第40話:浸食する悪意、あるいは富裕層のためのビジネス
あの村を出てからどの位経っただろうか。海の上に居ると時間間隔が曖昧になってしまう。そんな事を考えながら私は体を起こす。
まだ夜だったらしく、ベッドではプーちゃんとお父さんが寝息を立てていた。
「……まだ夜かぁ」
もう一眠りしようかと思ったその時、突如外が夕方になったかの様に黄昏色に染まり、直後何かがぶつかったかの様に船が大きく揺れた。
「!?」
私は咄嗟にベッドのシーツを掴み踏ん張った。プーちゃんとお父さんは突然の揺れに目を覚まし、酷く動揺した様子で辺りを見回した。
「えっ!? ヴィーゼ、い、今の何!?」
「わ、分からない……いったい今のは……」
その時、扉が力強く開けられ、シーシャさんが焦った様子で入ってきた。
「し、シーシャさん……? 今のはいったい……」
「話は後だ! 三人ともこっちだ!」
「……二人共、行こう」
シーシャさんの言葉を聞いたお父さんは何かを察したらしく、私達の手を引いて共に部屋を出た。廊下では船員の人達が騒がしく走り回っており、何かとんでもない事態が起こったのだと予測させた。
船内を移動している際中、船員達に指示を出しているリオンさんの姿があった。その表情は鬼気迫るものがあり、防衛部隊隊長である彼女が指示を出しているという事で現状を大体予測する事が出来た。
「リオンさん!」
「シーシャ、甲板に急いでください! ここは我々が!」
リオンさんが指示を出してるって事は、やっぱりそういう事だよね……。誰かが攻撃をしてきたんだ。
リオンさんに言われた通りに甲板へ出てみるとヴォーゲさんが声を張り上げながら皆に指示を出していた。他の船に乗っている人達も大慌てで出航の準備をしていた。
甲板から見てみると二つの船団が確認出来、お互いに砲弾を撃ち込みあっていた。その様子は戦争をしている様に見え、どうやらあの海戦に巻き込まれたらしかった。
「シーシャさん、これはいったいどうなってるんですか?」
「……ヴァッサさん、どうやら巻き込まれたらしいんだ」
「巻き込まれた?」
「私は森の中で生まれ育った……だから他の国家間の争いなんてものは詳しくない。だがどう見てもあれは戦争だ。規模は小さい様だが……」
私は戦争がどんなものなのか見た事が無いし、それこそ本で少し読んだ事がある程度だ。でも、確かに戦争にしては少し規模が小さい様にも思える。お互いに様子見でもしてるのかな……?
シーシャさんと話していると、足早にレレイさんが近寄ってきた。
「大丈夫だった?」
「……レレイさん、何が起こってるんですか?」
「ごめんなさい、完全に予想外だったの……。まさかどっちも灯りを消してるなんて……」
灯りを消してる……?
「あ、えっとレレイさん、今のってどういう意味ですか?」
「あの二つの艦隊……どっちも戦闘が始まるまで灯り一つ点けてなかったの。こんな真夜中だっていうのにね……」
真っ暗な夜の海で灯りを点けてなかった……? 不意打ちで相手を攻撃するつもりだったのかな……? でも、もしどこかに座礁でもしてしまったら意味が無い。それなのに何でそんな事を……?
「一応被害は出てないわ。ただ損傷はしてるし、この状態のまま航海を続けるのは少し危険だと思う」
「では、一度どこかに停泊するという事ですか?」
「そうですねヴァッサさん。修理も必要でしょうし……」
黙ったまま震えるプーちゃんの手を握り、撃ち合いをしている艦隊に目を向ける。
何か引っかかる……。本当にただ巻き込まれただけなのかな? 片方の艦隊だけが灯りを点けていなかったっていうなら、まだ理解は出来るんだけれど、両方共っていうのは何か作為的なものを感じる。気のせいかもしれないけれど……。
「とにかく、なるべく甲板に居てください。損傷箇所の正確な把握もまだですし、浸水状況もまだ不明です。じゃあ私はこれで……」レレイさんは足早に離れ、再び指示を出す作業へと戻っていった。
「……何か妙じゃないか?」
シーシャさんが遠くに見える艦隊を見つめながら口を開く。
「妙とは?」
「……最初にこの船が攻撃された瞬間にあの戦闘が始まったと仮定するなら、もう既にどれか一つでも沈んでいなければおかしくないか?」
「……確かに。僕の専門ではないけど、あれだけの量撃ち合っていれば既に一隻は沈んでてもおかしくない」
言われてみれば、注意して見ていなかったけれど一隻も沈んでいない様な気がする。私だって詳しい訳じゃないけれど、あれだけ撃ち合っているのに全く沈んでいる様子が無いのはおかしい気がする。
「……気を付けた方がいいかもしれない。ただの思い過ごしかもしれないが、もしこれが何者かに仕組まれたものだとしたら危険だぞ」
もしシーシャさんが言っている事が事実だとしたら、いったい何が目的なんだろう? 私達の足止め? それとも単純に海賊?
その後、ヴォーゲさんの指示によってシップジャーニーの一団は一斉に動き出した。攻撃を仕掛けてきた艦隊はどちらもこちらにそれ以上の攻撃を当てる訳でもなく、ただお互いに戦闘を続けていた。
それからシップジャーニーの船団は日が昇るまでひたすら進み始め、やがて近くにあった島に辿り着いた。レレイさん達は船の修理を行うために数人を連れて港にある市場へと向かい、残された私達は船の修理が終わるまでの間、しばらくその島で過ごす事になった。
「びっくりしたねヴィーゼ」
「うん。プーちゃん大丈夫? もう怖くない?」
「ん、まああの時はちょ~っとびっくりしちゃったけど、全然問題ないよ、うん」
お父さんは周囲を見渡す。
「……二人共、僕はこれから未知の生物の目撃証言が無いか調べようと思ってるんだ。二人はどうする?」
「この辺見て周りたいな。何か賑やかな感じだし」
確かに活気がある島だなぁ……何というか華やかな感じだし、服装とかを見ても裕福そうな人が多いみたいだ。
「ヴァッサさん、何なら私が二人の面倒を見ておこう。今はあなたの仕事を優先するといい」
「いいんですかシーシャさん?」
「ああ。……あんな事があった後だ、ちょっとした息抜きも必要だろう」
私は大丈夫だけれど、確かにプーちゃんには少し息抜きをさせた方がいいかもしれない。あの卵の事があってから、まだそんなに時間が経ってないし……。それにこの子は見栄を張って自分の心を隠そうとする事がある。単に自分が怖がってた事を隠したいだけなのかもしれないけれど、ずっと続けてたら……いつか絶対壊れてしまう……。
「お父さん、私達はここら辺を少し見て周ってみるよ。だから気にしないで」
「プレリエもそれでいいのかな?」
「ん~……まあ、うん……お父さんやヴィーゼがいいなら、うん」
いつもなら多少我儘を言って引き留めたりするだろうけれど、あんな事があった後だからかちょっと弱ってる様に見える。
「分かったよ。じゃあシーシャさん、少しの間お願いします」
「ああ、構わない」
お父さんはお礼を言うとレレイさん達が向かった方向へと歩いて行った。
「……さて、どうする? 見て周るか?」
「あっ、はい。プーちゃん、ほら行こう」
「あ、うん。じゃあ適当にウロウロしてみよっか」
プーちゃんが言った様に私達は特に何か目的がある訳でもなく、島内を歩き始めた。建物も綺麗なものが多く、豊かな島である事を伺わせた。
「見て見てヴィーゼ! この魚初めて見た!」
言われて見てみると、確かに私達が生まれ育った国では目にしない様な魚だった。とはいえ、特に妙な見た目をしているという感じは無かった。あくまで見た事が無かっただけで、異常の無いただの魚だった。
「確かに初めて見たね。でも多分図鑑とかに載ってるやつかも……」
「そうなの? ふぅーん……」
それからも三人で適当にそこら中を歩き回っていた。見た事が無い魚や見た事が無い装飾品等、その島特有の文化を垣間見る事が出来た。
「なかなか豊かな場所だな。自然も程良く残っているし、住むにはかなりいい場所だろう」
「そうですね。こんな島があるなんて知りませんでしたよ」
「何ていう島なんだろね? 港とかにも書いてなかったよね?」
「うん、書いてなかったと思う」
そんな事を話していると数人の男性が布で包まれた何かを持ち上げてどこかへと運んでいる姿を目撃した。男性達が来た方向には彼らを見送る様に立っている一人の男性が立っていた。その男性は口角を上げ、何かを楽しんでいるかの様に立っていた。
「何だろう今の」
「さぁ……結構重そうだったけれど……」
件の男性は少し経つとややふらつきながらすぐ後ろに建っている建物へと入っていった。その建物は周囲の建物とは隣接しておらず、その建物だけが孤立している様に見えた。
「……ねぇねぇヴィーゼ」
「どうしたの?」
「何かさ、今の人怪しい感じじゃなかった?」
「う、うん……あんまり関わらない方が良さそうだね……」
「でもさ、もしかしたらほら、水の精霊が言ってた『罪』が関係してるかもよ?」
「流石に言いがかり過ぎるよ……そりゃちょっとは怪しいけどさ」
プーちゃんは私を説得するのは無理だと踏んだのか、シーシャさんに話しかける。
「ねぇシー姉、さっきの人怪しいと思うよね?」
「まあ怪しい奴だとは思うが……」
「だったら調べるべきじゃない?」
シーシャさんは困った様に目を閉じ少し考えていたが、やがて小さく溜息をつき、目を開けた。
「そう、だな……少しでも可能性があるなら調べるべきなんだろうな……今の私達は……」
「シーシャさん、本気ですか……?」
「すまないヴィーゼ、君の言いたい事は分かる。だが……私は村の事を何とかしたいんだ……また皆で、あの場所で暮らしたいんだ」
その言葉を聞いた私は止める事が出来なくなっていた。
私達にとっては、ただお父さんを手伝うために始めた旅だけれど、シーシャさんにとっては村の存亡が懸かっている旅なんだ。もし水の精霊の助けが借りられないなんて事になれば、きっとあの森は……あの村は消えてなくなってしまう。そんな事を見過ごせる程、私は残酷になれない……。
「……分かりました。でも何でも無かったらすぐに止めますよ、いいですね?」
「ああ、そうしよう」
「じゃあ行ってみようよ」
私達は男性が入っていった建物に近づくと何気ない感じを装って周りを見て周った。建物そのものに特に変わった様子は見られなかった。そこそこの大きさはあったものの集合住宅の様には見えなかった。
そうして見ていると突如窓が開け放たれ、そこから伸びてきた手によってプーちゃんが中へと引きずり込まれた。その手はあまり筋肉質とは言えない細い腕であり、とても人一人を引きずり込む力がある様には見えなかった。
あまりにも突然過ぎる出来事にプーちゃんも私もシーシャさんも、誰一人として声を上げる事が出来なかった。しかしシーシャさんはすぐさま開いたままになっている窓から中へと飛び込んでいった。私は多少もたつきながら窓へとよじ登り、中へと転げ落ちた。
顔を上げると、震えながらシーシャさんにしがみついているプーちゃんとシーシャさんに向かい合って立っているあの男性の姿があった。
あの時は遠目だったからかよく見えていなかったが、40代程の見た目をした垂れ目の男性であり、不健康な程に頬は痩せこけていた。
「……どういうつもりだ、お前」
「どういうつもり……それはこちらの台詞ではないかな? 人様の家の周りで怪しい動きをしていたのはそちらだろう?」
男性はあの時の様に口角を上げ、ニヒルな笑みを浮かべた。何も楽しい事など起きていないにも関わらず笑うその姿は、私には酷く不気味に見えた。
「勝手にあなたの家の周りを探っていた事に関しては謝る」
「謝る、か……別にその必要は無いさ。私としても君達には興味があるからね……」
男性は近くにあった椅子を引き寄せるとドカッと座り、組んだ手に顎を乗せ前のめりになって話を続けた。
「……まず最初に確認しておくが、君達はこの島の人間じゃない、そうだろう?」
「……だとしたら何だ?」
「まあそう身構えずに答えてくれ。ほらっ、そこら辺の椅子とか、適当に座っていいからさ……」
男性は立ち上がり、さっきまで椅子が置いてあった場所にある机の元に移動するとその上に置かれている大きな紙を指でなぞり始めた。
「それで、だ……私の認識が正しければの話になるんだがぁ……ふぅ……そっちの二人の少女、その二人は錬金術士、そうだろう?」
そう指摘され、思わず体が強張る。
「その反応は答えは『イェス』かな?」
「な、何で……」
「ははは……鎌をかけてみただけさ。私は預言者などではない。さっき街で見かけた時、物を触っている君の手つきを見てもしやと感じただけさ。勿論私が間違っている可能性だって、充分にあった訳だ」
シーシャさんが腰のナイフに手を掛ける。
「何が目的だ」
「おっと……ふぅ……まあ落ち着いたらどうだろうかね。ただ、ちょっとしたお願いがあるだけなのさ、さほど時間は取らせないよ、いや本当」
そう言うとその男性は指でなぞっていた紙を手に取り、こちらに向けた。そこには見た事も無い様な機械の設計図が描かれていた。
「まもなく……戦争が始まる。金のために」
その言葉を聞き、背筋に嫌なものが這いずるのを感じた。




