05 師匠
「いやー。はっは。光栄だなあ。まさか噂のクレイトさんに会えるなんて!」
その少年は手を広げながら。
サルヴァスの穏やかに落ち着いてきた、午後の風を切りながら街を歩いていた。僕らと並んで歩き、その肩には不思議なまだらの生き物を乗せている。
不思議な少年だった。獣人の冒険者のわりには小ぶりで、その腰に下げている剣も短剣と呼べるようなものだった。非力なのかもしれない。
「……あのー。『ロドカル』、って言ったっけ?」
「はい。ロドカルであります。ご質問があれば、この駆け出し冒険者・ロドカルに、なんなりと!」
「………僕の名前、どこで知った?」
これである。
僕は不思議で仕方がない。この少年は、一体どこで僕のことを聞き知ったのだろう。強さのことも含め、……いくつか、誤解があるように思える。
「そりゃ、街のあちこちですよ! 有名なんですから! 先日の『昇格試験』での討伐のこと、街では噂話になっています! いわく、たった一人で、絶対に勝てない〝Dランク相当〟の冒険者が集まって討伐するようなボス級を倒したって!」
「……なんか、噂が一人歩きしているような……」
「でも、ボクの憧れは本当であります! 実は『Cランク』以下の冒険者さんたちが、しきりと酒の肴とかに話しています。冒険者談義を、盗み聞いたのであります!」
獣人の少年は叫び、直立。
それから、やはり僕を尊敬の眼差しで見上げてくる。
「―――ボクの名前は、ロドカル!! つねづね、クレイトさんの武勇は尊敬しておりました。そして、――今回は、ななな、なんと! 昇格試験で〝二百討伐〟をしてしまうなんて! 痺れます! マヒしそうです! 弟子にしてください!」
「……あ、あのなぁ」
僕はクシャクシャと髪をかいた。
冒険者の街中でもところ構わず叫ぶ小さな獣人に、思いっきり眉をしかめて、
「偶然だろ、そんなもの」
「そんなこと、ないでありますっ! 剣士というのは、実力が実戦に反映されてしまうものなのであります!」
「いや。……違う」
「?」
僕は黙って、腕を組んだ。
……違う。
きっと、それは大きな誤解がある。
この小さな、もふもふの耳と、尻尾を動かして『わぁぁ』とのぞき込んでくる獣人少年の夢を壊したくはなかったが、言っておかねばならない。
冒険の成果になんて、『必然』はない。
どれだけ頑張っても。
どう、努力しても―――不意に、命を落とすときはある。
賽の目がどう転がるかなんて、分からない。
自分では命がけで頑張ったつもりでも、他人よりも秀でているつもりでも。魔物にとってはお構いなしに殺しに来る。当然だ、今まで、いったい何人の冒険者や、王国の騎士たちが魔物に殺されて、血祭りに上げられてきたと思っているのだ。
今までの僕の〝長い長い、下積み時代〟があった。
しかし、冒険の努力が、必ずしも報われるとは限らない。それこそ、ほんの少しでも判断を誤っただけで、あっさりと死は訪れる。
―――だから、僕らは気を引き締め。
その〝偶然〟が訪れないよう、冒険に取りかかるのである。
昇格試験――あの時、『女王蜘蛛』を倒せたのは、多くの偶然の産物だ。
『魔物と立ち向かったから』といって、勝てる相手ではない。『勇気があった』『実力がある』からといって、成功するほど冒険は甘くはないのである。僕らが戦った裏側には、多くの冒険者たちの犠牲や、『敗北』があった。
「……で、でも!」
「だからこそ、この場所に立っているのにも感謝しなければならない。……最近、僕はそう思うようになったんだ。そんなことを思わずに『Sランクを目指す!』なんて大それた野望なんて語れないよ。今は、その重みもほんの少しだけ分かってきた」
上級生たちの、肩にかかった重みも。
彼らが見てきて、触れてきた、『冒険』というものの血なまぐささと、死線と、そして覚悟を。
冒険は。…………簡単じゃないのである。
だが、少年は、
「――ぼ、ボクは、つねづね、クレイトさんの冒険を研究していました。『きっと、何か理由があるに違いない』。『一念発起して、誰か上級生の冒険者についていこう!』と決意をして、ずっとその機会をうかがっていたのであります」
ぱあっと瞳を輝かせ、キラキラと目を向けてくる。
彼の肩に乗っけた乗った不思議な生き物も――(蝶ネクタイをした。変な三毛猫のような生物。拍手をしている)――彼に同調するよう、二本足で立って躍っている。
「……あのー。もう一つ聞いてもいいか?」
「はい。なんなりと!」
「その肩に乗っている変なのって…………《精霊》か?」
「――はい。精霊の〝ペケ〟であります!」
ビシッと、敬礼して答える。
……ああ、やっぱり。
僕は少しだけ、なんとなーく、嫌な予感がしてきた。そして、それは長年の経験から、決して外れることはないと分かっていた。
彼の三毛猫のような精霊は、主人と一緒の動きで、直立している。
「…………君の、今の『冒険者ランク』を聞いてもいいかな?」
「はいっ。〝Fランク〟であります!」
分かった。
この一言で、読めた。
「……僕もずっと〝Fランク〟だったから分かるが……、もしかして、〝剣の才能〟って教えてもらえるって思ってる? 精霊も半人前で、こんなランクの精霊としか契約できていないから、僕から冒険術を学んで、それで成功しようって」
「――すごい! なんで分かるのでありますか!?」
ああ。ダメだ。
やっぱり当たってしまった。獣人の少年はますます目を輝かせて、『――心が読めるのでありますかぁ!?』と身を乗り出してきている。
…………どうでもいいが、ミスズ。一緒に『すごいです!』という顔で、目を輝かせるのをやめてくれ。
「そうであります! ボクはずっとクレイトさんの強さを研究してきました。《グリムベアー騒動》の一件以来!
剣の才能がなく。来る日も来る日も。冒険に失敗していると、ついつい上級生の冒険ばっかり見つめてしまうのであります。そんな時、ふとボクに電流が走ったのであります! ――まさか、あの同じFランクのクレイトさんが、ボス級の魔物を討伐してしまうなんて!」
少年は言った。
それは、彼の発想を、根元からひっくり返す出来事だったと。
〝レベル1〟から聖剣が上がらない剣士が、ボス級の魔物を倒してしまった。それは、この島の〝レベルアップ〟の仕組みに関わる、大きな出来事だった。
冴えない〝Fランク〟の冒険者でも、大物を倒すことができるのだ。と。小さな冒険者は、僕の研究に励んでいた。そして、できれば〝冒険の仲間〟に入り、『師匠』として剣と冒険の秘策を教えてほしいという。
「…………残念だけど。弟子はとらないよ」
「――えええええっ、な、なんででありますか!? も、ももも、もったいない!」
「……もったいない、の意味がよく分からんが。実際、そこまで実力ないし」
僕は言った。
勘違いしてはいけない。僕だって、『Eランク』なのだ。
そりゃ確かに先日は『ボス級』の魔物を討伐したが、それは先ほども言ったように『偶然』が多く重なっての産物だった。単独撃破が余裕だったなんて、そんな虚言はいわない。
もう一度言う。
――冒険は、簡単ではないのである。
もっと上のランクにまで登り詰めた『上級生』ならともかく。今は自分の冒険のことで精一杯だし、とても誰かを教え、導いたりすることなんてできなかった。そういうのなら、もっと他にも、適した冒険者がいるだろう。
例えば。そう、僕よりも立派で強い、Cランクのガフとか。
学院に通っているはずだ。だったら、そういうのは《冒険学》の教師の先生に相談でもするべきである。
幸い、サルヴァスには腕利きの剣士が多くいるし。
なんなら、前回の冒険でちょっと問題にもなった、ゲドウィーズ教師なんて変わり種もいる。この教師なんかは、普段は不真面目だが、生徒を教え導くことに関しては――特に〝剣術〟が絡んだことに関しては、とても熱心に教えてくれる。
頼めば、受け持つ〝ランク〟より下級生でも、剣術を教えてくれるだろう。
しかし、
「ダメです! いけないんです! ボクが学びたいのは、クレイトさんなのであります!」
「……あ、あのなぁ」
「剣術ではなく、冒険学が学びたい! 『こんな冒険者になりたい』――って理想像を最初から決めているのであります! 強くて優しい冒険者に! あうあうあ――な、なんで伝わらないのでありますか!?」
「し、知るか! そんなもん!」
僕は叫んでいた。
街中で身を乗り出してくる駆け出し冒険者。通行人たちの不審そうな眼差しが集まる。…………正直、こんな要求は迷惑以外の何でもない。
「――他の冒険者、紹介するとかは?」
「いいえ。ダメであります。クレイトさんじゃないと嫌なんです」
おいおい。わがまま言いやがったぞ。
腕を組み、精霊の三毛猫とともに同じポーズで仁王立ちした男の子に、僕は呆然とする。彼曰く、『もともと、この精霊の〝ペケ〟ともども半人前の精霊であります』『――だから、ボクらの冒険は一から始めることであります』『姉〟を超えるものであります』と高らかに宣言していた。
「…………? ちょっと待て、姉って?」
「双子の姉がいるんです。通称は、『幸獣の盗掘王』。こっちも、《剣島都市》の冒険者ですが――多くの子分を従え、剣の腕は優秀であります。でも、性格がボクと真逆なのであります! 姉に頼らず、ボクはこの冒険者の都市で、独立すると決めたのであります」
「そうか。大変だな。じゃ、頑張れ」
「びえええん! 待ってくださいであります! あんまりなのであります!」
僕があっさりと言って、『身の上話をスルーする作戦』に出ようとすると、その踵を返した背中を、獣人少年が泣きながら引っぱってくる。
「……ちなみに、お姉さんの冒険者ランクは?」
「ランクは『C』であります!」
…………ほう。
そりゃ、また。
似ている双子と、似ていない双子とかがいる……なんて話を聞いたことがあるが、彼らの場合はどうやら後者のようだ。実力差も開いていて、あまり似ていないのかもしれない。
……そりゃ、簡単に頼めないのは理解できたが。
理解できた、といって、僕が教えるという理由はどこにもない。
…………正直、先ほどからこの街角で振り切れなくて困っていた。ずっと『師匠、師匠!』と呼んで付きまとってくる獣人に、僕は困惑しきっている。
ミスズは……と思ってのぞき見てみると、精霊の子猫と一緒に、なにか通じるものがあるのか、『精霊歌』(?)のようなものを謡って、手を握って遊んでいる。呑気なものだ。すっかり懐柔されてしまっている。
契約者同士の話しは、精霊が口出しするものではないと思っているのか。
ともかく。早いところ街から離れないと、懐かれてしまいそうである。
(…………おい、ミスズ)
(ほへ?)
僕は小声で耳打ちすると、ミスズの腕を引き寄せる。
精霊同士の遊びを中断。逃亡の準備だ。
正直、それほど深く付き合ってられなかったし。逃げるとなれば、ちょっとした冒険の知恵のようなものがいる。僕はミスズに素早く『ゴニョゴニョ』と耳打ちすると、その動作が分からず、『?』と首をかしげている少年に、
「――あーーーっ! あんなところに、《剣島都市》名物の〝獣人・ベン〟様がいるぞーーー!? な、なんてカッコいいんだーー!(棒)」
「え、えええええ――っ!? ど、どこでありますか!?」
あっはっは、かかったな、小僧。
僕がそんな余裕の笑みで『やはりサルヴァスの子供は、強い冒険者に憧れるんだな』とほくそ笑んでいると、その子は『――と、またまたぁ』と首を振って、
「なーんて。お見通しでありますよー? どれだけ長年、クレイトさん研究をしていると思っているのでありますか。そういう『奇策』が得意の剣士。ってのは百も承知であります。……どうせ、ボクをこの街中で、巻こうとしているのでありますよね?」
「……ぐっ」
「ボクはもはや、おとなの冒険者です。そんな手に乗って『師匠』を逃したりは……」
「…………いや、ちょっと待てよ。あれって……マジで獣人ベンじゃないか!? な、なんであんなところで戦っているんだ……? しかも、サルヴァスの空に水棲の魔物が空を飛んでいる! 空飛ぶ鯨だ」
「え、えええええ―――っ!? た、大変なのであります!」
『――『結合』!』
そして。一気に聖剣の風が渦巻く。
僕らの二段構えの作戦に、まんまとハマって振り返る少年の後ろ。
ミスズが強化したことによって、聖剣に力が宿る。《ステータス》の強化の力を得た僕は、サルヴァスの平和な午後の街中を跳躍するのであった。露天の屋根に乗って、逃げる。
一方で、獣人の少年は『ど、どこでありますか! どこでありますか!』と大通りをきょろきょろと見回し、それからやっと騙されたのが分かったのか、『――し、しまった。であります!』と金の髪を揺らして、振り返った。
そこには、こつぜんと。人の消えた路地が広がっている。
「う、うう。うわあああーーーん! に、逃げられたのであります! ししょー!!」
駆け出し冒険者は、涙目で地団駄を踏んでいた。




