第53話:あなたと繋がってる姉だから
気が付くと私は不思議な場所に立っていた。石で出来たような固い足場があり、その周りは水で満たされていた。どうやらその水は足場を取り囲んでいる石壁から噴き出しているものらしく、溜まった水はまた汲み上げられて使われている様だった。
ここ……どこなんだろう? 確か私……急にあの時みたいな感覚に襲われて、それで自分がどうなってるのか分からなくなって……いやでも最後のあの感じは……。
「ようこそ、と言えばいいのか?」
突然聞こえた声に驚き振り返ると、後ろには一人の男性が立っていた。軍服を着ており、少しだけ顔に皺があるその姿は間違いなく見覚えのあるものだった。
「何を呆けた顔をしてる」
「あっ、えっとあなたは確か……」
「見た顔だろう? 仮初にも、忘れたとは言うまい?」
「……シュトゥルムさんですか?」
男性は手を腰の後ろに回し、足場の外縁に沿う様に歩き始める。
「如何にも。シュトゥルム・ゴーン、リューベ海軍提督だ。元、だがな」
やっぱりあそこで沈んでたあの人はシュトゥルムさんだったんだ。あれ? でもそうだとしたら……ここは……。
「……ここがどこか、と言いたいところか?」
「えっ!? ええ、はい」
「うむ……私にも何と言えばいいのか分からんのだ。正確な呼び名があるのかも分からん。仮初にも正しい呼び名があるのなら命名した者には申し訳ないが、私はここを『司令部』と呼んでいる」
シュトゥルムさんは噴き出している水の噴出口へと目を向ける。
「奇妙なものだろう? 出入り口さえ無いのだからな」
「え、ええ。そうですね」
「しかし私も君も来るべくして、ここに来た。そうだろう?」
来るべくして来た? 確かに私達はシュトゥルムさんを助けようとして色々やったけれど、でもこんな場所があるなんて知りもしなかったし来ようなんて思わなかったんだけれど……。
「……その顔、何も知らない顔だな。仮初にもここに入って来た立場だと言うのに」
「す、すみません」
「まあ良い、私を助けようとしていた君らの気持ちは理解している。それに何をしていたのかもな」
「見てたって事ですか……?」
「ああ、そうとも」
シュトゥルムさんが壁に向かって手をスッと払う様に動かすと、突然音を立てながら壁が左右にスライドする様に開いていった。開いた先に現れたのは巨大なガラスの向こうに無限に広がる海景だった。
「全て見ていたぞ。君らの船団がここに入ってくる所からな」
「あ、あのお聞きしたい事があるんですが!」
「言ってみろ」
「私達が部屋に居た時に凄くその……気分が悪くなった時があったんです。こんな事言ったら失礼かもしれないんですけれど、シュトゥルムさんが何かされたんですか?」
シュトゥルムさんは少しの間私の瞳を覗き込むかの様にじっとこちらを見ていたが、やがて口を開いた。
「何もしておらん、と言いたいところではあるが……君の血筋にとってはそうはいかんか……」
「血筋……?」
「知らぬ訳ではあるまい? 仮初にもその血筋に生まれたのなら」
「あ、あの……何を言ってるのかさっぱりなんですが……」
「……なるほどな」
シュトゥルムさんはこちらに背を向け、海景を眺め始める。
「あの……?」
「いや忘れてくれて良い。何も知らぬと言うのなら、それに越した事はない」
もしかして血筋って、水の精霊やシルヴィエさんが言ってた『純正の血』の事なのかな? という事はやっぱり私達にはこういう錬金術で作った物に反応する特殊な感覚があるって事?
「錬金術士の血筋、ですか?」
「そうとも言うな。答えはそれだけではないが、まあそれでいい。それ以上は踏み入らない方が己のためだ」
シュトゥルムさんは何かを隠してる。何を隠そうとしているのかは上手く分からないけれど、この血筋に関係する何かなのは確かだ……。
「それで、君がここに来た訳だが、理解出来たかな?」
「分かりませんよ……」
「そうか。では私が知っている事を話すとしよう。まあ大人の長話だとでも思って聞いてくれればいい」
ガラスの向こうに映っていた海景が徐々に見えづらくなっていく。どうやらガラス部分が急速に曇り始めたらしく、あまりにも現実的ではない早さだった。そして曇りが晴れた時には、リューベを真上から見ているかの様な景色が映っていた。
「かつてここは長閑な島だった。島自体そこそこ大きいし、海だってある。暮らすには良い場所だったのだ。だがある日からそうもいかなくなった」
再びガラスが曇り、そして晴れると今度はリューベの近海を映したものになっていた。海上には船団がいくつか航海している。
「海賊が出る様になったのだ。確かにここは他の島より離れているし、何よりシップジャーニー……君達が乗って来た船団との間で交易も行っていた。狙うには最適の場所だ」
溜息が聞こえる。
「……長老の下で話し合った。このままでは良くないと。その結果私達は海軍を作る事にした。腕っぷしに自信のある船乗り達を集めて、この島を守る為の海軍を作ったのだ。そしてそこの総大将……提督として選ばれたのが、この私、シュトゥルム・ゴーンだった」
ガラスに映った景色は変わっていき、海上で戦闘を行っている船が映し出された。
「最初は何て事はなかった。問題無く守れていた。だが、何事にも限界というのは来るものだ。やがて海賊共は大群で押し寄せてきたのだ。多くの命が奪われ、多くの物が略奪され、中には一生消えぬ辱めを受けた者すらいた」
「そんな……」
「多くの者が我々を責めた。当たり前だ。仮初にも提督たるこの私が的確な指示を出せなかったのだからな」
「シュトゥルムさんのせいじゃないと思います……! だって……そんなの……!」
「……彼らも分かってはいた筈だ。だが、人というのは時に何かに感情をぶつけねば生きていけぬものなのだ」
少しの間静寂が訪れ、その間聞こえていたのは噴き出している水の音だけだった。
「……それからは毎日の様に対策を練り続けた。二度とあの様な過ちを犯さぬ様にとな。時には弟に助言を貰ったりもした。だがどれも上手くいく兆しが見えなかった……仮初にも提督であるにも関わらずな……」
「弟さん、ですか?」
「ああ、あいつは私よりも頭がいいからな。だがあいつの頭ですらいい対策は浮かばなかったのだ。しかしそれも終わりを迎えた。完璧とも言える方法を見つけたのだ」
嫌な予感がする……。
「我が家の書庫の奥で埃を被っていた一冊の本、そこに書かれていた事だ。『海原の矛』というものだ」
『海原の矛』聞いた事がない名前……矛って言う位だから武器の一種……?
「何なんですか、それ?」
「一種の術式の様なものらしい。君もよく知っているであろう錬金術の力を使った術式だ。釜も何もいらない、形だけがあればいい術式。私の祖先が作ったものらしい」
釜を使わない錬金術? そんなものが本当にあるのかな? 少なくとも私やプーちゃんはお母さんからそんなやり方は教わってない。釜を使って物を作る、そういう技術しか知らない。
「あのシュトゥルムさん、それって本当に錬金術なんですか? 釜を使わない錬金術なんて聞いた事が……」
「今となってはそれが錬金術なのかどうかは確かめようがない。ただその本には錬金術として記されていただけなのだからな」
もしかしたら、まだ私の知らない錬金術の技術があるのかもしれない。それがいいものかどうかは分からないけれど……。
「……やり方は単純だった。本に記されていた形通りに船を固定する、それだけだ。沈没した際にマストが倒れずに真上に向く様にし、船体が真中から断裂する様にする。そして後は船長である私がその真ん中に位置する。それで完成するのだ」
確かあの場所に沈んでた船は真ん中からポッキリ折れたみたいになってたし、シュトゥルムさんも丁度その真ん中で浮かんでた。あの時は気付けなかったけれど、もしかしたらマストが真上に向いてたの? あの場所そのものが既に完成された状態だったって事……?
「で、でもそれをしていったい何になるんですか……?」
「海を自在に操れる様になったのだ。ここから自在にな。いくら戦い慣れしていない者達が向かっても、リューベが負けない様に出来る。嵐を起こすのも雷を落とすのも荒波を起こすのも自在だ。そしてそれで命を落とした者を……」
シュトゥルムさんが噴出口に手を向けると水が出ている場所の上が左右に開いた。そこにはガラスの向こうでぶくぶくに膨れ上がっている無数の水死体が詰まっていた。そのあまりの凄惨な光景に思わず吐き気を覚え、咳き込み口を押える。
「力として蓄えられる」
「蓄えられるって……」
「言うなれば私は『海原の矛』のための人柱だ。だが人柱は一人である必要性はない。数が多ければ多い程、その力を増していく」
何となくだけれど理解出来てきた。今私がここに居るって事はつまり、私が次の人柱に選ばれたって事だ。プーちゃんの後に続いて船に上がろうとして出来なかったのは選ばれたからだ……。
「そういう、事ですか……」
「理解出来たという顔だな。だが正直助けてやりたいのが本心なのだ。錬金術士とはいえ、君は仮初にも無関係な人間だからな」
「どうすればいいんですか……?」
シュトゥルムさんの顔が曇る。
「どうしようもない、というのが事実だ。確かに海を操れるのは事実だが、この空間を支配出来ている訳ではない。私も所詮囚われの人柱に過ぎないのだ。自業自得とはいえな……」
この場所から抜け出すには、きっとあの場所を少しでも崩す必要があったんだ。一応シュトゥルムさんの身体は『隙間』に吸い込まれたけれど、でもまだ完全に離れられてない筈……。せめて……せめてもう一つの『隙間』を作り終えた後だったら……。
詰まった死体から目を逸らし海景が映っていたガラスに目を移す。すると先程とは違った光景が映し出されていた。そこには一人で真っ暗な海の中に沈んでいくプーちゃんの姿があった。
「プーちゃん……?」
「あれは……君の家族か?」
「は、はい……」
やがて海底に到達したプーちゃんは辺りをきょろきょろと見回し始める。その手にはあの絵筆が握られており、どうやら私の代わりに新しい『隙間』を作るつもりらしかった。
「あれは何だ?」
「今シュトゥルムさんの身体はあの筆で作った『隙間』に入ってるんです。あの沈没場所から移動させるには、もう一つの出入り口が必要なんです」
「すまんが何を言ってるのかさっぱりだ……」
プーちゃん一人で大丈夫かな……さっきは私と一緒に計算しながらやったけれど、プーちゃん一人でちゃんと計算出来るかな……昔からああいう勉強というか、頭を使うのが苦手な子だったし……あんまり変な所に描いたりしたら危ない事になると思うし……。
やがてプーちゃんは描く場所を見つけたのか見渡すのをやめ、海底に屈みこんだ。
……私、何心配してたんだろう。そうだよ、プーちゃんは確かに頭を使うのは苦手だったけれど、でもその代わり私よりもずっと直感が優れてる子だったじゃない。何だかんだで、上手くやる子だったじゃない。
「……うん。そこだよ、プーちゃん」
私がそう言った直後、プーちゃんは海底に線を引き『隙間』を作った。すぐさま海水の流れが変わり始めたのが見て取れ、プーちゃんはあの時と同じ様に空気を吐き出して浮上していった。
「……これは」
シュトゥルムさんがそう言うのと同時に足場が揺れ始め、壁にひびが入り始める。そのひびの隙間から水が漏れだし、唯一存在している私達が立っている足場は少しずつ水没し始めていた。
「彼女は何をやったんだ?」
「……私が出来なかったことをやってくれただけです」
やがて足場は完全に水没し、私達の胸元まで水が達してきていた。その状況から察してのか、シュトゥルムさんはどこか名残惜しそうな表情をしながら、浮上しているプーちゃんを見た。
「……ここまでか」
「シュトゥルムさん、私がこんな事言うのもおかしな話かもしれないですけれど、こんな事しちゃ駄目ですよ。錬金術はこんな事に使っちゃ駄目です」
「……ああ、そうだな。仮初にも私ともあろうものが、少し惑わされていた様だ」
凄まじい勢いで水が上昇し、私達の体は天井すれすれまで上がり、水は最早喉元まで来ている。
「ではさらばだ『司令部』よ! 今まで世話になった! もう来る事は無いだろう! 永遠に眠れ、これが私からの最後の命令である!」
頭の先まで水に呑まれた私は、そこで意識を失った。
「馬鹿野郎! イカレてんのか!?」
「プレリエちゃんマジでやめてってそういうの!」
私の耳に最初に聞こえてきたのはぺスカさんとスバルさんの声だった。何とか声を出そうとしてみたものの、まだ少し水が残っていたのか、咳き込んで海水を吐き出した。
「オイ! ガキ! オイ、聞こえるか!?」
私は取り合えず無事を伝えようと顔を縦に振り、手を小さく振る。するとドタドタと慌ただしく小走りで走る音が聞こえたかと思うと、プーちゃんが私の手を握り込んだ。
「ヴィーゼ! ヴィーゼ!」
「あ、プーちゃん……」
「良かったぁ……良かったぁぁ……」
ああ……やっぱりいつものプーちゃんだ。イタズラ好きなのに、ちょっぴり泣き虫な私の妹……。だけれど、本当は誰よりも優しくって強い子。
「オイ、無理すんなよ」
「大丈夫ですよ」
私はびしょ濡れの身体を起こし、握られていた手を離すとそのまま泣き虫な妹を抱きしめた。そうしてあげるのが正解だと、今までの人生でよく知っているから。
「頑張ったんだね」
「ん……うん……」
「えらいね……いっぱい、頑張ったんだね……」
まさか一人であそこまでやるなんて思ってもみなかった。正直私だって真っ暗な海の中に一人で行くってなったら躊躇してたと思う。だからプーちゃんが来てくれるってなった時、内心ほっとしてた。でもこの子は一人でやったんだ。私が知らない間に凄く強い子になってたんだ。
「ヴィーゼ」
「うん?」
「……ありがと、一緒に居てくれて」
「私こそ、ありがとう。助けてくれて」
後ろでドカッと座り込む音が聞こえる。
「あーあもう肝が冷えたよホント……」
「全くだ……」
慌てて抱擁をやめ、後ろへと振り返る。
「あっえっとすみません! ご迷惑をお掛けして……!」
「……これっきりにしろよな。流石に面倒見切れねぇよ」
「まあ何ともなくて良かったよ。それよりほら」
ぺスカさんはそう言うと、こちらに向けて顎を少しクイッと動かした。何事かと思いプーちゃんの方に顔を戻すと、涙や鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしたプーちゃんがこちらをジーっと見つめていた。
「ヴィーゼ……」
「な、何?」
「見てくんなきゃヤダ……」
「え?」
「今はあたしとぎゅってしてたんだからこっち見ててくんなきゃヤダ! ぎゅってするのはあたしなんだからぎゅってして!」
……成長したって思ってたけれど、やっぱりまだまだ手間が掛かるなぁ……。いつもより我儘な感じになっちゃってるし……。
「あーっごめんね、ぎゅーしようね?」
「ん……」
やっぱり無理してたんだ……この子がここまで人目を気にせずに甘える事なんてそうそう無いし……。
「ずっと一緒……」
「うん、ずっと一緒……」
ちょっと恥ずかしいけれど、でも今はいっぱい甘やかせてあげよう。こんなに頑張ったんだもん、お母さんだってきっとこうする筈だし、お父さんだってこうする筈だ。
「……」
「……うん。私もだよ」
ぺスカさん達には聞こえなかったであろう程の小さなプーちゃんの言葉に答えた私は、最愛の大切な妹が疲れて眠ってしまうまで、抱きしめ背中を優しく撫で続けた。




