第60話:ルナ・ファルサ・スペキエース作「願望」
意識が徐々にしっかりとし始め、ゆっくりと目を開ける。そこに広がっていたのはかつて私達が行った事がある場所、シーシャさんの生まれ故郷であるダスタ村だった。しかし、かつて私達が見た時とは違い、緑豊かで畑には様々な野菜が出来ており、綺麗な花もそこかしこでいくつも咲いていた。
「ここは?」
「シーシャさんの生まれた場所です。実際に私が見た時はもっと枯れた土地でした」
シャルさんは周囲を見渡すと近くに咲いていた花を触る。その花は紫色やピンク色をした小さな花弁が長い茎から生えているという姿をしていた。その姿はかつて私が図鑑で見た事がある植物『リナリア』に酷似していた。
「リナリアによく似てる。君が見た時もこれ生えてた?」
「どうでしょう……多分生えてなかったと思います。あれだけ枯れた場所に花が生えてたら気付くでしょうし……」
「……」
シャルさんは返事を返さなかった。立ち上がり際にリナリアを一本地面から引き抜くとそれをポケットに突っ込んだ。その後、再び周囲を見渡し始めると前髪を弄り始めた。
「あの、どうしたんですか?」
「……ううん、何でもないよ。まだ確証は持てないし」髪を弄るのを止める。
「さっ、シーを探しに行こう。時間が無いかもしれないよ」
「は、はいっ」
私は記憶を頼りにシーシャさんが居る可能性が高い家に向かう。その家はトヨさんが住んでいた場所であり、もしシーシャさんが村を出ていないのであればそこに居るであろう場所だった。
恐る恐る扉をノックすると、数秒後中から返事があり扉の向こうからトヨさんが出て来た。しかし、現実の彼女とは別人であるらしく、私を見ても強い警戒の目を向けていた。
「誰だい?」
「あっえっと……私シーシャさんの知り合いで、お話がしたくて来たんです」
「知り合い?」
「え、ええ」
「……そっちは?」
「私も同じ、知り合いですよ。友達って言ってもいいかな?」
「少し待ってな」
トヨさんは疑いの目を向けたまま家の中へと戻って行った。私は知っている筈の人から他人の様な態度を取られる事に若干の不快感や恐怖を覚えながら待ち続けた。
数十秒後、ようやく扉が開き、シーシャさんが姿を現した。私がよく知っている服装とは少し違ってはいたが、間違いなく本人であった。しかし、彼女もまた私達の事などあった事が無いかの様な態度を見せ、私とシャルさんを怪訝そうに交互に見た。
「すまないが、誰だ? 会った覚えがないのだが……」
「シー、寂しい事言わないでよ。私の事忘れたとは言わせないよ?」
「シーシャさん、戻りましょう。ここは……現実じゃないんです」
「何を言ってるんだ……? すまないが、忙しいんだ。イタズラなら帰ってくれ」
シャルさんはポケットから先程抜いたリナリアを取り出すと、シーシャさんの眼前に突き出した。突然の行動にシーシャさんは少し怯んだものの、すぐにシャルさんの手首を掴んだ。かなり強く掴んでいるらしくシャルさんの手が震えているのが見えた。
「何のつもりだ……」
「目を覚ましなよシー。君も気付いてるんでしょ?」
「帰ってくれ」
「リナリア。私も知ってるよ。彼らは多湿な場所では育たない。ここに来てから気付いたよ、この村の環境じゃ育てないんだ」
私もリナリアの事は知ってはいたけれど、そこまでは知らなかった。それに私がダスタ村に行った時には既に土地が枯れていた。だからそもそも生えていなかったし、仮に生えていたとしてもお父さんですら違和感を覚えなかったかもしれない。
「日当たりや水はけがいい場所じゃないと育たないんだ。こんな森に囲まれてて川も近い場所じゃ難しい」
「お前いい加減にっ……!」
「シーシャさん! 思い出してください! あなたが……あなたがやるべき事は何ですか!? 水の精霊との約束はどうなっちゃうんですか!?」
その言葉を聞いたシーシャさんの身体が硬直する。力が抜けたのかシャルさんの手が自由になったらしく、リナリアは再びポケットへと戻される。
しまった……シーシャさんはシャルさんにこの事を隠してた……きっとあまり人に知られたくない事だった筈なのに……。
「……なるほどね。やっぱりそういう感じか」
「あっ、えっと……!」
「いいんだよヴィー。何となーく気付いてたし。シーの性格から考えて、何か抜き差しならない状況だったって思ってたし」シーシャさんに近付き肩に手を置く。
「……シー、君の役目を果たすんだ。ここは君の戻るべき場所であって、留まるべき場所じゃないよ」
その言葉が放たれてから数秒後、突如周囲に生えていた植物達が凄まじい速さで枯れていき、当然リナリア達も跡形もなく、塵になるかの様に姿を消した。やがてダスタ村は私達がかつて訪れた時と同じ様な枯れ果てた人の住めない土地へと変貌した。
気が付くとシーシャさんの服装も絵に引き込まれる前の物に戻っていた。シーシャさんはその場に膝をつくと目から一筋の涙を落とした。今まで一緒に旅をしてきて、初めて見せた涙だった。
「……シーシャ、さん?」
「シー、行こう。君が成すべき事があるんでしょ?」
「ああ……ああ、そうだな……」
シーシャさんは涙を拭うと立ち上がり、私を抱きしめた。その体は当たり前の様に私よりも大きかったが、何故か実際の大きさよりもどこか小さく感じられた。私はそんな彼女を抱き返した。
「……すまない、ヴィーゼ」
「いいんです……私も、同じでしたから……」
あの時月の違和感に気付けていなければ、疑問に思えていなければ、きっと私もシーシャさんと同じ様にあのまやかしの世界に閉じこもっていた。誰も傷付かなくていい優しくて平和な、私とプーちゃんがずっと望んでいた、家族皆が揃っている世界に……。
「行きましょうシーシャさん。まだあの子はこの世界に籠り続けてる」
「……そうか、まだだろうな。プレリエならきっとそう感じるんだろうな……」
「本当に急いだ方がいいと思うよ。まだ私に何も幻覚が起きてないのが不自然な位だもん。そろそろ次の幻が出て来てもおかしくないんじゃないかな」
「そうですね……急ぎましょう」
「ああ、だがここからヴィーゼ達の国に行くなら時間が掛かるぞ? どうするんだ?」
シャルさんは村の入り口を指差す。
「この世界は全部を再現出来てる訳じゃないと思う。多分すぐにここに来れたのもヴィーとシーの間にある絆があったから。今ここに閉じ込められてるのは私達だけ、そう考えると実際は凄く狭い世界の筈だよ」
「じゃあ実際にあるのはダスタ村とヘルムート王国だけ……?」
「更に追加であるとすればナティリアかな。それでも三つだよ、迷う事は無い筈」
シャルさんはそう言うと村の出入り口に向かって歩き出す。私とシーシャさんはそれに遅れない様に急いで後を追い、出入り口に向かった。
一見すると何の変哲も無く、広い世界に繋がっているかの様に見える場所だったが、近付くと体が引き寄せられる様な妙な感覚があった。
「さぁヴィー、君が先頭に行って。私が先に行くとナティリアに出ちゃうかもしれない。プレちゃんに一番強い繋がりを持ってるのは君でしょ?」
「は、はい。じゃあ行きますよ」
私はシーシャさんとシャルさんの二人と手を繋ぎ、村の外へと足を出した。その瞬間、目の前に見えていた森の景色がまるで筆で混ぜられたかの様にぐちゃぐちゃに歪んだ。あまりの情景に目が回りそうになったが、数歩歩いてみればいつの間にかヘルムート王国の城門を潜った場所に立っていた。
「い、今の……」
「やっぱり繋がってたね。この絵に知らない場所を描写する力なんて無いんだよ」
「それは……記憶を覗かれてるという意味か?」
「憶測だけどね。でも多分ほぼ当たってると思うよ」
私は二人と連れて見知った道を歩き続け、日が沈み始める頃には家の前に辿り着いていた。しかし、家の前には本来なら存在しない筈の人物が立っていた。この場所には絶対居ない筈の彼女が待ち構えていたのだ。
「……姉さん」
「シャリー、何をしてるの?」
「姉さん、退いてくれるかな。私達はそこの中に用事があるんだよね」
「ねぇシャリー……そろそろ展示会が始まるわ。皆あなたが出るのを待ってるの。だから」
「偽物め」
「えっ……?」
「偽物だって言ったんだよ。あなたは……姉さんの皮を被った偽物だよ」
ルナさんは明らかに動揺した様子だった。弁明をしようとしたのかシャルさんに近付こうとしたものの、それを見たシャルさんはポケットから彫刻用のノミを取り出した。
「……姉さん、私が昔あなたの言う事を聞いてたのは、あなたが尊敬出来る人だったからなんだよ? 皆から高く評価されていて、私が悪く言われた時は庇ってくれて、例え……例え、繋がりが本物じゃなくても、それでも尊敬してたんだ……」
「待ってシャリー違うの……何か勘違いしてるのよ……」
「勘違いじゃないよ……あなたがあの絵を描いてから……全てが変わったんだ。いつの間にか私が一番になってた。いつの間にか私達が……双子になってたんだ」
双子になっていた……? 今のはいったいどういう意味……? ルナさんとシャルさんは本当の双子じゃないの……?
「あなたは自分の目的のために皆を、世界を誑かしたんだ。私とあなたの立場を入れ替えて、繋がりさえも書き変えたんだ」
「違うわシャリー! 何言ってるの! 私達生まれてからずっと一緒だったじゃない! 双子で、姉妹で……!」
「生まれてから一緒だったのは事実だと思うよ。私も……あなたも捨てられてたんだから。ナティリアの教会の前で……」
「そうよ! 捨てられてた! でもほら、こんなに顔も似てるでしょ? 育ててくれたシスターだって私達の事を双子だって言ってたじゃない!」
「……私達が似てるのは偶然に過ぎないんだよ。世界には自分に似てる人が三人は居るって言うでしょ? それにあなたはいつだって私の真似をしてたよね。服も髪型も化粧も……何もかも似せようとしてた」
ルナさんは言葉に詰まったらしく、口を開けたまま必死に反論の言葉を絞り出そうとしていた。一方でシャルさんはノミを持ったまま、真っ直ぐにルナさんを睨んでいた。しかしその目には憎悪の様なものは見えず、悲しみの様なものが見えた。
「ちがっ……違うのよ……」
「じゃあ聞くけど、あの絵を描くために使ったキャンバスはどこで買ったの? 姉さんがあれを買いに行ったの見た事が無いよ? あれを描くのに使った筆はどこで買ったの? 銘柄が書いてなかったよね? 絵の具は何を使ったの? あの絵を描く時に手首に包帯を巻いてたのはどうして?」
「シャリー……私がお姉ちゃんなの……」
「姉さんが工房の奥の倉庫に隠すみたいにしまってる物は何なの? 見られたくない物なの?」
「お姉ちゃんは私なの……私が絶対に守るから……」
「あの絵が出来てから芸術の創作をしなくなったのは何で? あなたなら私よりも上を目指せる筈なのに」
ついにルナさんは質問に一つも答える事は無かった。しかし最後の質問に答える代わりとでも言うかの様に右腕を上げた。その際に袖が少し捲れ、右手首の辺りに刃物で切りつけたかの様な傷痕があるのがチラリと見えた。
その直後、道や私の家意外の建物がまた筆で混ぜられたかの様にぐちゃぐちゃと混ざり始めた。更に私の身体は引っ張られる様にして家の方へと吹き飛び、そのまま開け放たれていた扉の向こう側へと入ってしまった。扉はすぐさま閉められ、内側から体当たりを仕掛けてもびくともしなかった。
私は慌てて窓へと向かい、外を見るとシーシャさんもまた吹き飛ばされており、空中に浮かんでいるダスタ村と思しき場所へと送られていた。残されたシャルさんはルナさんと向かい合ったまま対峙していた。それ以外の全ての景色はぐちゃぐちゃに掻き混ぜられた絵の具の様に不気味な色身を帯びた空間へと変わっていた。
まずい……ルナさんとシャルさんの本当の関係も驚きだったけれど、今起きてる状況のせいでそれも理解が追い付かないよ……。きっとルナさんは私達を完全にここに閉じ込めるつもりだ。それにシャルさんの認識もここで完全に書き変えてしまうつもりかもしれない。このままじゃ皆……永遠に幻に取り込まれる。
「ヴィーゼ」
「っ!?」
突然聞こえた声に驚き振り返ると、そこにはやはりプーちゃんが居た。外で起きている異常な光景が見えている筈にも関わらず、それには一切触れずに私にいつもの様な笑顔を向けていた。それは紛れもなく本物の彼女だった。
「プーちゃん……」
「どしたのヴィーゼ? 何青い顔してんのさ?」
「み、見えないの!? シーシャさんとシャルさんが大変なの!」
「……誰?」
プーちゃんは本当に聞いた事が無いといった様子で答えた。さっきまでのシーシャさんと同じで認識を完全に歪められているらしく、自分の発言に疑問すら抱いていない様だった。
私はプーちゃんの両肩を掴み軽く揺さぶる。
「プーちゃん外に出ないといけないの! あの扉を開けないと!」
「も~何言ってんのヴィーゼ? 夜中に起きてるみたいだから心配して起きたのに……もしかして寝ぼけてるの?」
「何言ってるのプーちゃん!? ほら! 夜中とかそれ以前の問題でしょ!?」窓の外を指差す。
「……はっは~ん? さてはこっそり外で遊ぶつもりなんだね? いっけないんだ~。お母さんとお父さんに怒られるよ~?」
「違うって! プーちゃんっ!!」
「はいはい……どうせちょっと寝れば朝になってんだからさ、もう寝ようね」
そう言うとプーちゃんはまるで子供をあやす様に私を抱きしめると頭を撫でて来た。たったそれだけの行為であるにも関わらず、体の力が抜け一気に眠気が押し寄せて来た。危機感を覚えた私はプーちゃんを突き放し、自分の頬を叩いた。
「ヴィーゼ? ご、ごめん……今のはちょっとふざけ過ぎたかも……」
「う、ううん……だ、大丈夫だから……」
まずい……下手にプーちゃんに触られるのはまずい……。まずは……この家の幻を消す方法かプーちゃんを正気に戻し方法を見つけ出さないと……。
私は窓から見えるシャルさんとルナさんの二人を一瞥すると家のどこかに隠れていると思われる、前回見かけたあの不自然な月を見つけ出す事にした。




