10 東へ
その馬車の音を聞きながら、何夜もの夜を明かした。
夜になっては、昼になり。そして景色は少しずつ緑色の深かったサルヴァスの島近郊のものから、他の遠い王国のものへと切り替わってくる。
僕はこうして馬車で旅をするのは初めてだった。だから最初のうちは乗り心地や荷車の揺れに慣れなかったり、途中下りて、野外で〝キャンプ〟をするのも新鮮だった。キャンプでは馬車を盾のように並べて、魔物の森へと向け、その影で食事をする。
サルヴァスは大陸の中心にある『島』のため、他の王国へと隣接し、向かうための『関所』のようなものは通る必要がなかった。
必要があるのは、たとえば北の果ての冒険エリア――強敵ばかりがうろつく『雪の山脈』などに挑むときに、必要になるくらいである。
「どうじゃ。旅には慣れたか」
「…………もともと、冒険者は旅をするものなんだけど」
そんな馬車の荷台をひらき、お供の男たちが〝キャンプ〟へと準備を進める中。焚き火に座っていた僕に、銀の髪のエレノアが近づいてきた。
相変わらず、浅黒い肌。
他の男の人たちもそうだけど、東のほうにある国の人間というのは、こういった特徴を持つようだった。(……中には違う人もいたけど、あれは雇われた人かな?)
「冒険者は、もともと旅をしながら魔物を倒したり、困った『村』の人たちを助けたりするものなんだ。……そりゃ、強い魔物がいたら長く村に滞在することになるだろうし、大陸各地にある《ダンジョン迷宮》のような場所でボスを倒そうとなると、潜るために準備をするだろうけど」
「つまり、旅には慣れておるわけじゃな。結構、結構。……ところで、お主の《聖剣》、変わっておるようじゃが」
「……ああ、それは」
僕は思い出した。
道中、魔物を倒しながら森を進んできたのだ。
馬車で森を旅するからといって、『道中が無事』なんてことはありえない。そうだったら、誰も冒険者を頼らないし、王都の豪商人などが、馬車で荷物を運ぶときに冒険者を護衛に雇ったりしない。僕らは森で戦いながら、《ワドナ・ウルフ》などの初期レベルの魔物を狩りながら、進んできた。
たったそれだけでも、聖剣の力が必要なのである。よほどの王国の手練れや騎士ではない限りは、人が魔物にそう簡単には勝てない。
だが、エレノアが僕をジッと見て、疑問を浮かべているのはそういうことではないだろう。僕の立ち回りが慎重で、〝一撃必殺〟ではなかったからだ。
「なんというか……説明は難しいけど。僕の《聖剣》は、〝レベル1〟から上昇しないんだ」
「ほう。……それはまた、どうしてじゃ」
「分からないよ。本当に、仕組みが分からない。
――ただ、一つだけ言えることは、この聖剣の力を使って僕らは今まで冒険をしてきた、ということ。普段はレベルが上がらないんだけど、〝ある状況〟のときだけ、爆発的に上がるんだ」
「ある状況とは?」
「――〝強敵〟を相手にしたとき。かな」
僕は言った。
なぜ、魔物との戦いで、その違いがあるかは分からない。
ただ、僕らの扱う『剣の力』は不思議なものだった。〝一撃で倒せる〟ようなものではない――。その反面、持久戦や、圧倒的に強くて、絶対に勝てないような魔物でも戦うことが出来た。
――《グリム・ベアー》や。
――《女王蜘蛛》も。
僕が今まで戦ってきた魔物たちの顔を思い浮かべる。〝なぜ、レベル1なのか?〟という疑問の答えには行き着いていない。しかし、僕らはそれで何度も冒険をしてきて、簡単ではないが――(実際に、何度も命を落としかけた)――その冒険を成功させてきた。
ボス級を、倒してきたのだ。
「…………ふ、む。つまり、《対・大型》に特化した《聖剣》……というわけじゃな。ますます、興味があるのう」
「? なにが?」
「いいや。こっちの話じゃ。それと、もう一つ質問じゃ。おぬし、先ほどは《ダンジョン迷宮》などと口にしておったの。言葉の意味は分かっておるか?」
「…………まあ、授業で習った程度なら」
僕は説明する。
ミスズが隣で焚き火の前に膝を揃えて座り、僕らの会話を聞いていたが。この精霊だってサルヴァスで授業を受けているので、《ダンジョン》の内容は知っている。
『底なしの洞窟』や、『古き王国の迷宮』、そして『冒険者の試練』など。
大陸各地には、僕らが普段冒険しているような《始まりの平原》や、《魔物の森》なんかとは違う、足を踏み入れるだけでも、冒険者にとって覚悟がいるダンジョンが存在している。
《始まりの平原》……エリア・レベル1
《魔物の森》……エリア・レベル2
そして、《ダンジョン迷宮》…………エリア・レベル4
それは天険の洞窟だったり、海辺からしか入口が開いていない洞窟だったりするけど。〝攻略〟するのが、そう簡単ではない場所ばかりだった。
《魔物の群生地》とも呼ばれ。
その迷宮の奥では、人の手が届かないことをいいことに魔物が繁殖し、この大陸にあふれ出てくる魔物たちの〝巣窟〟とされていた。一部の魔物なんかは、そこから出てくる。だからこそ、冒険者にとって特に危険な場所とされ、各王国にとっては〝脅威〟とされる。
だから、根絶しようと、過去に周辺王国の《連合軍》と、サルヴァスの冒険者たち《全生徒》が挑みかかって、ある《ダンジョン》に攻め込んだ話があるが、
「――失敗したんだよな。確か」
「はい。マスター。いつ果てるとも分からない暗がりと迷宮で、《魔物》さんたちが無限にあふれ出てきて、冒険者様たちはみんな負傷。軍もちりぢりになり、――〝精霊〟のお姉様たちも、力を発揮できなかった。……って」
ミスズが僕の声に応じて、授業で習った〝歴史〟を補足してくる。
僕は頷いた。
そう。それは、今より何十年も昔の話だった。
周辺諸国が、大陸の山の麓や、古い遺跡などにある――各地にある〝ダンジョン〟に挑もうと、計画をしたのは。
それは〝始祖冒険者〟たち英雄・賢者でもできなかった偉業であり、それを為し遂げたことによって『彼らを超える』という名声欲があった。各国の王たちは乗り気になり、ロイスと協力した先祖の王たちを超えようとした。
サルヴァスの冒険者たちの上級生は反対したが、そのまま押し切られて討伐が始まった。
……それが、歴史上類を見ない犠牲を出した《ダンジョン迷宮殲滅》である。
ただでさえ〝単独〟で動いて、洞窟などで魔物を避けたりして進む冒険者たちが――〝全ての魔物〟を相手にすることになった。一日では終わらない。ひと月かかっても、まだ洞窟の奥底から《魔物》たちが群がり出てきて、冒険者たちは消耗し、聖剣を折られ、真っ先に敗走した《連合軍》の尻ぬぐいをして、逃亡を助けた。
《王国歴史学》の教科書によると―――そのときに命を落とした冒険者たいは、〝数百名〟にも上ったという。信じられない犠牲である。その中に、あのサルヴァス第一位の〝獣人ベン〟の祖父や、他の冒険者たちの血縁者も混じっていたらしい。
サルヴァスや周辺王国にとって〝悪夢〟のような出来事だった。
その原因は、
「―――聖剣の力が、途中で消えたんだっけ」
「は、はい。…………信じられない話しですが」
《ダンジョン迷宮》には、魔が潜む。
それはどれだけ自信を持った冒険者でも、腕に覚えがある剣士でも同じであった。《ステータス》に依存して戦う僕らにとって、その力がかき消されることは命に関わる。
その迷宮では、光が届かない。母なる大樹――《熾火の生命樹》の力の光が、及ばなくなったらしい。聖剣の輝きが消え、ダンジョンの暗がりの中で魔物に囲まれ、食われていく。そんな絶望的な戦いが。
……考えただけでも、ゾッとする話しだ。
迷宮に逃げ場はない。逆にいうと、大陸の表側にある《熾火の生命樹》の光が届かないほど―――ダンジョン迷宮の闇は深く、奥が果てしないのかもしれない。最大でエリア・レベル『6』。そこに挑んだ冒険者は多くない。
しかし――だからこそ、始祖冒険者や、他の上級冒険者たちは、未踏の《ダンジョン》の奥深くに挑んで、そこでしか手に入らない〝魔物のドロップ〟を狙って持ち帰るのだという。ときおり、サルヴァスの〝Sランク〟の冒険者たちが挑むのも、そういうことだ。
特殊な素材からは、強力な〝アイテム〟が手に入る。
特殊な迷宮には強敵が巣くい、膨大な〝経験値〟も入る。
――または、サルヴァス出発前に寮母さんが言っていたように、初代の力の強い冒険者が隠した、強力なアイテム宝物庫なんかも見つかる。
「まあ、たいがいの《ダンジョン迷宮》は…………エリア・レベル4だと考えておけばいい、って認識であっていると思う。授業でもそう習ったし。過去に冒険者たちを食い尽くした巨大迷宮なんてのは、そうそう見つかるものじゃない。――ってのは、冒険者の講義で言ってたよ」
「……ふむ。そうじゃな。まあ満足のいく回答じゃ。それなりの知識を持っておるようじゃな。ならば、少しばかり手間が省けたものじゃ」
「?」
「わらわが行くところはな、実は……」
そう納得している褐色の少女が、口を開こうとしていると。
その奥で、妙な争う声が聞こえてきた。
『―――むっ、な、なんだお前!』
『――う、うわあああ。ぼ、ボクも仲間に入れてほしいのであります!』
…………なんだ?
焚き火の周囲に荷物が集まり、〝キャンプ〟の準備が出来てきた《魔物の森》の中で――そんな争う声が聞こえてきた。
僕とミスズが驚いて顔を上げ、そしてエレノアが立ち上がった。もし騒ぎが起こった場合は、彼女が事態を収めなければならない。少女が素早く歩き、僕とミスズも護衛するために彼女の後についていくと。
「…………うわああん。は、放してほしいであります! ボクはただ、憧れの冒険者さんの元へと向かいたいだけであります!」
じたばたと、暴れる小さな獣人。
僕らが馬車の荷台のところに駆けつけたときには、エレノア一行の男の手に、『ぶらん』と猫のようにぶら下がった冒険者が暴れているところだった。金髪の獣人、しかも手の中から抜け出そうともがき、空中を走っている。
肩に乗っかる、三毛の精霊も一緒だった。
「…………何ごとじゃ。何を揉めておる?」
「――あっ、お嬢。よかった、困っていたんでさあ!」
救われたように、顔を上げてくるエレノア一行の男。
彼はよほどこの状況に参っているらしく、眉根に深い皺を刻み込んでいた。
男の話では『馬車の荷台から出てきたんです』という。馬車から荷物や、飲み物の樽を下ろしているときに、用意した木箱の中に潜り込んでいたらしい。尻尾だけ見えていたという。
「迷惑だから帰るように言ったんですが、聞かねえんです」
「だ、だから帰るつもりなんてないのであります! ボクは、ご一行の力になってあげるのであります!」
その獣人の少年は、エレノア一行の男と言い争っていたが。
やがてその視線を男と一緒にエレノアへと向け、その隣に立っている〝僕〟の姿を見るなり目を見開き、ぱあっと顔を明るくした。
「――クレイトさん! ボクですよ、ボク! 探していたのであります! やっと対面がかないました!」
「…………ロドカル。お前、なんでここに?」
その見覚えのある顔に、僕は片眉をしかめた。
少なくとも、こんな冒険エリアで見かけていい顔ではないはずである。サルヴァスの街中ならともかく、ここは〝Fランク〟の冒険者が出歩くには、遠すぎるし。
「なんでもなにも、ずっと探していたのであります! サルヴァスの街中で『ししょー』が消えてから、探し回ってやっと情報を手に入れたのであります。なんですか! 薄情じゃないでありますか! ボクをほおって街を出て行くなんて!」
「…………いや。薄情っていうかさ」
「街では昼間に『屋根の上で闘う冒険者たち』の目撃情報があり、それがクレイトさんだと分かったであります。それから街を探し、通りかかった酒場での騒乱、―――そしてっ、なななな、なんと、クレイトさんが気を失っているところを、『馬車』に運び込んでいる女がいるじゃありませんか!」
――ビシッと、その褐色銀髪、特徴の分かりやすいエレノアを指さした。
…………ま、まぁ。確かに。
事情をよく知らない〝ロドカル〟側からすれば、それが〝誘拐現場〟のように見えただろう。
「……えーと。それで、ここまで?」
「はいっ! 街中で馬車に飛び乗り、いざ救出しよう、という段階になって『鉄の国』の話を盗み聞きしてしまったであります! 大事件であります! ということは、このロドカル。師匠を慕う身として、是非ともこのご一行に加わりたく存ずるのであります!」
ビシッと敬礼。
すると、隣の草むらに立つ『三毛猫の精霊』も、びしっと同じポーズで直立するのであった。僕の隣でミスズが、『わぁぁ、可愛いですー』と口元に手を当てて、キラキラと見下ろしていた。
…………いや。
ロドカルはその気になって熱くなっているし、ミスズは可愛い猫の精霊と一緒にいられるから喜んでいる風だったが、
「…………おい。エレノア。まずいぞ、この流れは」
「――ふむ。採用じゃ」
「は?」
ポンと手を打ち、その理由に感銘を受けた顔のエレノアは、銀髪を揺すりながら頷いていた。
……え。いや。
いやいや、いや! ちょっと待て!
「何でそうなる!?」
「だって。はるばる、こんなところまで追いかけてきたのじゃろう? その熱意は本物じゃ。それに、これからますます深き森を抜け、〝東へ〟と急ぐことになる。――道中、魔物と戦える冒険者は多いに越したことはない」
「だからって、まずいって! この子は――〝Fランク〟だぞ!? エレノアは知らないのか。サルヴァスという島で『Fランク』ということは……」
「ともかく。日程が詰まっておる。わらわは、国の民を救うために道を急がねばならない。――〝魔物〟を倒すのにもう猶予もないのじゃ。であれば、今はなりふり構っておられん」
『――安心せよ、報酬は払う』と。
その宣言とともに僕の異議は呑み込まされ、そして珍妙な仲間(?)は目を輝かせる。そして、一人を加えた僕ら一行は、さらに東を目指すことになった。




