06 ひとときの修行
「――ふーん。そんな話をね」
寮に戻った僕と、寮母さんはそんな会話を交わしていた。
寮母さんとの真面目な語らいは、常に実戦を想定した厳しい修行の中だ。僕が回避行動をとっていると、「弟子ってのも、なかなか難しいもんよねー」と言いながら、凄まじい蹴りが飛んでくる。
口調はのんびりとしていたが、動作は魔物の《ウルフ》よりも早い。
僕はやっといなした。寮母さん曰く、魔物の三倍速く、動けるそうである。
「――で、『弟子』は断ったのー?」
「と、当然っ! 僕に、そこまで引き受ける実力なんてありませんよ!」
僕はとっさに回避行動をしながら、寮母さんと会話をする。
僕と寮母さんは『剣』に見立てた木剣を使って修行をしていた。僕がとっさに構えた木剣を力いっぱいに軋ませ、『防御態勢』をしていたが、それ以上の威力の剣が飛んでくる。僕の体が吹っ飛んだ。
「――っ、くっ」
容赦のない一撃に、思わず呻いた。
――〝クロイチェフの構え〟――僕と寮母さんは、同時に激しく打ち合う。一瞬のうちに〝十撃〟を打ち込み、さらに踏み込んで、回転しながら〝二十撃〟を打ち込む。裏庭の草木は、その動きを止める。
速い、速すぎる。
やっぱり、寮母さんの一撃は冒険者が魔物に向ける『それ』を越えていた。
「……。ふーん。ま、そうよね。確かに、まだアンタに『師匠』なんて早いかもね」
「わ、分かってますよ」
「ん。いや、違うよ。別にアンタを腐したわけじゃない」
「?」
「ちょっと、感心しただけよ」
僕らは、距離をとって対峙する。
腹の探り合い。剣士たちが生む、一瞬の『間』というものだ。
寮母さんは感心したように、僕へと向けて微笑んでいた。
「《冒険者》として外を旅するのなら、覚悟がいる。魔物を倒す以上に、〝精霊〟を庇うことが大事だもん。それに協力者の姿もあって、守るべき依頼人の姿もある。――そんな中で、ただ、憧れだけでついてくるお供を、あんたはその両手で守らなくちゃならない」
「…………」
そう。
寮母さんの言うことは、僕の答えと同じだった。
冒険者一人に、やれることは多くはない。
僕が今までの冒険で学んだのは、『僕の両手なんて、ちっぽけだ』ということだ。それは『守る』ことを一番に考える冒険者としては、当然の思考だった。
僕は精霊の契約をした〝ミスズ〟を大切に思っているし。また、守りたいものも多くある。
僕がもしロドカルを仲間にすると、当然、彼も責任を持って守らなければならない。義務が生じる。責任が生まれる。――『引き受ける』ということは、そういうことなのだ。
「簡単に考えていない。……それに、ちょーーっとばかし。感じ入ってさ」
「……べつに。僕だって、そこまで強くなったって思い上がっちゃいませんよ。常に修行の心は忘れていませんから」
「あっっはっは! そうねえ。アンタは、まだまだ『ヒヨッコ』だもん! 修行しなくちゃねえ」
寮母さんに笑われると、なぜか少しばかり『カチン』ときた。
なんの。僕だって成長している。
ずっと酒を飲んでは、うだーと。部屋で眠って。『ねえ、クレイトー? ミスズちゃーん? 晩ご飯まだあ?』なんて催促してくる、元冒険者の寮母さんになんて負けてはいられない。今日こそ、このサルヴァスで、どちらの腕が上なのかを示さなければ。
「行くぞ。――寮母さん、今日という今日は、倒してみせる!」
「ふーーーーん。いい度胸じゃん」
にやにやと、寮母さんは嬉しそうに見つめてくる。
完全に、僕の挑発を、なめきっている態度だった。
「――そう。寮母さんの人外のメチャクチャな動きには、いい加減目が慣れてきましたからね。あとは、避けることだけ。そして、反撃を的確に叩き込むことだけ。……理論的には、必ず勝てる!」
「言うねえ。じゃあ。そんなひよっこ剣士ちゃんに。この寮母のお姉さんに一撃でも与えることができたら、ご褒美をあげちゃうわ~」
「…………む。ご褒美、ですか?」
そこだけ、剣を持つ手を止め、眉を寄せる。
ちょっと魅惑的な響きだ。
この寮母さんだって、元冒険者。
ということは、各地の財宝や、強い魔物からの〝ドロップ品〟―――『依頼状斡旋所』で受け取る最上級のアイテムのような、ああいう逸品を所有している可能性だってあるわけである。
……とても、今の貧乏そうな、酒のためなら『冒険道具なんて売っぱらっちゃう!』なんて言いそうな性格からは、期待薄げだが。
それでも、元は上級冒険者だったそうである。
……期待しても、いいのではないか? しすぎることはないのではないか??
僕がそう思って、見つめていると、
「―――お姉ちゃんを倒したらっ、『チュー』したげる!」
「―――いらねえええええええええええええ――!!」
僕は猛烈に叫んだ。
久々だ。こんなに、腹の底から絞って声を出したのは。
それを最大級の特典だとでも思い込んでいたのか、 『なっ』と寮母さんは瞳を見開き、口をわななかせる。ひどい勘違いもあったものだ。
「ちょっとっ! な、なんて暴言を吐くのよー! お姉ちゃん、これでもピチピチなんだから。強すぎて誰も言い寄ってこなかった、汚れを知らない乙女なんだから! それって花の乙女に対するマナーとしてどーなの!?」
「乙女とやらが自分で『ぴちぴち』なんて擬音使うかよ! あんた自分の顔を鑑で見て見ろ! 冒険の豪華アイテムを寄こせ!」
「ぐうぬぬぬぬ―――っ、く、クレイトのくせに! なーんて生意気なのっ! お姉ちゃん、もう手加減しないんだから!」
と、年中酒飲みの問題児は申しており。
……じゃなかった。この気配は、マジでシャレにならない。
本気で怒ったらしい。ぶあっ、と風圧が舞った。
……こ、これが、全盛期の、手加減なしの寮母さんの本気か……!?
何というか、完全防御の構えをした僕でも、気圧されてしまうくらいだった。まるで、目の前にいきなり『竜』クラスの魔物でも降臨して、ギョロリと瞳を向けてきているようだ。
寮母さんのうつむいた前髪により、表情までは見えない。
……しかし、それは完全に、『暗黒面』に落ちていた。
一瞬で姿を消した。
「―――!? なっ」
「ちぇすとおおおおお――――っ!!」
そして、瞬時に、後頭部に〝殺意〟が押し寄せてきた。
僕はとっさに木剣で『防御』した。
……な、なんてヤツだ!? いきなり急所を狙ってきやがったぞ!?
僕は防いだ。と思ったら、次の瞬間頭上に現れている。『ちぇすとおおおお―――っ!』と気の抜けた怒声とともに、その恐ろしい剣圧が吹き荒れる。
「―――ぐあああああああああああああああ―――っっっ!?」
「―――お姉ちゃん、もう怒ったもん!! 本気で殺すもん!!」
…………いやいや、殺しちゃダメだろ!?
僕が防ぐことを諦め、とっさにバックステップで回避。すると、寮母さんの体重ごと鬼気を含んだ一撃が、地面に突き刺さる。
―――〝ボゴォ〟と。
巨人が殴りつけたように、地面が大きく陥没した。
「…………げ。」
僕は目を見開き、それから後ろに飛びすさった。…………なぜなら、もうすでに寮母さんは剣を下に構え、突撃―――本来なら『三日月の構え』と呼ばれる防御姿勢を取りながら、駆け出すことで攻撃の領域を押し上げてきたのである。
「にぃ、がすか―――ぁぁ!!」
「逃げるわ! こんなの!」
斬新すぎる『構え』の使い方は、容赦なく僕を吹き飛ばした。
僕は剣で防御したまま、壁に吸い込まれていく。
しかし、終わりではなかった。
なぜなら、寮母さんは剣先を横たえて『突撃』のポーズに入っていたのだから。僕は『ヤバい、殺される』という危機感のもと、そのままの勢いを利用し、壁で『着地蹴り』をした。
そのままナナメに飛んで学生寮の塀に登る。屋根を登った。
だが、
「―――そこだあああああ!!」
「ぬあああああ!? 逃げおおせたと思ったら、後ろに立ってやがったああ!?」
―――幽霊か、アンタは!?
僕は思わず見上げると、なんと―――学生寮の、二階を軽々と跳躍して―――寮母さんの黒い修道服がはためいていた。二階を飛んだのか!? 信じられない。
「ば、馬鹿じゃないのか!? あんた! なに超人的な身体能力を、こんな下らない争いで浪費しているんだよ!?」
「下らなくないもん!! お姉ちゃんのチューは、世界一だもん!!」
「―――ワケが分からん!」
そのつばぜり合いが生まれる。
屋根の上で、凄まじい死闘が繰り広げられていた。幸い、寮母さんの渾身の一撃は、屋根を跨いだぶんの威力が消されて、なんとか受け止められる。問題は、次からの連撃だった。不安定な足場と、その猛撃。僕は確実に追い詰められていく。
なんて壮絶な戦いなのだろう。寮の全員が、驚いて窓を開けて上を指さしていた。近くを通る通行人も、『何事だ?』『魔物でも入ってきたのか!?』という顔でこっちを見上げている。屋根の上で闘っている剣士二人がいるのだ、そりゃそうなる。
「―――お姉ちゃんの『チュー』を拒否した! お姉ちゃんの『チュー』を拒否した! お姉ちゃんの『チュー』を拒否した!」
「だあああ、うるせえええ! 通行人が見ている前で叫ぶな!」
「万死に値する! いや、死になさい!」
僕が剣を回す。こんなところで死んでたまるか!
僕は修行中、幾度となくこの蹴りの猛威を見てきた。《木剣》すら切断するのである。受けて立つのにも、角度を選ばなくてはならない。
僕は押されながら、学生寮の屋根で打ち合っていた。木剣なのに火花が散っているようだ。そして、一歩。また一歩と、屋根の際に追い詰められていったとき、
――ベゴッと。
…………なにか、凄まじく嫌な予感のする音が、僕の足下で響き渡ったのだった。
「あれ?」
寮母さんは、そんな幼い子供みたいな顔で、首をかしげていた。
なにが『あれ?』だ! この瞬間、僕の体は空中に浮いて、重力に吸い込まれているのだ。
寮母さんとにらみ合い、屋根の際に追いやられた僕は――その足下までは見ていなかった。木が腐食して、それを踏み抜いてしまったようだ。
ボロの寮だ。屋根に使っていた建材が雨で腐っていたらしく、僕の体から支えというものが失われていた。気づけば、地面へと落ちていく。
「……な、なあああ……!?」
「…………あっ、思い出した。確か屋根が腐って、雨漏りをしている部屋があったんだった!」
「早く修復しとけえええ、ダメ管理人!!!」
そして、僕はあえなく空中を落下し。
〝修行〟では、敗北。
しかも、足首を挫いたため、『薬草』を道具屋から買うという、いらぬ出費を強いられることになった。




