09 鉄の国の姫
意識が目覚めたときには、別の場所にいた。
馬車が回転する音が聞こえてくる。ということは、動いているらしい。ここは馬車の荷台のようだ。僕が揺れた上半身の振動に気づいて、身を起こそうとしたとき。身動きができなかった。
そして、もう一つ。最大級に納得のいかないことがあった。
それは、
「どはははは!」
「――何ヒトを指さして笑ってるんだよ!? 寮母さん!」
縛り付けられた僕の前に、大はしゃぎの高笑いをする〝寮母さん〟がいたのだから。
信じられない。何やってるんだこの人!?
この状況を分かっているのか。僕が襲われてしまったんだぞ。僕は自分を取り巻く周囲の状況を確認した。どうやら、サルヴァスの大通りを進んでいる馬車に乗せられているらしい。大きな荷台だ。見慣れない異邦の馬が引っぱっていて、僕はロープで荷台に固定されていた。
「……どういうことだ!? 全くワケが分からない。説明してくれ!」
「あー、いやね。アンタが案外、あっさり捕まってしまったから情けないなあ。ってお姉ちゃんは悲しんだのよ。その後大笑いしたけど。そんなふうに愛弟子を情けなく育てた覚えはない!」
「だ、だからって、この状況はおかしいだろ!」
「あと、エレノアちゃんから事情は聞いたわよ。良い子じゃない」
……な、なんだって?
ワケが分からない。
僕に寮母さんは詳しい説明をするつもりはないらしい。というか、その時間もなく、状況は動いている。
馬車の向こうには、僕を縛り付けた張本人――〝鉄の国の姫〟とか名乗るエレノアが、馬車の御者台の男に指示を出していた。お互いに、荷台にいる形だ。
「おう。気がついたか」
「気がついたか、じゃないよ! どういうことなのか説明してくれ!」
「いやな。悪いとは思っておるが、こちらも悪党に追われる身でな。手段を選んでられん。
なんとか、《剣島都市》―――その街中に身を隠しておったはいいが、ついに鉄の国からやってきた刺客に感づかれたらしい。奴らは、雇われた『捨て駒』じゃ」
「……な、なんだと……?」
「わらわの国では、戦争が起きようとしておる」
それをエレノアは、夜風を切る馬車の中で言っていた。
瞳に強い意志を感じる。街中の《燭台灯》に照らされて、銀色の髪が線を引いていた。この馬車の御者台に座る男はエレノアの支配下らしく、その指示を忠実に守りながら通りを曲がっていた。
「先ほどから、暴漢だけではなく、いろいろな『刺客』がやってきおってな――。夜に走るこの馬車を襲撃しようと、通りで待ち構えておった人影もおった。…………じゃが、全て、そこのご麗人が助けてくれたのじゃがな」
「――ぶいっ!」
…………いや。ぶい、じゃないでしょ。寮母さん。
なに指で『V』サインをつくって満足そうに微笑んでいるんですか。アンタの管轄地でしょ、この辺りは。《剣島都市》の治安は、そこを統括する運営局だけじゃなく、街で働いている大人たちの使命でもあり、義務でもある。
しかし、この寮母さん。進んで騒動に荷担しているように見えなくもないが。
「だって、面白そうだもん」
「…………ああ、聞こえちゃいけない問題児発言が聞こえた気がする……」
「クレイトよ、考えてもごらんなさい。この街中で騒ぎが起こっているのよ? どーいうわけか知らないけど、〝鉄の国〟という場所から物騒な人たちが入ってきてて、みんなこの《剣島都市》の街中で―――このエレノアちゃんの一行を襲っている。冒険者と『結託』するのを恐れている。つまり、依頼を妨害しようとしているみたいなの」
――助けるのが、正義ってもんでしょ、と問題児はおっしゃいました。
「…………その本音は?」
「お酒の見返りをもらいました。東の地方には銘酒が多いらしいのよね。えへへ。ほらほら、見てよー。交易品でもめったに手に入らない、琥珀色の蒸留酒! 秘蔵のお酒なんだって。こりゃ高いぞぉ。げっへっへへ」
「…………なるほど。十分腐っているな」
その頬ずりするゲス顔を見ただけでも、十分に魂胆が分かった。
この冒険が成功した暁に、成功報酬でさらにもらうという腹だろう。話し合いがすでに済んでいるはずだった。うちの大人は酒に汚い。
僕が呆れてみていると、寮母さんは『でもっ。これって大事なことなんだよ?』と指を立てた。このまま《剣島都市》に滞在した客人に危害が加えられると、このサルヴァスが信用を失うかもしれない。
すべてにおいて公平であれ。というのが、僕ら冒険者が《依頼人》に対するスタイルだ。だとしたら、街で闘争が起きて、誰かが襲われ、命を落とす事態になればまずいだろう。たとえ、まだ冒険者と契約していなくとも。
「きちんと正式な許可は後日、やるとして……。まずは目の前の命を守るべきなんじゃないかな? なんでもね、その国では物騒な人たちの他に、〝魔物〟の問題もあるんだって」
「……? 魔物の?」
そうじゃ。と頷いて、言葉を引き継いだのはエレノアだった。
夜に輝く銀色の髪を揺らして、馬車を疾走させるエレノアは『冒険者を探していたのじゃ』と言い、それが、しかも緊急であったことを告げる。なぜなら、彼女の国では騒動が起こっており、その一部に『魔物退治』も関係があるから。だという。
「…………どうしても、倒せない魔物がおる。
そいつはわらわの国の山に巣くっておって、里を脅かしておる。幽霊のようなものじゃ。そして、それを倒せないのをいいことに、山賊や盗賊連中が里へ下りてきて、大暴れをしておる。……なぜか、魔物どもと結託してな。できれば、助けがほしい」
「でも、他に冒険者がいるはずじゃ」
「さっきも言ったが。緊急じゃ。それに…………たぶんじゃが、生半可な冒険者では、ダメな気がするのじゃ」
魔物の襲撃に、そう考えるのは、真顔のエレノアだった。
その国を縄張りとする亜人種の〝山賊〟たちが荒らしているらしい。村を襲ったり、交易品を襲ったり。――とても、手がつけられない。その王国の騎士だけじゃなく、もっと、魔物との戦いに慣れた《冒険者》の力が必要なのだった。
その騒ぎを収めるために、協力する《冒険者》を探していた。
「…………でも、僕には聖剣が……。ミスズがいないと」
「ふふっ、そういうと思って。寮母さんに抜かりなーし」
びしっと、サルヴァスの夜の通りの奥を指さした。
そこには一台の馬車が止まっていて、すでに手配されていたのか、待っている人影がいた。外灯の下、怯えるように馬車の前で『ぶるぶるっ』と魔物スライムのように震えて、馬車が見えてきた明かりに顔を上げるのは、
「――!? ミスズ!」
「――ふええええん!! マスター! 怖かったです!」
馬車に飛び乗ってきて、金の長い髪を揺らすのは精霊だった。
僕の首に手を回してきて、めそめそする。よっぽど怖かったのだろう。
僕が捕まったまま、驚いていると……寮母さんはその理由を端的に説明してくれた。いわく、『早く冒険道具とリュックと荷物をまとめて出てこないと、契約主がどうなっても知らないぜ?』ということだったらしい。
「――せめて、言葉を選べよ!?」
「いったでしょ。時間がなーいの」
そして、寮母さんは馬車から降りる。
ひらりとした動き。それだけでも熟達した武術の腕前がうかがえたが、しかし僕にはある疑問があった。寮母さんは、その『鉄の国』とやらに、来ないのか。
「まー、色々と言いたいことはあるけど。寮母のお姉ちゃん、これでも忙しいの。大事な大事な寮の管理があるからね」
「ウソだ! ずっと酒飲んで寝てるじゃん!」
「……ぐ。し、失礼ね-」
びきびきっと青筋を浮かべて、悔しそうに拳を握っていたが。
やがて、肩の力を抜いて、
「…………それに。私までがついていったら、あんたの成長にならないでしょ。あくまで、今回の冒険はあんたのためにあって。あんたが、《冒険者》として帰ってこないと。成長して帰ってきた顔を見られないじゃないの」
「……。む」
「それに、この《剣島都市》でも色々としておかなきゃなんないことがあるから。アンタが出て行った後も、『依頼状斡旋所』での手続きは私に任せなさい。学院にも教師を通じて根回ししといてしといてあげる。――まずは、デドラ、あたりかしら」
そして、悪ガキのような。
僕が今まで見てきた中で、一番子供っぽい大人だ、と思える寮母さんのいつもの笑いをする。僕と同レベル。だが、いつものように、安心する顔でもあった。
「――約束。生きて帰ってきなさい」
「……う。は、はい」
両手を腰に手を当て、顔を近づけてきた。
「ミスズちゃん。例の〝もの〟は?」
「あ。はい! きちんと、言われていたカウンターの奥から持ってきました。でも、これは……なんでしょうか?」
「〝時の香炉〟よ」
そして、寮母さんは僕らの門出を見送るように、そう馬車を見上げてきた。
「――鉄の国に行ったとき、いつか役に立つわ。だから大事に持っておきなさい。アンタに渡したかった、《精霊王の遺品シリーズ》―――その一つよ」
僕は驚いた。隣のミスズは、確かに高価そうな〝壺〟を握っている。
これが――話しに聞いていた、冒険者の秘するアイテムなのだろうか。
そして、ビシッと『V』の字を指で作ってから、寮母さんは微笑む。
「行きなさい。アンタの求める。大冒険――そこへ。冒険者なら、外に出て旅をして、いっぱい戦って、冒険を経験して――めいっぱい強くなって帰ってくるものなの。安心しない。お姉ちゃん、これでも考えがあるから。あとで援軍を送ってあげる」
「……援軍?」
そして、馬車が進む。
寮母さんと、サルヴァスに残る見慣れない馬車と、数人の人数は。――このサルヴァスで、正式な手続きをする要員だろうか。冒険者を雇う計画が邪魔されて、出発することになったのも急だし。いくらか、必要な人数を残しているのかもしれない。
エレノアは言う。
先ほどのように、暴漢が後を追ってこようとしても、ある程度寮母さんが足止めをしてくれるらしい。そういう〝約束〟になっている、のだと。他にも、いくつか〝約束〟はありそうだった。
「では、いくのじゃ。いざ――わらわたちの国。鉄と、火山の広がる東の果て。――《クルハ・ブル》へ!」
言いながら、僕らは出発することになった。
夜の空の下。
篝火に照らされた、サルヴァスの門が開く。
ここから先は、魔物の出現する地図。
ふこの大陸において。冒険者というのは。魔物を倒して行く道を切り開くもの。
――そのために周辺諸国が認めている。
――だから、この島がある。
僕らは、ガラガラと音を立てて持ち上がっていく島の門を見上げながら、その大陸へと足を踏み出した。




