第126話:見過ごせぬ脅威
一切の危険無く謎の捕食生物を捕まえる方法があると豪語したプーちゃんは、鞄からフラスコを取り出した。中身は空であり、予備として持ってきておいた内の一つだった。
「じゃーん! これです!」
「えーっと……それでどうするの? まさかそれを使って捕まえるんじゃないよね?」
「当たらずとも遠からず。その前にやんなきゃいけない事があるんだよね~」
そう言うとプーちゃんは外に出る様に促し、一旦小舟へと乗り込むと身を乗り出してフラスコの中に海水を汲み入れた。その間、私達はあの捕食者がこちらに来ていないかとハラハラしていたが、特に何も起きなかったため、あの湿地から外へは出ようとしていない事が窺えた。
汲み終えたプーちゃんは真っ直ぐに部屋へと戻り、フラスコを机の上に置くと覗き込む様にして声を上げた。
「おーい! 出てきてよーー!」
最初は何の反応も無かったものの、数回程呼び掛けると水面がスーッと浮かび上がり人の形へと形成されていった。そしてやがて出来上がったのは、もうかなり長い間会っていなかった水の精霊の姿であった。
水の精霊は呼び出されたのが数度目という事もあってか、少し不機嫌そうな動きをしていたが邪剣にする様な真似はしなかった。
「久方振リダナ人ノ子ヨ」
「久し振り。ねぇねぇ、ちょっとお願いしたい事があるんだけどさ」
「聞クダケ聞イテヤロウ。話シテミヨ」
「あのね、実はすぐそこに湿地があるんだけどさ、そこの水を採ってきて欲しいんだ」
「……何ガ言イタイ?」
プーちゃんによると、水と完全に一体化している水の精霊ならば捕食者が大量に居る場所でも問題無いのではないかとの事だった。私達の様な生物であれば先程の様に襲われてあっという間にやられてしまう。だがそもそも生物ではない彼女であれば、何のリスクも無く水を採取する事が出来るのだ。
水の精霊はフラスコの中で腕を組みプーちゃんを見上げながら少し苛立った様子を見せていた。
「人ノ子ヨ、オ前我ヲ無礼テオランカ?」
「そんな訳ないじゃん。今はそっちにしか頼れないからこうやってあたしからお願いしてるんだよ」
「我ハ約束ハ守ルツモリダ。ダガ、我ハアクマデ平等デナケレバナラン。モシコノ場所ガドウナロウト、我ニハ関係ガ無カロウ」
「……その事なんだが、少しいいか?」
「何ダ。言ッテオクガ約束ヲ果タサヌ限リ、オ前ノ村ヲ助ケルツモリハ毛頭無イゾ」
「それは分かってる。私が言いたいのは貴方にも不利益が出るかもしれないという事なんだ」
実際に被害を受けたシーシャさん曰く、あの生物達の生息圏は今でこそあの湿地帯に収まっているが、もしこのまま彼らが数を増やせば更に生息地を広める可能性があるのだという。あの高い機動力や攻撃性から考えると凄まじい早さで捕食や繁殖を行っていき、やがて海へも進出して更に他の地域まで来るかもしれないそうだ。そしてあれが本当に何らかの生物なのであれば、その圧倒的量によって水そのものを広範に汚染する事も考えられるという。
「そうなったら困るのは貴方も同じじゃないか?」
「……」
「ねぇお願いだよ。シー姉の言う通り、あたし達だけの問題じゃないかもなんだよ」
「……人ノ子ヨ」
「何?」
「オ前ハコノ旅デ何ヲ得タ。何ヲ考エタ。オ前ニトッテ錬金術トハ何ダ」
「……お母さんとの思い出」
「シテ、ソレガ意味スルトコロハ?」
「もう分かってるんだ。あの時水の精霊が言った『純正の血』……あの言葉の意味が」
「……」
「あたし達は普通の人間じゃなかった。でも、お母さんが残してくれたあのレシピには、何個もバツ印が付いてた」
「ホウ……」
「お母さんは……きっともしものためにあたし達に錬金術を教えたんだと思うんだ。もし今みたいに、『新人類』がもう一回暗躍し始めた時のために」
私達はお母さんにお願いして錬金術を教えてもらった。理由をつけて断る事も出来た筈だ。それこそ、それまでの記憶を保持していたのなら錬金術という技術そのものを使わずに封印するというやり方もあった筈である。しかしお母さんはそうしなかった。人々のためにその力を使った。それはきっと皆の幸せのためであり、正しい行いだった筈だ。
「だからこれは、お母さんとの思い出なんだ。正しい事をしようとした想いを受け継ぐための技術」
「……オ前ノ言葉ハ分カリニクイナ」
「え~!? な、何かカッコつけたあたしがバカみたいじゃん!?」
「マア良イ。オ前ノ望ミ、聞イテヤランデモナイ」
「いいの!?」
「アア。シテ、ドレクライ採ッテ来レバ良イノダ」
「えっと~……お父さん、どれくらいあったらいいの?」
「そうだね……。取りあえず、フラスコの底に数センチくらいかな。あんまり多過ぎると動きが活発になるかもしれないし……」
「という訳で、お願いね!」
「良カロウ。サテ、デハ人ノ子ヨ、我ヲ外ニ出セ。イクラ我ト言エド、ココカラ直ニハ行ケン」
水の精霊によると、水がある場所であれば自由に移動は出来るものの、それをこちらに持って戻ってくるには直に移動しなければならないらしい。あくまでこの姿はその場にある水を借りて作っているものであるため、水そのものを瞬間移動させる事は出来ないそうだ。
プーちゃんは彼女の指示に従いフラスコを持つと、先程と同じ様に小舟まで行くと水の精霊を海へと放った。すると彼女は水面を滑る様にして陸地へと移動して行き、やがて姿が見えなくなってしまった。しかししばらくすると少しだけ体積の増えた水の精霊が戻って来た。泥も若干混じっているのかやや茶色くなっていたが、フラスコに戻ると回収した水だけを体から切り離し、今までの姿へと戻った。
「コレデ良イカ?」
「ありがと! これなら大丈夫だよねお父さん?」
「そうだね。後は僕の方で解析してみるよ」
「……デハ我ハ戻ルゾ?」
「うん。ありがとね。絶対約束守るから」
「ノンビリト待ツトシヨウ」
「あの、私からもありがとうございました」
「アア」
水の精霊はまるで溶ける様にして海水へと戻り、そのまま姿を消してしまった。フラスコの中には水の精霊が残していった湿地帯の水と混ざった海水が漂っており、時折まるで意識を持っているかの様に小さく水面が跳ねていた。
「やはり何かの生き物か……ヴァッサさん気をつけろ」
「分かってます。もし仮にこの生物が液体や水分に反応して動くなら、汗一つでも危険ですからね」
「お父さんどうするの……? 多分そこから自力で出たりは出来ないと思うけれど……」
「そうだね。悪いんだけどヴィーゼ、プレリエ、大鋸屑を借りてきてくれるかい?」
「大鋸屑を?」
「まず一つ確かめておきたい事があるんだ。確か緩衝材として使われてた記憶があるんだ」
「うん。前に爆弾作る時に見たよ。ねぇヴィーゼ?」
「うん。確か……ここで使われてる粘土製の爆弾を入れてる木箱に入ってた筈」
「それじゃあ頼むよ。それなりの量を持ってきて欲しい」
「分かった。行ってくるよ」
「お父さん! 絶対勝手に触っちゃダメだからね! 栓閉めといてよ栓!」
お父さんの考えている事が何なのかはまだ分からないが、生物学の専門家であるお父さんの力を借りなければあの生物に対処出来そうになかった。シーシャさんが言っていた推測も、決して有り得ない事とは言い切れない。もしあの生物が海を渡って各地に広まれば、陸上で生きる私達は成す術も無く捕食されてしまうだろう。全体の数は分からないが、少なくとも今ここに居る個体を全て倒さなければ事態が悪化するのは明白である。
二人で部屋を出た私達は大鋸屑を貰う許可を得るために、船内でリオンさんを探す事にした。




