第52話:大海原、上へ浮かぶか下へ沈むか
大小様々な魚達が泳いでいるのを見送りながら、私達はどんどん下へと降下していく。やがて、貝類が多く見られる海底へと到着した。
「……凄いねこれ。本当に息出来るよ」
「ああ。しかしあんまし長居はしたくねぇな。ほら行くぞ」
スバルさんがそう言うと二人は抱えていた私達をそっと離した。初めて海底から海を見たという事もあって少し高揚していたが、今成すべき事をするためゆっくりと歩き出した。本来なら水の抵抗を受けて歩く速度が遅くなりそうだったが、エア・ピルのお陰か抵抗を感じる事なく地上と同じ様に動く事が出来た。
「えっとこっちの方ですよね?」
「うん。そっちで合ってるよヴィーゼちゃん」
「気ぃつけな。陸地から離れるにつれて深くなるからな」
確かにそう通りだ。特に今は夜だし、更にここは太陽の光が入りにくい海底。一応ランタンが問題無く使えはするけれど、油断は禁物だよね。
「ねぇねぇぺスカ姉、今どの位の深さなの?」
「んー私もはっきりとは分かんないかな。ただ船一隻が沈んでるとなるとそこそこの深度が必要になるかな」
「オレ達も話に聞いてるだけで、実際に沈む瞬間を見た訳じゃないしな」
「そっか」
スバルさんの言う『そこそこの深さ』がどれ位なのかは私にも分からないけれどそれなりの深度が必要なのは私にも分かる。
周囲に気をつけながらゆっくりと歩みを進めていくと、僅かではあるが地面が傾斜になっている事に気が付いた。どうやらここから先の方は私達が降下した地点よりも深くなっているらしい。
「まだ深くなるみたいですね……」
「気をつけなよ? 無理そうならすぐに引き返してね」
私達はゆっくりと踏みしめながら前へと進んでいく。周りを泳いでいた達は少しずつその数を減らしていき、やがて砕けた木片の様な物が点在する様になってきた。
多分沈没地点に近付いてきてる。幸いまだエア・ピルの効果はもちそうだし、それに完全に深海って訳でもなさそう。きっともうすぐだ。
しばらく進んでいくと、やがて船体が大きく断裂している船の残骸へと辿り着いた。所々が変色しておりそこそこの年月が経っている事が確認出来、小さな魚達の絶好の隠れ場になっている様だった。しかし、その見た目はあまりにも不可解なものだった。
「これって……」
断裂している船体の丁度中央辺りに一部破損した軍服を着た人間が仰向けの姿勢で一人浮遊していた。すでに沈没してから何年も経っているにも関わらず、その見た目はまるでまだ生きているかの様だった。正直遺体が酷い状態になっていない点はプーちゃんにとっては良かったとも思えたが、この事実は同時にこの遺体が普通ではないという事を証明していた。
「ヴィ、ヴィーゼあれ……」
「大丈夫だからね……」
不安がるプーちゃんの手を握る。私達の身に纏っている泡が引っ付きあう。
「こりゃ相当ヤバそうだね……」
「何がどうなってんだこりゃ……どうすればあんなに綺麗なままになるんだ?」
やっぱり二人共おかしいって思ってる。普通なら目も背けたくなる様な酷い状態になっている筈なのに、これだけ綺麗っていうのはやっぱりおかしいよね……。錬金術を使えばこういうのも出来るのかな? 少なくとも私は聞いた事がないし、やった事もないけれど……。
「ヴィーゼ、どうする……?」
「ま、まずは、だよ……どうなってるのか調べてみないと……」
私はプーちゃんから手を離し、ゆっくりと遺体へと近付こうとする。しかしそれをスバルさんの腕が遮った。
「待て……オレがやる。お前ぇらは下がってろ」
「えっでも……」
「いいから言う事聞け」
静かでありながら、しかし威圧感のある声に私は抵抗する事が出来ず、元居た位置まで下がる。スバルさんは銛を片手に構えたまま遺体へと近付いていき、もう片方の手で遺体の手首辺りを触った。遺体は死んでいるという事もあってか微動だにせず、ただただそこに浮かんでいるだけだった。
「どうスバル……?」
「……これ、相当ヤバイんじゃねぇのか?」
「え?」
スバルさんは手首から手を離すと今度は首へと触れた。
「……こいつ、生きてる」
生きてる……? 見てもそんな筈ないのに、生きてるって……。確かに腐敗が一切進んでいない事を考えるとありえそうだけれど、でもどうやって生きてるの? こんな海底で特別な道具を使ってる感じもないのに、身動き一つ取れてないのに問題無く生きてるっていうの……?
「スバル、脈のペースはどの位?」
「普通に生きてる人間と同じ位だ。ゆっくりと安定したペースだ、オレ達がリラックスしてる状態と同じ位、だと思うが……」
「ぺスカさん、これ……」
「うん普通じゃないね。魔法か何かなら出来るのかもだけど、そうだとして理由が分かんないな」
もしこれが魔法じゃないとしたなら、間違いなく錬金術だ。でもどうやってこの状態を保ってるんだろう……こんなに水に囲まれた場所でその影響を受けてないなんて……。
「どうすんだ? オレとしちゃあこいつは何かヤバイ感じがするんだが」
「私もスバルに賛成かな。相当ヤバイよ、これ」
でもこれが錬金術によるものなら、私達が何とかしなくちゃいけない。水の精霊と約束したんだし、それにこんな場所だと……きっと誰にも気づかれない。永遠に海の中で孤独にずっと……。
「……ヴィーゼ」
「プーちゃん?」
「やろ。何とかして、さ……」
正直意外だった。まさかプーちゃんの方からそう言ってくるとは思ってもみなかったからだ。もしかしたら目の前のこの人がまだ、生きていると聞いたからかもしれないけれど。
「おい正気か? どう考えてもヤバイだろこれは!」
「ねぇ双子ちゃん。やるにしても、何か考えはあるの? 無いんだったら賛成出来ないよ私は」
問題はそこだ。今この状況で使えそうな物はランタン、絵筆、そしてぺスカさんとスバルさんが持ってる銛とロープだけだ。これだけで何とかしなくちゃいけない。
「スバルさん、その人動かせそうですか?」
「あ? ……いや、多少は動くががっつりとは無理だな。つーかマジでやる気なのかよ……」
少しは動かせるって事か……という事は上手くやればこの場所そのものから離れさせる事位は出来るかもしれない。その後どうするればいいかはまだ浮かばないけれど……。
「ヴィーゼ、そこの船の横のとこにさ、筆で『隙間』作っちゃえばいいんじゃない?」
「うん、私もそう考えたんだけれど、それだとその後どうやってこの人を回収すればいいのかなって……」
私はすぐ近くの船体に手を触れる。船壁は空気の壁の中に入ってくると、びっしゃりと濡れた姿を見せた。海水に濡れていたので当たり前と言えば当たり前ではあるが、長い間沈んでいたからか触れてみると少し不快な感触だった。
「筆自体は使えそう。でもここで使ったらきっと前の時みたいに海水まで『隙間』に呑み込まれると思う。そうなったらきっと大変な事になる」
スバルさんが口を開く。
「ああ、あのテロリスト捕まえた時のやつか。あのマストはもう使えねぇーって話だったな」
「私達も見たけどあれ凄かったね。下手に触るなって言われたし」
あの『隙間』の最大の問題は塞げないって点にある。塞げないからこそ対処がしにくいし、マストも変えなきゃいけなくなった。もっとも、そういう風に作ってしまったのは私達だけれど……。
「……ねぇヴィーゼ」
「うん?」
「今思ったんだけどさ、別に無理に地上に連れて帰る必要はないんじゃないかな」
「どういう意味?」
「そのさ、えっと……その人生きてるんだよね? でもその、死んじゃったみたいに動かないし、それに海の中でも全然平気そうじゃん? だったらさ、ここに『隙間』を作って、もう一つは陸近くの海の中に作ればいいんじゃないかな?」
そうか、そうすれば確かに海から海へ移動しただけだし海水の心配もないか。いやでも、あのマストに作られた『隙間』は塞げてないし、そっちから出てくる可能性も十分にありえるか……。
「でもプーちゃん、他に作った『隙間』から出てくる可能性もあるよ?」
そう言ったところで、ぺスカさんが口を挟む。
「あーえっとさ、その事なんだけどね」
「え?」
「いやぁ他の人らと一緒に使えなくなったマストの解体してたのね? その時にさ二人が言ってる『隙間』ってやつをバサッといっちゃってさ……」
「それって切っちゃったって意味?」
「そそ。そしたらその『隙間』が消えちゃってさ……私何かまずい事したかな?」
消えた? あの『隙間』がただ切られただけで消えたの? どうやっても消せないって思いこんでいたけれど、本当は消し方があったって事?
「あ、あの! その後どうなりましたか!?」
「えっ? いや何か『隙間』が無くなった場所に窪みみたいなのが出来ただけで、それ以外は何とも無かったんだけど」
……行ける。これなら行ける! ぺスカさんが今言った話が事実なら、この人を問題無く運ぶ事が出来る! 『隙間』を二つ作ればそれでいいんだ!
私はあの絵筆を取り出すと描きやすく、それでいて尚且つシュトゥルムさんと思しき人を動かしやすい位置を探し始めた。
「ぺスカさん、スバルさん! その人の身体にロープを結んでください! 出来るだけ固く解けにくい様にお願いします! それとロープの一端に重りになる銛を括り付けておいてください! プーちゃんはこっち来て!」
ぺスカさんとスバルさんは少し困惑した様子だったが、私の様子を見てか言う通りに結び始めてくれた。プーちゃんを連れた私は、再び丁度いい場所を探し始める。
「どうするのヴィーゼ?」
「あの人はあの場所から少ししか動かせないってスバルさんは言ってた。でもそれはあくまで人の力で動かすのはそこまでが限界って意味だと思うの。だけれど、プーちゃんが言ってた様に海と海を繋げば動かせると思うんだ。自然の力は私達の想像以上の力だしね」
「でもあの『隙間』の中がどうなってるかあたし達には分かんないんだよ?」
「大丈夫だよ。ぺスカさんが言ってたみたいに、マストとかは完全に解体しちゃってるみたいだし、お父さんのあの服に出来てた『隙間』は人一人分を出せる程の大きさはないよ。最初に実験用に使った紙の『隙間』も当然それだけの大きさは無いし、リチェランテさんが爆弾を隠すために使った『隙間』もきっと爆発で壊れちゃってるんじゃないかな。だとしたら、新しく作ってしまえば当然行き場はそこしかなくなるって訳」
「……んーまあヴィーゼがそう言うんならそうかな、うん」
「…………ちゃんと聞いてたよね?」
今一理解出来ていなさそうな雰囲気を感じつつも一緒にいい感じの場所を探し、距離を計算した結果何とか『隙間』を作る場所を発見出来た。既にぺスカさん達の作業は終わっており、後はここともう一つの場所に『隙間』を作るだけとなった。しかし、体を包んでいる空気が小さくなっているのを感じたため、私は全員に予備のエア・ピルを手渡す。
「そろそろ時間切れになると思うんで、念のために呑んでおいてください」
「はいはい」
「これ副作用とかねぇだろうな……?」
「じゃあ行きますよ? 近くの動きにくいものに掴まってくださいね?」
全員呑み込んだのを確認した後、私は目星をつけておいた船壁に絵筆で線を引き、『隙間』を作り出した。すると付近の海水が一斉にそこに流れ始め、それに引きずり込まれる様にしてシュトゥルムさんと思しきロープを括り付けた人が動き始めた。未知の力でそこに留まろうとしている様に見えたが、それも自然の力の前では無意味らしく、やがてロープや銛ごと完全に吸い込まれた。
「……よし、それじゃあ戻りましょう。なるべく急いだ方がいいかもしれません」
「戻るっつってもどうすんだよ? オレら全員沈んでんだぞ?」
「簡単だよ! ねっヴィーゼ?」
「うん。じゃあ真似してくださいね」
私は可能な限り息を吸い込むとその吸い込んだ空気を全部吐き出すかの様に勢いよく口から噴き出した。するとエア・ピルの影響で体内から出ている空気も通常より多く吐き出され、私を包んでいる空気がより大きくなり、ふわりと海底から浮かび上がった。プーちゃんは私に置いていかれない様にするためか、すぐに後を追う様に浮かんできた。
「ふぅ……後はこの要領で上まで行きます。エア・ピルの予備はまだあるので大丈夫です」
「オイオイマジかよ、フグの真似でもしろってか……」
「いいじゃん面白そうで。ささっスバル、置いてくよ」
「ほらスバル姉早くってば!」
スバルさんは少し嫌そうな顔をしてはいたが、それ以外に方法が無さそうだと感じたらしく、一緒になって空気を吐き出した。そのまま私達は他人から見ると酷く滑稽な表情をしながら上へ上へと浮上していき、最終的に何とか海上へと戻る事が出来た。
「ぷっはぁ! ぷっふふふ……」
「どうしたのプーちゃん?」
「いや、ヴィーゼ必死過ぎて顔真っ赤になってたのがおかしくてさ……」
「しょ、しょうがないじゃん、浮かぶ用の道具とか作って無かったんだし……」
恥ずかしい……それ以外に方法が無かったとはいえ……。
「オイ、泳げそうか?」
「多分大丈夫です」
「ちょっと船から離れちゃってるから泳いで行こうと思うんだけど、ホントにオッケー? 無理そうなら掴まってもいいよ?」
慣れない場所だったからちょっと疲れてはいるけれど、でもここまでやってもらって甘える訳にはいかない。幸いそこまで離れてる訳でもないし、自分で泳ごう。
「いえ、大丈夫です」
「プレリエちゃんもオッケー?」
「全然大丈夫!」
「よし、そんじゃ行くよ」
こうして私達は船に向かって各々離れない様に泳ぎ始めた。距離が近かったため全員すぐに辿り着き、船へと上がり始めた。ぺスカさんとスバルさんが先に上がりプーちゃんを引き上げ、残るは私一人となった。もう大丈夫だと思ったその矢先だった、ぺスカさんの腕が私を持ち上げようとした時だった。
「……っ?」
視界が揺らぐ、まるで荒波の中に浮かんでいるかの様に視界がぐわんぐわんと揺れ、体の平衡感覚が奪われたかの様だった。
「……!?」
ぺスカさんが何かを言っているのが聞こえたが、上手く耳が音を拾えなかった。まるで水の中に居るかの様に音がこもり、全身に力が入らなくなる。
「……!!」
スバルさんの声が聞こえ、体に触れている手の数が多くなる。しかし最早どちらが上か下かも分からず、自分が引き上げられようとしているのか、それとも引きずり込まれようとしているのかも判断がつかなかった。上に上がろうと力を入れようにも、まるで鉛でも詰まっているかの様に体が重く、力が入らない。
「……っ! ……っ!!」
助けを求めて声を出そうとしたものの声はまるで出ず、それどころか胸がまるで火に焼かれているかの様に痛み始めた。やがて助けを求めるために出そうとしていた声は痛みからの悲鳴へと変わりそうになった。しかしそれさえも上手く出せず、私の耳には不快なこもった音が響いているだけだった。
この感じ……知ってる……痛い……そうだ、あの時と同じ……痛い……プーちゃん、せめてあの子だけは……痛い……やだ、やだ……やだよ、お別れなんてやだ……ずっと一緒に居るって……痛、痛い痛い……やくそ……。
意識が闇へと呑み込まれる寸前に私が感じたのは、私の身体全身を抱きしめる様にぶつかってきた、よく知っている小さな温もりだった。




