けられている可能性もゼロでは無かった。
「ヴィーゼ、プレリエ、二人はどうしたいんだ? 私は二人に従う」
「シーシャさん、お父さん、私はあの扉の先に行ってみたい。あれだけ外も中も滅茶苦茶になったのに、あの扉だけ綺麗なままなのはやっぱりおかしいよ……」
「でもヴィーゼ……!」
「お願いお父さん、あたしも行ってみたい。ここまで来たのに帰るなんて出来ないよ。あの鏡が何なのか調べた方がいいと思うし」
お父さんは強く逡巡していたが、やがて溜息をつき私達二人を離し立ち上がった。
「……分かったよ。でも僕が先頭に行く。二人は後ろに居るんだ、いいね?」
「う、うん。でもお父さんも無理しちゃダメだよ?」
「危なくなったらすぐ下がってね!」
「……一番無茶してるのは二人だと思うんだけどね」
「……ヴァッサさんが前に行くなら私が後ろを守ろう。二人はその間に居るんだ」
お父さんとシーシャさんは他に怪しい物が無さそうか家の中を確認しながら扉へと近付き、ドアノブに手を掛けた。
「ねぇヴィーゼ」
「な、何?」
「ちょっとは緊張解れた?」
「え?」
「ヴィーゼってばガチガチになってたからさ。さっきはちょっと冗談言ってみただけだよー」
「あっ……う、うん。ごめんね、ありがとう。プーちゃんのお陰で少し楽になったよ」
扉がゆっくりと開かれ、隣接している建物への道が開かれた。お父さんとシーシャさんから声が掛かり、私達二人は先へと進むために歩みを進めた。
「……可愛いって思ってるのはホントだよ」
「……うん。私も、だよ」
私達は手を繋ぎ、息を合わせながらお父さんとシーシャさんと共に隣り合っている物置を思わせる建物の中へと足を踏み入れていった。




