29 凶行の起こり
その破壊の喧噪は、遠くから聞こえていた。
初めはもっと遠く、それから驚くほど近くに。
魔物の足音も混じっていた。振動する独特な音を聞き――〝それ〟と察する者が、優雅に紅茶を傾けていた。
《クルハ・ブル》の里において、それは遠方から押し寄せてくる津波のようであった。波が軍勢であるとするならば、岸にある岩が〝里〟である。次々と襲い来る人の声、馬の嘶き。そして、次には門を破ろうとする衝撃の音が聞こえてきて、里の子供は泣き叫び、さらに夜空より〝火矢〟が降ってきた。
「――まぁ、なんとも品性のない者達アルね。とんでもなく迷惑アル」
「全くだなあ」
そして、その一夜の〝騒乱〟の中で。
《クルハ・ブル》の里の中――盗賊たちも知らない勢力が紛れ込んでいた。彼ら、いや、〝彼女ら〟は悲鳴と混乱が渦巻く里人たちの声の中で、のほほん、と茶会をしているのだった。それだけでも異様な光景であったが、茶席の相手を務める冒険者が、百戦錬磨の〝Cランク〟なのである。
冒険者・リスドレア。
下手すると、こちらのほうが山賊の親分、と取られかねない武装。珍獣の皮をつけた腰巻きに、山賊ですら顔を青くするような巨大な斧――《三日月大斧》を背中にしている。そして庭先でくつろぐ姿は、盗賊の親分が押し入ったようであり、片足を組んでマズそうに茶をたしなむのであった。
片手で湯椀を持ち上げ、いかにも苦そうにすする茶は、実はこの大陸で2000センズを超える最高級の茶葉であった。
「っぺ。だめだ、己には合わねえ」
「そうアルか? 残念アル。もっとリスドレアの口に合うよう、苦く煎じてやったほうがいいアルね」
「……おめえ、わざとやってるだろ?」
苦り切って言うと、愛らしい顔で微笑む少女。
あの恐ろしい、商人として道を踏んでいれば泣く子も黙るという《商天秤評議会》―――この大陸を牛耳る、王都の大商人たちで構成されている同盟の、その中心をしめる人物。
――ランシャイ・ムー。
リスドレアの見たところ、尋常ではない娘。
弱冠十六歳。
その道に精通した《商天秤評議会》の老商が、まさしく『規格外』『天才』と称した娘が、目の前にいるのだった。彼女は、〝偶然〟この争乱の始まる《クルハ・ブル》にいて、しかも〝偶然〟巻き込まれる里の中にいる。
……しかも、〝偶然〟連れてきたのが、彼女が所有する手駒の中でも切り札、最上位の、〝幸獣の冒険者〟の異名を取るリスドレアである。
そして、彼女が率いる〝ランシャイ傭兵団〟の選りすぐりが、中立勢力として里の中に常駐している。それも、全て偶然。全て精鋭。
……偶然、偶然。
(……偶然、ねえ)
苦い茶を地面にこぼして吐き捨てながら、リスドレアは金髪を揺らして睨みつける。
最高級の茶――王都の使用人が働いても、一月かかっても払えない金額――を一瞬で捨てたのにも関わらず、〝雇い主〟は笑顔のままだ。
「……おい、そろそろ白状しろ。ランシャイ」
「なにがアルか?」
「アルか、じゃねえよ。変だろ。この状況。
――だって、盗賊どもが押し寄せてきていやがる。山賊だろうが、盗賊だろうが、己は知ったこっちゃないし弱虫なんか眼中にないが。――なんで、『オマエ』がここにいるんだよ? 安全で保身第一、絶対に王都の壁を出なかったオマエが」
指さすと、袖で口元を覆って『くすくす』と楽しそうに笑う。
「リスドレアは、本当におもしろいアル。勘ぐりすぎアル。私が大好きな冒険者であるリスドレアと一緒に旅をしたい、と思うのに何のフシギがあるアルか?」
「…………その謎の言い回しをやめろ。なんだよ、あるあるあるか、って」
「ある、が一個多いアル」
「だー、うっせえ。細けえことはいいんだよ! それより、オマエはいいのかランシャイ? この《クルハ・ブル》の里は火に包まれている。この場所は、〝偶然〟――火の手から遠かったがな! 泣き叫ぶ子供らがうるせえ。それに、変な軍団が近づいてやがる」
「……変な軍団とは、どんな集団アルか?」
茶を点てながら、少女は言う。
偵察行動は隊長リスドレアに一任してある。一任――とは言うが、要するに人間関係が煩わしいランシャイは、その部下たちからの報告をすべてリスドレアに吸い上げさせて、それからまとめて伝達してもらっている。(別名、押しつけているとも言う)
この茶会は、いわゆる、そんな報告会の一部だった。……傍目から見たら、完全に少女二人が遊んでいるだけに見えるが。
「軍団の詳細を、教えてほしいアル」
「……盗賊、数百。それと、流れ者の山賊たちが合流して――まあ、一千はいってるかもしれねえな。里を包囲するくらい強気だし。だがな、本当に驚いたのはそっちじゃねえ。こんなの、いくら集まろうとも雑魚だ」
「もっと、おもしろい話を期待していいアルね?」
「―――〝魔物〟が、一緒に進軍してやがる」
その瞬間。
茶を点てるランシャイの手が、つかの間止まった。
「…………興味深いアルね」
「ああ、普通じゃねえぜ。今まで聞いたことがねえ。――その〝魔物〟たちは、なんの冗談か、足並みまでそろえて盗賊どもと一緒に行進してきたんだとよ。自分たちを人様と同じだとでも思ってやがるのかねえ?」
「……」
「盗賊とは、半分半分に里を包囲してやがるとさ。ハッ、まさにお仲間、ご友人だな。まるで『三日月』のような布陣だという話だ。半分は魔物の三日月、もう半分は盗賊どもの三日月―――二つの三日月が、こう」
冒険者リスドレアは、庭先に自分の《三日月大斧》を抜き放ち、一気にぶち刺した。
土がはねるのも構わず、目の前の――娘。ランシャイを見た。
「―――二つの群が、併せて〝満月〟の布陣。ってね。はっ、なかなか笑えるだろ?」
「……。そうアルね。とても興味深いアル」
しかし、その目は笑っていなかった。
商会の娘・ランシャイは立ち上がる。手を重ねる。 《商天秤評議会》の頭脳は、めまぐるしい計算を始めていた。
「リスドレア。――魔物のほうアル」
「……。だな、了解した」
――計算、完了。
わずか、一度の瞬きの間に、〝天才〟は全ての陣容を理解した。商人独自の計算法であったが、損得の概念は、時には〝戦況〟すらはじき出す。
「――魔物が来た。ということは、山の《ダンジョン迷宮》に向かったはずの冒険者たちは失敗したアル。食い止め切れていない。――〝扉〟の操作に失敗している」
「なんで分かるんだ」
「時間から言って、すれ違っているはずね。
だが、すれ違ったものの止め切れていない――すなわち、人はそれを〝失敗〟と呼ぶアル。ということは、向こうは空白地帯アル。全勢力、全部の魔物がこちらに向かって殺到してきたと考えてもいい。そうすると、相手にするのに手強いのは、〝迷宮の王クラス〟の魔物がいる。ということアル」
「…………おいおい。なんでえ、王がいるって思うんだ?」
「そうしないと、少年――〝あれ〟が破られる理由がないアル」
その、言葉を。
なにか独特な響きで口にする商人の娘に、ここで初めてリスドレアは顔を曇らせた。
商人の言葉を理解した、のではなく。『…………何言ったんだ、こいつ?』といった眼差し。この時点で誰も少年の隠された【ステータス】情報を知るものはいなかった。まして、冒険者のリスドレアにも伝わっていない。だから、この反応は当然だ。
……しかし、その〝条件〟は、商人の娘ランシャイも同じはずだった。
「現在、考えられるモノを仮定して、最も妥当なモノを組み込んでみたアル。計算違いもあるかもしれないが、だいたいは――〝完璧な計算〟アル」
「…………魔物が危ない、って言った理由は?」
「魔物の中には――〝推奨50レベル〟以上の力を、一瞬で発揮できる王がいるアル。それを里の中で暴れさせるわけにはいかないアル」
「分かるのかよ? その根拠は?」
「さっきと同じ。…………あるステータスを保有する人間がいるアル。だから突破されるのは『それ以上の強さ』を『瞬時にぶつけられる』ことになるアル。それと、諸々の計算ね」
「じゃあ、参戦に意欲的なのか? 大暴れしてやるのか?」
「いいや、《商天秤評議会》は中立アル。誰にも味方しない」
ずるっと。
勇んで腕を振り回していたリスドレアは、盛大にずっこける。
「……オマエ、なぁ!?」
「勘違いしてもらっては困るアル。中立でも、戦わない、とはいっていないアル」
「…………?? よく分からん。難しい言葉を使うな、タコ」
「《商天秤評議会》は、古来よりどんな冒険者とも提携していない。〝中立〟を誇りとするギルド、アル。ルールを守ってきたね。
いにしえの王国戦争の時も、どの国家にも、《剣島都市》側にも荷担していなかったアル。だからこそ、十数年前の〝迷宮遺跡攻略戦〟という暴挙に、巻き込まれず被害が出なかったアル」
――〝協力〟は、愚か。
――商人は、あくまで利益を追求する。
それがこの大陸のギルドを代表する商人会であり、その姿勢だった。〝カネ〟の絡む話じゃないと、商人は絶対に動かない。あくまで協力ができなかった。
……いや、動かせないのだ。
……《商天秤評議会》の体面を保つための、恥となる。
その方針を示す少女は。両手を広げ、『天秤』を作ってみせる。
「…………じゃあ、どうするんだよ。守銭奴。みすみす、見逃すのか?」
「商人に向かって、守銭奴は褒め言葉ね。
――いいから、聞くアル。リスドレア。私たちから《クルハ・ブル》の騒乱に手を出すのは、あとあと《商天秤評議会》の立場からも難しい。だから、建前を用意した。アル」
「……、……! へえ」
「分かったアルね」
と。
一瞬黙って、それからにやっと悪い顔で笑ったリスドレアに、同じ顔の娘も笑う。
「〝たまたま〟いた場所が、襲われた―――。
〝たまたま〟鉄の大国の里で温泉療養をしていたら、たまたま盗賊たちが襲いかかってきて、アイヤー、身を守るのは正当防衛アル! だって、黙っていてもやられるだけアル。こちらはか弱い娘が二人。あとは私兵の傭兵団」
「なるほど、たまたま襲った先に、『あのランシャイ』がいた。――盗賊にとっちゃ、不運な事だ」
「襲ってくる中に魔物もいるアル。そして――こちらには魔物討伐の専門家、〝冒険者〟まで抱えている。……これで、戦わないのなら、それこそ次の王都で行われる《商天秤評議会》の代表会議で、詰め寄られるアル」
「そうだなぁ。なるほど、こりゃ困った難題だ」
リスドレアが笑うと、商人の娘は肩をすくめる。
示し合わせたようにうなずくと、喧噪の里の中へと顔を向ける。
ランシャイは『盟主呼鈴』と呼ばれる、特殊な赤の模様が入った鈴を鳴らしていた。傾けた方向によって音色が変わる四鈴の束。それで庭先に待機していた傭兵団が、いっせいに動き出す。
冒険者リスドレアは、ふらりと、単身で《三日月大斧》を担ぎながら、里の反対側へと向かう。
「じゃ、お互い」
「健闘するアルね。――我らの、目的のために」
そして、志を確かめる。
下弦の月の下で、里の攻防戦、駆け引きが始まった。




