第58話:月は星のためならその輝きを失ってもいいと思った
船へと戻った私とプーちゃんは一旦部屋へと戻ると、ルーカスさんから貰った本を鞄に入れ船内にある資料室へと向かいシーシャさんと落ち合った。幸いにも室内には先客はおらず、落ち着いて会話が出来そうだった。
「さて……シャリーナは明日美術館に来いと言っていたが……」
「これの事ですよね」シャルさんから貰った地図を開く。
「ルナ姉に気付かれちゃ駄目な理由って何だろ?」
「全く見当もつかないな……何を考えているのかさっぱりだ……」
シーシャさんの言う様にシャルさんはかなり独特な言い回しをする事がある。そして芸術家であるが故にか感性がかなり特殊である様にも思える。そして何より私には一つ引っ掛かっている事があった。
「えっとその事なんですけれど……」私はルーカスさんから貰った『世界の不可思議探検譚』を机の上に開いた。
「どうかしたのヴィーゼ?」
「プーちゃん、これ覚えてる?」
私はあるページを開き、そこに書かれていた絵画の事を指差す。以前この本を見ている時に目に入った真っ白な不思議な絵画だった。絵画と称されているにも関わらず、何故か何も描かれていない様に真っ白であり、見る人によって見えるものが違うという物だった。
「あーこれねー。でもこれってここの美術館じゃないじゃなかった?」
「うん。確かにここの物じゃない。でもほら、これ」シャルさんから貰った地図を見せる。
「ここには展示会があるって書いてあるんだよ。それで、ここなんだけれど……」地図の端に書かれていたある文を指差す。
「あっ!」
「気付いた? 今回の展示会に、この絵が来てるみたいなんだ」
「その絵の話は初めて聞いたな。そんなに凄い物なのか?」
「うんそうだよシー姉。これね、見る人によって写る物が違うんだって!」
「……それは、その、妙だな」
「はい。もしかしたら錬金術やシャルさんのお願い事とは関係ない物かもしれません。でも、ちょっと気になって……」
もちろん何も無いならそれで問題は無い。しかし、錬金術が関わっている確率が少しでもあるのなら確認しておく必要はあると感じた。無論、私達が何も知らないというだけで、実力のある画家や芸術家ならこれだけの物が作れるというだけなのかもしれないけれど……。
「ヴィーゼは怪しいと思う?」
「うーん……半々かな。もしかしたらって感じだけれど……」
「二人共、明日は怪しいと思う所が少しでもあったらすぐに逃げるぞ。また騙される可能性もある」
「そ、そうですね。気をつけないと……」
「うん……」
騙されたとはいえ、私達がとんでもない事に手を貸してしまったのは事実だ。あの事実は覆しようが無い。だからこそ、同じ間違いは犯さない様に細心の注意を払う必要がある。もしシャルさんの中に少しでも怪しい点や悪意が見えたなら、すぐに断るべきだ。
鐘の音が鳴り響く。どうやらもう食事の時間らしい。私達は自分達でも気付かない程この場所に居た様だ。
「じゃあヴィーゼ、プレリエ、明日三人で行くという事でいいか?」
「そうですね。それでいいと思います」
「だね」
私達は資料室から出ると一旦それぞれの部屋に戻って荷物を整理した後、食堂に集まり食事をした。お父さんはこの街では特に聞き込みの成果が無かったらしく、安堵した様子だった。私は恐らく問題ないだろうという考えから今日起きた事を話した。お父さんはあまり芸術に詳しくは無かったが、その話をしっかりと聞いてくれていた。例え興味の無い話題でもきちんと聞いてくれるのがお父さんなのだ。
しかし私は明日美術館に行く事を伝えはしたものの、シャルさんのあの態度の事は言わずにおいた。彼女は恐らく友人と感じた人にしか心を開かず、親しくない人間に色々知られるのを嫌がるだろうと思ったのだ。お父さんは特に問題が無いと思ったのか、私達が美術館に向かうのを許してくれた。
ひとしきり会話を終えた私達は自分達の部屋へと戻り、明日に備えてベッドへと身を沈めた。
優しい波の揺れで目を覚ました私は寝ぼけ眼なプーちゃんを起こすと髪を梳いて身だしなみを整えるとお父さんと一緒に部屋を出た。船を出る際にシーシャさんと合流するとお父さんは念のために細かい聞き込みをすると言って再び街へと出て行った。
港では昨日と同じ様に様々な人々が自分達の仕事に励み、静かだった朝が少しずつ賑わいだしていた。そんな賑やかさで脳を覚醒させ、私達は地図に描かれていた美術館へと向かって歩き出した。
おおよそ十分程歩いただろうか。街の中心と思われる場所にその美術館は建っていた。至る所に細かい装飾が施されており、周囲の建物と比べても一際巨大だった。その姿は正に芸術の集大成と言っても過言ではないものだった。
美術館の周辺には大量の人々が群れていた。どうやら今日が著名な芸術家達の展示会であるという事を聞きつけた芸術好き達が一目その作品や作者を見ようと集まっている様だった。
「凄い人だねぇ」
「う、うん……それだけ有名な作品が集まってるって事だね」
「しかしどうやって入る? 開場までは後少しらしいが、この人数だ。いつになるか分からないぞ?」
「確かにね。どうするヴィーゼ?」
「えっ!? う、うーん……まずは、だよ……」
プーちゃんからの突然のフリに何とか答えようと頭を働かせていると群衆の向こうから歓声が聞こえて来た。何事かと見てみると老若男女に囲まれているシャルさんの姿があった。握手を求められたりしているにも関わらず、愛想を振りまく事もせず、シラッとしたつまらなそうな顔をして無視していた。その横では姉であるルナさんが群衆を掻き分けようともがいているのが見えた。
「凄い人気だねシャルさん」
「うん。ステラ姉って美人さんだし、やっぱモテるんだね」
「そうだね」
「……も~! あたしの一番はヴィーゼだよ!」
「私何も言ってないよ!?」
「おろ? そう? かわいいかわいいプリティーな妹が他の人の事美人って言ったから妬いちゃったかと思ったよ」
突然な愛情アピールをしてきたプーちゃんに少し呆れているとシャルさんはこちらに目を向けた。するとルナさんに何か耳打ちしたかと思うとスルリスルリと群衆を掻き分け、こちらに駆けよって来た。その目には昨日と同じ様な強い喜びが感じられた。
「おっはよ愛しの友よ!!」
シャルさんは一切の遠慮も無く私達三人を力強く勢い任せに抱きしめた。しかしそれにも関わらず痛みは無く、むしろまるで羽に包まれているかの様な柔らかさを感じた。
「おっ、おい! 放してくれ……病み上がりなんだ……!」
「おっと……それは知らなかったよシー、ごめんね」
シャルさんはすぐに腕を話すと、後ろを振り返る。
「さて、と……今の内に急ぐかな」
「あのシャルさん? いったいお願いって……」
「中に入ったら話すよ。姉さんにはあそこで時間稼ぎをしてもらおう」
そう言うとシャルさんは美術館の裏口へと周ると、そこを警備しているらしい人に何か話すと、私達三人を引き連れて美術館の中へと入った。どうやら関係者用の通路らしく、少し殺風景な廊下が伸びていた。
「あの人には知り合いって言っといたよ。まあ嘘だけど時には嘘も必要だし、いいよね」
「シャリーナ……いい加減話せ。何が目的なんだ?」
「『せっかちなのは良くない事である。目が曇り真実から遠のくからである』」
「もう二回目だぞ、それを聞くのは」
「……まあ付いてきてよ」
何か言いにくそうにしているシャルさんは私達と共にそのまま廊下を抜け、美術館の展示室へと出た。そこには今まで見た事も無い様な様々な作品が並んでいた。奇抜な彫刻や綺麗な風景画、何を描いたのか想像も出来ない抽象画など、私達を圧倒するには十分な作品達だった。
「凄い……」
「おぉ~」
「全部著名な芸術家達の物だよ。どれも素晴らしい物だと思う。正に天才的だ」
「シャリーナ、いい加減に……」
「分かったよ。……これだよ」
数歩歩いたシャルさんが指差したのは額縁に入れられた大きな白い絵だった。正に私達があの本に載っていたのを見た、あの白い絵画だった。
「これって……」
「その反応は知ってるって感じだね」
「本で見たんです。見る人によって写る物が違うって……」
「ステラ姉、あれってマジなの?」
シャルさんは少し溜息をつくと口を開いた。
「うん、マジだよ」
「……シャリーナ、まさか」
「きっとシーはこう思ってる。『これを作ったのはシャリーナ、お前なのか?』ってね」
「……ああ」
「答えは『NO!』もし本当にそうだったならずっと良かったんだけどね、ホント」
「シャルさん? いったいどういう……」
「これから言う事は『お願い』にも関係する事だから、良く聞いてて」
シャルさんは筆を取り出し、毛先を指で揉み始める。
「まずこれを作ったのは他でもない、姉さんだよ」
「ルナさんが?」
「そっ。私が言うのも何だけどさ、姉さんは天才だよ。いや、正確には天才だった」
「だった?」
「うん。これを描くまではね」
「ステラ姉どういう事?」
「ある日姉さんはこの絵の制作に着手した。理由までは分からない。私が何回聞いても何も教えてくれなかったんだ」
正直意外だった。私はてっきりシャルさんの方が天才的なセンスを持っている人だと思ってた。でも実際にはルナさんの方が才能があっただなんて……。
「何日も何日も姉さんはこの絵の制作に没頭してた。いつ見ても真っ白なのに、姉さんは一人でこれを描き続けたんだ。そして一年が経って、ようやく完成した」
「その時もこうだったんですか?」
「うん、真っ白。純白だよ。完璧なまでに白かった」シャルさんの筆を揉む力が強くなる。
「でもそこからだったんだ。姉さんはある日突然、芸術の世界から足を洗ったんだ」
「えっでも……」
「ああうん、工房には居るよ? でもやってるのは私のサポートかパトロン探し。あの日からは何も作ってないんだ」
いったいどういう事だろう? どうしてルナさんはこの絵を最後に芸術を止めたんだろう? いったいどんな理由があって? 間違いなくこの絵が絡んでいるんだろうけれど……。
「ん~と、つまりステラ姉はこの絵が元凶って言いたいの?」
「言い方が悪いかもだけど、そうだね。私はこの絵が悪いと思ってる。このいい子ちゃんぶってる白いのが」
初めてシャルさんの声に怒気が籠っている様に聞こえた。
「元々この絵は他の所に送られたものだったんだ。送られた先は元々特にこれといって栄えてない島だった。でもこの絵が行ってから突然観光名所として有名になったんだよ。星みたいにキラキラ光る砂浜ってね」
「えっ、それって……」
「そっ、ここと同じ。それを知った私は旅行と称して姉さんと一緒にその島に遊びに行ったんだ。その時に人目を盗んでこっそり絵の表面を少し削って来た」
筆を揉むのをやめ、絵の具の匂いを嗅ぎだす。
「分かってたよいけない事だって。でも私は嫌な予感がしてたんだ。だから工房に持ち帰ってこっそり調べた」
「……どうだったんだ」
「あれは……姉さんそのものだったんだ。姉さんの匂いを放ち、姉さんの味がして、姉さんと同じ暖かさを持ってた。姉さんは……自分自身を……自分の才能そのものを作品にしてたんだ」
その言葉を聞き、私の背筋は寒くなった。今目の前にある純白の絵画はルナさんそのものだと言うのだ。だとしたら、私達が出会って、話をしていたルナさんはいったい誰……?
「でもルナ姉は……」
「そう、生きてる。でもあの姉さんは私から言えば搾りカスなんだ。かつての芸術性に溢れたキラキラした姉さんじゃない。ただ姉ぶってるだけの空っぽな入れ物だよ……」
「しかしルナはいったいどうしてそんな……」
「……私のせいなんだと思う。今でこそ私はあれだけ人気になれたけど、昔は姉さんと比べられてたんだ。双子だからこそ……ずっと比べられてた」
『双子だから』その言葉は私の心にも刺さった。確かに双子として生まれると似ているからこそ、比べられる事がある。
「姉さんは昔から優しかった。私が才能を比べられて何か言われた時もまっさきに私を庇って、相手に怒ってた。相手が誰だって関係なかった。そしてその後は必ずと言っていい程、私を抱きしめてたんだ」
「それって……」
「うん。多分姉さんはどうにかして、妹である私を一番にしようとしてたんだと思う。だから方法は知らないけど、自分の才能を作品にして封じ込めたんだ。そしてその力を確かめるために、あの島へ送った。ちゃんと力が作用しているかどうか確認するために」
「可能なんですか……そんな事……」
「姉さんには出来たんだと思うよ。そして効果が出てる。今やこの街じゃ私が一番だし、あの島の砂浜はここの砂の生き写しみたいに輝いてる。この絵は未知数過ぎるんだ」
シャルさんの立てた予測はあまりにも恐ろしいものだった。自らの才能を作品として封じ込め、ただの島を観光名所にも変えられてしまう力を持ってるなんて思ってもいなかったからだ。そして彼女が立てたその予測が真実である事を証明するかの様に、真っ白な絵に何かが浮かび始めた。
「やっぱり! 三人共! 離れっ……!」
シャルさんは今まで一度も見せなかった様な鬼気迫る表情で私達三人を絵画の前から突き飛ばそうとしたが、その手が身体に触れる前に私達の身体は足先から霧散する様に消えていった。不思議と痛みなどは無く、どこか心地よさすら覚えるものだった。
「……!」
私の意識が無くなる前に聞いた最後の言葉はまるで白い絵の具を使われたかの様に意識の上から消し去られていった。




