17 雨中行
緑の山脈は、ほぼ垂直に下に流れていた。
雨でぬかるむ土を踏みしめて、その手を岩肌へと向ける。全体重を乗せて持ち上げると、次の右足を上にかけて進んだ。
里で用意した雨具の〝ローブ〟から雨粒が顔にかけて流れ、それを拭き取るために手を使う。まだ断崖絶壁と呼べる場所ではなかったので、片手を放すくらいなら可能だった。なるだけ、〝なだらかな〟山を選んでいる。
遠くの『山塞』で流れる松明の火を見ながら、僕は小さく息をついた。
「…………まさか、山登りなんて。ね」
「仕方ないじゃろう。山の裏側。〝搦手〟から攻めようとしておるのじゃからな。贅沢は言っておられん」
呟くと、隣に張り付いていた銀髪のエレノアが応えた。
正規の手段でなく、裏側。
僕らがやろうとしていることは、そういうことだった。ここを突破して、さらにダンジョン迷宮の遺跡へと入り、そこで《魔物》と戦う――。
魔物と戦い、扉をいじってしまえば、僕らの勝ちである。
なるだけ、邪魔が入らないことを祈るばかりだ。
僕は山の上を見つめた。暗くはなり始めているが――山肌にむき出した遺跡の門が見える。本当なら正面から行けば苦労はしないのだろうが、今のところ〝山道〟には、盗賊たちが要塞を築いている。
…………何を思って、あんな迷宮の入口付近に、『山塞』なんて作ったのか。
僕が問いかけると、
「――バカなんだろう」
「――道が、通りやすいからじゃないのでありますか? ほら、山を切り開くときって一番〝道作り〟が大変っていうでありますし」
「……きっと、高いところが好きなんだと思います」
「いいや。計り知れない、考えがあるかもしれぬ」
全員が、それぞれに答えた。
まず『バカなんだろ』と答えたのが、いかにも豪快そうな里の隊長オランだった。彼は、魔物と戦えるほどの強度のある鎧を身につけ、髪を後ろでくくって山道を登っている。全員の持つ荷物よりも、軽く二倍近くある荷物を背負っているが、特に苦にした様子はない。
そんな隊長は『魔物が巣くう迷宮の入口がある、ド真ん前なんだぞ? 普通、そんなところに拠点を作るどころか〝キャンプ〟をしたいとも思わないよ。俺は』と興味のなさそうに答える。『つまり、バカなんだろ』と結論を出していた。普通に考えると、そうである。
『――道が、通りやすいからじゃないのでありますか?』と答えたのは、獣人の身軽さのわりに、怯えたように山の下を(――つまり、切り立った崖の下を)見つめるロドカルである。彼は、雨に濡れてしぼんだ耳を動かしながら、『何かを建築するためには、〝道〟が重要、とどこかで聞いたことがあるであります』と答えていた。
……たしかに、そうだ。
山の上になんて拠点を作る労力を僕は考えたことがないが、こうして遠目に―――他の王国から流れ込んできた《山賊》たちのアジトを見るに、どうも〝本丸〟や〝外の郭〟などに分けて建築されているようである。
基本はキャンプに近く、柵で囲った中身にテントが群生している状態だったが、外の囲いを作るだけでも大変な労力がかかっているように僕は見える。……だから、〝まず、道だ〟という意見も分からなくはない。
もともと、《クルハ・ブル》の里の人たちが、山の遺跡に向かうために使う道があったはずである。それを利用して、山塞を築こう――と考えるのも、自然な発想かもしれない。
では、『……きっと、高いところが好きなんだと思います』と答えた、僕のすぐ隣にいる精霊のミスズはどういう考えなのだろう。
「高いところが、好きなんだと思います」
「……その理由は?」
「見てください、マスター。あの柵でぐるりと囲まれた場所の中に、木で作られた、とっても高い『塔』みたいなものがあるんです。あんなに高いところなのに、もっと高い建物を作るなんて。きっと、盗賊さんという方たちは、高いところが好きなんだと思います」
「…………あれ、櫓だぞ?」
「ほへ?」
ミスズは山肌にしがみつきながら、きょとんとした顔を向けてきた。
――櫓。
それは。《クルハ・ブル》の里にも実は少しあったが、外側から来る〝敵襲〟を撃退するために弓を放ったり、遠くでも敵を発見したりするための見張り台だった。
つまり、戦闘のための建物。
…………アレを作った奴らは、どうも本気で山の上から動くつもりはないらしい。《クルハ・ブル》の国の人々が押し寄せてきたら、戦闘するつもりのようだった。
「…………厄介だな。今の平和な世の中で、そんなことをする奴らがいるなんて」
「全く。許しがたい奴らじゃ」
と。僕の声に返事したのは、雨具のローブから二本の銀の髪を流している里長のエレノアだった。『里の金品や、兵士となる人間を差し出せば、許してやる。――などとほざいておる』と憎々しげに吐き捨てた。
そういれば、彼女は『――いいや。計り知れない、考えがあるかもしれぬ』と言っていた。あれは、どういうことなのだろう。
「奴らは、もしかすると…………〝確信〟しておるのかも、しれぬ」
「? どういうことだ?」
「普通、《魔物》が巣くう迷宮の前で、あのような拠点を築かぬじゃろう。まさか、自分たちのすぐ背後にある遺跡の入口を、見落としていたというわけでもあるまい」
……そりゃそうだ。
僕は思う。
そんな間抜けが、一人や二人はともかく、今の山塞の盗賊人数。〝200~300〟名を数える大人数でいるわけがない。
目が見えている人間なら山の《ダンジョン迷宮》に気がつくし。
知識が少しでもある人間ならそれが〝どれほど危険か〟なんてもの、分かっているはずだ。
毎年、何人の周辺王国の旅人たちが、その洞窟から出てきた魔物に殺され、しかも討伐に向かった冒険者たちが命を落としていると思っているのだ。
危機管理が、どうとか。ではない。
―――その遺跡の入口に近づくと、〝死〟が待っているのである。
周辺王国の誰もが、そのダンジョン階層に不吉な印象を抱いている。
なのに、その盗賊たちは遺跡の目の前に拠点を構えてしまった。しかも、まるで『冒険者や旅人』を監視でもするように、道を塞ぐようにして『要塞』を作ってしまっている。それって、変じゃないのか。おかしくないか。とエレノアは言っているのだ。
「…………確かに」
「わらわたちも、確かに向かっておる。――じゃが、それは年に数回は『遺跡の扉を管理し、構造を作り替えねば、《魔物》が遺跡の外へと溢れ出てくる』―――と知っておるから、その『遺跡の守り』の末裔の使命のためじゃ。危険だと、分かっておる」
盗賊たちとは、違う。
遺跡の《魔物》にだって襲われるし、下手をすると殺されてしまう。
僕らの冒険には――途方もない〝危険〟がつきまとっている。
……だから、エレノアたちは、事前に山登りをするために〝少人数〟を集め。そして冒険者を求めて―――大陸世界の中央。〝《剣島都市》〟という島へと向けて、はるばる冒険をした。
しかし、盗賊たちにはその〝リスク〟がないように。悠々と構えている。
……それどころか、《剣島都市》の街中に刺客を送って、暴漢たちの喧嘩に見せかけて《エレノア一行》を排除しようとした。
……その狙いは、なんだ?
いや。その狙いどころか。なぜ、盗賊たちはそんなことをする?
「――まるで、自分たちだけは、絶対に《魔物》に襲われない。と、知っているようだ。って言いたいのか。エレノア」
「…………。肯定じゃ」
確かに。
僕は考え込んでしまう。
……なぜだ? 前例がない事態だが、妙な胸騒ぎがしてしまう。
表面に見えているのは《盗賊》だ。ただ盗むしか能のない奴らで、周辺王国を荒らして回って、どうせ身の置き場がなくなって、この山あいに囲まれた《クルハ・ブル》へと流れ込んできたのだろう。サルヴァスで冒険者を探していたエレノアを襲い、狙い撃ちにして、人質にとって連れて帰ってこようとするところなんか、盗賊として〝いかにも〟といった手段に感じる。
というか、どこか、ちぐはぐに思えた。
そんな頭脳の足りない――〝直接的な、誘拐や、暴力〟に頼るような奴らが、どうしてこんな理由の分かりづらい、謎の《ダンジョン遺跡の前》なんかに陣取るのだ。
その場所は、魔物の群生地。巣である。
周辺王国に住まう人々なら、誰でも〝ダンジョン〟の名を聞いただけで恐れ、竦み上がってしまうのに。なぜ、彼らはそんな、遺跡の前で面倒なことをするのか。
…………だが、それ以上考えてみても、答えは見えない。
現実に、『ある』ということだけを考えるしかない。隊長のオランさんは『まずは、迷宮遺跡の二階層に巣くう《魔物》の撃破。それだけだ。難しく考える必要はない。お嬢。冒険者さん』と拳を鳴らしていた。ロドカルも頷いている。確かに、その通りなのかもしれない。
僕が心に芽生えた暗雲のような雨の下を進んでいくと、やがて遺跡の篝火を横目に、さらに山あいを進んで〝門前〟に出た。
小さく、しばらく使われていない――蔦の絡まった門。
「――ついたのじゃ。ここが、《ダンジョン迷宮遺跡》の入口なのじゃ」
エレノアが言い。
そこには僕と隊長オランさん、そして獣人のロドカルが力を合わせてやっとで開く『石の扉』があり、渾身の力を込めて開いた先には、暗く、深い通路が見えた。
――〝パッ〟と。
火打ち石のように、雨具のローブのかぶり物を取ったエレノアが、冒険具にも使われる〝灯の魔鉱石〟を使った。深淵のように闇が深かった『通路』が光によって染め上げられる。エレノアは、その火種を使って《燭台灯》を用意した。
岩肌の壁が光に浮かび上がる。
それは、人が並んで歩ける横幅の――しかし、天然の洞窟の壁と、人工の壁画と柱が入り交じった、深い《遺跡》だった。
「…………ここが。」
「そうじゃ。《ダンジョン迷宮》の第一階層。…………気をつけよ、ここの魔物は、お主たちが知るよりも格段に強いぞ」
雨具のフードをとって、見回した僕らは。
その《聖剣》の柄に手をかけながら、エレノアを先頭に進み始めるのだった。




