第46話:その悪意は泡の様に儚く消える
ノルベルトさん……正確にはリチェランテさんの動きを止めるために、私は周囲を警戒しながら考えを巡らせる。
あの時、お父さんの背中に見えたのは間違いなく『隙間』だった。そこから何か小さな筒みたいなのが出て来てその直後に炸裂音と共にシーシャさんが倒れたんだ。きっと何かしらの飛び道具なのは間違いない。私達が知らない様な、もしかしたら他の誰もが知らない様な武器……。
リュシナの提督と戦闘を行っているリオンさん達の方へと視線を向ける。
最初の一撃はあっちからだった筈……シーシャさんの立ち位置と傷の位置……他の方向から何かを飛ばしたんじゃああいう風にはならない筈……。そして次がお父さんの背中からだった。あの人はこっちの位置を正確に認識出来てるのかな? もし、もしそうなんだったら……何かおかしい気がする。
「お父さん、さっきの攻撃の時何か違和感とか無かった……?」
「い、いやどうだろう……何も無かった様な気がするけど……」
違和感を感じなかったのが本当なら、あの絵筆で『隙間』の向こうから出入り口を作られても何も感じないって事だよね。それに見た感じだとお父さんの上着の背中にはまだ『隙間』が開いてる。あの人はこの『隙間』を閉じる事が出来ない……?
もう一度リオンさん達の方へと視線を戻す。するとさっきまでは見えていなかった『隙間』が微かに見えた。もう既に体がほとんど動かなかくなっている提督の右脇腹、そこに人間の手を通すには十分な大きさの『隙間』が作られていた。
そうかあそこから最初の攻撃が来たんだ……! 確かにあの位置ならシーシャさんの傷の位置とも一致する。それに狙いにくいから攻撃する場所を変えてきたのも理解出来る。
そこに気付いた瞬間、再びあの炸裂音が響く。音に少し怯んでしまったものの咄嗟に甲板を見渡すと、他の人と避難してきていたミーファさんが腰を抜かす様に尻餅をついていた。その足元には何か小さな物が貫通したかの様な穴が開いていた。
「大丈夫ですか!?」
「あ、ああ! き、急に穴が開いたんだよ!」
穴の位置から予測して上を見てみると、マストの上の方に同じ様に『隙間』が出来ているのが確認出来た。
結構距離が離れてる……だから当たらなかった? でももしそうだとしたなら何でそんな位置から攻撃してきたの……? さっきみたいに至近距離で仕掛ければ確実の筈なのに……。
そこでふと私の脳裏にある可能性が過る。
「……場所を認識出来てない?」
「ど、どうしたのヴィーゼ?」
「ねぇプーちゃん……あの『隙間』の向こうってどこに繋がってるか分かる?」
「そ、そんなの分かんないって……ヴィーゼだって分かんないでしょ……?」
「……うん」
もしかしてそういう事なの? こっちからどこに繋がってるか分からない様に、向こうからも分かってない……? だから新しく『隙間』を作ったらすぐに攻撃をしてきてるの? 取り合えず誰かに当たる様に……。
「ヴィーゼ……どうする?」
後ろを振り返るとヴォーゲさんの肩を借り、シーシャさんが立ち上がっていた。
「だ、大丈夫なんですか?」
「……一応応急処置はしてもらった。細かい治療は後だな。それより、あいつの事だ……」
シーシャさんはマストの方を見る。
「この戦い……長引くと厄介だぞ」
「え、ええ。それは分かってはいるんですけれど……」
「消耗するのがまずいという、意味じゃないぞ……? あの『隙間』だったか……あれが消えてないという事はつまり、あれが増えれば増える程、より正確な攻撃を仕掛けてくるという意味だ……」
……そうだ、考えもしてなかったけれど、よく考えてみればそれが一番まずい……。きっとあの人はどの『隙間』がどこに繋がってるのか覚えてる筈だ。戦いが長引けば長引く程……攻撃出来る場所が増えていく……私達の逃げ場が無くなっていくって事なんだ。
「……どうしよう。あれが消せる道具なんて作ってない……」
「……よく考えろヴィーゼ。逆に言えば、あいつは『隙間』以外からこっちを見る事が出来ない、とも言えるんじゃないか……?」
『隙間』以外からはこっちを見れない……。
「だからこう、するんだ……!」
そう言うとシーシャさんはヴォーゲさんから離れ、矢筒から矢を一本取り出すと『隙間』が作られたマストに向けて放った。矢は『隙間』の中へと吸い込まれる様にして姿を消し、どこに行ったのか誰にも分からなかった。
「……ヴァッサさん、動かないでくれるか?」
「え、はい……」
シーシャさんはお父さんの背中にある『隙間』の射線に入らない様に立った。それを見たプーちゃんは何かを察したのか私の腕を引っ張り、反対側へと移動させた。それを見たシーシャさんは既に戦いを終えたらしいリオンさん達の方を向く。
「ヴォーゲさん、あっちの指示を出してあげてくれ」
「しかし……」
「私は大丈夫だ。もう大丈夫……」
不安そうな顔をしながらもヴォーゲさんが駆け出したその瞬間、『隙間』からあの筒の先端が顔を出した。それと同時にシーシャさんはその筒を掴みこちら側へと強く引っ張り始めた。すると筒の先端から火の様なものが一瞬弾け、それと共に炸裂音が響き甲板に穴が開いた。
「ヴィーゼ!」
「あっうん!」
私はプーちゃんの言葉に押される様に二人で『隙間』へと手を入れ、向こう側にあった腕の様な物を掴み力の限り引っ張った。しかしシーシャさんの力の方が強かったためか、リチェランテさんの手に握られていた筒状の武器は離れ、三人一緒に尻餅をついてしまった。
「いたた……だ、大丈夫ですか?」
「……ああ。これでいいんだ」
シーシャさんは取り上げた武器をしっかりと握り込む。
「ヴァッサさん。上着を脱いだ方がいい」
「えっと、はい」
お父さんは言われた通りに上着を脱ぎ、下に置いた。
「……やっぱり当たっていたらしいな」
「何がですか?」
「さっき私が攻撃された後に、ヴァッサさんの背中から攻撃が来ただろう。あの時に妙だと思ったんだ」
「妙?」
「あの時私達はヴィーゼのお陰で攻撃を躱せた。ただ全員身を伏せた状態になっていた、そうだろ?」
「あの、どういう事です?」
「もし私があいつなら、そこで追撃をする。全員がすぐには動けない体勢なんだからな。それなのにあいつはそこで一旦攻撃をやめたんだ」
確かにもしあそこで攻撃されてたら、誰かがまた怪我したり、下手したら死んでたかもしれない……。
「あ、それあたしもおかしいなって思ったんだ。だってさ、その……殺されちゃうのは嫌だけどさ、もしかしたらそのままやられちゃうかもって思ったし……」
「気付いてたか。あくまで予想でしかなかったが、これで確信した。あいつは連続での攻撃は出来ない。それにもう攻撃手段も持ってない」
もしまだ他に何か持っているならそれを使ってくる筈……でもあの武器を取られてから何も反応が無いって事は……。
「……さて、ヴィーゼ、プレリエ、どうする?」
「どうするって……?」
「あいつは二人を利用した。一緒になって騙された私にも責任はあるが、裁く権利は私には無い。その権利があるのは二人だ」
裁くって……私達は別に治安維持のお仕事をしてる訳でも法律のお仕事をしている訳でもない……。そんな私達にそんな権利が本当にあるの?
「私は、ちゃんと法律で裁くべきだと思います。個人の感情でどうこうしていい訳がないですよ」
「……そだね。あたしもそう思う。騙されたのはムカつくし、あいつがやったのは最低な事だけど、でもだからって痛めつけたりしてハイ解決っていうのは違うと思う」
「……ヴァッサさん、いい娘を持ったな」
「……ええ」
シーシャさんは傷口を抑えながらヴォーゲさん達の方へと歩き出す。
「じゃあ後は任せる。そいつをこっち側に追い出す方法は、私には分からないしな……」
「ま、任せるって言われても……」
「じゃあさヴィーゼ、あたしに任せてくれる?」
「え、何か考えでもあるの?」
「ちょ~っと待ってなさい~」
そう言うとプーちゃんは船の中へと駆け出して行った。残された私は上着が勝手に動く事が無い様に上から抑え付け、お父さんはショックで動揺している様子のクルードさんに声を掛けに行った。
思えばあの人の方が私達よりも傷付いてる筈だ。ずっと仲間だと思ってた人が、本当は国際手配犯だなんて……ショックに決まってる。
数分後、プーちゃんは何かを握りしめて戻ってきた。
「何してたの?」
「あいつに相応しいおしおきしてやるの。錬金術のちょっとした悪用よ」
「ちょっとダメだよ悪い事したら……!」
「いいから、ほら『隙間』の方、向けて」
そう言われ渋々『隙間』がある方を向けると、プーちゃんは両手を『隙間』に突っ込み、片手をもう片方の手にぶつける様な動きをするとすぐさま手を引き抜き、距離を取った。
「えっちょっと何したの?」
「決まってるじゃん。あたしの十八番、悪~い奴にバッチシ効くアレだよアレ」
プーちゃんがそう言った瞬間、私の鼻を何かが突き刺さる様な感覚が襲う。突然の事に上着を手放し、同じ様に距離を取る。
「ま、まさか……」
「そっ。そのまさかだよ。あんな悪い奴にはお似合いだよ」
プーちゃんが偶にイタズラに使ってるあの悪臭が出る玉……まさかまだ持ってたなんて……!
数秒後にはマストの方からリオンさん達の警戒を促す声が聞こえ始める。どうやらマストにある『隙間』の方からもあの悪臭が漏れ始めたらしい。
「ちょ、ちょっとプーちゃんまずいってこれ……!」
「まっ、冗談はこの辺にしとこっかな。確認も取れた事だし」
そう言うとプーちゃんは鼻を摘まみながら、まるで汚い物でも扱うかの様にお父さんの上着を海へと投げ捨てた。
「ちょっ、ちょっと何して!」
「まあまあ見てなって。これで出てこなかったら逆に凄いよ」
数秒後、突然マストや提督の遺体に付いていた『隙間』から海水が流れ始めた。『隙間』そのものが小さいからか、一気に流れ出るという事は起こらなかった。
「おーーい! 聞こえてんでしょー! さっさと出てきなよー!」
そうか……あの『隙間』は繋がってる。あの匂いが漏れてるのも繋がってるからだ。そして『隙間』が繋がるには、その中間になる場所が当然ある筈。もしそこに海水が一気に流れ込んだら……。
「ヴィーゼ! プレリエ! また攻撃が始まりました! 警戒を!」
「だーいじょーぶだよー! リオン姉ー! それより準備しといてー! 出てくるよあいつー!」
プーちゃんがそう言った直後、マストの『隙間』を無理やりこじ開ける様にして全身水浸しになったリチェランテさんが大量の海水と共に甲板に落下した。酷く息を切らしており、時折むせ込んでいた。
「修理班! 対処しろ!!」
ヴォーゲさんの指示を受け船員の人達が対処を始める中、防衛部隊の面々がリチェランテさんを囲む。
「大人しくお縄につきなさいキッドレス。もう終わりです」
「ゲホッ……ふぅ……なるほど。遂に悪運も尽きたか……」
「あなたの確保を依頼していた国の一つに送ります。抵抗はしないでください」
「……ああ。流石にどうしようもない。諦めるさ」
リチェランテさんが両手を上げ無抵抗の意思を示すと防衛部隊のメンバーによって縛られ、船の中へと連れていかれた。
「諦めてくれた、かな?」
「またやろうとしたら今度は至近距離であの匂い食らわすよ」
修理が進む中、クルードさんの方に視線を向ける。やはり相当ショックだったらしくお父さんの言葉にも反応を返していない様だった。
「ヴィーゼ……」
「うん、行こう」
二人でクルードさんへと近寄る。
「ヴィーゼ、プレリエ……」
「駄目そう……?」
「……クルードさん、この件は別に貴方だけの責任ではありませんよ。今回は皆が彼に騙されていたんです」
「そ、そうですよ。それにあの筆を作っちゃった私達の方が悪いというか……」
「そ、そーそー! あたし達が手伝わなかったらさ……」
小さく口が開かれる。
「知らなかったでは済まされない……」
「でも悪いのはクルードさんだけじゃ……」
「それは分かっているのです……ですが、ですがだからといって、許される訳では無い……。あの国は……リュシナはおしまいです……愚かな自分のせいで……」
この人だけが悪いんじゃない、私もプーちゃんも、勿論リチェランテさんも……全員が悪いんだ。クルードさんが言う様に知らなかったじゃ済まされない……。でも戦争をどうにか出来るだけの力なんて、私には無い……。
突然肩を叩かれ、振り返るとレレイさんが居た。顔には微かに煤の様な汚れが付いており、提督との戦いの壮絶さを思わせた。
「二人共部屋へ戻って。後は私達がやっておくから」
「でもレレイさん……」
「クルードさんの事なら大丈夫だから……今は私達に任せて、ね。それとヴァッサさん、少し手伝って頂きたい事があるので残って頂けると……」
「え、ええ。いいですよ」
レレイさんは私達に優しく微笑みはしたもののその目からは強く諭す様な何かを感じた。
「じゃあえっと、戻ります」
「ええ。じゃあヴィーゼ、プレリエ、ゆっくり休んで」
「はい」
「う、うん」
私達はその場をレレイさんに任せ、部屋へと歩き出した。その途中でシーシャさんも合流し、折角なので病室まで一緒に行く事にした。
「でもさ、シー姉よくお父さんの背中から次の攻撃が来るって分かったね」
「ああ、あれか。まあ多少誘導したからな」
「誘導ですか?」
「ああ。あの『隙間』に矢を撃ち込んだのは攻撃目的じゃない。あいつの意識をこっちに向けるためだ」
「意識を?」
「多分あいつは攻撃を受けた私は戦闘不能になったと考えた筈だ。だからミーファを狙ったんだろうしな」
確かにそのまま続けてシーシャさんを狙う様な事はしなかった。
「だから撃ったんだ。そうするとあいつは矢で遠距離から攻撃出来る私を最優先で殺す様に動く筈だと考えたんだ」
「でもさシー姉、新しい『隙間』作られたかもしれないよ?」
「多分それは無いと思ったが……」
「どうしてですか?」
「新しく『隙間』を作るよりも前に作ったやつを使う方が速いだろう。恐らくあいつは全ての『隙間』の配置を記憶していた筈だ」
きっとシーシャさんの予測は当たってる。あの時のリチェランテさんの行動から考えると、本当に全ての『隙間』の配置を覚えていたんだと思う。それに実際、船上のどこに繋がるか分からない『隙間』を新しく作るよりも確実な場所から攻撃した方が良かったから、お父さんの背中からまた攻撃してきたんだ。
「はぁ~~シー姉って凄いんだね」
「……野生動物を相手にしてれば自然と身に付くさ、こういうのは」
そのまま病室前で会話を終えた私達はそのままそこで別れ、各々休みに入る事にした。




