07 酒場には武勇を
「なーによ、まだ怒ってるの?」
「…………そりゃ、当然」
と。その日の夜。
僕は怪我したことにより、予想外の出費をしてしまったことに憮然としつつ……テーブルの向こうで酒を飲む寮母さんに、返事を返していた。
場所は、街中の酒場である。
未成年の冒険者が、酒場に入る機会はそう多くないが。
僕は、寮母さんのお供をして、たまにこうやって訪れることはある。精霊のミスズはお留守番で眠っており、街は昼間とは違い、夜の賑わいに溢れていた。
「まーなんというか。『ごめん』、って気持ちを込めて、今日はミルクの一杯くらい奢ってあげる」
「…………それを、ケチって言うんですよ。寮母さん」
まあ、酒の肴にしている、食事くらいはありがたく頂きますけどね。
サルヴァスの酒場というのも、意外と数が多い。
これは『学徒の島』として存在する島に、意外と〝大人〟が多いことも示している。年を経て『冒険者になりたい』と聖剣を求めた者、また、商売のために、道具屋や飲食店の労働者として島に渡った者――さまざまだ。
中には、『こんな子供が?』と酒を飲んでいる獣人を見かけるが、聖剣のレベルや《ステータス》と同じ、外見からは何とも言えない場合が多い。
先刻の女の子――小型獣人族のように、冒険者の年齢は外見では判断できない場合も多いのだ。ときどき、こんな冒険者が? というほど高レベルの獣人と出会ったりする。
その場合は、何というか。
周囲で飲んでいる獣人たちの年齢や雰囲気を見て、それとなく判断するしかない。
「―――しっかし。クレイトも、最近少しずつ頼もしくなったじゃん」
「……なんですか、藪から棒に」
酒を飲む片手で、白い歯を見せる寮母さんに、僕はうろんげな目を向ける。
……まーた、何か企んでいるんじゃないか。
「ううん。ちゃんと思っていてさ。それで言ってんの。
最近、ずいぶんと冒険にも慣れてきたじゃない。最初はあんなに上手くいかなくて、泣きそうだったのに。最近は大物を倒すことも多いみたいだし、修行を始めたばかりの頃と違って、今ではけっこう本気で戦えるようになったしね」
「…………う、うるさいな。僕だって、少しくらいは成長していますから」
「ふ~~ん。ま、『いい男』になるまでは、ちょっと遠いけどねえ」
それを楽しそうに、酒の肴にしている。
グラスを傾ける寮母さんの目は――なんというか。不思議だった。
懐かしむような。遠い誰かと、まるで僕を比較するように、〝面影〟を重ねているように見えてしまうのである。だが、僕にはそんな心当たりなどないし、出身だってセルアニアの片田舎。両親だって農家だ。きっと気のせいだとは思うが。
酒場の中の寮母さんは、人気者だった。
『――いよう、クロイチェフ』とか、『なあんだ、まだ生きてやがったのか! ババア!』などと顔なじみの古い冒険者たちから挨拶され、銀色の狼のような獣人などからも親しげな笑みを向けられていた。会えたことが嬉しいことらしい。
そのつど、寮母さんもいちいち言い返していて『あんたも、変わってないわねー』、『まーた、冒険で失敗したんでしょ? 笑いものにもなりゃしない』と会話していく。
どうやら、昔は冒険者たちとつるまなかった、という寮母さんにも古い知り合いは多いらしい。中には、寮母さんに助けてもらった冒険者もいて、『よかったら、これでも飲んでくれ。弟子さんも』とテーブルから飲み物や食事をお裾分けしてくれる人もいた。
こういう中にあって、僕は何となく思うのである。
――〝冒険者〟って、情が深くて、口は悪いけど。温かい人も、その分多いんだな……。と。
(……ミスズも、連れてくればよかったかな)
テーブルでもくもくと食べていた僕は、ふと、そんなことを思った。
きっと、あの子も喜んでくれたかもしれない。
と。
「さて。じゃあ、仕切り直しとして、寮母のお姉ちゃんからいろいろと言いたいことがあります。まあ、修行は怠りなさんな、ってことと。あと――《特典》かな」
「……? なんですか。また変な条件とかなら、いらないですけど」
「違うわよー。アンタ、私に対する信用ってホント〝ゼロ〟よね?」
店主さんが出してくれた甘い果実の入ったグラスを受け取って、ぽいっと口の中に放り込んだ寮母さんは、両手を広げて『はぁ』とため息をつく。
夕食の時間帯だからか、魔牛の素材を使ったグリル肉も一緒に出されていた。僕が食べるのは、こっちのほうだ。
音を立てて弾ける肉汁を、僕はフォークを使って皿に切り分ける。
「クレイトってば最近《依頼状》受けてるの? なんか、全然遠くに行っている気がしないのよね。まさか、冒険者なのに臆しているとか?」
「まさか。最近、あんまり大きな依頼がないだけですよ。学院の授業の出席日数もありますし……まあ、こっちは『Eランク』になってから少し経って、一段落しましたけど」
僕は思った。
そうそう、大きな冒険はないものである。
……以前は、『温泉騒動』なんてのも、あったけど。
僕は振り返る。それはサルヴァスから周辺王国へと向かう途中にある『ジュレス山脈』という広く跨がる山脈での《依頼》だったが、そこでは湯源を奪った魔物が大暴れして、それで僕の《聖剣》で討伐した。
…………考えてみれば、あれが一番大きな依頼だったかもなぁ。
物思いに耽る。今では仲間でもある『メメア』とも別行動で、彼女は『きっと、次こそは新呪文を!』と躍起になって、修行がてら山に向かったり、依頼をこなしたりして島の外で過ごしている。
ときどき、メメアは島に戻ってきては僕の部屋や学院に顔を出すが。
ここのところ、主従――アイビーの姿も見ていないな。元気でやっているとは思うけど。
「ふーーん。ま、なんにしても大きな冒険はしないとね。冒険者が成長できる機会っていったら、そういう魔物との命をかけた討伐だけだから。周辺王国に打ち出して、でっかい夢を掴むの!」
「……まぁ、そうですけど」
テーブルの上で立ち上がり、船頭が海の向こうを指さすようにポーズをとった寮母さんに、僕は眉を寄せる。
ちなみに、他の酒場の冒険者は慣れているのか、そんな奇行を目撃しても大して騒がない。目を向けずに、フツーに会話を続ける。
「――で。最近やっと一人前にもなって、冒険も大きくなってきたアンタのことだからね。お姉ちゃん、今度こそ正真正銘。冒険者の《大事な道具》を用意しているの」
「……へ? 僕にですか?」
「そう。特別にね」
……こりゃ、驚いたな。
寮母さんは会心の笑みで、『うふふ、感謝しなさい。さあ、感謝しなさい』とばかりに僕を見ている。ここまで大見得を切るのだから、多分だが、良いアイテムに違いない。
「それだったら、さっき修行の時に手渡してくれたらよかったのに」
「簡単に手渡していたんじゃ面白くないでしょ? お姉ちゃん、人の困った顔を見るのが大好きだから」
「…………迷惑な人だな」
「それに、このアイテム調整が必要なのよ。――昔、お姉ちゃんが冒険者として迷宮洞窟に潜ったときに、その最奥部の宝物庫にあったのよね。使いようによっては、かなりの効果を発揮する。ただし、ちゃんと手入れはしておかないとね」
「……? 何ですか? 防具かなにか?」
「ううん。壺よ。その名も、《精霊王の遺産》のシリーズ。聞いたことない?」
「……? いえ」
あいにくだが、僕はさっぱりだった。
その名は、サルヴァスで最初に契約をした精霊――人類史上、初の《熾火の生命樹》から生まれた精霊を、精霊王という。
寮母さん曰く、その精霊王は〝賢者〟などと呼ばれ、各地で国を復興させたり、人間に対する恵みをもたらしたらしい。サルヴァスの基礎を築いた一人であり、〝発明の才能〟にも恵まれていたという。初代冒険者・英雄ロイスの、相棒の精霊だったらしい。
「――けっこう、不思議な力があるみたいでね。まあ、当然よね。あの頃の《熾火の生命樹》の恩恵を、一人でフルに使えたんだから。だから、そのアイテムには神秘が宿っていて、遺品には値段がつけられない。とされてる」
「……と、いうことは。そのアイテムが」
「ええ。お察しの通り。そんな精霊王が、各地に残したアイテムを《遺産シリーズ》と呼ぶの」
テーブルで酒を飲む手を止めて、『にっ』と笑みを浮かべる。
フォーク片手に指を突きつけてくる寮母さんは、話し通り、どうやらすごいアイテムを所有しているようだ。
「楽しみにしておきなさいね。いずれ、手入れしてからアンタに渡してあげるから」
寮母さんは決めていたようだった。
そんな酒場での会話が終わってから、僕らがお酒(?)を片手に今後の冒険の話をしていたとき。ふと席を立った僕は、ある女の子とぶつかった。
突然だ。
僕が酒場の店主に寮母さんのお酒の追加を頼みに行こうとして、ふらふらとしていたところをぶつかった。向こうも意識が前に向かっておらず、どっちも頭からぶつかった。
「―――ったぁ、いのじゃ」
「……ってて。ご、ごめんなさい! って」
僕は顔を上げて、固まった。
……え? こんな幼い子が?
そう思ってしまうほど、外見が小さな女の子が床に尻餅をついていた。
酒場では他に獣人もいて、年齢は外見からだけでは分からない。……分からないが、この少女は、明らかに違った。『人間』なのだ。
大陸の、外の地方に来た子なのか。
『冒険者』とは雰囲気が違っており、浅黒い褐色の肌をしていた。外の世界の村人の服のような、粗末な服装に、履き古した蔦のサンダル。
その頭を包むのは銀色の細い二つ結びの髪で、その頭上にはドクロ――っていったらいいのか。魔物の《小竜》みたいな形状をした、かぶりものだった。民族的な印象を受ける。
……な、なんだ。この子は……?
サルヴァスに《依頼》に来た、お客さんだろうか。それで夜の酒場に?
僕がそう思って呆然としていると、その少女は、
「むっ。『わらわ』に不遜な目をしおるな。もしや、お主はこのサルヴァスの剣士か?」
「……え? えっと、そうだけど」
「いつまで、わらわの尻を触っておるか」
「へ? う、うわあああっ」
転んだ拍子に、変な体勢になっていた僕の手が、その子の後ろに回っていた。
僕は慌てて引っ込める。まさか、こんなことで島の中で『お触り』に問われたくはない。手を引っ込めると、その子は『ふむ?』と僕の真っ赤になる顔をジロジロとのぞき込み、僕を観察してくる。
……な、なんだ?
その無遠慮な(――と、いうにはいくらか悪気がなさそうだが)眼差しに、僕が怯んでいると、
「……お主。なかなか、強そうじゃな」
「へ?」
呆気にとられた。
なぜなら、目の前の少女が、僕の観察が終わったようにニヤリと口元を釣り上げたのだ。
その少女は僕の腰に下げている聖剣を見ていた。……一瞬だが、その形状を確認して、それから僕の腕周りや、体に目を向けていた。筋肉の付き方は、その剣士の動きを示す。しげしげと観察してから、『ふーむ』と考えるように唸ってからの、判断だった。
「わらわは、強者が好きじゃ。お主は見たところによると、なかなかの手練れのようじゃな。ボンヤリとはしておるが、なかなか、どうして。――よし、思いついた。お主を従えて、この島を練り歩くと面白そうじゃな」
「……? な、なんだと」
「わらわは、鉄の国の姫じゃ。名は、エレノア。覚えておくとよいぞ」
そう言って、ふふん、と勝ち誇るように胸を叩いている。
…………ええと、なんかよく分からなかったが。
この子は、けっこうな身分――と考えてもいいのかな? 『姫』なんて名乗っているし。しかし、それがどういう国の姫様で、どれほど尊敬を集めているか……分からなかったけど。
少なくとも、この背筋を伸ばした少女に、お供はいない。
つまりは、一人歩き。そんな彼女は、僕に『ほれ、お主も名を名乗れ』と催促してくる。慣れているというか、まるで騎士に姫が名乗りを上げさせるような姿に、僕は思わず『……クレイト、シュタイナーです』と名乗りを上げていた。
「クレイト。か。覚えたぞ。では、最初の任務を与えよう」
「……いや、任務って。僕は今、連れの人と酒場に来てて」
「わらわを、とりあえず守るとよい。この街ならば『別』だと思っておったが、どうやら、物騒な連中は節操を弁えぬらしい」
「……?」と。
僕がその言葉の意味が分からずに、困惑していると、脳が理解するよりも早く答えが返ってきた。僕らの沈黙の途中で、酒場のドアが蹴り破られたのだ。
「―――おう、邪魔するぜ。ここに、島の外からきた、街の中を歩き回っているクソ女がいねえか」
それは、島外からの男たちだった。
《剣島都市》に住んでいる人間ならば、一目で分かる。荒くれがやるタトゥーを腕に刻み、その太い腕と、不釣り合いに『粗末な剣』がそれを物語っていた。冒険者装備とは違い、街着を着ていたが乱暴者のそれだった。
とても品がいい男たちに見えない。
酒場の冒険者たちも、皆手を止めて、沈黙した。
結論を言うと。―――暴漢たちである。
僕も酒場で飲んでいる冒険者たちは、会話をやめて白けた目を向けた。しかし、乱入してきた男たちは、威勢が通じたと思ったのか、得意げだった。
「――おう、オメエらよく聞け。この辺りに、逃げているクソ女がいやがらなかったか。隠し立てしてもためにはならねえ。痛い思いをするだけだからよ。俺たちは酒を呑気に飲みに来たんじゃねえし、ケンカをしに来たわけでもねえんだからな」
冒険者たちは、安易に騒いだりはしない。
ただ、酒杯を静かに傾け、入口に立った男たちを興味深そうに――いや、獲物を狙うような目で――見ていた。気づかぬは男たちばかり。
そして、男たちは、僕の後ろにとっさに隠れたエレノアを発見した。
「――っ、いやがったな。クソ女! 《クルハ・ブル》の里長。エレノア! テメェをさらってこい、っていうのが俺らの親分のお達しだ。今度こそ連れて帰ってやる」
「む。見つかったのじゃ。―――ていっ」
「……へ?」
そして、僕は押されて目を見開いていた。
どん。と。
あっけなく押された。だって、僕がまさか関係あるとは思わなかったのだ。
僕が関係あることといえば、この酒場に居合わせたことと、この少女――あの男たちの狙いで、〝連れ去る〟といっている少女と、ぶつかってしまったこと。
しかし、その巡り合わせが、運の尽きだったかもしれない。
もともと運の低い僕は、この酒場でもついてなく、少女に押されて暴漢たちの目の前に出る。それで、華麗に回避でもすればよかったのだが、予想外のことに体がついていかず、足がもつれて、結果的に前列の男にぶち当たってしまった。
……しかも、さらに運のないことに、よろけて伸ばした腕が――男の顔面に当たって、赤く痕をつけた。
手を取り除いたあとの顔には、ギョロリとした目が光っていた。
「――、テメエ」
「い、いやいやいや! ……ちょっと待ってくださいよ! 今の事故でしょどう見たって! ねえ、ねえ!?」
周囲の男に確認を求めたが、全員〝リーダー格〟らしい暴漢がやられたことによって、顔を赤くして憤っている。
……い、いや。
待ってくれ。これは違う。僕だってそうしたいんじゃないんだ。不毛な争いなんだ。
「お前、弱そうだな。俺たちを舐めるとどんな目に遭うか、分からせてやろうか」
「え。え。ええええ――!! 待ってくれ。だから話し合いを」
「わらわ一人が集団にボコボコにされるのは理不尽じゃ。手を貸せ。ひよっこ」
「僕は『ヒヨッコ』とかじゃないよ!? 君からしたら! というか、何で僕が戦う流れになっているの!? 僕関係ないじゃん!」
しかし、顔を殴られた男は、『ああ? 無関係だあ?』と火に油を注いだような顔になり、ポキポキと首筋を鳴らした。
――まずい。完っっ全に、戦闘モードに入っちゃってる…………。
僕は肩を落として、『はぁ』と息をついた。これが、《幸運1》のステータスの成せる業か。確か、聖剣のステータスって、最初は僕ら冒険者の『もともと持っている初期値』によって決まるんだっけか。…………つまり、僕は生まれついた星の下が、〝不運〟ということになる。
な、なんて、こった。
「………………ちなみに、ここまで見ても、手を貸してくれるつもりはないんでしょう? 〝寮母〟さん?」
チラッと。期待を込めて、それとなく酒場で飲んでいる冒険者たちのテーブルに目を向けると、その奥から『にゅっ』と伸びた腕が、楽しそうに手を振っている。…………はいはい、そーですか。そうですか。騒ぎが見たい、と。
「仕方ないですね」
僕は寮母さんに聞こえるように言い、それから目の前で準備運動―――ある者は拳を鳴らし、ある者は腰の粗末な剣を抜き――お約束のような、〝ぺろっ〟と舌で舐めるような仕草で、僕を威嚇してくる。
…………そんなんで、ビビると思っているのだろうか。
「……やるしか、ないね」
僕は思いっきり気の抜けた息をつきながら、ふらっと、何の構えもとらずに男たちの中へと歩き。闘争に身を投じるのだった。




