わらし
「嬢ちゃん、気ィつけないかんよ。
あんたはすぐ、良くないもんを引き寄せる。今だってほれ
あんたの後ろにわらしがくっついとる。早う、とらんと
何されっか、わからんぞ」
泉加奈子は学校からパンクした自転車を引きずって
家に帰る道すがら一人のおじさんに声をかけられた。
近所でも変わり者で有名な人だった。
でも、泉にはおじさんが悪い人ではないという事はわかっている。
挨拶もちゃんとしてくれるし、世間話も普通、
綺麗好きでいつも家の周りを箒で掃いて掃除している。
ただ、時々、わけの分からない事を言って皆から敬遠されているのだ。
「こんにちは、おじさん、わらしって何ですか?」
意味を図りかねておじさんに質問した。
「わらしって言うのは小さな子供のこった。最初は見えん、だんだん
見えるようになる。ほれ、今、嬢ちゃんの後ろにおるじゃろ」
おじさんはそれだけ言うとそそくさと掃除道具をかたずけて家の中に入ってしまった。
童って何?妖怪?それとも幽霊みたいなもの?
気味が悪くなって後ろを振り返るが霊感のない泉に見えるはずはない。
ただ言葉が聞こえる残留思念とも違うようだ。
首をひねりながらも玄関まで帰ってきて、泉は鍵を差し込んで家の中に入った。
例のわらしは後ろにいるのだろうか。気になって仕方がない。
超人クラブのメンバーが浮かんだが
この手の話ができるのは菊留先生しか思いつかない。
携帯を取り出し電話をかけた。
呼び出し音がすごく長く感じられる。
『もう、せんせー、早く出てよ!』
「呼び出しましたが近くにおりません。お留守番サービスに接続します」
「うーん、もう、先生ってば!」
泉は歯噛みして携帯を切り、角田先輩の所に電話をかけた。
こちらは早く出た。流石に現代っ子だ。
「もしもし、泉?」
「あっ、先輩、どーしよ、私また、へんなもの拾ったみたい」
「えっ、変なもの?どんな?」
「う……ん、たぶん菊留先生しかわかんないと思う」
「ふーん」
「先生に電話したけど出ないよ。もうやだ、怖くて動けない」
「泉、今、どこ?」
「家だけど」
「そう、こっちは市立図書館だけど」
「うん、わかった。なんとかそっちに移動するからそこにいてね」
携帯を切ってお出かけカバン一式に読みかけの小説を突っ込み鍵をかけ、家を出る。
しばらく大通りを歩いていると後ろから子供の声がした。
「五つ歩いて植木鉢、七つ歩くと一万円、十二で角を曲がらんせ」
「えっ?」
何、今の……残留思念?
振り返ると小学一年生くらいの子供がいた。
ティーシャツに短パンをはいてる普通の男の子だ。
ビーチサンダルを履いて片足で地面をけって歌を歌っている。
眼の周りが黒ずんでクマができているように見えるのは気のせいだろうか。
「お姉さん、このまま行かない方がいいよ。五つ歩くと植木鉢だよ」
子供は妙な予言をして、謎めいた顔で笑う。
「……えっ、一体どういう」
ガシャンと数歩先で何かが壊れる音がした。
子供に気が付かなれば確実に歩いていただろう方向で
植木鉢が壊れて粉々に砕けていた.コンビニの上半分が居住区になっている。
そこのビルから落ちてきたものらしい。
まともに歩いていたら泉を直撃していただろう。
ゾッとして子供を見る。
「大丈夫、今度は一万円だから」
子供はキャラキャラと笑いながら次の予言をする。
こういうのは無視するに限る。
泉は、そっぽを向いて植木鉢をさけ、足早にその場を立ち去ろうとした。
七歩目、何かを踏んずけた。確認すると一万円札だった。
財布に入れそびれて前方から風に飛ばされてきたお金だ。
追いかけてきた人に一万円を渡してお礼を言われた。
悪い予言といい予言、今度は角を曲がれ??って言った?
左右どっちに曲がっても目的地の図書館にはいけない。
12歩目に差し掛かって、一瞬躊躇し立ち止まった。曲がるべきなのか
そうでないのか、その一瞬が泉の命を救った。
目の前を自転車が結構なスピードで掠めたのだ。
立ち止まらなかったら泉は確実にけがを負っていただろう。
驚愕の表情で子供を見る。
子供はニタニタと笑った。愛らしい子供の表情には到底見えない。
なんなの、ほんとに怖い。
『あんたには、わらしがついとる』
近所に住むおじさんの言葉を思い出した。
もしかして『わらし』ってコレ?
泉は耳を塞いで図書館の方へ走り始めた。クラスでも結構速い方で
いつも、リレーのアンカーに選ばれている。
足の速さには自信があった。
だが、後ろをついてくる子供はもっと速い。
子供を巻いたつもりになって立ち止まり、
ハアハアと肩で息をしているとまた、すぐ近くで声がした。
「お姉さん、どうして逃げるの?逃げないでよ。
僕、お姉さんの事、気にいっちゃった。僕と鬼ごっこしようよ」
子供の声は息一つ乱していない落ち着いた声だ。
「イヤよ、ついてこないで。あなた、一体なんなの」
じりじりと距離を詰められる恐怖。
泉は、ぱっと踵と返すと子供のそばをすり抜けて走って逃げる。
性懲りもなく追いかけてくる子供を気にしながら図書館の正門の方へ周り
そこで人とぶつかった。
「おっと、大丈夫ですか、泉さん」
腕を支えられた。態勢を整えてぶつかった相手を見る。
「菊留先生!」
ほっと気が緩んで涙がでてくる。
「よかった、先生、アレ」
先生は背後を気にする泉に囁いた。
「泉さん、見えない、聞こえない、気づかないふりをして下さい」
「はい、先生」
「アレは本来、君たちには見えないもの。このままやり過ごしましょう。」
先生はそういうと二本口元に指を立て呪を唱える。
「天地開闢の理よりて、居並ぶ精霊に申し作る。
見えざるモノを彼岸に返せ、還元」
そのまま右手を後ろに払う。
途端に空気が変わった。
ぐにゃりと空間が歪み、見えるはずのない風景があたりを包む。
そこは一面の花畑ですぐそばに透明で綺麗な川が流れている。
その岸辺で一人の女性が手を振っている。
「ムロイー、どこなの、一緒に帰ろう」
その声に反応して子供はゆがんだ空間の中に躊躇なく入っていった。
「おかーさん、あのね、あのね、お姉ちゃんと遊んでたんだよ
僕の事、気味悪がってたよ。ちゃんと予言してあげたのに変なの」
そう言って子供はキャラキャラと笑う。
「そう、遊んでたの、人間ってそういう生き物よ
ほんとにしょうがない人たちよね」
「ほんとだねー」
「もう、からかってはダメよ。
人間は先の事を知りたがるくせに教えてあげるとすぐ否定するのよ」
岸辺から遠ざかる二人の会話を聞きながらなるほどと思う。
古今東西、予言者は迫害を受けたり殺されたりしているのだ。
人間でなければなおさらだろう。
「早くとらんと何されっか、わからんぞ」
あのおじさんはそう言った。
人間がそのわらしと呼んだ何かを忌み嫌ってきた証だった。
あの子供が、自分の命を救ってくれたのだとしたら申し訳ないことをしたと思う。
「封」先生が再度唱えると彼岸の入り口は消え失せ元の空間に戻った。
「はぁっ、良かった泉さん、間に合って
角田君からメールを貰って急いでこっちに向かったんです」
「ありがと、先生、アレ、何だったんでしょう?悪いものだったんですか?」
「わかりません。でも泉さんの思った通りだったんじゃないんですか。」
先生はただ笑って答えを言わない。
泉と違ってもっとたくさんの見えざるモノを見てきた先生には善と悪
白と黒の決着をつけることはとても難しい事なのかもしれなかった。
「中に入りましょうか、泉さん、
角田君がシビレを切らしてるかもしれません」
先に立って歩きだす先生の後姿を見て泉は小さく呟いた。
「ありがとう、わらしくん。君のおかげで泉は元気に生きてるよ」
「どういたしまして」
爽やかな一陣の風と共に子供の声が響く。
キャラキャラとした笑い声とともに。