第35話:ミーファの異常
来た道を無我夢中で駆け、私達は川辺で調査しているお父さんの元へと辿り着いた。
「お、お父さん……っ!」
「どうしたんだい二人共?」
「え、えっと……何から話せばいいか……」
私は強く拍動する心臓を何とか落ち着かせながら、私が目撃したあの何かの卵の様な物体について話した。
「……そういう卵は記録で見た事が無いな」
「もしかしたら……」
「行ってみよう。実際に見てみないと……」
そう言うとお父さんはやや速足で歩きだした。私は遅れない様にプーちゃんの手を引きながらその後へと続いた。
何だろう……上手く言えないけれど、何か嫌な感じがする……。あれがただの卵だったらそれでいいし、何の問題も無いんだろうけれど、でも何か違う様な気がする……。
「ねぇヴィーゼ、あれってどんな生き物の卵なのかな?」
「分からない……お父さんも知らないってなると、全然想像出来ないよ……」
それから三人であの場所まで戻ると、私は明らかな違和感に気が付いた。
「あれ……?」
あの岸壁にピッタリと張り付いていた筈の卵の様な物体はそこから姿を消していた。
「ヴィーゼ、ここで見付けたんだね?」
「う、うん。そうだよねぷーちゃん?」
「そだね。あたしもここで見た気がするけど」
どこに消えたんだろう……? 間違いなくここだった筈なのに……。
「お、お父さん嘘じゃないよ! 本当に……!」
私が最後まで言い切る前にお父さんはこちらに手の平を見せ私を制止するとその場に屈み込み、足元の岩場の隙間を指差した。
「ここだ」
「え?」
「ここの隙間に何か着いてる。ヴィーゼが見付けた卵は黄色だった?」
「う、うん。確かそうだったと思う……」
「自信持ちなってヴィーゼ! 間違いなく黄色だったよ」
「……じゃあこれかな」
そう言うとお父さんは鞄の中から先端が鋭く尖った針の様な道具を取り出すと、その隙間に差し込み黄色い色をしたふにゃふにゃした膜の様なものを掬い出した。
おかしい……あれはあんなに柔らかくなかった……本当に石か何かみたいに固かった筈。あんな細い針みたいな道具で簡単に掬い出せる程柔らかくは無かった……。
「あれ? ヴィーゼ、あれって確か固かったんでしょ?」
「う、うん。石みたいに固かったんだ」
お父さんはそれを小さな瓶の中に入れると周囲をキョロキョロとし始めた。
「固かった、というのは事実なんだと思う。そしてこれが卵なのも事実の筈だよ」
「どーして分かるのさ」
「ここを見てごらん」
そう言われお父さんが立っている岩場の表面に目を凝らしてみると、そこは何かの液体でびっしょりと濡れていた。
この場所、普段潮が満ちてる時は海水に浸かってたりするのかな……でももしそうだとしても、どうして他の場所は濡れてないの? この場所だけが濡れてる原因っていったい何?
「気付いたんだねヴィーゼ」
「い、いや……でも何でこんなに濡れてるの? ここって満潮の時は海水に浸かってるのかな?」
私がそう言うとプーちゃんは舌を鳴らしながら立てた人差し指を小さく振る。
「甘い。甘いなぁヴィーゼ……」
「な、何プーちゃん?」
「よく見てみなよ。もしここに海水が入ってくるならさ、ちゃんと跡が残る筈じゃん?」
言われてみればその通りだ……普段採取はプーちゃんに任せてるせいで気付くのが遅くなってしまった。考えてみれば凄く単純な事で気付かない方がおかしいかもしれない。
「プレリエが言った様にここは普段からこんな状態の筈だ。それなのにここだけ不自然に濡れてる……これから考えられるのは一つだと僕は考えてる」
「もしかして……」
「……うん。何かが産まれた……そう考えるのが妥当じゃないかな?」
確かにあれが卵ならそう考えるのは当たり前だと思う。でも私が最後にあれを見た時、今までに見た事が無い位に膨らんでた。私はお父さんみたいに知識が豊富な訳じゃないけれど、卵って本当にあそこまで膨らむものなの?
「あたしもそう思うな。ほら、ここから離れる時にさ、何か音が聞こえたじゃん? あれって何かが産まれた音なんじゃない?」
「でもだとしたら、いったい何が産まれたのかな? あんなに大きくなってたんだよ?」
「僕の記憶には少なくとも該当する生き物は存在しない。もしかしたら未知の生物の可能性がある。勿論、昔から存在している何の変哲も無い生物なのかもしれない。だけど、僕達があの島で出会った筈の『あの生物』と同じ様な存在だとしたら……誰かの手が意図的に加えられてる可能性が出てくる」
つまり誰かが何かを目的にしてあの卵を錬金術か何かで作ったって事? でもその目的って何なんだろう? どんな生物が生まれたのか分からないけれど……。
そんな事を考えながら何となく卵が張り付いていた場所を眺めていると、ある違和感に気が付いた。
あれ……? 卵って今そこの足元の隙間から見つかった筈だよね……? 卵は一個しかなかったよね?
岩壁には姿を消していた筈の卵が再び姿を現していたのだ。しかも形は見付けた時と同じ様な丸い形をしており、色も同じく黄色かった。少し違う所と言えば、最初に見付けた卵よりも少し小さいというところだった。
「お父さん、プーちゃん、これ……」
「え?」
「これは……」
お父さんは私と近付こうとするプーちゃんを後ろに下がらせると、あの針の様な道具を卵に押し当てた。しかし私がナイフで触った時と同じ様に相当な固さを持っているのか針は卵を貫く事は無かった。今度は引き剥がそうとしたものの、大人であるお父さんの力をもってしても剥がす事は出来なかった。
「ヴィーゼ、さっき見た時さ、一個しかなかったよね?」
「うん……その筈だよ。今急にここに出て来た様な感じがしたんだけれど……」
お父さんはあれこれと試してみたものの、結局卵に対してどうする事も出来なかった。やがて諦めたお父さんは道具を仕舞った。
「……二人共、一旦港まで戻ろう。これは今はどうしようもないよ。まずあの隙間から見付けた破片を調べて、それからここの村の人にも聞き込みをしてみよう」
「う、うん」
「そーだね。戻ろっか」
こうして私達は調査を中断し、一旦港へと戻る事にした。
港に戻ると何やら人混みが出来ており、怒鳴る様な声が聞こえてきた。急いで駆け寄ってみると、人混みの中心でミーファさんが村人の一人に鬼気迫る表情で詰め寄っていた。その表情は今まで私達には一度も見せた事が無いもので、とても彼自身のイメージには合わないものだった。
「誤魔化さないでくれ!! ボクは覚えてるんだ!!」
「いい加減にしてくれませんか? 何かの記憶違いでしょう?」
「そんな筈は無い! あの時、確かにこの目で見たんだ! 記憶違いなんてありえない!!」
「ミーファ、大人しくしろ」
ミーファさんはシーシャさんに腕を掴まれ、村人の側から引き離された。
「嘘をつかないでくれ! ボクは! ボクは覚えてるんだ! どうしてここに居るんだ!! おかしいじゃないか! 誰も何とも思わないのかい!? こんな事あっていい訳が……!!」
やがてミーファさんは、そのままシーシャさんに引っ張られる様にして船の中へと連れ込まれた。野次馬をしていた人達は少々ざわつきながらも各々の仕事へと少しずつ戻り始めた。
「ねぇヴィーゼ」
「うん……」
「あいつさ……何か変じゃなかった? あんな感じじゃなかったよね?」
「そうだね……まるでこの村の違和感に気付いたみたいな、そんな感じだった」
「二人共、彼を知ってるのかい?」
「あ、うん。えっとね」
私はミーファさんと既に出会った事があり、船にも同乗していた事を伝えた。
「……なるほど、吟遊詩人か。さっきの彼の話し振りだと、何か知ってるみたいだったね」
何か知ってるどころの反応じゃなかった気がする。どこか怯えてる様にも見えた。まるで、ここに居ない筈の人間が存在しているかの様な……そんな感じの反応に見えた。いったい、この村は何なの……? 一見何の変哲も無い普通の村に見えるけれど、何か普通じゃない事が起こってるの……? だとしたら、それはいったい何?
「ねぇ、あいつに聞いてみようよ。何となくだけど、ここの村の人に聞いても答えてもらえない気がするし」
「どうするお父さん?」
「そうだね……もしかしたら、二人が見付けたあれにも何か関係があるかもしれない。行ってみよう」
こうして私達は明らかに異常な反応を見せていたミーファさんから話を聞くべく、船の中へと戻っていった。




