第10話:語り継ぐ者との出会い
私は小鳥達の鳴き声で目を覚ました。あの後私達はトヨさんの家に一晩お世話になっていたのだ。
「お父さん……?」
周囲を見渡してみると、一緒に寝ていた筈のお父さんの姿がどこにも無かった。それだけでなく、トヨさんの姿も無く、そこに居たのは私とプーちゃん、そしてシーシャさんだけだった。
「プーちゃん起きて」
「んー……」
私はプーちゃんを揺さぶりながら何か無いかと見渡し、寝ているシーシャさんの枕元に手紙が置かれている事に気が付いた。
「何ぃヴィーゼー……」
「お父さんが居なくなってる」
「……はっ!?」プーちゃんはまるで冷水を引っ掛けられたかの様に飛び起きた。
「お父さんが居ないぃ!?」
「うん。それだけじゃないよ、トヨさんの姿も見えない」
私は手紙を拾い、目を通す。内容はこういう事だった。
住人達は住む場所を探して皆村を出た。しかし、村に対して一種の固執を見せているシーシャさんは絶対に付いて来ようとはしないだろう。だから置いていく。面倒見はいいから私とプーちゃんの事を守るという新しい役目を得れば大丈夫だろう。
プーちゃんは私の肩越しに手紙を覗き込む。
「信じらんないよ! あたし達を置いてくなんてさ!」
「でも、シーシャさんがこの村に固執してるのは事実なのかも。水の精霊を探してたのも村長さんの言葉を信じて、村を救いたかったからだし……」
「でも置いてく事ないじゃんか! てか、お父さんがどこに居るか書いてある?」
「ううん、書いてないかな」
多分だけれど、私達がこれ以上危険な目に遭わない様に行き先を知らせずに出て行ったのかな。実際ここに来るまでも危険な目に遭ったし。
「もうホンット……! ほら追うよヴィーゼ!」
「待ってプーちゃん。まずは、だよ……シーシャさんを起こそう?」
私はまだ寝ているシーシャさんに近付き、揺さぶる。その顔には涙の様な跡が残っていた。
「シーシャさん、起きてください。シーシャさん」
「……」
シーシャさんは返事を返す事は無く、ただ眠っていた。その様子を見たプーちゃんは鞄から見覚えのある球を出した。私は身の危険を感じ、思わず後ろに下がってしまう。
「……起きろっ」
プーちゃんはその球をシーシャさんの顔に近づけると、中心に入っている繋ぎ目から二つに割った。その瞬間、シーシャさんは目をカッと見開き、咳き込みながら飛び起きた。
「なっ!? がっ……ゲホゲホッ!?」
「やぁっと起きた」
「ぷ、ぷれ、プレリエ……いったい何が……!?」
「詳しくはヴィーゼに」
私は可能な限り息を止めながらシーシャさんに近寄り、手紙を見せた。
「……そんな、では私は……」
「そっ。あたし達と同じで、置いてかれたって事」
「あ、あの……決してシーシャさんの事を嫌いになっただとか、そういう事では無いと思うんです」
「……すまないヴィーゼ、気を遣わせてしまったな。いいんだ、そこまで気にしてはいない」
そう言うとシーシャさんは少しだけ笑って見せた。しかしその表情は明らかに心から笑っているものではなく、心配を掛けない様に無理矢理作っているものの様に見えた。
「それに、別に諦めた訳ではない。水の精霊は確実に居る筈なんだ」
「シー姉ぇさぁ、あの爺ちゃんも言ってたじゃん。あれは、ただの昔話なんだって」
「ああ。だが、そういう話があるという事は、少なくとも似た存在は居る筈なんだ。一から作られた話とも思えない」
どうなんだろう……完全な創作だと思うんだけれど、でも絶対にそうとも言い切る自信も無いし……。
「え、えっとじゃあ……シーシャさんはこれからも水の精霊を探すんですね?」
「ああ、私は絶対にこの村を救ってみせる。何としてもな」
「ま、そこまで言うならあたしは止めないけどさ。それよりヴィーゼ、お父さん追い掛けないと!」
「そ、そうしたいんだけれど、どこに行ったのかさっぱりだし……」
そう言っているとシーシャさんは家の入り口に移動し、足元を見つめ始めた。
「……追うのか? 追えるが」
「えっ?」
「ここから足跡が残っている。この感じだと数時間前に出た筈だ」
「凄いじゃんシー姉! これで行けるねヴィーゼ!」
「う、うん。そうだね」
まさかシーシャさんがそういう事が出来るとは思わなかったな。森の中に住んでいるとそういう事も出来る様になるのかな?
私達はあの手袋を付け、釜を台車に乗せるとシーシャさんを先頭に村を出た。外では小鳥達が楽しげな鳴き声を上げており、爽やかな朝風が私達の頬を撫でてくれた。
しばらく歩いていると、やがて川の近くに出た。私達とシーシャさんが出会ったあの場所に流れていたものと同じ川の様だった。川は底が透けて見える程に透き通っており、魚達が気持ち良さそうに泳いでいた。
「ヴィーゼお腹空いたー」
「そういえばまだ朝ご飯食べてなかったね」
一応まだ鞄の中には予備のパンが入ってる。量は少ないけれど、これで我慢してもらうしかないよね。
「えっと……まだパンがあるけれど、食べる?」
「っはぁー……ヴィーゼェ……分かってないなぁ。近くに川があるんだよ? これはつまりそういう事でしょ?」
もしかして魚が食べたいって言ってるのかな? 釣竿だってないし、一匹釣るのだってどれだけ掛かる事か。
「いやプーちゃん、まずは、だよ? 釣竿が無いし、時間だって掛かるんだよ?」
私がそう言うと、シーシャさんが弓矢を取り出す。
「私がやろうか?」
「え?」
「必要ならやるが」
「おっ、いいねいいねシー姉! 話が分かるねぇ!」
「し、シーシャさん、プーちゃんの言う事をしなくていいですから。あんまり甘やかしちゃ駄目ですよ」
「いや、まあいいだろう。私も空腹だ」
そう言うとシーシャさんは川縁へと近付き、川に向けて弓矢を構えた。私は仕方なくプーちゃんと共に台車を引き、川岸へと移動した。川岸は砂利が多いせいで台車がガタ付き、移動するだけでも大変だった。
シーシャさんは呼吸を整えると川で泳いでいる魚目掛けて矢を放った。矢は恐ろしく正確に飛んでいき、魚の頭部に命中した。
「ヒューッ! イカすぅ!」
「凄いですねシーシャさん」
「これ位は普通だ」
シーシャさんは少し得意気な顔をすると人数分の魚を仕留め、こちらへと持ってきた。プーちゃんは鞄から塗り火薬を取り出すと、そこら中の枝を集めて火を点けた。シーシャさんは足元に落ちていた枝を拾うと魚を串刺しにし、火の近くに突き立てた。
「やぁ~何かあれだね、キャンプみたいだね」
「そうだね」
最後にキャンプなんてしたのはいつだったかな。確かまだお母さんが居た頃はやってた記憶があるんだけれど、居なくなってからは全然してない様な気がするな……。
火に炙られた魚はやがて鼻腔をくすぐる良い匂い放ち始めた。その匂いを嗅いだせいからか、思わずお腹が鳴ってしまう。
「もー、ヴィーゼはしょうがないなぁ。そーんなにお腹が減ってたんだね?」
「や、やっ、違う、違うんだよ! ちょっと何か鳴っちゃったっていうか……!」
「あーいいのいいのそういうのは」
「何故恥ずかしがる? 空腹は全ての生き物にとって避けられない現象だ」
それはそうなのかもしれないけれど、やっぱり恥ずかしいな……。だってお腹が鳴ったんだよ? 恥ずかしいに決まってるよ……。
「ささっ、さっさと食べて行こうよ!」
「ああ、そうだな」
「う、うん……そうだね」
そう言って魚が刺さった枝を掴んだ瞬間、弦楽器のものと思われる音色が響いた。すぐさまその場所を見ると、大き目の石の上に一人の男性が座っていた。まるで道化師の様な格好をしており、手には木製の物と思われる弦楽器を持っていた。
男性は目を瞑ったまま語り始めた。
「やあ」
「誰だ、お前は」シーシャさんはすぐに弓矢を構え、戦闘体勢に入る。
「フフ……この匂いに手を引かれ、風と共に流れてきたのさ」
「……それって要はお腹空いてたから来たって事でしょ?」
「そうだね。それもまた答えなんじゃないかな?」
男性は手元の楽器を弾き始め、穏やかな音色を奏で始めた。何故かその音を聞くだけで、少し心が安らいだ。
「それを降ろしてみるというのはどうだろう? 食事時には似つかわしくないんじゃないかな?」
「ねーねー、急に出てきたけどさ、誰なのさ?」
男性は少し楽しげな曲調に変える。
「特に名乗る程の人間でもないけど、ボクはミーファ・ソラ・シドレ。吟遊詩人をやってるんだよ」
「吟遊詩人だと……?」
「そう。ボクは各地を周って色んなものを見てきたんだ。勿論これからもそうするつもりだけどね」
「んー……歌歌う人って事?」
「フフッ、君の見解は正しいと思うよ。ボクはこの世界中で起きている事を皆に知らせるために旅をしているんだ。見た事、聞いた事を歌にしてね」
確かヘルムート王国にも吟遊詩人の人は居た気がする。でもここまで派手な格好はしてなかったかな……こんなピエロの人みたいな……。
「……それで? その吟遊詩人とやらが何故ここに居る?」
「ダスタ村の事を風の便りに聞いたのさ」
「何?」
「緑が朽ち果て、人が居なくなった村。いつかは姿を消してしまう村。そんな村を調べて、後世の人達のために伝えていこうと思ったのさ」
「誰から聞いた?」
「フフ……この世のあらゆる生物を探求しようとする男性からさ」
プーちゃんは魚を持ったまま勢いよく立ち上がった。
「それお父さんじゃん!」
「おやおや……不思議な事もあるものだね」
「あの、もしよろしければどこで会ったのか教えて貰えませんか?」
ミーファさんは石から降りると楽器を鳴らしながら近寄り、私達の一行に混じる様に座った。
「それも確かにいいのだけれど、ボクの話も聞いてくれるかな?」
「メンドクサイ男は嫌われるぞー?」
「フフッ……時には面倒くさい事も、重要だったりするのさ」
「手短に話せ」
楽器の音が奏でられる。
「かつて栄えた田舎町、今や廃れた廃村に。人を肥やすは食物で、人を殺すも食物で……」
「あー……ごめん、あたしこういう音楽とかはサッパリでさ」
プーちゃんの言いたい事は分かる。この人、歌はあまり上手くない……。でも、何でだろう、不思議とこの人の声は、心の中に入り込んでくる。何故かこの歌を聴く事を止めようとは思わない。
「……気になるのなら行ってみればいいんじゃないかな?」
「え?」
「フフ……お嬢さん、君は今ボクの歌に興味を持ったよね? まるで蜜に誘われる虫達の様に……」
シーシャさんはナイフを取り出し、ミーファさんに突き付ける。
「おいお前、何を言ってる? 食物が人を殺す?」
「信じられないのは当たり前だろうね。でもこれは事実なのさ、ボクがこの目で見た真実だよ」
「それってさー、あれ? 食虫植物的な?」
「フフッ……面白い例えをするんだね。でも違うよ」
「いったいどういう……?」
「気になるのならここから北へ行って御覧? 君達が求めているものも、きっとそこで見つかる筈さ」
そう言うとミーファさんはゆっくりと立ち上がり、楽器を鳴らしながら背を向け歩き始めた。
「きっとまた会う事になると思うよ。風達がそう告げているのだから」
そのまま歩き続けたミーファさんは私達を置いて森の奥へと姿を眩ました。
いったいどういう事だろう? また会うかもしれないって……何でそんな事が分かるんだろう?
「……何かあれだね。すっっごいメンドクサイ奴だったね」
「ああ。しかし奴が言っていたのはどういう意味だ? 食物が人を殺すだと?」
「ヴィーゼ分かる?」
「うーんと……一応人体に有害な食べ物とかはあるから、多分その事を言ってるんじゃないかな?」
実際によく似た植物を間違えて食べて死んでしまったっていう事例もヘルムート王国であったし、田舎町でもありえなくも無いかな?
「うーん、よく分かんない。まっ、とにかく今はこれ食べて、お父さんの後を追おうよ!」
「そうだね。今はミーファさんが言ってた事位しか手掛かりが無いし……」
そう言って焼いていた魚に手を付けようとした瞬間、プーちゃんが声を上げる。
「あーっ!? あいつあたしの魚持ってった!?」
見てみるとプーちゃんの所にあった筈の魚が影も形も無く無くなっていた。プーちゃんは勢い良く立ち上がり、ミーファさんが消えた森に向かってとにかく罵声を浴びせ続けた。
「バカ! アホ! 盗人! 詐欺師! 下手糞! やめちゃえ歌なんか!」
「ほ、ほらプーちゃん私のあげるから。そんな事言っちゃ駄目だよ……」
「何言ってんのさ! 盗られたんだよ? あたしの魚を!」プーちゃんは森を指差しながらその場で地団駄を踏んだ。
まさか歌に気を取られている間に魚を盗られるなんて思わなかったなぁ……。でも、それだけが理由って訳でも無さそうなんだよね。あの歌を聴いて欲しかったのかな?
「落ち着けプレリエ。ともかく今はあいつが言った通りに行ってみよう」
何とかプーちゃんを宥めた私達はミーファさんの話を信じて北に向かう事にした。