第65話:結いのキャンバス
蓋をしてから30分程が経ち、煙の量も安定してきたため蓋を開け釜の中へと手を突っ込む。すると、指先に何かが当たる感触があり、それを引っ張り出してみると私達がミーファさんの力を借りて購入したキャンバスを半分程の大きさにした様な物が出てきた。見た目はルナさんが作ったあの絵画と同じく、何も塗っていないかの様に真っ白だった。私はもう一度手を突っ込むと再び白い絵が出て来た。計算通り、二つに分割する事が出来ていた様だ。
「プーちゃん、完成したよ」
「おー、ん~……? 何かあんまり見た目変わってないね」
「ルナさんが作ったのもそうだったし、そういう見た目の道具なのかも」
「なるほどね。じゃあちゃんと入れるか試してみる?」
「うん。そうだね。一応」
そう言って白い面に手を触れてみたものの何も変化は起こらず、あの時の様に体が霧散する様な反応は何一つ起きなかった。
「あれ……?」
「入りたいって思いが足りないんじゃないの?」
「そ、そうなのかな。ふんっ……!」
私は可能な限り中に入りたいと強く念じながら手を触れる。しかし、絵はうんともすんとも言わず、私の体は相変わらずその場にあった。
「あ、あれ……? 失敗……?」
「もうヴィーゼ、そんなんじゃダメだよ。あたしがやるから持ってて」
「う、うん」
私は言われるがままにプーちゃんの方向に絵画を向けた。するとプーちゃんはその場で屈伸を行ったかと思うと突然こちらに向かって走り出した。
「えっちょっちょっ、プーちゃん!?」
プーちゃんを止めようとしたものの時既に遅く、プーちゃんは全身で絵画に向かってぶつかって来た。全身ぶつかってきたため、私はそのまま絵画ごと押し倒されるかの様にして倒れこんだ。
体を張ったにも関わらず特にこれといった反応は起きず、プーちゃんは絵画の上に倒れ込んでいる状態になっていた。もっとも、その下には私が居るため、実質私が圧し掛かられている様なものだった。
「いったた……」
「プ、プーちゃん……重いよ……」
「ごめんごめん……」
そう言ってプーちゃんが退こうとした際に私の手にプーちゃんの手が僅かに触れた。その瞬間、突然私達の体はルナさんの絵に引きずり込まれた時と同じ様に末端部分から霧散し始めた。あまりに突然の反応に対処が出来ず、私達は成す術もなく絵画の世界へと入って行った。
気がついてみると私達は真っ白な空間に立っていた。上も下も横も何もかもが全て真っ白であり、この空間がどこまで続いているのか想像も出来なかった。
「ここは……」
「ヴィーゼ、ここって……」
「多分、絵の中だと思う」
「でも何も無いよ?」
「きっとまだ何もこの中の構造を決めてないからだと思う。後でシャルさん達と合流してから決めよう」
……なるほどそういう事か。何で入れないんだろうって思っていたけれど、条件が私達の思っていたものと違ったからか。念じる事が本来の侵入条件なんだろうけれど、私達が作ったこの絵だけは例外って事か。
「でもびっくりしたねヴィーゼ。急に入れちゃったし」プーちゃんは真っ白な地面に腰掛ける。
「プーちゃん、多分この絵は私達二人の血を使ったから、二人一緒じゃなきゃ入れないんだと思う」
「あーそっか。ルナ姉のは自分一人だけの血だったから、一人で自由には入れたのか」
「多分ね。ルナさんのと比べると、ちょっと使いにくいけれど……」
「そう? あたし達いつも一緒だし、別に問題無いでしょ?」
確かに私達が別行動するなんて事は滅多に無いけれど、出来る事なら一人でも入れる様にしておきたかった。手紙を受け取るためだけに一々二人で一緒に絵の世界に入るのも大変だし……。
「まぁ、いいか。じゃあプーちゃん、外出よう。そろそろシャルさん達も工房に戻ってる筈だし」
「うん。それで……どうやって出るの?」
「多分同じ感じでいいと思う。手貸して」
私はプーちゃんの手を握ると、強く念じながら真っ白な地面に触れた。すると私達二人の体はまるで呑み込まれるかの様にずぶずぶと沈んでいき、ふと気がついた時にはいつの間にか元居た部屋へと戻っていた。
「おぉ~何か不思議な感じ!」
「ほらプーちゃん、行くよ」
私は二つの絵画の内一つをプーちゃんに渡すと、もう一つを自分で持ち部屋を出た。途中でシーシャさんの部屋へと出向き合流すると三人で再び港へと出て、そこから人混みを抜けながら工房へと向かっていった。
工房の扉をノックすると数秒後に中から声が聞こえ、シャルさんが顔を出した。私達の顔を見て嬉しそうな表情をすると「どうぞどうぞ」と中へと入れてくれた。
工房内には前回来た時には無かった様な新しい作品や作りかけの彫刻などがあり、二人でまた新たな作品作りに没頭し始めたのだと感じさせた。
「待ってたよ三人共! さっほら! 座って!」
「ルナ姉は?」
「姉さんなら、今お茶を淹れてるよ。丁度いいタイミングだね。完璧だよ」
「あのシャルさん、お願いがあるんです」
「何かな?」
「えっと……シャルさんかルナさんの血を少しでいいので分けてくれませんか?」
シャルさんは髪を弄り始める。
「それは……どうして?」
「この絵はルナさんが作っていた物と同じ様に私達の血で出来てます。だから私達自身は自由に出入り出来るんです。でもそれだとシャルさん達は入れないって事になるんです。だから少しだけ血を……」
「うーん……言いたい事は分かったよ。じゃあ私のだけでもいい?」
「はい。どちらか一人だけで……」
「待って」
私達の会話に割って入って来たのはルナさんだった。左手だけで盆を持っており、不安定そうに少し揺れていた。シャルさんはすぐにルナさんの下へ駆け寄ると代わりに盆を持った。
「血は私のを使いなさい」
「えっ、は、はい」
「姉さん。それはダメ」
「どうして?」
「姉さんはもう十分に罰を受けたよ。これ以上体に何かあったらまずいよ」
「何も起きないわよ、シャリー。あなたは錬金術の事を知らないからそう思ってるのかもしれないけど、あの絵の構成を理解してれば、問題無いわ。そうでしょ?」
「は、はい。その辺は計算して作ってあるので……」
「シャリーナ、この二人を信じてくれ。錬金術の事については素人の私だが、この二人は腕は確かだ。それだけははっきり言える」
シャルさんは少しの間どうするべきかと考えていた様だったが、やがて答えを出したのか盆を机に置き、近くに放置されていた作りかけの彫刻の側に行くとそこに置かれていた彫刻刀の一つを手に取り、戻って来た。
「じゃあ姉さんこうしよう。私と姉さんの血、両方を使う。それならどう?」
「別に私一人のでもいいんでしょう?」
「は、はい。無理に二人分にしなくても……」
「ううん、姉さんがやるんなら私もやる。姉さん一人に押し付ける訳にはいかないよ。『困難は一人ではなく、皆で解決せよ』だね」
「……先生の言葉ね」
「うん。姉さん一人に背負わせない。これからは私も一緒だよ」
「……説得は無理そうね。そういう訳だからヴィーゼ、プレリエ、二人分の血にするわ」
「分かりました。じゃあまずは……」
私は絵に対してどれだけの量の血を付ければいいのかを二人に伝えた。私達二人分の血よりも多くならない様にしなければならない上に、なるべくルナさんとシャルさんの血の量が均等になる様にしなければならなかった。
説明を終えると二人はそれぞれ彫刻刀を使って指先を小さく傷付け、そこから絵に向かって血を垂らした。血の雫は絵の上に落ちる度に沁み込むかの様に白さの中に溶け込み、その赤さを残す事は無かった。
二つ分の絵画に血を入れ終えた二人はそこら辺に置いてあった布でそれそれの傷口を覆い、これ以上血が落ちない様に保護していた。実際下手に余分な血が付着すると絵の世界を支配する権限が二人に移ってしまう可能性があったため、ありがたかった。
「これでいいのかな?」
「ええ、問題無い。そうでしょヴィーゼ、プレリエ?」
「はい。後はこの中の世界を見分けが付きやすい様に作り替えるだけですね」
「ヴィーゼ、どういう意味だ?」
「えっとですね、この絵はまだ何も作り替えてないから、中の世界が真っ白なんです。今のままだと方向感覚が無くなっちゃいそうなので、私達で一から作る必要があるんです」
「そそっ。シー姉、何か希望とかある? 作る時にやっといたげるよ」
「希望? 急に言われてもな……」
シーシャさんは予想していなかった問いかけにどう答えるか悩んでいる様だったが、そんな中シャルさんが口を開く。
「私は双子ちゃんの好きにしてくれていいよ。二人の世界なんだから、自由に作らないとね」
「そうね。あなた達二人の感性に任せるわ。きっと素敵な物が出来る筈よ」
芸術家の二人に言われると何だか急に緊張してきた……。今までこういう絵とかってあんまり描いてこなかったし、それに自分の感性がいいものかどうかなんてまるで分からない。きちんと出来るかな……。
「ふふん! もっちろん超素敵なのが出来るよ! ねっヴィーゼ!」
「えっ、う、うん。そうだね……」
「ヴィーちゃん。自分の感性を恥ずかしがったりしなくていいんだよ。芸術っていうのは自分の心を映す事なんだからさ」
「そうよ。あなた自身を表現すればいいの。あなたの世界を否定する事なんて誰にも出来ないんだから」
自分の心……何だか難しいな。どういう風に表現すればいいのか上手く浮かんでこない。プーちゃんにちょっぴりお任せしちゃおうかな。
「どうシー姉、思いついた?」
「……そうだな。じゃあ自然が豊かな場所があってくれると嬉しい。花や木が生えている様な、そんな場所が」
「うん、分かった! じゃあ綺麗なお花畑とか作っとくね!」
「じゃあ、行ってみる?」
「うん! じゃあシー姉、ルナ姉、ステラ姉! ちょ~っと待っててね!」
そう言うとプーちゃんは私の手を握ると絵画に手を触れた。再び体は霧の様に散り始め、絵画の世界へとその身を移していった。
再び真っ白な世界に入り込んだ私達はまずは手始めにと目の前の景色から作っていく事にした。一番最初に目にするであろうこの場所を作り、可能ならそこを手紙の置き場所にしようと考えていた。
「それでヴィーゼ。どうやればいいの?」
「えっと……こうかな?」
私は頭の中でイメージを強く思い浮かべながら空中に手をかざした。すると手をかざした場所から自分の思い浮かんでいた通りの光景が出現し始めた。
目の前に現れたのは大きな木だった。
「凄い! どうやったの!?」
「簡単だよプーちゃん。頭の中で強く思い浮かべて、手をその場所に動かすの」
「……こう?」
プーちゃんが手をかざすと木の根元の横に木製の机とベンチが出現し、更に木の周りを取り囲む様に様々な色の花が一斉に咲き乱れた。見た事がある花もあれば見た事も無い花もあった。恐らくプーちゃんの記憶に結びついているものだからなのだろう。
「お~! めっちゃ綺麗!」
「うん……! 本当に綺麗……」
「ねぇヴィーゼヴィーゼ! ほら、早く他のとこもやろっ!」
「うんっ!」
私達は自分達自身を表現する様な世界を作るために頭の中で様々なイメージを浮かべながら、駆け出した。どこよりも素敵で美しい世界を作りだし、手紙を受け渡すのに最高の場所にするために。




