第76話:穢れた島
部屋へと戻った私はレシピ集に目を通し、何とかして件の島へ上陸する方法が無いかと考えていた。もちろん、その島に蔓延しているという病に感染しない方法やそれが呪いだった場合の対処法も考えていた。しかしそんな私の思考に気が付いたのか、お父さんはベッドに腰掛けている私の前に来ると視線を合わせる様に屈んだ。
「ヴィーゼ……」
「お父さん、あのね……」
「あの鏡……大人しくあの人に渡した方がいいんじゃないかい?」
「どうして?」
「どうしてって……これ以上二人を危険な目に遭わせる訳にはいかないよ」
お父さんの言っている事は理解出来た。お父さんからすれば娘である私達が危険な事に首を突っ込もうとしているのを黙って見過ごす訳にはいかないのだろう。しかし水の精霊と約束した以上、その約束を破る訳にはいかない。シーシャさんの住んでた村の存続も掛かっているし、それにあんな土地枯れ現象が他の場所でも起きないとも限らないからだ。
私は目ぼしい物が無かったためレシピ集を閉じ、鞄に収める。
「お父さん、気持ちは分かるよ。でもね……もし錬金術が悪用されてるなら、止めなきゃいけないと思うの」
「別に二人がやる必要は無いじゃないか。それこそ誰かに、あの彼女に任せれば……」
「その結果がリチェランテさんが起こしてきた事件だよ?」
「それは……」
リチェランテさんは悪意を持ってやった訳ではないのかもしれない。だけれど、各地で何人もの犠牲者を出しながらテロを起こして、そうやって錬金術に関係する物を壊してきた。あの人には、それしか方法が無かったから。誰も本当の意味で助けてくれる人なんて居なかったから……。
「あの人を疑ってる訳じゃないけれど、でも見て見ぬ振りなんて出来ないよ」
「どうしてもやるつもりなのかい……?」
「うん。それにもしかしたら仲間になってもらえるかも。それこそお父さんのお仕事の手伝いにもなるかもよ?」
プーちゃんが座っていた椅子から立ち上がり口を開く。
「あのねお父さん、あたしもヴィーゼに賛成」
「プレリエ……」
「きっとお母さんならさ、困ってる人を助けたり悪い事のために作られた道具をそのままにしたりはしないと思うんだ」
「お願いお父さん。私達も皆のためになりたいの」
お父さんはしばらく頭を悩ませていたが、やがて一息吐くと口を開いた。
「……そうだね。彼女ならきっとそうするね、うん……」
「じゃあ……」
「ああ、僕も手伝うよ。正直その疫病というのにも興味があるしね」
「手伝ってくれるのは嬉しいけれど、お父さんお医者さんにでもなるの?」
「いや……実はまだ確証は持てないんだけど、病気の原因は何らかの生物によるものではないかと言われてるんだ」
ある程度病気の治し方は解明されてはいるものの、いったい何が原因で病気になるのかははっきりとは分かっていなかった。中には悪魔が憑りつく事によって病になると言っている人も居るものの、私としてはあまりにも現実的じゃない考え方だった。
「そんなに小さな生き物が居るのかという疑問もあるけど、でも可能性としてありえなくはないと思うんだ」
「って事は、もしかしたらその疫病っていうのは、お父さんが言ってた新しい生き物のせいかもしれないって事?」
「可能性の話だけどね」
もしかしたらそこにも錬金術が関係しているかもしれない。もちろん私の憶測に過ぎないし、憶測で済めばすれでいいんだけれど、もしそうじゃなかったら……誰かが意図的にそんな生き物をばら撒いた事になる。そして、そうしなければならなかった理由があるって事にもなる。
私は拾った地図を開き、再び島の位置を確認する。資料室で見た海図を基に考えた場合、現在その島はかなり近い位置にあり、今からでも向かおうと思えば向かえる位置にあった。向かうのなら今がベストであり、恐らくヘルメスさんも向かっているであろう位置だった。
「お父さん、行くにしてもどうしよう?」
「……僕からヴォーゲさんに頼んでみる。調査の一環だと言えば彼も聞いてくれる筈だ」
お父さんは立ち上がると持ち歩いている資料をまとめると、それを持ってドアの前へと立った。
「説得してみる。その間二人は道具を作ってて欲しい。僕が戻ってくるまでに完成してれば行こう」
そう言うとお父さんは部屋から出て行った。残された私は再び地図に目を通し、島の形を頭に入れる。島の形自体には特に変わった所は無く、三日月島の様に目立つ島では無かった。
島への上陸自体は順調に行けば問題無い筈……でもきっと島には今でも疫病が蔓延してる。お父さんの話が本当だとすると病気の原因は小さな生き物だ。だったらその生き物が身体に入ってこない様にするための道具が必要になってくる。でもそんな道具って何だろう?
「プーちゃん、ちょっと意見を聞かせて欲しいの」
「何々?」
「あのね、目や口、鼻を完全に塞いだ状態で問題無く行動する様にはどうすればいいのかな? 色々考えてるんだけれど、どうにも上手く浮かばなくて……」
「んー……目は眼鏡みたいなので塞げるかもだけど、鼻と口両方塞いじゃったら息出来なくなっちゃうよね……」
「うん、そこなんだ。全部塞げて、それでいて皮膚も完全に守れる様なのだといいんだけれど……」
そんな都合のいい物なんてあるのかな? 呼吸も出来てそれでいて完全に空気を遮断出来る道具……矛盾してる様に思えるけれど、それが出来る道具じゃないとこの島に上陸するのは危険過ぎる。
なかなかいい考えが頭に浮かばないせいで、私は思わず深い溜息を吐いてしまった。するとそれを見ていたプーちゃんが「あっ」と声を上げた。
「それだよヴィーゼ!」
「えっ?」
「あれだよあれ! ほらほら!」
プーちゃんは息を吐きながら体の周りを囲う様な動きをした。いまいち意味が分からなかったものの、やがてその動きが頭の中である道具と重なった。
「そっか! あの時の!」
「そうそう! あれなら簡単に作れるし、それに完全に外の空気に触れなくても済むでしょ?」
『エア・ピル』、私が頭の中で勝手にそう名付けていた道具。あれなら自分の口から空気を出しながら身を守り、それでいて同時に呼吸も出来る。これなら問題なくあの島の上でも活動出来る筈だ。
「作ろう! 前よりも多めに!」
「うん! 予備もばっちしね!」
するべき事が出来た私達は急いで準備を始めた。幸い素材になる錠剤はまだまだ残っていたため簡単に準備を進められた。それから私達はお父さんが帰ってくるまでの間に一つまた一つと作っていった。恐らくあの島にはヘルメスさんも向かっている筈であり、最初にあった時の様に奪い合いになった場合は私達だけでは負けてしまう。そのため付いてきてくれる人、つまりはシーシャさんかリオンさんのためのエア・ピルも必要になるからだ。
しばらく経った頃、部屋の扉が開き、お父さんが帰ってきた。
「あっお父さん!」
「どうだった?」
「渋々だけど承諾してくれたよ。ただしあまり長居は出来ない。精々10分だ」
「10分かぁ……結構厳しいね」
「仕方がないさ、場所が場所だ。それで……道具の方は?」
「ばっちしだよお父さん! これなら間違いないよ!」
「数も作っておいたから大丈夫。使い方は島に行く途中で教えるよ」
調合したエア・ピルをまとめて袋に入れた私は三人で部屋を出ると甲板へと向かった。甲板ではヴォーゲさんレレイさん、そしてリオンさんの三人が集まって何かを話し合っていた。どうやらあの島に向かう事の是非についてらしく、レレイさんもリオンさんも賛成出来ないらしかった。
「あ、あの……」
「ああ三人共……一応向かってはいますが……」
レレイさんが真剣な顔をこちらに向ける。
「ヴァッサさん、私は賛成出来ません。あなたの仕事の都合も理解出来ますけど、でもあの場所は立ち入る事自体危険な場所なんです」
「私もレレイと同意見です。あそこに近寄るという事はそれだけ、感染の危険性があるという事。皆様をお守りする立場として、その様な場所へ向かわせる訳にはいきません」
二人の意見は最もだった。本来ならヴォーゲさんも同意見の筈であり、そもそも今あの島に向かっているという事自体がイレギュラーな事なのだ。
「お願いしますレレイさんリオンさん! もし錬金術が絡んでいるなら何とかしないといけないんです!」
「そうは言うけどねヴィーゼ……あそこの疫病は治し方が分かってないの。もし感染したら、誰も治せないのよ?」
「そうです! 相手が生き物なのであれば私が必ずお守りしますが、病気となると私にもどうしようもありません……」
「だーいじょぶだって! あたし達の天才的な発明のおかげで絶対罹らないよ!」
「そうは言うけどね……?」
二人はとても納得してくれる様子ではなかった。これでは付いてきて欲しいと頼むどころでは無かった。しかし何とか納得しようとしている私達の後ろからシーシャさんが姿を現した。
「私が行く」
「シーシャさん……」
「部屋に行ったら居なかったから来てみたが……行く方法を見つけたんだな?」
「は、はい。でもシーシャさん、いいんですか?」
「何がだ?」
「何がって……危険な場所ですよ?」
「……私が断ったらどうするつもりなんだ。リオンは行くつもりは無いんだろう? だったら私しか居ないだろう」
実際その通りだった。ぺスカさんやスバルさんはエア・ピルの使い方を知ってはいるものの、相手は錬金術士であり更には疫病が蔓延している場所であり、そんな所に二人を連れて行くなどと言おうものなら確実に反対されるのは目に見えていた。
「シーシャ、悪い事は言わないわ。やめた方がいい。船長、すぐに進路の変更を」
「レレイ、ヴァッサさんの仕事を手伝うと最初に言った以上、今更撤回する訳にはいかない。10分だけだ……途中からは救命用に使っているボートで上陸してもらう」
「危険よ! 約束がどうこう言ってる場合じゃないわ! リチェランテの前例だってある! 何が起こるか分からないのよ!?」
「ヴォーゲ……私も同意見です。あまりに危険です。あなたはいい人だと思いますし、善意で行動しているのだと思います。ですがあなたはこのシップジャーニーを統べる長……立場をよく考えてください」
「何かあったら責任は私が全て取る。ヴァッサさん、行ってください」
「……ありがとうございます」
私達はヴォーゲさんに促されるままにボートの方へと歩き始めた。しかし後少しという所でリオンさんが立ちはだかった。リオンさんは何も言わず、真っ直ぐにこちらに視線を向けていた。
「リオン、退いて欲しい。君に来いとは言わない」
「お願いですリオンさん……すぐに戻りますから……」
「リオン……君にはやるべき事があるだろう。君は防衛部隊隊長だ。だから私達を守ろうとしているんだろう?」
「……そうです。例えここの民では無いとしても、私には皆様を守る義務があります」
この人を退けるのは私達が不可能に近い。この人が持っている不思議な力の前では私達はちっぽけな虫の様なものだろう。だからこそ私は彼女にしかお願い出来ない事を頼む事にした。責任感の強い彼女にしか出来ない事を……。
「リオンさん、あの鏡を守ってくれませんか?」
「どういう意味です?」
「もしかしたらまたヘルメスさんが来るかもしれません。その時はリオンさんに守って欲しいんです。それなら平等ですよね?」
「!」
「……きっとリオンさんが私達を止めるのって、本当はレレイさんとは違う意見だからなんですよね?」
「それは……」
リオンさんは分かりやすく目を逸らす。
「リオンさんはきっと平等じゃないから反対してたんですよね。私達だけが危険な場所に行くから……自分達だけが安全な場所に居ていいのかって……。でもこれなら平等ですよね?」
「で、ですがやはり危険なのは事実です! おすすめ出来ません!」
「でもヘルメスさんが集めてる鏡が何を封じてる鍵なのか分からないままなのはもっと危険ですよ。ね? お願いします……」
「頼むよリオン姉、お願い! すぐ戻るからさ、ねっ?」
私達の必死の懇願を受け入れてくれたのか、リオンさんは目を合わせない様にしながら道を開けた。後ろを振り返るとレレイさんがこちらを見ていたが、リオンさんが退いたのを見たからかそれ以上は止めようとはしなかった。その代わりシーシャさんが船を下ろしている間にこちらに近寄ってくると、その作業を代わってくれた。
やがて私達を乗せたボートが着水すると、レレイさんは上から顔を覗かせた。
「いい? 絶対無理はしない事。危なくなったらすぐ戻ってきなさい」
「はい! ありがとうございます!」
「ありがとねレレイ姉!」
「ありがとうございます!」
「では行こう。それと着くまでにはどういう道具を使うのか教えてくれよ?」
私達はシーシャさんとお父さんが漕ぐ船によって件の島へと進み始め、その間に私はエア・ピルの使い方をお父さんとシーシャさんに教え始めた。




