16 行軍
「……は、はああ。うう。ぐすん」
その山脈には、雨が降っていた。
僕らは進む。
まずは里を出てから半日。
準備を進め、荷物をそれぞれが背負っていた。中でも最も膂力のある《隊長オラン》さんが大荷物を背負い、先頭で雨合羽を着て、険路に足を取られないよう確認しながら進む。〝土地勘〟があって、しかも魔物にも備えられる〝力〟があるとなると、先頭がうってつけだった。
そして、二番目が里長エレノア。
三番目がミスズ、四番目がロドカル、そして僕である。最後尾も責任重大で、もしものときに、不意の魔物の襲撃に備えなければならない。
(――、しっかし)
僕は、視線を動かす。
目の前で、肩を落として歩く小さな獣人の冒険者を見た。
「落ち込みすぎだろ、ロドカル」
「ぐすっ。だ、だって……でありましてぇ」
その獣人は、両手を広げる。
あれから。里を出発する前に、一波乱あった。
それは、まあ壮大ながらも〝姉弟喧嘩〟である。
ランシャイ・ムーという少女の抱える〝傭兵団〟の中に、雇われた冒険者として《リスドレア》という獣人少女が混じっていたのだ。それが、なんと、このロドカルの双子の姉だった。
……さすがに、違いすぎるだろ。
そう思ったのが、目撃した僕の第一印象。冒険者として足の運びかたや、身動き、全てが〝武術〟に特化してそうな身動きをする冒険者の少女だった。そして、このロドカルは大きく違って、しかも〝Fランク〟――落ちこぼれである。
散々に、罵倒されてしまった。
「仕方ないだろ。出会ってしまったことが、ついてなかった感じだ。ありゃ」
「…………う、うう。ぐすん。実の弟に、『生きてて恥ずかしくねえのか?』って、なんで言えるのでありますか。ボクは何もしていないのであります」
一言で言うと、女傑タイプなのか。
僕は思う。あの獣人の姉は、〝ランシャイ・ムー〟から隊長として信頼を受けているように、実力があるらしい。
パッと見て分かったが、持っている〝道具〟が尋常ではない。
あれは、サルヴァスの『依頼状斡旋所』での豪華な報酬……よほど格上の魔物を倒さないと手に入れられないものだった。魔物の一撃を受け止められる〝首飾り〟に、ワイバーンの皮膜を使ったベルト。腰のポーチ。
そして、その腰のポーチに覗くには――ある《魔鉱石》。
「…………《転移》の石だっよな。あれ」
「は、はい」
同じものが目についたのか、ミスズが頷いていた。
そう、先日『依頼状斡旋所』で見た豪華なアイテムの一つだ。ダンジョンなどの限られた空間や、近場にかぎり、無条件に〝転移〟することができる。
あれを買うためには〝百万センズ〟―――つまり、王都に家を買えるほどの財産を、その懐に持っているということなのだ。いくら《商天秤評議会》が傭兵への金払いがいいとはいえ、あそこまで所有している冒険者は尋常ではない。
「…………お姉ちゃんは、《三日月大斧》の名手であります」
「?」
「よほどの大男じゃないと振り回せないような、特大武器。特に《三日月大斧》を好んで使っているのであります。あれがあれば、〝Dランク以下〟の魔物なら一刀両断であります。…………しかも、アイテムが」
「道具を使うのが、上手いのか?」
「上手いであります。しかも、尋常ではないくらい、上手いのであります。並みの冒険者ならば『もったいない』といって、渋るアイテムも、大盤振る舞いをしながら使うのであります。だから、魔物相手に苦戦したことが、そもそもないのであります」
「……え?」
いや。
そりゃ、おかしいだろ。いくら何でも。
魔物相手に苦戦したことがない――もしそれが本当なら、確かに豪傑クラスだ。《商天秤評議会》はおろか、《剣島都市》だって放置しておかないだろう。大金を積み上げてでも、雇いたいと思うに違いない。
だが、待ってほしい。
そんなアイテムを大盤振る舞いする冒険者が――果たして、この大陸の歴史の中で、いただろうか?
あり得ないのだ。
控えめに言って、それは『不可能』だ。なぜなら、この大陸を冒険する人間なら分かるだろうが、そう景気よくアイテムを使っていったら、後が続かないのである。
だが、
「姉は――――《アレ》を持っている、であります」
「? なんだ?」
「《精霊王の遺産》シリーズ。その、〝無限のポーチ〟を所有しているのであります。アレがあれば、姉のアジトにある〝巨大な道具倉庫〟に直接リンクできるのであります。…………手首までの太さしか入らないでありますが、それで、道具を無限に供給できるのであります」
「…………な、」
つまり、補給が無限。
リスドレアはサルヴァスの島に〝隠し宝物庫〟を持っているらしい。それは、弟のロドカルはおろか、誰も知らないような場所。
そして、現在もそうだが、彼女の〝ポーチ〟がそこにアクセスできている。
冒険中も困ったときや、薬草がほしいとき―――金に糸目をつけない、豪傑のリスドレアだけが唯一出来る手段で、道具と使っているというのである。ロドカルが以前に聞いた話だと、その財宝は、〝今後十年〟は持つという。
「…………ず、ずりい……!」
「その他にも、姉は『アレ』を持っているであります。だからこそ、そもそもの冒険者としての初期値が、僕らと大きくかけ離れているであります。正直……『アレ』は、かなり羨ましいであります。〝盗掘王〟として、そもそもダンジョン迷宮の奥で〝ポーチ〟を見つけられたのも、それがあったからであります」
「な。なんだよ……。まだあるのか?」
『アレ』、『アレ』とロドカルは言うが。
さっきから、その内容が尋常じゃないので、大人しく次の言葉を待ってしまう。ロドカルは大きく息を吸い、やがて、やはり僕の想像を超える言葉を言うのである。
「―――《稀少技能》――であります」
「…………な、」
と、今度こそ。
僕と、その前方を歩くミスズは。驚き、目を見開くのであった。
雨の中で驚かないのは、それが『何なのか』を知らない、先頭を進む二名である。隊長オランや、里長エレノアは、その存在そのものを知らない。
それは――《剣島都市》という島でも、特別な意味を持つ言葉。
僕やミスズが持っている《限界突破》だって、その一種だった。通常の戦闘とは違い、あらゆる種類の加護で剣士たちを助けてくれる。
そのスキルは、聖剣を使っていき、〝レベル〟が上がっていくうちに――目覚めて、発現するものもあるらしいが。
そのほとんどは島でも〝稀少〟となっていて、僕やミスズだって、一体どんなスキルが存在しているのか知らない。全容が掴めないのだ。―――《神樹図書館》で調べて見るも、そもそも、〝そんな聖剣スキルは、存在しない〟とされる書物もあるくらいだった。
だが、
「姉が……冒険者リスドレアが持っている《稀少技能》は―――〝超豪運〟であります」
「ぐ、ぐらんどらっく……?」
「これを所有するものは、無条件に〝戦闘〟が有利に運ぶのであります。だけでなく。あらゆる神の加護が与えられるであります。全てに愛されるであります。―――珍しい魔物との遭遇。――経験値の倍増。――基礎ステータスの〝運〟の数値の上昇。そして……」
「そ、そして?」
「洞窟や、ダンジョン迷宮で―――〝財宝部屋〟を見つける確率とか、魔物のドロップとかが尋常ではなくなるのであります。いわば、『この世の全ての物事は、リスドレアとって都合のいいように回転する』――この状態になっているであります」
それが。
それが、《剣島都市》のCランク――。冒険者リスドレアという、《商天秤評議会》からお抱えにされている冒険者の正体だった。
――周囲に近づけば、必ず負け。
――冒険すれば、必ず財宝を得られる。
「な、なんだよそれ!? マジで、超・卑怯技じゃないか!?」
「あ、姉をそう言われるのはちょっと心外でありますが……。でも、実際そうであります。だから姉は昔から一匹狼。周りの反応なんて気にしないであります。悪口や罵倒にも慣れていて、『群れるより、周りにどんなに罵倒されようとも、自分の実力を伸ばす』といった感じで、過ごしているであります。だから相手を煽り、わざと敵対させるため。口が悪いであります」
「…………な、なるほど」
それで、ロドカルが苦手だって言ってたのか。
しかも。そんな嵐の中心みたいな冒険者が、今も里にいるのか……。そう思うと果てしなく不安なってくるぞ。本気で。
「――で? そんな姉と、もし争うことになったら。どうすればいいんだ? たとえば《魔物討伐》とかで」
「ない。であります。勝ち筋なんてないであります。大人しくやられるしかない、であります」
「おい、ウソだろ」
「ほ、本当であります。ボクだって悔しいでありますが……。あの姉を超えるのは、無理であります。だって、そうやって今まで姉と全財産をかけて、勝負した冒険者たちがいましたが……全員、もれなく敗北して、姉の財産の養分になっていったであります」
―――〝最強〟の冒険者。
まさに、ロドカルは姉にこの文字を浮かべているのだろう。
尊敬とは少しだけ違った、絶対的な畏怖と、信仰。
たとえば―――それは、僕が寮母さんや〝ガフ〟などに抱いている思いに近いのかもしれない。心の裏側を刺してくる劣等感。サルヴァスの島の〝第一位〟や、その周囲の英雄とも言える冒険者たちに――〝勝てない〟と抱く気持ちとは、また違う。
自分の身近で、だからこそ強さが現実味を帯びている。雲の上ではなく、手の内を知るからこそ『負けた』とか『かなわない』と思うことである。
強さが、明確に分かっているだけに、とても悔しい。
そして、絶対に手が届かないことが分かっている―――そんな感じ。僕の場合は、寮母さんやガフは優しくて、それぞれ尊敬できる相手だが。ロドカルの場合は姉と険悪な仲で、お互いに足を引っぱり、だからこそ…………辛い。劣等感が大きいのかもしれない。
「…………そうか。」
「いつか。姉に勝ってやるような、そんな冒険者になりたい―――と言う気持ちは持っているのであります。というか、それがボクの全て。であります」
だけど。それはまだまだ遠い。と。
ロドカルは雨の中、向かう山を見上げながら言うのである。肩に乗っかる精霊の猫も同じポーズで、腕を振り上げていた。
そして、僕らは会話するうちに、たどり着いた。
「――、見えてきたのじゃ。あれが」
「僕らが、目指していた山――か」
エレノアが雨の中で見上げる。
雨が霧のように、森に注ぐ中。
僕らはその山を発見して、見上げる。―――確かに、山の中腹には、夕暮れの光に浮かび上がるように、篝火が焚かれている〝山塞〟が見える。
そして、その裏側には、巨大な火山。
ゴツゴツとした岩肌の、その入口に巨大な門のある―――《ダンジョン迷宮》の遺跡が見えていた。




