第55話:芸術の都、ナティリア
リューベから出港した私達は数日の間船の上で揺られていた。波は穏やかで風も弱い日が続き、船団の人達は漁を行っており、大量の魚が網に絡まって引き上げられるのを何度も目撃した。しかしそんな穏やかな空気の中でも私の頭はあまり穏やかではなかった。
「……違う」
私は夜中にこっそりと部屋から抜け出し、資料室へと籠っていた。あの時別れ際にシュトゥルムさんが倒れた様に見えたのが気になったからである。
そもそもあの人が生きたまま陸に上がってくるなんて思ってもみなかった。あの人が水中でもずっと正常な体を保ち続ける事が出来たのは、ほぼ間違いなくあの場所のせいだ。それ自体は合ってる筈なんだけれど、どうしてその場所から離れたシュトゥルムさんが少しの間とはいえ生存出来たのかが気になる。あの場所の術式がまだ残滓として体に残ってたって可能性もあり得るけれど……。
私は本棚に並んでいた一冊の本を手に取り、机へと持っていく。『世界魔法史』という題名であり、魔法の成り立ちや原理、その他種類などが事細かに掲載されている本だった。
今まで錬金術だと思って探していたけれど、そもそもが違うとしたらどうなんだろう? あれは錬金術ではなくて一種の魔法なんだとしたら? もしそうなんだとしたらシュトゥルムさんが少しの間生存していた理由は説明がつく。
「……『魔力とは魂の力である』か」
もしシュトゥルムさんが本に書かれていた『錬金術』という言葉に騙されていたんだとしたら……? そもそもあの人が使っていたのが魔法だったなら? 術式の力を発動させるために自分の魔力を消費して『海原の矛』を起動させ、それが原因で魔力を全て使い切ってしまったのだとしたら?
こう考えるなら納得は出来る。『海原の矛』の残滓の影響でしばらくは銛をぶら下げたまま泳げる程問題無く生存出来ていたが、やがてそれが尽き果てついにはその時が来てしまった。これなら一応は理解出来る。
「……難しいなぁ」
今まで学校で多少なりとも魔法について勉強したりはしたものの、どれだけやっても魔法は全く使えず、それに関しての成績は最悪なものだった。座学が出来ても実技が出来なければ、評価してもらえないのも当然だと思う。
次のページを捲ろうとしたその時、突然資料室の扉が開きその向こうからランタンを持ったレレイさんが姿を現した。
「わっ!?」
「ヴィーゼ? ここで何してるの?」
「え、えっと……」
私の顔を見て何かを察したのか、レレイさんは静かに扉を閉め、机にランタンを置くと私の真向かいに座った。
「……何か気になる事でもあったの? 一人で調べないといけない様な事が」
「そう、ですね……」
隠したところですぐに嘘がバレるだろうと感じた私は事実を話す事にした。去り際にシュトゥルムさんが倒れた様に見えた事や、彼が言っていた錬金術だと思われる術式など、その全てを話した。
「……なるほどね。一応彼についてはリオンから詳しく聞いてるわ」
「レレイさんはどう思いますか?」
「私は錬金術には詳しくないけれど、ヴィーゼが言う様に魔法の一種だと思う」
レレイさんは机の上で開かれたままになっている本へと視線を落とす。
「確かに魔力は魂の力とも言われてるわね。私自身一度に使い過ぎない様に気をつけてはいるし」
「じゃあやっぱりシュトゥルムさんは……」
「魔力の使い過ぎで倒れたあるいは……そのまま死亡した可能性が高いでしょうね。その術式は聞いた事も無いけど……魔法陣は無かったのよね?」
「はい。シュトゥルムさんは船の形が重要だって……」
レレイさんは席から立ち上がると本棚の一つへと近寄り、そこに入っていた一冊の本を引っ張り出すとそれを机の上で広げた。
「多分錬金術ではないと思う。魔法の一種なんだろうけど、多分この力が使われてるのかも……」
その本には風水について記載されていた。私自身風水にはあまり詳しくはなかったが、特定の方角に意味を見出し、力を授かるといったものであると記憶していた。
「風水の価値観によると……方角には意味があるらしいの。私には確認出来ないけど、もしかしたらその船の向いてた方向や壊れた形に魔術的、風水的な意味が込められていたのかもしれないわね」
当時は必至だったから私自身も覚えてない……どの方向だったかな……。
レレイさんは本を閉じ、立ち上がる。
「まあ、終わってしまった事は確かめようがないわ」
「そ、そうですね……」
本を元に収めたレレイさんは私が引っ張り出していた本も片付け始める。
「ほらもう寝なさい」
「は、はい」
「……一応さっき聞いた事は不問にしておくわ。でも約束して……今後こういう事をする時は絶対私かリオン、あるいは船長に言う事、いい?」
「わ、分かりました、すみません……」
「もっと大人を頼るのよ。ほら」
私はレレイさんに促される様にして部屋から出されると、そのまま部屋の前まで送られた。その場で小さく別れの挨拶を告げた私は静かに扉を開け、部屋へと入った。お父さんもプーちゃんも寝息を立てており、幸いな事に気づかれていなかった。
あれは錬金術じゃなかった……だとしたら私は余計な事をしてしまったのかな。私があの術式を崩そうとしなければ、シュトゥルムさんはまだあそこで生きていられたのかな……。でももしそうだとしたら、あの不思議な空間で見た死体の山、あれはどうなったんだろう。私が見た時にはガラスの向こうで既にパンパンになってた。それこそ今にもガラスを突き破ってしまいそうな程に……。もしあれが全部外に出た場合、あの術式はどうなったの? そのまま問題無く稼働し続けたの?
自分がした事の正当性やあの奇妙な術式の事が頭から離れず、私は眠れない夜を過ごす事となった。
それから何日も経ったにも関わらず、私の頭の中にはあの術式の事が詰まっていた。もしかしたら余計な干渉をしてしまったのではないか、何もしない方があの島のためにもなったのではないだろうかと、考えだせばきりが無い状態だった。そのせいか寝不足な日が続き、お父さんやプーちゃんからも心配されてしまった。
「ねぇヴィーゼどうしたの? ホント大丈夫?」
「ヴィーゼ、具合が悪いなら医務室に行った方がいいよ?」
「あ、う、ううん大丈夫……ごめんちょっとお休みするね……」
私は心配する二人を少しでも安心させるために、まだ昼間だというのにベッドへと転がった。頭がズキズキと重く、心臓の拍動が速くなっているのが自分でもはっきりと分かった。私を少しでもリラックスさせようとしたのか、プーちゃんは同じベッドに転がると私を抱き寄せようとした。私は寝不足のせいもあってか勝手に体が動き、プーちゃんの方を向くとそのまま母親に対する子供の様に抱きついた。プーちゃんはそんな私を不器用な力で抱き返した。しかしそんな不器用な力強さが却って心地よく、私の意識は微睡みの中へと落ちていった。
深い眠りへと落ちていた私を目覚めさせたのは鐘の音だった。どうやら新しい港に入港したらしく、船の揺れは最小のものになっていた。
「あっヴィーゼおはよ」
まだ少し眠い目を擦りながら体を起こすと少し部屋が薄暗い様な気がした。
「プーちゃん……?」
「あー起きたところで悪いんだけどさ、もうちょい寝てても良かったかもね。もう夜なんだよね」
夜……夜か。何か中途半端な時間に起きちゃったな……。でももう体そのものは起きちゃったし、今更もう一回寝るって気分でもなくなっちゃったし、しょうがいなから起きよう……。
「ヴィーゼ大丈夫?」
「うん……平気、もう平気だよ」
「ホント? じゃあさじゃあさ! ちょっとだけ外出てみようよ!」
プーちゃんはいつになく興奮した様子ではしゃいでいた。
「どうしたの?」
「何かね、今泊まってるこの国って、凄い観光名所なんだって!」
観光名所か……もしかしてルーカスさんと出会ったミルヴェイユみたいな感じの場所なのかな。まあちょっと出てみる位ならいいかな……。
「そっか、じゃあちょっとだけ出てみよう。ただし探索は明日、それでいい?」
「うん! ほらほら行ってみよ!」
まだ目覚めたばかりの身体を引っ張られる様にして、私は部屋から連れ出された。そのまま廊下を渡り、甲板へと出た私達の目の前に広がっていたのは今までに見た事が無い光景だった。建物の形はどこか芸術性を感じさせる構造になっており、開けた場所には何かの彫刻の様な物が飾ってあったりもした。まるで町全体が何かの芸術作品の様な雰囲気を放っており、非常に目を引く景色だった。
「お~!」
「凄いね、これ……」
「何かよく分かんないけど、綺麗だね!」
芸術に関しては素人レベルの私でさえも、この景色に惹かれてしまう、それだけの魅力がこの町にはあった。ここが観光名所になっているというのも納得であり、明日探索するのが楽しみになった。
「ここ何しに泊まったんだろ?」
「何かね、魚とか売るために来たんだって。それなりに長く泊まってくって話だよ」
確かにこれだけ大きな町だったら、かなりの量が売れる。魚の売買はシップジャーニーの人達にとっては生業だし、ここでしっかり稼いでおきたい筈だよね。
「そういえばお父さんは?」
「明日すぐに動ける様に聞き込みするって行っちゃった。多分すぐ戻ってくるとは思うよ」
この場所で未知の生物が見つかる可能性は何となく低そうではあるけれど、でもお父さんは仕事でシップジャーニーの人達に同行してる訳だし、注意深くなるのも当たり前かな……。
「そんじゃヴィーゼ、そろそろ戻る?」
「うんいいけれど、もういいの?」
「うん、何か眠くなってきた……」
私は目覚めたばっかりだったから忘れていたけれど、よく考えていれば今は夜だ。プーちゃんにとっては眠くなる時間なのは当たり前だ。
「あっそっか……ごめんね、じゃあ戻ろうか」
「うん」
こうして私達は部屋へと戻り、お父さんが戻ってくるのを待つ前に明日に備えてベッドへと寝転がった。




