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31 森の鬼




 ……なんだ。


 ……なんだ。




 ……なんだ、こいつは?



 僕は目を見開いていた。


 ―――月明かりの下。

 その容姿は、艶やかで、そして背筋が凍るほどに美しかった。


 長い黒髪。目の下の泣きぼくろ。

 異様な容姿というわけではない。僕の目には、それがどこにでもいる『王都の婦人』にしか見えなかった。


 余裕を含んだ笑みと、そして大人の女性でありながら――どこか達観の目をした美女。両手を広げれば長身が際立ち、そして動けば細くたおやかな体のラインが明らかになる。


 ――だが、その身のこなしには隙がなく。

 一歩あるくたびに、僕の本能が警鐘を鳴らしていた。自然と、足が後ろへと下がる。



(……おい、ウソだろ……?)


 自分に起きた変化に、僕が驚いていた。

 ―――《冒険者》の僕が、後ずさっていたのだ。



「網は張っておくものですわ。…………まさか、本当に現れるなんてね」


 その女性は、怯える僕に微笑んでいた。

 一歩歩くごとに輝く聖剣を『聖騎士の構え』にして後ろへと下がる。完全防御の構え、相手がどういう出方をするか分からない。――ただ、危険すぎるその気配に、僕の本能が警戒を発していたのだ。



「あら、あなた。見る目があるわね。―――《黒夜こくや》の範囲が分かるの?」

「…………こ、くや?」


「これよ」


 異様なほど美しい、〝黒髪の女〟が刃を掲げた。

 夜露に濡れたように湿りを帯び、それでいて不気味に湾曲した――〝剣〟。いや、刃か?


 《剣島都市サルヴァス》でもあの形状の刀を持っている冒険者はいた。刀身が分厚く、確か北の方の刃物だと聞いたことがある。湾曲した刃は斬撃に特化しており、なめらかに獲物の肉を切断する。


 ――ただし、耐久性がややもろく、直剣や特大剣に比べると〝大物〟を狩るのには向いていない。


 すなわち、技巧派。

 すなわち、武術の上級者向け。


 すなわち、――――〝人間狩り〟の武器。



 女の気配から、僕は先日の冒険で会った『教師ゲドウィーズ』を思い出した。あの教師はもともと対人戦に特化しており、そのために回転数の高い〝双剣〟。しかも、曲刀を持っていた。

 …………アレと、広義では同じだ。

 ……だが、致命的に違う部分がある。


 黒くさび付いた刃には――明らかに人を傷つけてきたであろう、不気味な凄味が宿っていた。


「―――メメア、近づくな」

「……。ええ。どうやら、ただの人間じゃないみたいね」


 輝く〝聖剣〟を持った剣士二人は、うかつに近づかなかった。

 ゆらり、と夜に現れた蜃気楼のように立つ女に――〝隙〟がなかったのだ。どころか、歩いてきている。微笑んでいる。目尻の下に泣きぼくろのある顔が、僕らを見ている。


(…………寮母さん級か? まさか)


 僕は目を見張っていた。

 女は細い肩をすくめ、静かに小声を繰り返した。


「残念、残念、残念残念残念――だわ。なぜ? どうして? 踏み込んでくれないの。踏み込んでくださったら、胴体を斬ってあげるのに。――救ってあげるのに。ああ、救済をしてあげるのに。

 俗世の輩は何事にも〝生〟への欲望にとらわれすぎています。爛れた欲望は体を穢す。そこから少し枷を外し、思い鎖を外せば、楽になれるのに。なぜ分からないの。その強欲を……魂の浄化をして差し上げるのも、救済者の役目……」


「……何をぶつぶつ。気持ちが悪い相手ね」


 そうして、メメアが聖剣図書を広げる。

 光り輝く書を手にした少女を見ながら、『――やるか』と僕が目配らせすると。しかし、彼女は違った反応をした。



「…………いいえ、クレイト。あなたは、先に向かって」

「……な」


「あなたは、〝最大戦力〟なの。自覚を持って。特に〝対・魔物討伐戦〟では――これ以上ないくらい可能性を秘めている。

 ……だから、里を救うほうを優先して。――今は、一秒、一刻もの時間が惜しい。それで救われる命が、いくつもある」


 メメアは小声でささやく。

 お互いに、対峙して距離を測っているところだった。薄氷を踏むような、一瞬の膠着である。


「――見た? あの女、私たちの行動を待っていたわ。

 つまり、ここを突破されると困るのよ。……だったら、困るほうに動いてあげましょう。私たち両方は向かえない。だったら、一人が残って背後を守るの」

「でも」


「任せて。…………私には、何となく分かるけど。あれは『騎士』か『兵士』よ。匂いがする。動きと雰囲気が、私の故郷のそれにそっくりなの」


 メメアは、言った。

 元・リューゲン王国領という騎士の名誉がある国で、彼女は『騎士になれなかった騎士』だった。生まれながら体が弱く、そして母の身分も高くなかっため『騎士として生きる』という名誉の道を閉ざされていた。


 ……だからこそ、分かる。という。

 あの動きの相手をできるのは、この場ではたった一人。『メメア・カドラベール』その人だけであると。


「クレイト。ここは私に任せて、――いえ、譲って。先に向かいなさい」

「――だけど」


「一刻を争う状況なの。私たちの目的はなに? この女と争うこと? いいえ、《冒険者》として誰かを助けることでしょう。道は一つしかない」


「いや、そうじゃない。だけど、僕はお前が」


 僕は手首を握った。


 ――メメアを置いて、いけるか。

 そう正面から言い放つと、少女は驚いたように瞳を丸くした。


 ……だが、それも一瞬のことで、すぐに気持ちを持ち直したように首を振る。だけど、その顔はうつむいていた。表情が月の陰に隠れる。



「…………クレイトは、ずるい」

「な。僕は」


「…………お風呂、のぞいたくせに」


 メメアは『ぷうっ』と頬を膨らませた。

 不意を突かれた僕は慌てる。メメアは怒った風だったが――でも、いつもの雰囲気ではない。決戦を覚悟したような。この夜の最後の最後の軽口かもしれない。決意した顔でそう語っていた。

 慌てる僕に『いいわ』、と指を出して、


「――いつか、謝ってもらうから。覚えておいて。また、この鉄の国での戦いが決着ついてから、話しましょう」

「メメア!」


「――《水王の槍アクア・ジャベリン》」


 振り払うように《聖剣図書》を構え直すと、メメアが呪文スペルを詠唱した。

 しかし、それは立ちふさがる女に向かってではない。


 女が佇んだまま見送る中で、僕の胴体を水が打ち抜いた。

 ――しかし、それは最大出力ではなく、『てっぽう水』という程度だった。僕の体は中を浮遊し、そして女の横、『里』へと切り開かれた景色へと飛ばされていた。木々が倒れ、メメアの《水王の槍アクア・ジャベリン》によって僕の後ろに森のバリケードが構築される。


 しかし、その軌道を慕うように、女の『黒い刃』も伸びていた。



「―――行かせると思う?」

「――いいえ、行かせてもらうわ。盗賊」


 そして、刃が音を立ててはじき飛ばされる。

 メメアの《水王の槍アクア・ジャベリン》が伸ばされた黒い刃に当たり、強烈に軌道を折ったのだ。


 女はふわりと宙を舞い、そして冒険者のような洗練された動きで着地すると〝黒い刃〟を拾い上げた。ペロ、と獲物を前にしたような、舌なめずりをする。



「…………うふ。ふふ。面白い〝力〟を扱うのね、冒険者さん。〝あなた〟も、私の救済に加えてあげてもいいわ」

「結構よ。でも、興味を持ってくれたみたいで、嬉しいわ」


 そして、月夜の下で対峙するメメアが、白い手をさしのべる。

 今まで発揮したことのない〝魔力マナ〟の風が渦巻き、そして精霊アイビーの力を借りて《聖剣図書》が真価を発揮する。


 遠く、冒険者が消えた山の麓を見る。



(―――頼んだわよ。クレイト)


 そして、その手を振り下ろした。

 全方位、合計十二カ所にも展開した〝呪文スペルの波〟が押し寄せてきた。彼女の原初にして、最も操作が熟達した呪文スペル


 魔物・《骸骨剣士スケルトン》の大群すらも爆撃して沈み込ませた『書の冒険者』の奥義が、森を焦がして吹き荒れる。



「―――《雷炎の閃光ファイア・ボルト》」







 ***



 山を轟音が包む。


 僕は森の木々をブチ抜く形で吹き飛ばされ、そのまま着地も怪しく地面を転げていた。尻餅をついた先には、里の遠くから見ても『炎上』する光景。


 そして、背後では、轟音が鳴り響いていた。


『ま、マスター』

「…………」


『マスター!』

「……っ、」


 分かってる。

 ……分かってる、けど!


 こんなの、選べないじゃないか!!


 僕はミスズの聖剣からの声に、地面に両手をつき、拳を握りしめた。

 奥歯をかみしめた。


 爪が土に食い込み、血を流すほど握りしめた。髪をかきむしり、顔をゆがめた。……今の僕は、ものすごい顔をしているに違いない。


 …………こんなの、

 選べるわけが、なかった。


 後ろではメメアが戦っている。

 メメアの戦力は申し分ない。『聖剣図書』を抱えた属性だけを使える、貴重な冒険者なのだ。だが、それでも相手の女は不気味だった。メメアや僕という《冒険者》を前にして、あそこまで薄笑いを浮かべたのには、理由があるのか。


 そして、メメアがそんな僕に血路を作った。


 ――里を救うためだ。

 《クルハ・ブル》の鉄の里は、今も僕の目の前で炎上している。麓から繰り出した1000を超えるかという盗賊の集団に襲われ、今も燃え上がる里からは悲鳴が聞こえくるかのようだ。


 あのままでは、絶対に全滅する。

 分かる。確信が持てる。


 里の戦力は、盗賊の半数にも満ちていない。わずか200名ほどの青年採掘師たちが里を堅守し、盗賊たちと渡り合っている。ただでさえ絶望的な光景なのに、そこに〝明らかな異質〟が紛れ込んでいるのだ。


 それが、すなわち―――〝白い波〟。

 僕が迷宮で出会った《骸骨剣士スケルトン》の大群が――里の郭を、一重に、二重に包囲しているのだ。あんなものに、過去の王国の歴史でも人間が攻め込まれた記録がない。


 ……明らかに、事態は僕ら《冒険者》にとって荷が重すぎるくらいに動いていた。


 それこそ、《剣島都市サルヴァス》の上位生徒トップランカーたちを投入するべき事態だった。魔物の討伐数でも、敵の巨大さも、僕らではとうてい及ばない。……だいたい、盗賊の首領級の顔ぶれすら、まだ全部が出てきてはいないのだ。


 不穏な要素は山積みだ。

 だが、……ここには、僕らしかいないのである。


 僕ら冒険者しかない。

 こんな事態になっても、引き返すことが決まった山頂でメメアは文句の一つも言わなかった。それどころか戦線に移動する足を急ぎ、そして――僕らのために、〝血路〟を作った。


 ……じゃあ。

 …………それなら、僕は……。


『…………進む、のですか?』

「……っ、」


『…………メメア様を、助けない……のですか?』

「………」


 分からない。

 分からない、分からない、分からない、分からない――。


 泣きそうだった。

 こんなこと、《剣島都市サルヴァス》の学生寮で泣きじゃくって決意した、あのとき以来だった。あの頃と違って僕には少しだけの力がある。――でも、それはこの鉄の国の全ての人間を救うには……あまりにも、小さな力だった。


 ちっぽけだった。

 今も山奥で里を目指して行軍している『エレノア一行』を助けてやれない。強敵とぶつかった『メメア』の援護もできない、そして『里』も――。


 今すぐ、飛んでいって全てを助けたい。

 でも……僕の手のひらは……。


「…………メメアは、分かってた」

『……え?』


「僕はあまりにもちっぽけで、一つのことしかできない。馬鹿な《冒険者》だ」


 目の前の目標すら叶えられなくて。

 そのくせ、全部救う、全員助ける、なんて甘ったれたことを吐いている。子供だ。嘘吐きだ。どんなに英雄に焦がれようが、上級冒険者にあこがれようが……お前にできることなんて、こんなにちっぽけなのに。


 向かう。

 ――それしかない。


 メメアが示してくれた道だ。エレノアが託した道だ。


 メメアは分かっていた。僕の『全て』が無理になってしまっていることを。限界があることを。だからエレノアが『里を助けてほしい』と託した思いを、消さないために僕に最後の道を示した。


 ……僕が、未熟だから。

 …………僕が、何もできない、冒険者だから。



「――ミスズ」

『は、はい』 


「僕は一刻も早く、里を救う」


 そして、決意の顔を上げた。

 自分が嫌いだった。嫌悪感で胸が裂けてしまいそうだった。


 反吐が出る。飾っただけの正義感。――でも、それでも、僕は立ち止まっている時間なんかないのだ。前に進むために足を動かすしかないのだ。僕が。そう、


 ―――僕が、ボス級の間もを討伐しないと、里の囲みは突破できないのだ。


 ――だったら。僕がやるしかない。


 他の誰でもない。

 他の誰にも譲らない。――僕が。


(…………僕が、やってやる)


 そして、走り抜ける。

 麓まで降りて、僕が一人になってまでも、見えた炎の里。


 さらに燃え上がり、激化した戦場へと突入していく。






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