18 扉の迷宮・第一階層(1)
そこは、柱が連なる巨大な空間だった。
大洞窟、と言ったほうが正しいのか。そこは天険の洞窟を改造した『迷宮への入口』であり、さすがにここまで外の《盗賊》たちはいない。
ただ、静かすぎるほどの静寂と。
そして、闇に呑み込まれてしまいそうなほどの、暗がりが存在している。
エレノアや、僕と隊長のオランさんが照らす三つの《燭台灯》だけが、それぞれの方向から洞窟内を染め上げていく。内部には通路が張り巡らされていて、重なり合い、上下に分かれたりしながら奥まで枝分かれしていた。
……おそらく、〝知識〟を持たない者は、かなり迷うことになるだろう。僕はそんな気配を感じていた。通路の横側には鉄のレリーフがいくつもはめ込まれていて、巨大なそれは、よくよく見ると――〝扉〟だった。
「…………え? 扉?」
「そうじゃ。よく見よ。この〝ダンジョン〟の通路はほとんどが扉によって組み上げられておる。季節により、また、年月の暦によってその迷宮の姿を〝扉〟によって変化させ、《魔物》どもが互いに〝巣〟を大きくせぬようにしておる。――気をつけよ、その先は、《ベア・ムード》……鳥型の魔物の巣じゃ」
エレノアは着に路の前髪の下で、顔を迷宮の通路に向けている。
――《ベア・ムード》って、確か火属性をもつ鳥の魔物だっけ。洞窟内によくいる。
〝旅人の灯火〟なんて呼び名もあるとおり、迷って光を失った旅人にとっては洞窟を染めてくれる存在だけど、ただ並外れて狂暴で、群れで動くはずだ。一度捕まったら最後、ついばまれて、白骨化するまで放してくれない。
そんな魔物とは、出来れば会いたくないな――と僕は思った。
エレノアの話によれば、そういった〝凶悪な魔物の巣〟が、このダンジョン迷宮内部では無数に存在しているようだった。さしずめ、《区域》といったところか。レベル帯の低い魔物の巣もあれば、また、凶悪な魔物の巣もある。
踏み入れる先を誤ったら、地獄である。
エレノアたち〝鉄の国の民〟の先祖たちは、この迷宮の入口を〝鉄の扉〟によってコントロールしていた。
《魔物》たちの生態系を変え、《魔物の巣》を大きく成長させないようにした。《区域》に変化が生まれれば、めったなことで、《魔物》たちが迷宮の外へと出て、人里を襲ったりすることはない。
………だが、
『―――グルルルアアアアア―――!!』
「ひぃやあああああ!! で、でたああ!! であります!」
僕らが遺跡の通路の角を曲がったとき、出会い頭に、《燭台灯》の光に魔物の角が浮かび上がった。
――《ラガー・ドラム》!?
ねじくれた角を持つ、森に多く存在する猛獣だ。
その隆々と起伏する筋肉を動かし、赤い目を向けていた。口元の鋭利な歯をむき出しにして、咆吼しながら襲いかかってきた。
「――くっ」
「冒険者クレイト。後ろは任せろ」
僕が抜き放った聖剣が、魔物の『爪』を受け止める。
迷宮の空間に火花が散り、凄まじい金属音がした。
《ラガー・ドラム》は一匹じゃなかった。こんなにも狂暴で、手がつけられない肉食獣が相手なのに、さらに僕らの横を駆け抜けるように回り込む―――猛スピードで駆ける一匹がいた。
《ダンジョン迷宮》の魔物は、群れで動いていた。
《ラガー・ドラム》のような大型の魔物だと、せいぜい二匹が限界だろう。……しかし、それだけでも僕らに対する脅威は十分だった。
だが、その脅威を受け止めた人物がいる。
全身を鎧の装備に固め、魔物の猛進してくるスピードを――その背中から出した〝金槌〟で、受け止めていた。地面を鎧の足がスライドし、凄まじい火花を上げながら迷宮を押しまくられる。
それでも、凌ぎきった人物は、《隊長オラン》だ。
鉄の里――《クルハ・ブル》の里郭の〝全ての守衛〟をつかさどっている人物で、里長エレノアの腹心である人物は――魔物の猛撃を凌ぎきった後、『―――ッッッ、そいやァ!』と回転しながら勢いをつけ、巨大なハンマーを横薙ぎにして魔物をかっ飛ばした。
――しかし、相手が大きすぎる。
それが、先ほどの話に出ていたような《ベア・ムード》ほどの大きさの鳥型魔物ならよかったが、相手は大人の倍の大きさのある《ラガー・ドラム》なのである。地面に巨大な足跡をつける怪獣は、その一撃を受けても飛ばなかった。持ちこたえる。
さながら、二匹の怪獣が打ち合うように、遺跡の向こうで戦いが始まっていた。
「――ミスズ!」
『は、はい! 聖剣に力を込め、できるだけはやく――〝撃退〟します!』
……さすが、僕の精霊。
僕が今何をしたいのか、よく分かっていた。
僕は今、《ラガー・ドラム》のもう一匹を相手にしているが―――時間との闘いなのである。おそらく、冒険者の《肉体強化》の恩恵を受けていない隊長オランさんは、今、猛烈な勢いで体力を消費しつつ戦っている。
――あの戦いの勢いに、里長のエレノアは参加できないし。おそらく、隊長がさせない。
――そして、体を酷使するように〝一秒、一秒が、全身全霊〟〝死と隣り合わせ〟で戦っている隊長オランは、すぐに力尽きる。
(…………だったら、僕らが頑張るしかないだろ!)
僕は光を帯びた聖剣を振り下ろし、魔物の一撃をいなす。
《ステータス強化》―――すでに、その波は受け取っていた。ミスズが聖剣の内部から、〝光の風〟となって全力を向けているだけではない。僕の内部でも、変化が生まれていたのだ。
――《稀少技能》―――限界突破。
激しく押し寄せる鼓動の波と一緒に、自分の中身から力が溢れてくるのを感じる。
《ラガー・ドラム》を転倒させた。足下をすくい上げ、ダンジョン遺跡の床ごと聖剣の〝痕〟をつけながら斬り上げたのだ。爆発的に上がっていくステータスが、僕の動きの底を押し上げてくる。
そして、目まぐるしく動く――それを計測しようとした〝冒険者プレート〟が、狂った針のように動くものを見て、叫び声を上げたのはロドカルだった。
「…………く、クレイトさん!? なんなのでありますか、この力は!」
「いいから、ロドカル! ぼけっと見てないで協力しろ!!」
――冒険者だろうが! と。
その叱咤にハッと我に返った獣人は、それから気合いを込めて〝小さな聖剣〟を引き抜く。――《ショートソード》くらいの刀身しかない剣であったが、それでも《聖剣》であることは間違いない。『結合』の叫びとともに光が満ちて、肩に乗っていたペットのような猫の精霊の姿が消える。剣に光の風が渦巻いた。
「二人がかりで行くぞ! なにか質問は!?」
「―――ぼ、ぼぼぼ、ボクは《ラガー・ドラム》と戦うのは初めてなのであります! なにか、〝弱点〟とかは!? どこを狙ったらいいのでありますか! どうしたら死なないのでありますか!?」
「――安心しろ、僕も戦うのは今が初めてだ」
変な悲鳴のような絶望の声が聞こえてくる中、僕は地面を蹴った。
まず、魔物の左肩を切りつける。―――さすが、歴戦の《ラガー・ドラム》。すぐに僕の狙いを悟ってガードした。
それが、また尋常ではない動きなのだ。〝角〟を使った。
《ラガー・ドラム》はもともと自然界でも、角の強度に特化した魔物だった。猛然とした突進は冒険者たちにとっても恐怖の象徴であり、毎年のように、何名もの冒険者たちがあの角によって体と臓器を突き破られ、野山で絶命する。
猛牛のように突進してくる《それ》は、攻守一体だった。
僕の左肩を狙った聖剣の一撃を受け止め、さらに『グルルルルアアアア―――!!』と咆吼。ダンジョン迷宮を押しまくってくる。
「――クレイト! わらわが手を貸す」
「来るな! エレノア! 今のコイツに近づいたらマジで危険だ! 《冒険者》じゃないとまずい!」
ステータス強化もなしに受け止めたら、一撃で絶命だ。
その魔物が動くたびに洞窟で嫌な横揺れが発生していた。巨体が、何の抵抗もなく軽く動くのだ。そりゃ通路がもたない。
僕が聖剣で斬り結び、さらに《ラガー・ドラム》を押し込むと、ダンジョンが大きく揺れた。そして魔物の背後に回ったロドカルが、その首筋をかききろうと〝短剣〟を向けていた。《ラガー・ドラム》の唯一強化されていない喉元に、突き刺そうとした直前だった。
『――――グルルルル!!』
「ひ、ひいいい!! 足場が揺れるであります!」
大きくうねるように後ろの半身を動かし、馬が暴れるように地面を踏みならした。
洞窟の天井から瓦礫が舞い、そしてロドカルの軽そうな体が転倒する。それでも諦めずにロドカルがリュックから取り出した《火属性の石》が、《ラガー・ドラム》の足下に転がり、弾ける。
―――爆発したのだ。
「いまだ!」
僕は聖剣を握りしめ、突進した。
《ラガー・ドラム》が体勢を崩したのだ。僕が聖剣で斬り結んでいて、お互いに動きが拮抗していた中で足場を崩されたのだ。魔物は悲鳴を上げていた。
すぐに突進して、その喉を斬り上げた。―――浅い。
しかし、手応えはあった。魔物の首筋から噴水のように赤黒い血が溢れてきて、それからのたうち回る。最後に、咆吼して突進してくる。今度は力が強い。
だが、僕も勢いを得ていた。
一瞬のうちに何撃もの〝剣と角の火花〟を打ち合い、それから突進して迷宮を進んでいく。お互いに譲らない。
僕は渾身の力を聖剣に傾けて振り上げ――そして、《ラガー・ドラム》も血走った目を向け、最後の力で突進してくる。腕が痺れるほどの一撃だ。
(…………でも、これが最後だ――!)
僕は今度こそ、剣の根元で角を受け止め、そして下にいなす。
剣士としての修行。技量で、それを可能にする。《ラガー・ドラム》は床が割れるほどの勢いで地面へと吸い込まれた。角が突き刺さる。
剣の一閃が走り、そして青い光――生命の〝マナ〟を含んだ、この大地へと還る光がパッと遺跡に花開いた。僕はそれを道どける間もなく、すぐに足で地面を蹴り、突進した。疾風となって駆ける。隊長オランさんを助けなければ。
さっきから、妙に洞窟が静まっているのだ。
僕らの戦いで揺れてはいたものの、その他には何も変化がない――。それが、心のどこかで引っかかり、戦いに余裕がない中で気になっていたのだ。
しかし、
「…………お、おう。クレイト……」
「え? オランさん?」
――隊長オランは、無事。
しかも、エレノアも無事だった。どこも傷ついたところがない。さきほどの、戦いが始まったときのまま。それなのに、猛烈に違和感が押し寄せ、彼らの顔も強張っている。
…………《ラガー・ドラム》は……?
もう一匹いたはずだ。最初に襲いかかってきた魔物の仲間で、この迷宮内で僕らを殺そうとしてきた《魔物》は……。
「――な。」
『え?』
そこで、僕らの息が凍りついていた。
―――死んでいた。
その背中に、無数の切り傷を受けて。
まるで原初の竜が、王国兵士の軍団に遭遇して斬り殺されたような最後だった。瞳を閉じて、迷宮の奥で横たわっている。傷だらけの山のように、伏せ。そして、その周囲には……
白い骸骨。白い骸骨。白い骸骨。白い骸骨。白い骸骨。白い骸骨。
――白い骸骨。白い骸骨。白い骸骨。白い骸骨。白い骸骨。白い骸骨。白い骸骨。白い骸骨。白い骸骨。白い骸骨。白い骸骨。白い骸骨――。
――白い、骸骨。
「…………、は?」
僕は、目を見開く。
白い骸骨。白い骸骨。白い骸骨――――。考えうるかぎりの、悪夢のような光景が広がっていた。白い骸骨たちが、その周囲にいた。いや、遺跡を埋め尽くしていた。それは、考えられない光景だった。
立っている。佇んでいる。
首を『ギチギチ……』と鳴らしながら。傾け。闇に目を輝かせ。たった、二つしかない不気味な光の瞳が、そこに並んでいる。突っ立っている。囲んでいる。…………《王国の軍隊》のように。
「…………さ、最悪…………じゃ」
ゾッと。得体の知れない鳥肌が立った僕の横に、その少女が奥歯を噛みしめ、震えていた。
エレノアが、言葉すら失っていた。
「な、んだ。エレノア……? なんなんだ、アレ……?」
「クレイト。すまぬ」
まるで、死を予感したように。
《冒険者》を、巻き込み――死なせてしまった。というように。エレノアは、痛恨の表情で僕を見る。
この一行の、責任ある者として。
「…………終わった。《骸骨剣士》じゃ……」




