第13話:救世主
噴水の広場から逃げ出した私達は通りを駆けて、近くの家の焼け落ちた壁から中に逃げ込んだ。この家も中が焼け爛れていたが、幸いにも住人は避難している様だった。
「どうするのヴィーゼ!?」
「ど、どうするって……どうすればいいのか……」
あの繁殖力は異常過ぎる……どうやればこんな風になるのか全然分からないよ。火で焼く事もきっと出来ない。仮に出来たとしても、それは一時的なものの筈……。周りから水や森が無くなっているのにこれって事は、水の供給を絶って枯れさせる事も出来ないし、実を食べる虫もどこにも居ないって事だ。
「た、多分無理かも……こんなのどうやって止めればいいのか検討もつかないよ……」
「じゃ、じゃあ逃げる?」
「ヴィーゼ、プレリエ、多分この街はもう完全には救えない。仮にあれを止められても、もう住人達は帰ってこない」
「で、ですよね? じゃ、じゃあ逃げ……」
そこまで言い掛けた瞬間、突然ガラスと木材が弾ける音が家中に響き渡った。慌てて周囲を見渡してみると家の所々の壁が破壊され窓は砕け散っており、そこからはあのトウモロコシが顔を覗かせていた。
ま、まさか繁殖してその圧力で壊したの……? 家を破壊出来る程の量が既にここまで増えてきてるの……? だとしたら、もし……もしこのトウモロコシの繁殖範囲に限界が無かったとしたら、いったいどうなるの……? 街を囲っている壁が破壊されたら、これはどこまで広がっていくの……?
何が起こるかを予測した私は背筋が凍った。
「駄目だ……」
「え? 何、どうしたのヴィーゼ?」
「駄目だよ……逃げちゃ駄目……」
「いやいやいや何言ってんの!! 逃げなきゃあたし達も巻き込まれちゃうんだよ!?」
「違う、違うんだよプーちゃん……もし、もしこのまま放っておいたら、世界中に広がっていくかもしれないんだよ……?」
私は急いで鞄からレシピ集を取り出し、目を通す。
「いやほら行くよ! ヴィーゼ!!」
プーちゃんは私を無理矢理にでも引っ張っていこうとしていたが、シーシャさんはそんなプーちゃんを制止し、周囲を警戒しながら話し始めた。
「いや……ヴィーゼの言う通りだ。もしこのまま際限無く広がれば、世界が終わってしまうかもしれない」
「で、でもさ! こんなのどうすればいいのさ!」
「待って!! あった……これだよ……」
私はレシピ集のあるページを開き、そこに書かれていたレシピに目を通す。そこに書かれていたのは『枯葉剤』。あらゆる植物を枯れさせる薬だった。
「え……待ってヴィーゼこれ! バツが付いてる……」
プーちゃんが言う様に、そこに描かれている絵にはバツが付いていた。これはつまり、お母さんが使っ
てはいけないと判断したものだ。それだけこの『枯葉剤』が強力という事なのだろう。
「そうだね。でも、状況が状況だと思う……」
「駄目だって! お母さんがこう描いてるって事は使っちゃマズイって事じゃんか!」
分かってる……でも使わないといけない状況なんだ。錬金術は人のために使わなければならない。お母さんが教えてくれた言葉だ。これは全世界の人のため……そのために私はこれを作るんだ。お母さんがここに居ればきっと……許してくれる筈……。
「プーちゃんは何もしなくていいよ。私が個人的にやるだけだから……」
「は? い、いやちょっと待って! 誰がやるかとかじゃなくて! 作っちゃいけないって事を言ってんだよ!?」
「私はプーちゃんもお父さんも、皆も守りたいの。そのためなら、私は悪い子にでもなるよ」
私はレシピ集を仕舞い、練成を行うための場所を見つけるために台車を引き始めた。この場所でやればほぼ間違いなく、私達もあのトウモロコシに呑み込まれてしまうだろう。
「プレリエ、無理はしなくていい」
そう言うとシーシャさんは私の前に出ると、あれが迫ってこないかどうかを警戒しながら先行してくれた。プーちゃんは大慌てで後ろから追いかけてくると私の隣に付き、一緒に台車を引き始めた。その顔は今にも泣き出しそうな顔だった。
しばらく歩き続けた私達はやがて他よりも大きい家を見付けた。他よりも破損は少なく、内部もまだ綺麗であり、他の家よりも頑丈そうだった。
私達は急いで家の中に釜を運び入れるとドアを閉め、念のために鍵を掛けた。いったいどれ程の効果があるかは分からなかったが、何もしないよりかは気休めにはなった。
私はレシピ集を開き、材料を確認する。
「ヴィ、ヴィーゼ早く……!」
「待って……えぇっと……」
必要なものは『灰』、『動物の骨』……? 何だろう、本当にこれ合ってるのかなぁ……? 何だか違和感がある。灰も動物の骨も肥料として使われてる物だ。今から作るのは『枯葉剤』なのに、何でこんな植物にとって都合が良い様な物を素材にするんだろう? もっと害がありそうな物を入れたほうが良い様な気がするんだけれど……。
「ねぇヴィーゼってば!」
「あ、うん。まずは、だよ……『灰』が必要みたい」
「それならそこら中にいくらでもあるよ! 次!」
「次は『動物の骨』だね」
「骨? 骨、骨……」
プーちゃんは家の台所に入ると、そこら中を探し始めた。
あるとは思えないなぁ……わざわざ食べ終わった後の骨とかを残しとく意味が無いし、ここの人達の食習慣もよく分からないし……。
「駄目だ見つかんない!」
「だよね……」
プーちゃんはシーシャさんに近寄り、腕を掴んで揺すり始める。
「ねぇシー姉、骨無い骨? 川で魚食べた時のやつとか」
「ちょっとしたアクセサリーでも作ろうかと思って取っておいたのはあるが……」
「それ! それでいいから頂戴!」
シーシャさんは少し名残惜しそうにしていたが、状況が状況だからか諦めた様子でプーちゃんに骨を手渡した。
「ほらヴィーゼこれ!」
「……このレシピを見るにどう考えてもこれじゃ足りないみたい。灰はそこら辺から集めるとしても骨が足りないよ」
「えっ……ま、マジで?」
「うん。どっちも結構な量が要るみたいなんだ」
「じゃ、じゃあどうしようもないって事?」
そう言った直後、家から軋む様な音が聞こえ、僅かではあるが家が揺れた。するとシーシャさんはナイフを抜き、私達に近寄る。
「骨が要るんだな?」
「は、はい。でもここじゃ手に入らないかもしれません……」
「今から採ってくる。ここから絶対に動かないでくれ」
「えっ!? あ、あの危険ですよ! 外は今マズイ状態なんですから!」
「そうだって! 囲まれたら方角も分かんなくなるよ!?」
「心配するな。幸いにもまだ夜じゃない。太陽を見れば方角は分かるさ」
そう言うとシーシャさんは私達が止めようとするのも間に合わない程の速さでドアから飛び出していった。私は念のためにドアを閉め、再び鍵を掛ける。
「ど、どうしよ……」
「プーちゃん落ち着いて。絶対に何とかなるから」
私は少しでもプーちゃんを落ち着かせるために抱き締め、背中を軽くポンポンっと叩いた。私と同じ大きさのその体は小さく震えていた。
やっぱり怖いよね……私だって怖いんだし、当然だよ。今まで採取する側だったのに、今はその植物に殺されちゃうかもしれないんだし……。私も怖いけれど、我慢しないと……私は、プーちゃんのお姉ちゃんなんだし。二人だけになった時に助けてあげられるのは私だけなんだから。
私は家が崩れない事を祈りつつ、シーシャさんの帰りを待つ事にした。
数分経っただろうか、外から家のドアを叩く音が聞こえてきた。周期的なその音は、人が叩いているものだという事を表していた。私はプーちゃんを離すと急いでドアに駆け寄り、鍵を開ける。それと同時にドアは開き、シーシャさんが飛び込む様に中に入ってきた。シーシャさんは即座にドアを閉め、トウモロコシの侵入を防いだ。
「遅くなった」
「見つかりました?」
「……ああ、一応な」
「じゃあ早速……」
そう言って私がシーシャさんの持っている骨を貰おうと手を伸ばすと、突然シーシャさんは身を引いた。
「あ、あの……シーシャさん?」
「何だ?」
「それ渡して貰えませんか? もう時間もあまり無いですし……」
「いやっ……その、私が自分で入れよう。たまにはな」
「いえ、結構繊細な作業と言いますか、難しい事なんで慣れてる私がやりますよ」
私が何とか説得しようと試みても、シーシャさんは自分でやるの一点張りで全く説得に応じようとはしなかった。これ以上時間の浪費は避けるべきだと感じだ私は、仕方なくシーシャさんの言う事に従う事にした。
「……分かりました。じゃあ言う通りにしてくださいね?」
「あ、ああ。任せてくれ」
「ほらプーちゃんやろう」
「う、うん。そだね」
私達は作業を始めるために釜の前に集まり、釜の下に塗り火薬を塗り、火を点けた。
「よし、じゃあまずは、だよ……この灰からだね。プーちゃん」私は鞄に入れておいた空きのフラスコをプーちゃんに渡した。
「うし、任せて!」
プーちゃんは私がして欲しい事を理解したらしく、そこら中に散らばっている灰を手で掬う様にして集め、フラスコに入れ始めた。
プーちゃんはさっき一緒にレシピを見てた。あの時に必要な分量は全部分かってる筈。ここには秤が無いし、私がやるよりもプーちゃんが自分で集めた方が正確な筈だよね。
「よし! 集めたよ!」
プーちゃんはフラスコを持って戻ってくると、それを私に手渡した。私は釜の中で渦巻いている液体に灰を投入する。
「ありがとう。次は骨だね」
「私がやる。いくら必要なんだ?」
「えっと、20グラムは欲しいですね。削ったりしたものをこのフラスコに入れてください。後はプーちゃんに任せていいかな?」
「いーよ! あたしがキチッと量るから!」
「分かった」
シーシャさんはナイフを取り出すと骨の表面に当てて素早く動かし、削り始めた。
それにしてもこの骨、何の骨なんだろう? 結構大きい気がするけれど、近くで狩って来た感じじゃないよね。この辺りはもう砂漠みたいになってた訳だし。だとしたら、他の家にこういうのが残ってたのかな?
削ったものをフラスコに入れ、それをプーちゃんが手に持って計測するという工程を何度か繰り返した後、ついにプーちゃんからOKサインが出た。
「よし! これなら行けるよ!」
「ありがとう。それじゃあ入れるね!」
受け取ったフラスコから骨の粉末を釜に入れていると、家からまた軋む様な音が響いてきた。窓を見てみると、外にはおびただしい量のトウモロコシが生えており、最早向こうの景色が何も見えなくなっている程だった。
「ヴィーゼ速く!」
「う、うん!」
私はすぐに掻き混ぜ棒を持ち、ゆっくりと混ぜながら成分を分離させた。そして今度は素早く掻き混ぜ、二つの素材の成分を釜の中で混合した。今回は幸いにも材料が少なく、さらにそれぞれが粉末状で溶けやすい物だったため、混合は早く終わった。私は釜に蓋をする。
「後は2分待つだけだけど……」
「その前にここ潰れたりしないよね?」
「そ、そう祈るしかないかな……」
音は徐々に大きくなっており、家が少しずつではあるが外部から押されているのが感じられた。ついには木が弾ける様な音と共に床の一部にヒビが入り、そこからトウモロコシが顔を覗かせた。
「や、ヤバイってこれ……!」
「ヴィーゼ、場合によっては撤退する事も考えておいてくれ」
状況が悪化し続けてるのは分かってる。でもここで逃げたらもっとマズイ事になる気がする。あれが世界中に広まったら、誰も住めなくなっちゃう……。それに今作ってる枯葉剤がちゃんと効くかも分からないし、どうせ駄目なら今ここではっきりと確認しておかなくちゃいけない。
「よし……!」
私は2分経過した事を家の中にあった時計で確認し釜を開け、中にフラスコを突っ込んだ。そしてフラスコを引き上げてみると、また中には枯葉剤と思われる無色の液体が入っていた。相変わらずこれがどういう原理で起きているものなのかは分からなかったが、今はそんな事を考えている暇は無かった。
「ヴィーゼ急いで! そこまで来てる!」
プーちゃんの言う様にトウモロコシは既に家の中にまで侵入してきており、そこら中の床がひび割れていた。外は最早トウモロコシ意外には何も見えない程になっており、改めて事態の深刻さを感じた。
「二人共下がって!」
私は二人を後ろに下げさせると、フラスコの口を開けたままの状態でドアを開き、外に向かって大きくフラスコを振り、中身の枯葉剤を散布した。その後すぐさま中へ戻ると、窓を開けて同じ様に外へ向かって枯葉剤をばら撒いた。
「い、いけそう?」
「どうかな……まだ分かんない」
窓越しに観察していると、外を占拠していたトウモロコシ達は徐々に姿が変わっていった。瑞々しく実っていた黄色い実は茶色く変色してしぼみ、綺麗な緑色をしていた葉は同じ様に薄茶色になり、水分が無くなったかの様に萎れていった。
「やった! 効果あるみたい!」
「おお! 流石お母さんのレシピ!」
何とか効果はあるみたい。それに見た感じだと、掛けた部分だけじゃなくて近くのものも枯らすみたいだね。多分地面に染み込んで他の植物にも影響を出してるのかな。だとしたら、全部対処出来るかもしれない。
「プーちゃん! これなら何とか出来るよ!」
「じゃあ早く行こうよ!」
「うん!」
私達は釜を一旦そこに置いたまま外に飛び出し、街中を周った。まだ行ってなかった場所にもトウモロコシは群生しており、そのまま放置していれば駆除した場所にもまた生えてきそうな雰囲気があった。私は少しでも枯葉剤を無駄にしないために石畳に開いているヒビに枯葉剤を数滴垂らしていった。トウモロコシ達はまるで水分を奪われ、老化しているかの様に枯れていった。
「凄い効果だねこれ」
「うん。近くのものも枯らしちゃうからお母さんは使わない様に描いてたのかな?」
「どーだろ? そういう事なのかな?」
やがて私達は街中を周り、全てのトウモロコシを枯らした。その効果は想像以上のものだったらしく、体が少し触れただけで枯れた部分がバラバラになってしまう程のものだった。
調合を行った家に戻った私達は釜を台車に乗せ、貯蓄されていた水でフラスコを洗った。家の中は枯れたトウモロコシの破片でそこら中が茶色くなってしまっていた。
「お父さん居なかったね……」
「うん。次の所に行っちゃったのかな?」
「……ねぇヴィーゼ」
「何?」
「またお父さんに……お母さんに会えるよね?」
「どうしたの急に?」
「何かさ、嫌な予感がするんだよね……。気のせいだとは思うんだけど、どうも変な感じがしてさ……」
どうしたんだろう。怖い目にあったから不安になってるだけなのかな? 私もちょっと不安にはなってるけれど、あんまり考え過ぎるのも良くないよね……。
「大丈夫だよ。すぐに会えるよ」
「……そーだよね。うん、すぐに会えるよね」
プーちゃんは笑顔を見せ、フラスコを洗う作業に戻った。後ろではシーシャさんが葉の破片を手に持ち眺めている。
洗い終わった私達はフラスコを布で包んで鞄に収め、シーシャさんに声を掛けた。
「シーシャさん、終わりました」
「そうか」
「ねぇ、さっきから何してんの?」
「いや……何か分かるかと思って観察していたんだがな、何も分からなかった。どこもおかしくなかった」
私も屈んで落ちている破片を見てみたものの、やはり見た目には何も異常な部分は見られなかった。一応お父さんに報告するために鞄に入れていた試験管を取り出し、そこにいくつか入れておく事にした。
「一応これも採っておこう」
「ま、それがいいかもね」
サンプルを採り終わった私は試験管を鞄に収め、立ち上がった。
「行きましょうシーシャさん。これはお父さんに調べてもらった方が速いと思います」
「……そうだな。私が調べるよりはそっちの方が良さそうだ」
「でもこっからどうするの? 行く当てとかある?」
「あのミーファという男が言っていたのは恐らくこの街だろう。プレリエ達の父さんがここから向かうとしたら、また北だろうな」
「えーと……ここから北には何があるんですか?」
「水の都と呼ばれている街『ミルヴェイユ』がある。私も噂で聞いただけだが……」
水の都かぁ……あの川が干からびてしまっている現状でどうなっているんだろう? 位置的にはヘルムート王国の北にある訳だし、西側が海に面しているヘルムート王国の北にあるって事はその『ミルヴェイユ』も海のおかげでそう呼ばれてるのかな?
「じゃさじゃさ! 行ってみようよ! お父さんが居るかもしれないし、個人的にも気になるしさ!」
「なら行ってみるか?」
「そうですね。行ってみましょう」
こうして私達は水の都『ミルヴェイユ』を目指し、この無人になってしまった街を出て行く事にした。