第51話:常闇の世界
道具が出来るまでの間に作戦を立てる事にした私達はベッドに腰掛けながら頭を働かせていた。
実行する時間……多分昼間にやったら確実に怪しまれる筈。港には人だって多いし、この船だって沢山人が居る。狙うんなら、人が少なくなる夜だよね。きっと海底は昼でも夜でも暗いだろうし、どっちでもそんなに変わりはない。
「それでヴィーゼ、いつやるの?」
「やるなら夜が狙い目かも。怪しまれたらそれでおしまいだろうし」
幸い荷物の中にランタンはある。今作ってる道具が想定通りに出来ているなら、きっと水中でも問題無く火が使える筈。そもそもちゃんと出来てなければ、水中に入る事も難しいんだけれど……。
「えっとさヴィーゼ、一応誰か連れて行った方がいいんじゃない?」
「誰かって……誰に? バレちゃったらおしまいなんだよ? 絶対止められるよ」
「でもさ、もし仮にあたしも一緒に行くとしても、二人じゃどうしようもなくない? そもそも海底に何があるかも正確に分かってないんだし」
それはその通りだ。あの海底にシュトゥルムさんが沈んでいるっていうのも、あくまで私の憶測に過ぎない。もしかしたらあそこには誰も沈んでなくて、また別の何かがあるのかもしれない。そう考えると出来ればリオンさん辺りに付いてきて欲しいところだけれど……きっとあの人はそんな危険な事許してくれる筈がない。
「……プーちゃん、やっぱりダメだよ。行くなら私一人か……それかプーちゃんと二人じゃないと。こんな事頼んで許してくれる人なんているかどうか……」
「んー、そっか。そうだよね」
誰かに協力を仰ぐ訳にはいかない。それよりも今考えるべきは、実際に海底に行って何をすべきかだ。もしもあの沈没地点にシュトゥルムさん、あるいは誰かの遺体があるんだとしたら、きっとあの不快感や声の正体はその人だ。遺跡に埋められてたシルヴィエさんと同じ様に何かの方法で解放しないといけない。
部屋の中を見渡し、使えそうな物が無いか確認する。当たり前ではあるが、ここに置いてあるのはどれも日用品レベルの物ばかりで、爆弾の様な危険物は存在していない。唯一特殊な物と言えば、私達が作ったあの絵筆だけだ。
「どうしたのヴィーゼ?」
「いや……あの絵筆、使えるかなって」
「使えるって……どうやって?」
「どうって……何となくそんな気がしただけだよ」
今から爆弾を作るにしても海底じゃきっと使えない。今作っている道具はあくまで人間一人の身体を包む様に空気を出すだけだ。道具単体を包むなんて事は出来ない。あの絵筆を使えば、取り合えず遺体だけを回収する事は出来るかな……?
あれこれと考えていると釜から出ていた煙が消え、調合が完了している事に気が付いた。すぐに蓋を開け、中を見ない様に腕を突っ込んでみると指先に小さな丸薬の様な物がいくつか触れた。それを引き上げてみると水色をした半透明な丸薬が手の平の上に転がっていた。
「おーこれかぁ」
「多分これで完成してると思う。ちょっと試してみよう」
試しに一粒口の中に入れ、一思いに呑み込む。すると体の中で何かが膨らむような感覚がし始めた。
これはいい感じかもしれない。私が想像していた感じに凄く似てる。後は……。
体の中に溜まった空気を外に吐き出す様に息をゆっくりと吐くと、体の表面がふわりとする様な感覚に包まれた。ゆっくりと腕を前に伸ばしてみると、腕の皮膚が何かに触れたかの様な感覚を憶えた。
「どう?」
「うん、問題なさそう。これなら行けるよ」
これで準備は出来た。後は方法だけれど、やっぱりあの絵筆を使うしか思いつかない。上手くいく確証はないけれど、現地がどうなっているか分からない以上行ってみない事には分からない。
「……プーちゃん、後は夜になるまで待とう」
「もういいの?」
「うん。この筆でどうにもならなかったら、きっと今の私達に出来る事は無いだろうし」
こうして準備を終えた私達は夜が来るまでの間、部屋で休む事にした。
お父さんが帰ってきた後食事を終えた私達はベッドに入って眠ったフリをしていた。食堂で聞いた話によると明日の朝にはもう出発するらしく、やはり決行するには今夜しか無さそうだった。
「……プーちゃん」
「うん……」
お父さんを起こさない様にこっそりと部屋から抜け出した私達は廊下をひっそりと進み、船の尾部へと向かっていった。一旦港に出る事も考えていたが、扉が閉められている可能性や見張りの人が居る可能性を考えると、内部を通って行った方が確実だと考えたからだ。
「確かこっちの方に行けば釣りが出来そうな場所があった筈。ベランダみたいに開けてて、あそこなら出られる筈……」
「オッケ……」
薄暗い廊下を抜け尾部に達した私達は急いで扉を開け外へと出た。私が想定していた通りに場所に出る事は出来たものの、そこには予想外の人物が居た。
「あれっ?」
「あ?」
そこに居たのはぺスカさんとスバルさんだった。本来なら船団に所属している別の船に乗っている事が多い筈の二人がそこに居るのはあまりにも予想外の事だった。
「どうしたの双子ちゃん? もう暗いよ?」
「ガキは寝る時間だろうが。さっさと戻れ」
まずい……何でよりにもよってこのタイミングで……。どうしよう言い訳なんて考えても無かった……。
「あっ、えっと……」
「オレの言う事が聞けねぇのか、オイ?」
「まあまあスバル落ち着きなってば。ね、双子ちゃん。何か用があってここに来たんだよね? 私に教えてくれない?」
きっとどう言い訳してもバレる。いい感じの嘘が全く思い浮かばないし、自分の嘘が通用するとは思えない。昔プーちゃんから『ヴィーゼは嘘ついてたらすぐ分かる』って言われた位だし……。
「ヴィーゼこれ無理でしょ……」
「……えっと、実は……」
観念した私は今から私達が実行しようとしていた計画全てを話した。勿論あの海の中にあるかもしれない遺体の事も。
「……なるほどねぇ」
話を終えた後最初に口を開いたのはぺスカさんだった。
「まあ聞いた事はあるよ。あの辺で船が沈んだって事はさ」
「……だがよ、そこに沈んでるもんがお前ぇらが気分悪くなった理由ってのはこじつけじゃねぇのか?」
こじつけと言われてしまえばそれまでだ。でも私にはどうもそうは思えない。シルヴィエさんの前例がある以上は、完全に関係ないとは言い切れない。
「こ、こじつけじゃないんだって! 二人は知らないかもしれないけど! あの無人島にあった遺跡に……!」
「知ってるよ」
「えっ?」
「私もスバルも防衛隊長から聞いた。相当酷い状態だったってのもね」
「オレもその状況が異常だったってのは分かる。でも今回のも同じとは言えねぇだろうが」
完全にとは私も言えない。だけれど、似た何かなのは間違いない。あの感覚は間違いなく、あの遺跡と近いものだった。
「同じです」
「何でそう言えるんだよ」
「……私達には分かるんです」
行かせてもらえないかもしれない。だけれどこの感覚自体は間違いない。これだけは譲れない。
私はスバルさんの鋭い目を真っ直ぐに見つめる。本当なら目を逸らせてしまいたかったが、涙が出そうになるのをグッと堪えた。
「……ねぇスバル、信じてあげようよ」
「分かった信じてやる。でもそれだけだ……さっさと回れ右して部屋に戻りな」
「……分かりました」
仕方ない。この二人相手に説得するのは難しそうだし……。
私は振り返り、プーちゃんにエア・ピルの半分を手渡すと素早く振り返り、二人を押しのける様にしてプーちゃんと共に海へと身を投げた。着水する前に素早くエア・ピルを呑み込み、目を閉じて体に掛かる着水の衝撃に備えた。
「オイバカ!!」
「ちょっ、ちょっと!?」
幸いにも口から出て来た空気のお陰で着水時の衝撃を和らげる事が出来た。しかしその直後私達の周りに二つの衝撃が起こり、水面が揺れる。何事かと周りを見渡そうとした瞬間、空気の層の中へと誰かの手が侵入し、私の身体を掴む。
「ちょっとちょっと冗談じゃないって!?」
「馬鹿野郎! イカレてんのか!?」
どうやら私を掴んでいたのはぺスカさんで、プーちゃんも同様にスバルさんに掴まっていた。
「お、お願いです! お二人には分からないかもしれないですけど、きっと助けを求めてる声なんですあの声は!」
「暴れない暴れない……分かった分かったってば。だから話聞いてよ、ね?」
ぺスカさんは抱きかかえたまま私の肩を軽く叩いた。
「きっと連れ戻しても目を盗んでまた行こうとするんでしょ? 私が一緒に行くからさ、それで勘弁してくれない?」
「え、何を言って……」
「いやぁマジな話さ、これでもし二人に何かあったってなったら大騒ぎじゃない。だから付いていくよ。ほら海の上じゃ先輩の私達の助言が必要でしょ?」
正直助けてもらえるのはありがたい。でも二人は怒られたりしないのかな……勝手にそんな事したら……。
「ねっスバルもいいよね?」
「……海で勝手に死なれちゃいい迷惑だ。今回だけだかんな」
「よしスバルも賛成だって。それじゃ二人共このまま掴まっててよ? 効率的にいかないとね」
そう言うとぺスカさんとスバルさんは私達二人を抱えたまま泳ぎ、近くにあった一隻の船へと担ぎ上げた。小型の船ではあるがいくつかの装備から、本来は釣りをするために使われている船だと分かった。
「座っててよー?」
「あ、はい」
二人で隣あって腰を下ろす。
「何か、予想外だったねヴィーゼ」
「う、うん。まさかぺスカさん達が居るなんて……」
「でもさ、これって送ってくれるって事でしょ? 何だかんだ結果的には良かったんじゃない?」
「そうだね……うん」
実際あのまま部屋へと送り戻されてもおかしくは無かった。そう考えれば、この状況は結構運がいいって言えるかな。後はこのまま何も問題が起きなければいいんだけれど……。
「船出すぞ! しっかり捕まっとけよ!」
スバルさんの声と共に船はゆっくりと進み始めた。海面には月や星が反射しており、まるで夜空を掻き分けながら進んでいる様で少し幻想的な気持ちだった。それはプーちゃんも同じだった様で楽しそうに海面を覗き込んで見つめていた。
船が出てから少し経ち、やがて船はゆっくりと速度を落とし止まった。遠くにはリューベの港が見え、今まで乗っていたあの大きな船でさえ、小さく見えていた。
「ここだね」
「ああ、間違いねぇよ」
ぺスカさんとスバルさんは船が動かない様に手早く錨を下ろし、座っている私達に近付いた。
「よし、それでどうするの?」
「えっと……一度海底に潜ろうと思ってます」
「アホか、死ぬぞ」
「ええ、ですからこれを……」
私は持っていたエア・ピルを一粒ずつ二人に手渡す。
「何これ?」
「えっとね、それをこう呑み込むとだね……何と水の中でも息が出来ちゃうんだ!」
「それマジ? マジで言ってるの?」
「胡散臭ぇな……」
「いいから信じて!」
二人は怪訝そうな顔をしていたものの、それを呑み込んだ。すると数秒後、二人の髪の毛が一瞬ふわりと揺れた。私の時と同じ様に。
「……何か変な感じするけど、これでいいの?」
「そうそう。それじゃ行く、ヴィーゼ?」
「そうだね。なるべく朝までに終わらせないと……」
そうして船の縁に立った私達をぺスカさんとスバルさんが抱える様にして止める。ぺスカの片手にはロープが、スバルさんの片手には銛が握られていた。
「待った待った。一緒に行くよ。下がどうなってるか分かんないんだしさ」
「しっかり捕まっとけよ。オレにも助けられる限度があるんだからな」
「は、はい」
「……前にも思ったけどスバル姉ちっちゃくない?」
少し鈍い音が響き、私達は海へと足から落ちた。本来なら浮かぶ筈の身体はどんどん真っ暗な海底へと沈んでいき、魚達は私達を避ける様にして泳ぎ去っていく。急いで鞄からランタンを取り出し、火を点ける。きっと魚達から見れば私達は相当異質な存在だろう。
薄ぼんやりとした明かりを放ちながら、私達は真っ黒に染められた海の底へと降下していった。




