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08 最底辺の呪縛




「見失ったな」


 森の街道。

 エリア『魔物の森』へと続くその道で、僕は悔しい顔でキョロキョロと見回した。


 白色の毛並みは、平原の風を切る銀色の刃のようだった。僕らが何度も剣を振るっても、素早い身のこなしと、バックステップの立ち回りで回避。そのまま、僕らを縄張りの外に連れ出すように動いて、消えてしまった。

 アレを狩ることが出来たら、当分の生活費も出来たかもしれないのに……。



「…………見失ったというより、面倒がって相手にされていなかった気がします……」


 そして、今は『結合』を解除した御子。ミスズも隣を歩いていた。

 ――――時間にして、おおよそ《半刻》――つまり三十分が経過している。


 通常、魔物と遭遇して、それほど時間が経過すると『見失った』とされる。つまり僕らは魔物にも相手にされず、ただ体力を使わされて走り回っただけということだ。


 新米の冒険者にとって、一日の冒険のうちに『魔物と出会えた回数』というのは非常に重要だったりする。……まぁ、倒せなくちゃ意味がないのだが、魔物を多く倒すことができたら、それだけ経験値が増えて〝レベルアップ〟できるということだし、《ステータス》だって前よりぐんと成長する。

 僕らは、ただ疲れて平原の奥にきていた。

 この辺りは危険だ。エリアレベルで言うと、『レベルⅡ』である。黄昏時ともなると夕暮れに合わせて強敵魔物が出現する。《剣島都市サルヴァス》で受注される『薬草採り』や『珍しいキノコ採取』などのクエストでは、必ずここを使うらしい。

 資源が豊富なだけに、魔物も多く生息しているのだ。

 始まりの平原が『レベルⅠ』であることを考えると、ここに挑むまでの『一つの壁』があるのは感じていた。背の高くなってきた草を眺めつつ、僕はそんなことを思ってミスズと会話していると――。



「―――ああ、おい。グリッグス? ウルセえと思ったら、例の『落ちこぼれ組』がいやがったぜ」


 がさごそ。

 会話に割って入ったのは、草木を分けて出てきた冒険者であった。

 ミシミシと、その分厚い靴底によって地面を沈ませながら、背の高い草木に負けない二人の冒険者が出てきた。



「さっきから、ウルセえ……と思えば。何だこれ。《ウルフ》の足跡か?」

「うわ。ひでえな。弱い魔物と戦ってたのか」


 僕らが戦った『結果』を見ながら、思いきり眉を歪ませた。


 会話に踏み入ってきたのは、金髪の男だった。

『魔物の森』の背丈の高い草から出てきた冒険者で、上級生なのだろう。高価そうな美々しいマントに、刺繍の入った冒険の服。魔物の《フォックス系》のようなにつり上がった、細い目に暗い眼光が宿っている。

 明らかに駆け出しの初級冒険者とは違った、『魔物を倒し慣れている』―――といった聖剣使いの雰囲気があった。



 一緒に草むらから現われた青髪の《グリッグス》と呼ばれた男も、そんな金髪の《カァディル》に同意しながら、


「騒いでたのは、精霊か?」

「っつか、精霊が騒ぐって……。あり得ないだろ。まさか、《ウルフ》程度の魔物と戦って喜んでいるのか……? そっちのマスターも落ちこぼれっぽいし、精霊と一緒に騒ぐってな……。それで倒せてないのか?」

「おいおい、《レベル1》だってよ」


 冒険者の『プレート』と手にした男が、こちらを測定してくる。

 それが、いかにこの《剣島都市サルヴァス》で軽蔑されることなのか。その常識を、この上級生の顔が物語っていた。

 僕らが、直面しても見たくなかった―――〝現実〟だった。


「―――剣の御子に好き放題させて、勝手に動き回らせているのか? 馬鹿だろ。『主従の示し』がついてねーんだよ。精霊――剣の御子ってのは、主人の後ろに回って息を潜めている《従者》なんだろ。喋らなくて当然、話す権利もねえ。任務を終えたら速やかに《存在》を剣の鞘の中に隠して、出てこない……っつーのが常識だろうが」

「いや、常識とかないだろ。低ランクの『落ちこぼれ』なんだし」

「それもそうか。常識ねえよな」



(……。こいつら)


 僕は奥歯を噛む。

 僕らの実力不足は分かる。だが、その戦果である獲物を足で踏みつけて、剣の精霊であるミスズにまで悪口を言う理由なんてないと思うのだ。


 横を見る。容赦なく浴びせられる辛らつな言葉に、ミスズはうつむいていた。

 自分が、何を言われているのか分かっているのだ。しゅんとうつむく顔は、先ほどまでの戦いの元気はなかった。魔物と戦うよりも、上級生の言葉のほうが心に刺さるように、今にも泣き出しそうだった。

 『こんな魔物ごとき』で苦戦したことを言われて、恥だと感じている。


「剣の御子と〝なあなあ〟の関係になったら『実力が落ちる』ってのは、どうやら本当みたいだな? カァディル?」

「まったくだ。実際、低ランクの剣士たちが集まる教室とか見かけると、精霊どもが騒がしいからな。いいか? 落ちこぼれの冒険者君。貴様に言っといてやる。精霊は『道具』なんだよ。使いこなしてこそ冒険者だ。感情がどうとか、気持が通じ合えばとか、そんなアホみてえな理屈を言っているマスターは長続きしねえ。あと、弱いとかな。お前がいい見本だよ」

「よせよせ。《レベル1》に言っても、分かってねーよ」


「…………おい、」


 うつむき、上級生を立てて、黙っていた僕の口が開いた。

 自分でも頭に血が上っているのが分かる。後頭部に張り付くような、マグマのような熱さが渦巻く。腹の底は暗い。驚くほど暗い。ドロリとした感情が喉を通って出てこようとしていた。それは泥みたいだった。

 僕が、叫ぶ直前だった。



「お。剣の御子どもが、やっと追いついてきやがったな」

「え」


 間抜けみたいに、僕はそちらを見てしまった。

 そして、息を呑んだ。


 『魔物の森』から出てきた精霊たちは、《二名》だった。金色と黒の髪、それぞれ従者然とした姿だ。

 だが、彼女たちは従者といよりも、『精霊』という名の下僕のようだった。彼女たちは背中に身の丈に合わない《獲物》を持たされていた。潰れそうなほど苦しそうに、もがくように顔を歪めて運んでいる。



(…………なっ。)


 文句を言おうとした僕の口が止まったのは、その内容だった。



 ―――森の肉食王・《グリム・ベアー》―――!?



 それは、『上位』ランクに位置する強力な魔物だった。

 僕もめったに見たことがない。

 冒険者を一番食い殺した『王』とも呼ばれるモンスターの代表格で、その硬石のごとき爪は冒険者の剣など、たやすく真っ二つに折ってしまう。初心者からすれば、戦うことはおろか、出会って逃げることすらも難しかった。

 その脅威から、冒険者たちの間でつけられた名前が〝初心者殺し(ファースト・キラー)〟である。


 たとえば、僕が先日戦った《グリーン・ドラゴン》が、この魔物だったら間違いなく助かっていなかった。それほど、大味に動き回るドラゴン系と違って、この冷徹な肉食獣は人を殺すことに特化しているのだ。

 その魔物が、たった『一刀のもとに袈裟切り』にされ、絶命していた。魔物の動きを止めたのは膝に見える《矢傷》であるが、外傷はそれしか見当たらない。


 が。



「―――なにを驚いている? 《剣島都市サルヴァス》の剣士だったら、仕留めて当然だろ?」



 僕はハッと我に返る。

 金髪の青年は、薄く唇をめくって笑っていた。


 僕は―――自分がどんな顔で呆然としていて。この男がどんな顔で僕を眺めていたのか、やっと気づいたからだ。獲物の戦果は〝冒険者の誇り〟だった。逆にいえば、強い魔物を仕留めた冒険者こそ偉く、弱い魔物相手に手こずってしまっている冒険者など、《剣島都市サルヴァス》における、ゴミ以下なのだ。


 その感情が、男の顔に出ていた。

 僕の顔にも、劣等生の感情があふれていた。僕の言葉が詰まる。分かっているのだ。この男は、〝劣等生〟の僕がどういう気持をしていて、〝劣等生〟の僕が何を見たら最も悔しがるか。屈辱的か。

 その学徒は、本当に劣った人種を見ているように瞳を歪めている。どうしたら弱者の誇りを、蹂躙できるか。分かっているのだ。隣の青髪の男も、「――そりゃそうだ、『F』ランクの学徒なんだから。《剣島都市サルヴァス》の学徒ってほどでもないんじゃねえの?」と手を広げている。


 僕は。


 ――自分が驚いてしまった『事実』が、許せなかった。

 ――一瞬でも、飲まれてしまったことが悔しかった。


 ―――文句を言おうとしても、その言葉が出てこなかった。ちっぽけなプライドを満たす『何か』すらも、出てこなかった。

 ただ、静かに唇を噛みしめてしまった。



 ―――『学徒の低いランク』。


 なんて残酷なんだろう。

 《剣島都市サルヴァス》では、学徒たちの実力によって『ランク』と呼ばれる総合力評価が用意されている。『F』に始まり、『E』『D』『C』……とレベルが上がっていく。それらのすべては《ステータス》の数字によって決められており、《ステータス》が上がるには〝レベル〟を上げていくしかない。

 そして、冒険者は最後に『A』になるのだ。『A』ランクになるまでには尋常ではない努力と、必要条件を満たす必要があった。

 その先にはまだ別の『ランク』があり、そこに行き着けるのは一部の〝天才〟のみ。それ以外の学徒は、みな自分の限界に諦めて、船を使って〝島〟を出ていくしかない。



 順調に階段を上り詰め。


 その上が絶対覇者、『S』だ。


 しかし、その歴史的な剣士になれるわけもない。僕は、口では『上位ランカーを目指したい』と言っているが、そのための最初の一歩―――〝E〟ランクに上る階段ですらも、すでに踏み外してしまっていた。

 雲を掴むような話―――ランクの評価によって決まる、この《剣島都市サルヴァス》という島で、『S』ランクは神様。『F』ランクなんて虫けらもいいところだ。



 だから、そんなもの。

 ただのまやかしや、他人がつけた評価に過ぎない、と僕は底辺ながら思っていた。いや、底辺だから、かもしれない。捻くれた価値観を身につけて、『成績なんて』『ランクなんて』と一種の嫉妬や、ひがみも混じって思っていた。それは、今思うと自己防衛だった。


 しかし。

 これほどまでに、格の違い。ランクの違いを目の前で見せられたら―――僕は視界がぐらつくのを感じていた。



「ま、マスター……?」

「…………」


 ミスズが声を掛けてくる。


 僕は。

 知らずのうちに、下で拳を噛みしめていた。

 なんて、バカヤロウなんだ。なんて情けない顔をしているんだ。早く立ち直れ。上を向くんだ。そう自分に言い聞かせるが、僕は顔を上げられなかった。その目が、口が、悔しさの感情でクシャクシャに歪んでいた。


 ……なんて情けない姿なんだろう。


 男として強さを示すこともなく。剣士として、誇りを示すために立ち上がることもない。


 …………当然だ、僕は庶民だったんだ。


 立ち向かうための力がない。あって、いいはずがない……。



 なんて情けないんだろう、僕は一言も言い返せなかった。


 ………悔しかった。

 ………とにかく、悔しかった。


 なんでなのか分からない。腹の底から押し寄せてくる、自分への怒り。相手の二人はもう僕らのことになんか興味を失っていた。学院の島のほうに歩いていた。「さーて。いい汗かいたし。今日は日暮れ前までに帰れそうだな」「帰ってなに食おうかなァ」と笑い合い、話ながら。

 僕のことなんて、見向きもしない。眼中にない。相手にもされない。ライバル視もされない。空気のようにそこにいて、発言もできない。世界に、存在していない。


 僕は。





 僕は、今まで何をやっていたんだ。






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