第32話:忘れられた獣
シップジャーニーの船団へと戻るために小舟に乗り、私達は海を進んでいた。
どうしてあそこに死体があったんだろう……あの感じだと、遺跡の壁の中に閉じ込められてたって事だよね……? お父さんが言ってたみたいに何かの儀式の犠牲者なのかな? でもだとしたら、いったいどういう儀式だったんだろう……あそこで聞こえてたあの声や感じた視線はあの死体から出てたものだったのかな……。
そんな事を考えていると神妙な面持ちでお父さんが口を開いた。
「ヴィーゼ、プレリエ、今から僕は質問をする。もしかしたら、とてもおかしい事を言うかもしれないけど、答えて欲しいんだ」
「どーしたのお父さん? 正直変な事はもう充分起きてるからお腹一杯なんだけど……」
「ごめんねプレリエ……でも答えて欲しいんだ」
お父さんは深呼吸をし、質問を投げかける。
「ロンリーウルフって……覚えてるかい?」
「えっと……確かあれだよね。ここに来た時に……」
その瞬間、私は奇妙な違和感を覚えた。
……あれ? 何だっけ……ロンリーウルフ……知ってる……聞いた事がある名前だもん。でも何だっけ……ウルフって言う位だからオオカミの一種なのは確かだけれど、でもどんな姿をしてるんだっけ……名前を知ってるんだから見た事がある筈なんだけれど……。
「え、えっと……プーちゃん……?」
「ごめんヴィーゼ……何だっけ……?」
シーシャさんとリオンさんを見てみると、どうやら私達と同じ違和感を覚えているらしく、動揺していた。
「妙、ですね……シーシャ……聞き覚えのある名前ですよね?」
「ああ。でも……何だったか……」
何だろう……この気持ち悪い感じ……知ってる筈なのに思い出せない……いや、そもそも本当に知ってたの?
「やっぱり、皆そうなんだね……」
「ど、どういう事なのお父さん?」
「実を言うとね……あの遺跡を壊した辺りから、今言ったロンリーウルフっていう生物、いや存在の姿が思い出せないんだ」
プーちゃんは手で空中に図を描き始める。
「いや、あれだよね? あの……多分オオカミだよね?」
「そう、その筈なんだ。でも僕だけじゃなく、ここに居る皆が『あれ』の名前を思い出せない。本当にオオカミなのかどうかも分からない」
私は必死に頭を働かせる。
間違いない、私達はロンリーウルフの事を知ってる筈なんだ。知らないなんて訳がない。でも、それなのに……何で全然思い浮かばないの? オオカミの筈なんだから、シルエット位は思い浮かんでもいい筈なのに、どうして何も浮かばないの……?
「お、お父さん……これって……どういう……」
「……これは僕の推測でしかないんだけど、多分あの遺跡が関係してるんだと思う」
「遺跡が?」
「うん。あの壁の中から見つかった死体、あれがもし何らかの人柱なんだとしたら説明がつく。あの遺跡が僕達や他の人間の認識に何らかの異常を起こしていたのかもしれない」
リオンさんは眉を吊り上げ手を挙げる。
「あ、あのすみません……もう少し噛み砕いて教えて頂けると……」
「そうですね。つまり僕が言いたいのは、最初から『ロンリーウルフ』なんて生物は居なかった、という事です」
「ちょ、ちょっと待ってよお父さん! 居なかったって……そんな訳ないじゃん! だって……あたし達は絶対……!」
「うん、プレリエが言いたい事は分かるよ。確かに僕達は『あれ』と出会った筈なんだ。だけど、もしあの存在が、間違いだったとしたら?」
存在そのものが間違い? どういう意味だろう……プーちゃんが言おうとしてたけれど、確かに私達はロンリーウルフにあった筈……。
その時、私の頭の中にある答えが浮かぶ。普通ならばありえないと自分でも思う程の答えだったが、今の私にはそれとしか考えられなかった。
「もしかして……元々存在しなかった……?」
「そう。考えられるのはそれなんだ。あの遺跡には何らかの術式が施されていて、元々存在しない生物を作り出す力があった。そしてあの死体……あれは多分、術式をより強力なものにするための生贄なんだと思う」
「少し待ってもらえるかヴァッサさん。私にはそういう魔法だとかの知識はほとんど無いからあまり分からないんだが、そんな事が可能なのか? 存在しない生物を作り出すなど……」
「正直、そんな魔法や儀式は僕も聞いた事がありません。だけど、そう考えるのが一番自然じゃないでしょうか?」
そこまで話したところでようやくシップジャーニーの船団へと辿り着いた。
「一先ず船に戻りましょう。これは僕達だけじゃなく、ヴォーゲさん達にも話すべきです」
そうして私達は巨大船に船を横付けし、そこにある足場から甲板へと上がった。
「ヴィーゼ、プレリエ、先に部屋に戻っててくれるかな?」
「う、うん。分かった。プーちゃん、行こう?」
「うん……」
私達はお父さんの言う様に自分達の部屋へと戻り、向かい合う様に椅子へと腰掛けた。
生贄……お父さんはそう言ってた。存在しない生物を作り出す遺跡、術式……ありえないと思いたいけれど、どうしても水の精霊が言ってた事が思い浮かんじゃう……。『人の業』、水の精霊はそう言ってた。という事はあの遺跡も錬金術で作られたものって事だ。
「ねぇヴィーゼ」
「えっ? な、何? どうしたの?」
「あたしさ……今まで考えた事無かったんだけど、錬金術って危険なものなのかな? あたし達もお母さんも、凄く危険な事をしてるのかな?」
「そ、そんな訳ないでしょ? 錬金術はとっても便利で皆の力になれるものなんだよ」
「でも、さ……あれって、やっぱ錬金術で作られたものなんでしょ? あたし達が知らないだけで、本当は凄い怖いものなのかもしれないじゃん」
プーちゃんは俯き、目線を合わせようとはしなかった。
「つ、使い方次第だよ。包丁だってそうでしょ? 料理に使う便利な道具だけれど、使い方次第では人を傷付ける事もある、ね? ちゃんと使えば大丈夫!」
その時、プーちゃんの異変に気付いた私は椅子から立ち上がり、後ろから抱きしめる。
震えてる……この子は、怖がりな子だ。明るいけれど、とても怖がりな子。ちょっぴり一言多い時もあるけれど、とても優しい子。だからこそ怖がってるんだ。自分が持ってる技術が、お母さんが使ってた技術が人を傷付けてしまうものなんじゃないかって……。
「大丈夫だよプーちゃん。怖がらなくても大丈夫。プーちゃんはとっても優しい子だもん」
「ヴィーゼ……あたしっ……怖いよ……だってあんな……」
「私を信じてプーちゃん。私達、今までそんな事一回もした事無いでしょ?」
「分かんないよ! 気付いてないだけかもしれないじゃん! 何で言い切れるの!?」
私はプーちゃんの横へと回り、視線を合わせる様に屈むと顔に手を添え、こちらを向かせた。
「よく見てプーちゃん」
「え……?」
「私達は双子、でしょ? 生まれた時からずーっと一緒に居た。プーちゃんの事は誰よりも私が一番知ってる。だから自信を持って言えるよ。プーちゃんは絶対に錬金術で人を傷付けたりはしてない」
瞳が震えているのが分かる。綺麗な綺麗な、どこまでも純粋な瞳が……。
「ね、プーちゃん。私を信じて。もしプーちゃんが間違った道に行こうとしてたら、私が絶対に連れ戻してあげるから」
プーちゃんは返事をしなかった。その代わり、無言のまま抱きついてきた。その体は不安と恐怖から小さく震えており、少しでも対応を間違えてしまえば心を壊してしまうのではないかと思う程だった。
私は優しく抱き返す。
「大丈夫だからね……お姉ちゃんがずっと側に居るから……」
本当は甘やかしてしまっているという事は分かってる。シーシャさんが言ってたみたいに、プーちゃんが私に依存してる事だって分かってる。でもきっとそれでいいんだ。私達は双子……まだ生まれる前からずっと一緒に居たんだ。それが当たり前なんだ。一人で居るのが怖いなら二人で居ればいい。一人で進むのが怖いなら、一旦戻って一緒に進めばいい。それが私達なんだから……。
どれ程経っただろうか。いつの間にかプーちゃんは私に抱きついたまま眠ってしまっていた。私は自分の体力の無さを実感しながら、なるべく揺らさない様にプーちゃんをベッドへと運んだ。
……私もちょっと疲れたな。まだお昼にもなってないみたいだけれど、ちょっだけ寝ようかな……多分お父さん達もまだお話してるだろうし。それに、色々あったから頭を休ませたいし……。
寝息を立てるプーちゃんに視線を向ける。
……一緒に寝よう。別に私は一人でも大丈夫だけれど、プーちゃんが起きた時に不安になって怯えたりしたら可哀想だし……。
そう考えた私は一緒のベッドに横たわり、目を閉じるとそのままベッドへと体の全てを委ねた。




