第37話:剥離剤を目指して
一先ず自分達の部屋へと戻った私とプーちゃんは、早速お母さんのレシピ集に目を通し、何か役に立ちそうな物が無いか調べてみる事にした。
さて……まずは何から手を付けるべきか、だよね。あの卵は刃物でも傷が付かない位固かった。多分あれは誰かに壊される事が無い様にするために固くなってるんだと思う。あれが錬金術によって作られたものなのかは分からないけれど、少なくとも何かとんでもない事が起こってるのは確かだ。
「問題はさ~あの固さだよね。どうやってんだろあれ?」
「さぁ……でもまずは、だよ……あれを何とかしないといけないのは確かだよね。あそこまで固かったらどうしようもないし」
あの固さの原因は何なんだろう……お父さんなら何か分かるかな?
私は椅子に座りながらあの破片を観察しているお父さんへと声を掛けた。
「ねぇお父さん、その破片の事何か分かった?」
お父さんは視線を破片から逸らさないまま返事を返した。
「……今の段階では組成までは分からないな。ただ、一つだけ言えるのは……あの固さは卵本体の固さじゃないって事だね」
「え? どういう意味」
お父さんはこちらに破片を見せながら、それを指で軽く叩いた。するとそれはあの時見たものとは違って、固まっていた。まるでガラスの破片の様に薄っぺらい見た目でありながら固くなっていた。
「あれ? それってさ、そんなに固かったっけ?」
「いいや、僕が掬い上げた時にはまだこんなんじゃなかった筈だ」
「え、それ……今そうなったの?」
「少なくとも僕が見ている時にはまだ変わっていなかった」
いつの間にか変わった? まさかあの破片は、まだ生きてるの?
「それで、さっき言った意味だけど、組成そのものが完全に変化するとは思えないんだ」
組成そのものが完全に変化するっていうのは確かに考えられない。ただ、もしこれが錬金術で作られたものだったとしたら、それもありえなくはないと思えてしまう。錬金術っていうのは未だに研究されてる技術だ。まだ私達人間が知らない現象を起こす可能性だって起こりうる。
「僕は、これは一種の甲羅……防御壁だと思うんだ」
「防御壁?」
「うん。亀みたいに体を守るための甲羅みたいなもの、だと思う。この破片を掬った時に感じたんだけど、この卵本体は恐ろしく柔らかいんだ。それこそ、取り扱いを間違ったら潰してしまいそうな程にね」
「んーでもさお父さん。亀って最初っから甲羅が付いてるじゃん? でもこの卵には付いてなかった筈だよ?」
「……プレリエ。プレリエは、脱皮は知ってるよね?」
「脱皮? うん、まあ知ってるけど」
お父さんは机の上に紙を置き、そこに二重になっている円を描いた。
「生物の中には脱皮をして体を成長させるものがいる。でももし、その逆があるとしたら?」
逆……つまり皮をどんどん重ねていって、大きくなっていくって事かな。
「ありえなくはないかな」
「えー? そうかなぁ? あんましある様な感じはしないけどなぁ」
「でもこれなら納得がいくんだ。表面に次々と新しい膜を作り続けていくなら、短時間で肥大化した理由にも説明がつくし、危険を感じて後から表面だけ硬質化させる事も出来ると思うんだ」
表面だけ硬質化、か……。
「えっと、つまりお父さんが言いたいのはこういう事だよね? あの卵は常に表面に膜を作ってて、危険を感じた時には固くなる」
「もしかしたら硬質化には他に条件があるかもしれないけどね。でも多分これで合ってると思うよ」
他の方法で硬質化させてる可能性は充分にある。だけど、他に思い浮かばない以上はお父さんの説を支持するしかない。お父さんは学者だし、少なくとも私達よりかは賢い訳だしね。
「じゃあまずはその硬質化した膜みたいなものを溶かすのが重要かな」
「そうだね。それさえ出来れば対処は簡単な筈だよ」
私は手元のレシピに再び視線を移す。
……溶かすか。出来なくはないかもしれないけれど、もしそれをやるとするなら強力な酸が必要になるかもしれない。一応ここに酸の作り方は書いてあるけれど、バツが付けられてる。これはつまりお母さんが危険なものだって判断したって事だ。もし間違って落としでもしたら危ないし、環境にもどんな影響が出るか予測出来ない。どうしよう……他にいい方法は……。
そんな事を悩んでいると横から覗き込む様にしてプーちゃんがレシピ集に触れ、ページをめくり始めた。
「じゃあさじゃあさ、丁度いいのがあったよね」
「え?」
手が止まり、あるページが開かれる。
「ほらこれだよ。お母さんが汚れとかを落とすのに使ってたやつ」
そう言って差された指先には瓶に入った液体の絵が描かれていた。
そうか剥離剤……これなら表面だけを溶かしたり出来るし、間違って肌に触れたりしてもそこまで影響は出ない。実際このレシピにもバツが付いてないし、私達が作っても問題ないって事だ。
「そうだ……そうだよプーちゃん!」
「えっ、ど、どしたのヴィーゼ……?」
「凄いよ! ありがとう気付いてくれて!」
「いやそんなに言う程ぉ?」
もしプーちゃんが言ってくれなかったら気付けなかったかもしれない。下手をすれば本当に酸でやろうとしてたかもしれない。この子は気付いてないみたいだけれど、本当に助かった。
「うん、本当に助かったよ! 早速作ってみよう!」
「う、うん。そだね」
「それじゃあ僕はもう少し観察を続けてみるよ。そっちは頼むよ?」
「うん!」
やるべき事が決まった私は改めて剥離剤の項目に目を通す。
まず必要なのは石鹸か……この村にあるかは分からないけれど、一応作り方自体は知ってるしそこまで難しくはないからこれは問題無いかな? ただ問題は次に書いてある粘性のあるものかな。あまりにもざっくりし過ぎてるというか……どういうものがいいんだろう? ネバネバしてれば何でもいいのかな?
「ネバネバしてるものかぁ……ヴィーゼ何か浮かぶ?」
「いや全然……いざ考えてみるとなかなか浮かばないかな……」
粘着剤っていうのが確かあった筈だけれど、材料が無いとどうしようもない。探せば見つかるかな……。
「まあさ、悩んでてても仕方ないし、取り合えず探してみようよ。石鹸はまあ簡単に見つかるだろうし、まずはネバネバしたものかな?」
「そうだね。じゃあまずはゴムから探してみようか」
「ゴム? そんなの探してどうすんの」
私は急いで探すために部屋から出て歩きながら話し始める。
「レシピに載ってたんだけれど、粘着剤を作るにはゴムと松脂が必要みたいなの。松脂の場所は予想出来るんだけれど、ゴムは全然思い浮かばない。だから優先して探さないと」
プーちゃんは足早に歩く私に付いてきながらキョロキョロと周囲を見渡し始めた。
「ゴムかぁ……あるとしたらどこだろ」
「分からない。とにかく聞いてみよう」
こうして私達は剥離剤を作るための第一歩としてゴムを探す事にした。
船内を色々歩きまわってはみたものの、漁業や交易で生計を立てている組織という事もあってかなかなかゴムやそれに相当するものは見当たらなかった。そんな中、丁度『倉庫』と書かれている扉の近くでレレイさんに遭遇した。何かの資料の様なものと睨めっこしており、かなり重要そうな書類に見えた。
「あっ、おーい!」
「あっちょっと……!」
私が止める間もなくプーちゃんはレレイさんを呼び止めた。
「あら、どうしたの?」
「す、すみませんお忙しいところ……」
「いいのよ気にしなくて。それでどうしたの?」
レレイさんは忙しい最中に話しかけられたにも関わらず、嫌な顔一つせず笑顔を向けてくれた。
「えっとねえっとね、今ちょっとゴム探してるんだよね」
「ゴム?」
「はい、実はですね……」
私は現在この村で起こっている現象やそれに関する顛末を詳細に話した。レレイさんはそれを遮ったりする事無く、最後まで黙って聞いてくれていた。
「……なるほど。そんな事が……」
「その……レレイさん達にとっては、ここが取引相手っていうのは分かってるんです。でも、何か良くない事だと思うんです」
「……そうね。死んでしまった人がもう一度生まれてくる。自然の理に反する事だと思うわ。でも私の一存じゃ決められない。せめて総帥に聞いてみないと」
総帥……多分ヴォーゲさんの事かな? でも実際その通りだよね。この人達にとっては大事な取引相手な訳だから、今からその相手を全員消しますって言ってる様なものだもん。
「……でも、そうね……ゴムの場所位なら教えるわ」
「あれ? いいの、レレイ姉?」
「教えるだけよ。教えるだけなら問題無いでしょ?」
「……ありがとうございますレレイさん」
レレイさんは資料に目を通しながら話し始める。
「……この船は強度を上げるためにゴムを使ってるのよ。外壁と内壁の間に挟む様にしてね。海賊に襲われても少しなら損傷を和らげる事が出来る」
そのゴムがどこまで強靭なのかは分からないけれど、補強用に使ってるって事はそれなりに強いって事だよね。それなら素材として十分に使えるかも。
「えっと……じゃあそれを分けてもらえませんか?」
そう尋ねるとレレイさんは周囲を見渡し、書類を見る振りをしながら囁いた。
「……倉庫にあるわ。少しなら目を瞑ってあげるから。ただし、総帥からの許可が出るまでは行動に移さないで、いい?」
「は、はい。ありがとうございます。プーちゃん、行こう?」
「うん。ありがとねレレイ姉」
レレイさんから目を瞑ってもらった私達はゴムを手に入れるために倉庫へと足を踏み入れた。倉庫内は薄暗く、廊下と比べると少しひんやりとしていた。大量の木箱が置かれており、恐らくその中には船を修理したり生活に必要な備品、交易品等が入っているのだろうと思われた。
「どこかな?」
「分からないけれど……とりあえず探してみようよ。まずは、ね……」
私は適当に近くにあった箱に手を掛け蓋を開ける。中には見た事も無い様な彫刻や花瓶等が大鋸屑に包まれる様に入っていた。
「凄いねそれ。初めて見るやつばっかだよ」
「うん。でもこれは関係ないかな。ただの交易品とかだと思うし……」
蓋を閉めると、私達は手分けする様にして倉庫内を探り始めた。他の箱には補修に使うであろう板や道具、食料品等が入っていた。
急がないと……切羽詰まった状態じゃないけれど、それもあくまで今の段階での話。あの卵みたいなのが次に何を複製するのか全く予測出来ない。ヴォーゲさんから許可が出ればいつでもすぐに行動が出来る様に準備しておかないと……。死んだ人が蘇るなんて……ある訳がないんだから……。
「ヴィーゼ!」
「えっ、あっ、どうしたの?」
「あったよ! ほら!」
そう言われプーちゃんの側に行ってみると、箱の中には何枚もの紙の様に薄いゴムが収められていた。試しに一枚手に取ってみると、私が今までに触った事があるどのゴムよりも粘着性があり、手の力を緩めてみても離れようとしなかった。
「凄い……これ、どうやって作ったんだろう?」
「ほらヴィーゼ急ごうよ! あんまし長居してる暇ないよ!」
「あっ、そうだね。出ようか」
私はなるべくゴムが体に引っ付かない様に気を付けながら扉を少しだけ開け、そこから廊下を見る。
今なら誰も居ない。もしここから出るところを見られでもしたら確実に理由を聞かれる。嘘を吐いてもいいけれど、隠し通せるかは分からない。一応レレイさんに事情を話してるとはいえ、他の人から見れば立派な窃盗だ。
「……よし行こう」
「うん。そんなビクビクしなくてもいいと思うけどね」
倉庫から出た私達は一旦部屋へと戻り、ゴムを置いた。何故かお父さんの姿は無く、どこかへと出ている様だった。
「お父さんー? あれ、お父さんー!?」
「プーちゃん、気になるのは分かるけれど素材集めを優先しよう。多分お父さん、あの卵を見に行ってるんだと思う。生物学者のお父さんならそこまで怪しまれないだろうし」
「まぁヴィーゼがそう言うなら分かったよ。それで、次はどうすんの?」
「えっとね、次は松脂かな」
「松脂? えっと……樹脂だっけ?」
「そうだね。松の木から採れるやつだね」
「どうするの? 今からやるにしてもまずは松を見付けなきゃだし」
そう……普通ならそうしなくちゃいけない。でも今の私達になら簡単に手に入れる事が出来る筈。シップジャーニーの人もこの村の人も持ってないかもしれない。だけどあの人なら、きっと持ってる。
「大丈夫だよプーちゃん。あの人ならきっと持ってる」
「誰? そんな人居る?」
「行ってみよう」
私は自分の確信めいた考えを確かめるために船の外へと向かった。外では相変わらず沢山の人々によって取引が行われていた。私はその中からシーシャさんを見付け、近寄る。
「シーシャさん」
「どうした?」
「ちょっといいですか?」
私がそう言うとシーシャさんは少し後ろを振り返ると、私とプーちゃんの背中を押す様にして船の中へと入った。
「それでどうしたんだ? 何か問題が?」
「えっと、ちょっと貸して欲しい物があるんです」
「何だ?」
「松脂です。多分持ってますよね?」
「ああ、持ってるが……何でそれを?」
「調合でどうしても必要なんです。詳しくは後で話すのでお願いします」
「……分かった。少し待ってろ」
そう言うとシーシャさんは駆け足で自分の部屋の方へと駆けて行った。
これで粘着性物質は何とかなるかもしれない。もしかしたらあのゴムだけで事足りるかもしれないけれど、もしもの事を考えるとやっぱり粘着剤を使った方がいいよね。
「ねぇヴィーゼ、何でシー姉が松脂持ってるって分かったの?」
「えっとね、前に本で読んだ事があるんだけれど、弓の弦に松脂を塗って補強したりする事があるんだって。実際にどうやるのかは知らないけれど、もしそれが事実ならシーシャさんも補強のために松脂を常備してるかなって思ったの」
正直賭けと言えば賭けだった。もしシーシャさんが松脂を持っていなかったら、あのゴムだけで何とかしないといけなかったかもしれない。
「はぇ~ヴィーゼって物知りだねぇ」
「偶然知ってただけだよ。それに自然の事とかは実際に目で見てるプーちゃんの方が詳しいでしょ?」
「詳しいっていうか、何とな~く覚えただけだけどね」
その何となくっていうのが普通は中々出来ないんだよね……プーちゃんはそういうの、いつの間にか覚えちゃってるんだからズルいよ。
しばらく待っていると廊下の向こうからシーシャさんが戻ってきた。手には松脂を包んでいるであろう布が乗っていた。
「待たせてすまない。これだ」
「ありがとうございます。プーちゃん、急ごう」
「うん。ありがとねシー姉!」
「ああ。私は監視に戻る。もしまた何かあったら言ってくれ」
「はい!」
一秒でも早く調合を始めるため私達は部屋へと駆け出した。
急いで部屋へと戻った私達は調合によって少し増やしておいた塗り火薬を使って釜の下に火を点け、釜の中にゴムを入れる。
「レシピによるとすぐに松脂を入れるのは危険らしいから、ゴムの成分が中で分解されるまで待った方がいいね」
プーちゃんに対してそう言ったものの返事が返ってこず、疑問に思い振り返ってみるとプーちゃんはシーシャさんから渡された松脂をジーっと見つめていた。
「あの、プーちゃん?」
「ねぇねぇヴィーゼ見て見て! 松脂ってこんな綺麗なんだね!」
興奮した様子で喋るプーちゃんの手の上には、布に包まれた松脂が乗っていた。
確かに凄く綺麗な見た目をしてる。本で読んだ時は絵しか載ってなかったからあんまり思わなかったけれど、まるで宝石みたい。ただの樹脂とは思えない程綺麗な黄色……。
「プーちゃん! ほらこっち来て。綺麗なのは分かるけれど、それ使うんだから!」
「はーい、分かってるってぇ。厳しいなぁ」
「もう……ほら、そろそろ分解が終わる頃だからそれ入れて」
「はいはーい」
松脂を掴んでいるプーちゃんの手をガシッと掴む。
「ゆっくり、ね……?」
「投げ入れたりしないってば……」
そうして松脂を釜に入れると中に入っている液体が泡立ち始めた。それを見た私は掻き混ぜ棒を使ってゆっくりと攪拌を始める。
これはそこまで複雑な合成が行われないから少し混ぜるだけでいいって書いてあった。後は出来るまで蓋を閉めておくだけだ。
一通り混ぜ終えた私は釜に蓋をする。
「よし……後は石鹸だね」
「どうすんの? それ位だったら作っちゃう?」
「念のために探してみよう。粘着剤の調合が終わるまでに出来なかったら作ろう」
「オッケー。じゃあもっかいあの倉庫行ってみる?」
本当はちゃんとした方法で手に入れるのがいいんだろうけれど、今は一刻を争う。レレイさんには申し訳無いけれど、倉庫から貰っていこう。後で代わりの石鹸を作れば許してくれるよね……?
「うん、行こう」
多少の罪悪感を感じつつも、私はプーちゃんと共に倉庫へと戻っていった。




