第123話:例え血筋が穢れても
お父さんとヘルメスさんを連れた私達は、既に星に満ちた空に照らされながら街へと繰り出した。夜という事もあって外を出歩いている人の数は昼間よりも少なく、そのおかげで私が持っている鎖を包んでいるシーツが人目に触れて怪しまれるという事は無かった。
少しずつ街から離れるに連れて光源は少なくなっていき、シュペーア家の屋敷に到着した頃には既に周囲はほとんど暗闇に包まれており、私達を照らしてくれているのはクリンゲさんが居ると思われる一室の窓から漏れる光と星と月明かりくらいだった。
「プーちゃん、あのブレスレット」
「うん」
「あ、あのあの……少しいいですか?」
「どうしたんですか?」
「そ、そのブレスレットなんですけど……い、一旦使うの止めてもらえませんか……?」
「どうしてヘル姉?」
「まだはっきりとした確証がある訳じゃないんですけど……そ、そのブレスレット、何だか嫌な感じがするんです。ブルーメさんのあのレシピ……少し見ましたけど、やっぱりおかしいと思うんです」
「でも、これを使わないと門の中に……」
「こ、これを使いましょう」
そう言ってヘルメスさんが取り出したのは、彼女が時折使っていた、私達も一度作った事のあるあの羽根だった。確かにこれなら門が閉まっていても問題ないが、何故ヘルメスさんがあのブレスレットを危険視しているのかが気になった。まだ彼女自身の中でもはっきりと言語化出来ていない様子だったが、とにかくあのブレスレットに不信感を抱いているのは確かだった。
「でもヘル姉、これ以上近寄るのは危ないよ。あのブレスレットなら槍の影響を受けなくて済むんだよ?」
「そ、そうですね……でも、本当に嫌な感じがするんです、はい。何て言えばいいのか分からないんですけど……」
「……僕が行こう」
「お父さん?」
「僕にはあの腕輪がどういう理屈であんな現象を起こせているのかは分からない。だが同じ錬金術士のヘルメスがそう言っているなら、きっとそれはそうなんだろう。でも誰かがやらないといけない。だから僕が行く」
そんな事をさせる訳にはいかなかった。リチェランテさんが作ったあの槍がどこまでの力を蓄えているのかは計り知れないが、このまま真っ直ぐに入れば確実に誰かが犠牲になるのは目に見えている。長い年月の中で『血吸いの槍』は幾人もの血と魂を吸い続け、自らに与えられた使命を遂行するために更なる犠牲者を増やし続けてきた。どんな理由があろうとこれ以上の犠牲者を増やす訳にはいかない。ましてやそれがお父さんなのであれば尚更だ。
ブレスレットを取り出す。
「……やっぱり私達が行くよ」
「で、でも……」
「ヘルメスさん。これは私達錬金術士の、『新人類』の問題なんです。これ以上犠牲を増やす訳にはいきません。あの槍が今、どれだけの力を持ってるのか分からない以上は、確実な方法でやるしかありません」
「ヴィーゼ、そうは言うけど……」
「……やっぱダメだよお父さん。ヴィーゼが言う通り。それにさ、ヘル姉はそう言うけど、そもそもこのブレスレットのどこがどう悪いかなんて分かんないんでしょ?」
「そ、そうですけど……」
「ごめんなさいヘルメスさん。これで最後にします」
そう告げて二人でブレスレットを付けると、門をすり抜けて敷地内へと入っていった。確かにこのブレスレットはお母さんのレシピの中でも細かい事が何も書かれていない奇妙な道具だった。ヘルメスさんが心配するのも納得だが、今はこれしか問題を解決する方法が無かった。あの呪いに塗れた槍に近寄れる唯一の方法は、『この世の理を超える』というものだけなのだ。
もう手入れをする人も居なくなってしまった庭を通り、玄関をすり抜けて屋敷へと入るとすぐに二階へと上っていき、クリンゲさんが待っているあの部屋へと一直線に向かっていった。
「クリンゲさん?」
そう声を掛けて扉をすり抜けて入ってみると、ベッドの上ではクリンゲさんが横になっていた。こちらの声が聞こえていないのか返事を返さず、心配になってもう一度声を掛けながら部屋へと足を踏み入れると、その瞬間クリンゲさんが大きな声で叫び声を上げ始めた。あまりにも突然の事であったため廊下で控えていたプーちゃんも驚いて部屋へと入り込んできた。
「ど、どうしたの!?」
「クリンゲさん! クリンゲさん!」
「あああっ……! あぁ……君達か……頼む、この槍を……」
クリンゲさんは弱弱しく顔を動かし、ベッドの横に立て掛けてある槍へと目をやった。
「待ってて! 今から助けるから!」
「僕の事はいいっ……! どうせ助からない……だが、その槍がこの世に残るのを見過ごす訳にはいかん……。早くそいつを……!」
「……分かりましたクリンゲさん。プーちゃん、槍を優先しよう」
「う、うん……」
クリンゲさんの死期が近いのは見てすぐに分かった。顔色は異常な程に悪くなっており、呼吸も非常に浅くなっているのだ。目も虚ろになっており、目として本当に機能しているのかも怪しい程である。恐らく彼自身も自らの運命を悟っているのだろう。
シーツを解いて中に収めていた鎖を取り出すと、それを槍へと巻き付けていった。目でしっかりと見ているにも関わらず、やはりその鎖は常に存在が不安定であり続けており、槍はぼやけている奇妙な何かに巻かれている様に見えていた。
「後少し……」
じゃらりじゃらりと音を立てながら、やがて私達は槍を完全に包み隠す様にして鎖を巻き付ける事が出来た。その瞬間、ガシャァンと鎖が落下する音が響いたかと思うと、鎖も槍も完全にその場所から消滅した。完全に予想外の事態だったが、槍を無力化出来たのはすぐに理解出来た。クリンゲさんが小さく呻き声を上げながらベッドから体を起こしたのだ。顔色は少しだけ良くなっており、先程よりは体調が良くなっている様だった。
「クリンゲさん、大丈夫ですか?」
「あぁ……いや、心配してくれてありがとう。……やったん、だな?」
「多分ですけれど……」
「でも何で消えちゃったんだろ? 数値を0にするために作ったんだけど……」
「もしかしてだけれど……他の数値にも0が適用された……?」
私達は最初、あの槍が持つ呪いに関する数値に0が関わる様にするつもりだった。そうすれば無力化出来ると考えていたからだ。だが実際には槍は鎖と共に消滅してしまった。もしかするとあの槍を構成していたあらゆる要素が0になったのではないだろうか。あくまで私の勝手な予想だが、この世に存在するあらゆる物質は小さな物体の寄せ集めなのかもしれない。私達のこの体も人工的に作られた物質も、何もかもが小さな何かで構成されており、それらの数値までも完全に0にしてしまえるのだとすれば、あの槍が消えてしまった事にも納得がいく。
「どうか、したのか……? まだ何か……?」
「あ、いえ。えっと……具合が悪そうですけれど、何かお薬とか……」
「いや、構わない……僕は平気だ。それより、君達に頼みたい事がある……」
「何ですか?」
「何となくだが分かる……あの槍の様な物が、他にもあるのだろう……? 誰が作っているのかは知らないが、あんな悪魔の道具を……」
「……そうですね。私達も、何回か見た事があります」
「やはり、な……。それなら頼む……他にもあるのなら、全部……全部壊して、くれ……」
そう言うとクリンゲさんはベッドから降りようとしてバランスを崩し、床の上へと受け身も取れずに倒れ込んだ。
「ちょ、ちょっと!?」
「頼む……僕達シュペーア家は、統治者でありながら……民を守れなかったのだ……。罪無き者の命が、幾度も奪われた。このような事は繰り返されては、ならない……」
「しっかりしてくださいクリンゲさん! 薬……どこかに薬が……」
屋敷の中を探すために立ち上がろうとした私の足をクリンゲさんの手が掴もうとして空を切る。
「いい……いいんだ……僕は、もうじき……」
「で、でも!」
「それより、頼む……僕の頼みを聞いてくれ……。もう、あんな事が無い様に、もし見つけたら……見つけたらでいい……消してくれ……あんな、あんな道具は……」
「ちょっと何諦めてんのさ! 薬作ればすぐに良くなるから!」
「僕を侮らないでくれ……これでも、シュペーア最後の一人だ。自分の体が限界かどうかは、自分が一番よく知っている……」
「ちょ、ちょっとやめてってば……」
プーちゃんは怯える様にして立ち上がり、私の後ろに隠れる。
「僕が……最後の鎖になるのだ……因果は、断ち切らねばならない……」
「……わ、分かりましたクリンゲさん。約束します。『血吸いの槍』みたいな道具を見つけたら、絶対何とかします」
「そう、か。……すまないな」
「ほら、プーちゃん」
「う、うん……。あ、あたしも約束する。ちゃんと、やるよ」
「あぁ……。ありがとう……最期に君達に会えただけでも、僕にはもったいないくらいの幸運だ……」
その言葉を言い終わると共に、私達を見上げていたクリンゲさんの頭はパタリと床へと落ちた。長年に渡り槍に蝕まれていた彼の体は、疾うの昔に限界を迎えていたのだろう。むしろここまでもっていた事が奇跡だったのかもしれない。彼はたった一人でこの屋敷に閉じこもり、この島の人々を守っていたのだ。例え世間から何を言われようと、全ての罪を自分が背負って。
私はブレスレットを外すとその場にしゃがみ、まだ僅かに開いていたクリンゲさんの目を閉じさせる。せめてその姿は安らかであるように。
「ヴィーゼェ……」
「……ごめんねプーちゃん。怖かったよね……」
「あたし、あたし薬、作っとけば……」
「プーちゃんのせいじゃない。クリンゲさんのせいでもない。あの槍を作ったのはリチェランテさんだけど、あの人のせいでもない。きっとクリンゲさんは……とっくの昔に限界が来てたんだよ」
「でも、でもでも……」
「プーちゃん。未来なんて誰にも分からないんだよ。私だって薬が必要なら作ってた。でも、きっと仮に薬を持ってても変わらなかったと思う。ここまで弱ってる人が一飲みで元気になる薬なんて、それこそ本当に危ない薬になるかもしれないし」
人の死に敏感なプーちゃんにとっては辛い光景だっただろう。もしかしたら助けられたかもしれないという希望を僅かでも抱けてしまう状況だからこそ、余計に辛くなってしまう。もしかすると初めから出会った時からクリンゲさんが死亡していれば、ここまでプーちゃんが怯える事は無かったかもしれない。だが、だからこそ私達は彼の事を覚えていなければならない。
「……プーちゃん」
「な、何……」
「私達が覚えてよう。クリンゲさんが最後まで一人で戦ってたって事。私達が覚えてないと……きっとこの島の人達は忘れちゃうと思うから……。きっとこの島の人達は……この家の人達を恨んでると思うから……許せないと思うから……」
「うん……」
「それで、約束も守ろう。こんな事、今更かもしれないけれど、絶対に全部壊して周ろう。同じ事を繰り返さない様に」
「うん……うん、そうだね……」
プーちゃんはブレスレットを外すと涙を拭い、息絶えたクリンゲさんに黙祷を捧げた。その後私とプーちゃんは二人でクリンゲさんを持ち上げると、ベッドの上に寝かせた。本来ならば弔うために墓でも作るべきなのかもしれないが、私達だけではここまでが精一杯だった。
「……行こうプーちゃん」
「うん。見ててね、クリンゲの兄ちゃん」
安らかな顔で眠る気高き戦士に背を向けて、私達は穢れ無き部屋を後にした。




