第77話:森羅万象の石「穢多」
島へと近付いた私達は各々エア・ピルを呑み込み、それぞれの体を包む様にして空気の層を作り出した。やがて船は桟橋へと到着し、ロープを引っかけ上陸してみると確かに島には異様な雰囲気が漂っていた。
今までに見てきた島にあった様な港もあれば露店を出していた痕跡もある。それにも関わらず、どこにも人影は無く、それどころか気配一つ感じなかった。
「噂通りみたいですね……」
「ああ、ヴォーゲさんが言ってた通りだ。住民はもう居ないんだろう」
疫病が流行り、人が居なくなった。納得のいく理由ではあったし、実際ここには誰も居そうになかった。しかし、私の中にある疑念が生まれた。些細な事ではあったものの、尋ねずにはいられなかった。
「ねぇお父さん。疫病っていうのは、人間以外にも罹るものなの?」
「ものによるとしか言えないかな……。人間以外に感染する事もありえるとは思うよ」
考えすぎかもしれない。人間以外の生物も一匹として見当たらないのが少し引っ掛かる点ではあったけれど、「ものによる」と言われてしまったら私としてはそれ以上は何とも言えない。
「どしたのヴィーゼ?」
「ううん、何でも無いよ。それより鏡を見付けないと……」
私は地図を取り出し一緒に進み始めた。恐らくこの島で間違えはないという確信はあったものの、島のどの部分に隠されているのかが描かれていないため、やや不安を覚えながら歩みを進めた。
しばらく進んでいくと集落の様な物が見えてきた。恐らく以前ここに住んでいた人達が建てた物なのだろう。今は誰にも管理されていないせいか、壁が薄汚れており所々には苔が生えていた。
「やっぱり誰も居ないね」
「恐らく今居るのは私達だけだろう。それと植物くらいか」
植物……そういえば植物は普通に生えてる。ここに上陸してからというもの鳥も虫の一匹すらも見ていないのに、何故か植物だけは普通に生えている。単なる偶然? それとも植物には感染しない病気? まあ構造が違うんだから当たり前と言えば当たり前かもしれないけれど……。
「それでどうするんだい? 僕としてはここから探すのがいいと思うけど」
「そうだね。鏡を隠すなら家の中が一番違和感も無いだろうし、そうしようかな」
一先ず集落の中から探してみる事にした私達は、お互い離れ過ぎない様に気を付けながら手分けをして探し始めた。とはいえ、私達の体を包んでいる空気の層は強固なものでは無いため、迂闊にドアなどに触って開けようとするとそこから外部の空気が入ってくる可能性があった。疫病が未だに存在している可能性が少しでもある以上、それは避けなければならないため、取り合えずドアが開け放たれていた家やドアが壊れている家から調べる事にした。
この壊れてるドアも気になる……。ただの疫病の蔓延でここまでなるかな? 腐って壊れたというよりも何か力が加わって壊れた様に見える。疫病とは違う何かがこの村を襲った……?
「ヴィーゼーーッ!!」
プーちゃんの声が村中に響き渡り、何事かと慌てて飛び出すとお父さんもシーシャさんも同じ様に飛び出し、声が聞こえた家へと駆け込んだ。中は他の家よりかは綺麗に整理されており、そこまで荒れてはいなかった。しかしプーちゃんは何やら神妙な顔をしてこちらを見ていた。
「ど、どうしたの?」
「ヴィーゼ、これ……」
そう言ってプーちゃんが横に少しずれると、そこにはテーブルが置かれており、その上には見覚えのある物が鎮座していた。
「これ……」
「三人共、私の後ろに下がるんだ……」
私達はシーシャさんの指示通りに後ろに下がり、改めてそれを見た。それは丁度手で握り込めそうな大きさをした石だった。形に異常な点は見られなかった。しかし見過ごす事の出来ない重大な異常さがあった。色が、虹色だったのである。
「ヴィーゼ、プレリエ、これは……」
「は、はい。ルーカスさんから貰った本に書いてあったのと同じだと思います。確か人が居なくなった村で発見されたって……」
「答え合わせだな……どうやらあれに書いてあったのはこの場所だったらしい……」
という事はルーカスさんは一度ここに来ている事になる。……あれ? もしそうなんだとしたらルーカスさんはいったいどうやってここに来たんだろう? ここでは疫病が蔓延してるし、私達みたいに何か対策を持ってないと来る事は出来ない筈なのに……。
「ヴィーゼ、何か知ってるのかい?」
「う、うん。ルーカスさんから貰った本に虹色に光る石っていうのが書いてあったの。多分あそこにあるのがそうなんだと思う。書いてあった事と一致し過ぎてるし……」
もしこの石があそこに載っていた物と同じなら、これはいったいどういう目的で存在する物なんだろう? あの本には例の遺跡もルナさんが描いた不思議な絵の事も載ってた。この石が錬金術とは関係無いって考えるのはあまりにも楽観的だよね……。
「……私がまず動く。三人はその後だ」
シーシャさんはテーブルを周り込んで向こう側へ移動しようと歩き出した。しかし、丁度テーブルを半分程超えた瞬間、シーシャさんが居た側のテーブルの脚が突如として壊れ、シーシャさんへ襲い掛かるかの様に倒れた。
「っ!」
シーシャさんはすぐにこちら側に飛び退き、幸いにも怪我は無かった。しかし今の倒れ方はあまりにも不自然であり、何らかの意図が存在しているという事を証明していた。
「だ、大丈夫シー姉!?」
「ああ……だが今のはいったい……」
「急に崩れた様に見えましたけれど……」
石は何事も無かったかの様に机の上から転げ落ち、床の上で綺麗に鎮座していた。まるで何かを守る門番の様に見え、私は思わず息を飲んだ。
「シーシャさん、一回落ち着きましょう。あれは所詮は石です。自分からは動けない」
「ヴァッサさん、それは分かってる。だがあいつ、今明らかに意図的に私の方に倒れてきたぞ……?」
「……僕にも信じられないけど、目の前で見てしまったし信じるしかありません。きっとあの石には何らかの知能の様なものがある。いやもしかしたら、そこまでの複雑さは無いのかもしれないけど……」
もしお父さんの言う様に知能があるのなら、きっとあの石は私達を排除しようとしてさっきみたいな現象を起こした筈。それは何故か……知られたくない何かがあるから……。
崩れたテーブルの向こうにはもう一つ扉が見えていた。配置から予想するに外へ繋がっている物ではなく、別の部屋に繋がっている物であり、この石はそちら側へ移動しようとしたシーシャさんを攻撃した。つまりあそこに何かがあるという事になる。
「もしあれが生きているなら私が殺ろう。狩りには慣れている」
シーシャさんは弓を構えるとそこに矢をつがえた。私は慌てて止めに入る。
「ま、待ってくださいシーシャさん! 危険です!」
「そうだよシー姉! この空気の塊ってデリケートなんだよ!? 矢なんて撃ったら簡単に穴が開いて病気になっちゃうよ!」
「それは分かってる。だから力を貸して欲しいんだ」
「えっ?」
「念のため三人共側に寄ってくれ。私が矢を放ったらすぐに私の周りの空気に触れて、自分達の空気で包んでくれ」
確かに空気の層同士が触れあうとどちらかが相手を包む様な形になる。しかし疫病の感染速度が不明なため、私達がどれだけ速く動いたところで間に合わない可能性があった。もし間に合わなかったら、もう私達にはどうしようも無くなる。
「いいか頼んだぞ」
「危険ですよシーシャさん!」
「四の五の言ってられないだろう。次にアレが何か仕掛けてくる前に、こっちから倒す!」
直後、空を切る音と共に矢が放たれた。私達はすぐさまシーシャさんを包む様にして空気の層を接触させた。間に合ったかどうか分からなかったものの、何とか行動に移す事は出来た。
石の方を見てみると、矢が直撃したらしく一部が欠けている状態になっていた。すぐ側には破片と折れた矢が転がっており、少なくとも損傷を与える事が出来る存在なのだと判明した。
しかし、その数秒後、突然家がギシギシと音を立て始め、更には窓もたわむ様にして音を立て始めた。
「な、何々!? 何が起きてんの!?」
「風だ! おかしい……この島の立地的にこの強さの風が吹く訳が……!」
お父さんが言った通り、どうやら外で強風が吹き始めているらしかった。ドアの外では放置されていた漁具や農具などがいとも容易く吹き飛んでいた。更には砂も巻き上げられ、まるで砂嵐に襲われているかの様に外の様子が一気に見えなくなった。
「やっぱりだな……こいつ、私達を外に出さない気だ」
本当にそれだけ……? さっきは扉の方に近付こうとしただけで怪我をしそうな程の行動をしてきたのに、矢で撃たれてそれで風を起こすだけ? そんな筈が無い……逃がさないためなのは事実かもしれないけれど、きっとそれはあくまで一点だ。何か別の目的が他にある筈……。
やがて石は風に煽られる様にして奥の扉の方へと少し転がった。何気ない偶然を装いながら自分が成すべき事を成そうとしている。私にはそういう動きに見えた。
「続けるぞ! これで間違いない! こいつには知性がある!」
「つ、続けるって……!」
「所詮は石だ。自分で動けはしない」
「シーシャさん、危険です。この暴風下で無理に動こうとする生物は存在しません……生物学者としての意見です、下がって」
「ヴァッサさん、私も狩人として意見させてもらう。一流の狩人は最適なタイミングを逃しはしない。私の勘が告げてるんだ。今がまさにその瞬間だと」
「シー姉危ないよ! こんな風が強かったら無茶だって……!」
風はますます強くなり、外から入ってくる風のせいで目を開けるのも困難になりつつあった。しかしそんな状況下にも関わらず、シーシャさんはバランスを崩す事無く真っ直ぐと立ち、狙いを定めていた。
「風速も計算済みだ。今こそっ!」
私はシーシャさんの空気の層を守る為に動こうとしたものの、その瞬間強風に耐えられなかったらしく窓が勢いよく割れ、真横からシーシャさんの方へと吹き飛んだ。シーシャさんは咄嗟に顔への負傷を避けるために防御の姿勢を取っていたが、破片数枚がその体を切りつけており、一部の破片は腕に食い込んでいる様だった。
私は自らの頬にも血が伝っているのを感じつつ、シーシャさんを助けようとしたものの、お父さんによって制止された。
「ヴィーゼ、ダメだ」
「な、何言ってるの!? 薬なら持ってるし応急処置なら……!」
「そうだよお父さん! あたしもちょっとならやり方知ってるし……!」
「違う、違うんだ二人共……ヴァッサさんが、正しい……」
膝を付いているシーシャさんに視線を向け、私は言葉を失った。体から伝っている血に紛れる様にして皮膚に黒い斑点の様なものが現れていたからだ。当然そんなものは本来シーシャさんの体には存在していなかった。斑点は腕や首、頭部にも現れており、彼女の肉体に只事ではない事が起こっている事を感じさせた。
「シ、シーシャさんっ……」
「まずいな……さっき破片で纏ってた空気がやられたらしい……。すぐに息を吐いたんだが、間に合わなかった……」
「そ、そんな……やだよシー姉! 死んじゃやだ!」
「すまないプレリエ、ヴィーゼ……あいつ、最初からこっちが目的だったんだ……。この中で唯一攻撃手段がある私を優先して……攻撃したんだ……。あの風は逃がさないためだけじゃない、私を攻撃するための下準備だったんだ……」
少しずつシーシャさんの声が掠れていく。恐るべき速度で症状が進んでいるらしく、この疫病が通常のものではないという何よりの証拠だった。そしてそれは皮肉にも、この現状を打破可能であるという証拠に他ならなかった。
「プーちゃん、お父さん……」
「……何だいヴィーゼ?」
「今なら間に合うかも……。あの石を止められればシーシャさんは助かるかもしれない」
「根拠は?」
「……あの石は何かを守ろうとしてる様に見えるの。そしてそのためにこれだけの事を起こしてる。もしあの石に出来る事の制限が無いとしたら、あの疫病も多分……」
「……作られてもの、かい?」
「うん」
もちろん推測に過ぎない。だけど可能性はゼロじゃない。それならやってみるしかない。
私はプーちゃんの手を握り立ち上がらせると、家族三人で物言わぬ敵と対峙した。




