02 冒険都市≠多数の一人
「―――ミスズ、勉強が進まない!」
「ほへ?」
寮の一室で、そんな会話が始まっていた。
精霊は、箒を持つ手を止めて、三角巾ごしにこちらを見て首をかしげている。彼女は溜まりにたまった掃除をしている途中で、冒険中、ずっとできなかった『おうちの家事』 というものに取りかかっていた。もともと、料理が好きだったり、掃除が好きだったりするなど、《剣島都市》での荒事よりも、こちらのほうが向いている精霊だ。気合い十分だった。
そんな精霊の名前は、ミスズ。
この《剣島都市》で僕の契約精霊をしてくれている、とても貴重な女の子だった。
「…………マスター。どうしたのです?」
「あぁ、もうダメだ。勉強が進まないんだ」
そして――〝僕〟である。
僕こと、名前はクレイト・シュタイナー。どこにでもいる平凡な冒険者で、ランクは〝E〟――これは、先日大ボスである〝女王蜘蛛〟を討伐したときに、昇格を認められたことでなった。教室は《剣島都市》の学院、七階構造のうちの、ほんの二階層目。
そんな僕はというと、胸躍り心弾む〝冒険〟をやっている――というわけではなく。今はサルヴァスという都市の中に埃のごとく埋もれて、くすぶって勉強活動している。
なぜかって、人間には勉強が必要だからだ。……いいや。これは正確には理由になっていないだろう。サルヴァスという冒険の島は《学園》という側面ももっていて、生徒たちに出席を促したり0、学術的な課題を課したりするのである。(……普段、冒険に出ているときは空いた時間を使うか、依頼という場合には出席日数を確保できる許可がある)
そして、そんな僕の勉強は――というと。残念ながら、うまくいっていない。
僕は、思いっきり三日三晩分の『くま』を目の下に作って―――ぜえ、ぜえ、と息をしていた。
「…………す、すごい顔です。マスター」
「宿題が、終わらない……」
その悩みを、頭ごと抱える。
…………『宿題』……。そう、なんて嫌な響きだろう。
僕が生まれ育った故郷のセルアニアにも、同じ言葉があった。田舎王国にでも『学問所』というものがあり、良家の子弟がそこに通って勉強していた。僕の家は(残念ながら)そこまで裕福ではなかったものの、風習として、『宿題しろ』と言う言葉が存在する。
僕の両親が、何か畑仕事などの用事を頼む際に、『宿題だ』と言っていたのは――果たして、意味が分かっていたのか。
今ではそんな故郷を飛び出し、『学問』どころじゃないものを色々学べる島で、〝精霊〟を授かって資格を認められた僕は――さぞや、両親からすると鼻高々なものなんだろうが、今の僕にはその地獄の『宿題』というものが、牙を剥き、襲いかかっていた。
――なんなんだ。
誰なんだ、こんな制度を考えたのは!
怒らないから出てきて欲しい。そして、三百年先もずっと呪われていって欲しい。
そもそも―――。
この《剣島都市》という島は――――〝冒険者〟を育てるための〝学院〟なのである。当然、学問があり、神樹の下にあるその学舎は『冒険者概論』を皮切りにした〝冒険で役に立つ授業〟を行っていた。
冒険に必要な知識から、剣の使い方。果ては、簡単な計算や、読み書きまで。
あらゆることを教えている。学ばなくちゃならない。それは僕にも分かってる。よく分かっている。重々承知している。贅沢な悩みだ。
だが、僕は―――〝宿題〟が大嫌いだった!!
思い出す。
―――宿題・第一の試練。〝文字の読み書き〟。
サルヴァスに入って初めての試練。
今までロクに読み書きも覚えてこなかった僕が、島に来て最初に受けた洗礼がそれだった。クラスメイトたちが、ほぼ、全員読み書きが当たり前のようにできたのに対し、僕はかなり苦労して身につけることになった。
夜の闇の中で、寮の一室に置かれた机に向かって、《燭台灯》の明かりを頼りにコツコツと書き取りを続けて覚えた。……その原動力は、悔しかったからである。田舎者だと馬鹿にされたくなかった。
―――宿題・第二の試練。〝計算をマスターせよ〟。
これも、なかなか手強かった。
計算というものが、生まれついて染みついていない僕にとって、〝暮らしに関わる計算〟――食材の買い出しから、冒険道具の値切りまで、けっこうな壁となっていた。それを身につけるというのである。
王国の商人のごとき帳簿はつけないが、そこそこ複雑な計算式を解いていくことが僕には難しかった。おかげで、だいぶ苦戦した。出口のない迷宮に挑みかかっているみたいだった。さまよった末、二晩はかかって解いた。
そして、今回の宿題である。
「な……何を出されたんですか? いったい」
「――サルヴァスの、歴史問題だ!」
僕はテーブルをまた叩いた。
なーにが、『サルヴァスの発展の歴史を調べて、報告せよ。冒険者諸君! 健闘を祈る!』だ。あの教師め。僕なんかが調べて理解できるわけないじゃないか。
僕は歴史学なんてものが、一番苦手なんだ。「ぐぐぐぐ」と悔しさで歯ぎしりをしていた。王国や島の歴史をイチから学ぶのに、どれだけの時間がかかると思っているんだ。
「…………で、でも。マスター。島やその辺の周辺歴史というのは、今まで、けっこう多くの方がおっしゃっていたような気もしますけど……? お話で聞くかぎり、ミスズにも分かりやすいように思えましたが」
「それとこれとは、違うの! お堅いって言うか。《文字》の上だけの周辺王国の興亡記とか、『どこどこの王様が何年に死去した』――とか、『どこどこの王国で、百年前に内紛があった』とか。それに絡む、王位継承問題があったり、とか! それを絡めつつ。暗記して答えろなんて、理不尽すぎない!? どうかしてない!?」
「は、はあ」
精霊のミスズは、三角巾の下から困惑顔を返してくる。
……煩雑で、ゴチャゴチャしていて。
そんなよく分からない糸の絡まったようなもの、僕に解けるわけがない。そもそも、サルヴァス発生のための歴史は、外の王国の《王位継承問題》から起こる、戦争に次ぐ戦争から―――端を発しているらしい。
王国軍が〝魔物〟を処理しきれなくなって、その年、大量の人々が死んでしまった。だから――冒険者が、生まれたなど。
宿題ではそれを調べて、まとめてくる必要があるらしい。
「無理だ。できっこない」
「…………あの、それって。いつまでですか?」
「……。聞きたい?」
僕が肩を落とし、負のオーラ全開で(どす黒い靄すら見えるような)、そう言うと、さすがの精霊も『う』と躊躇った顔をした。
「…………い、一応。マスターの精霊ですし」
「今日の昼まで」
言ってから、二人で窓の外を見上げる。
…………ああ、なんて晴れてるんだ。今日もサルヴァスの青空は晴天一色である。で、重要なのはそこではない。日差しはやや傾きながら登っており、それは、つまりもう少しで『午前中』が終わることを意味していて――
「あ、ミスズ。用事を思い出しました」
「――待てい」
そのお掃除精霊の背中を、『むんず』と掴む冒険者の腕が一つ。
「…………くっ、クックック。自分だけ逃げようなんて思うなよ、ミスズゥ……。ぼくら、〝主従〟だよな? 契約したよな? 一心同体だろ? だったら…………死ぬときも、一緒だよな?」
「ふ、ふええええええ―――ん。マスター、お顔が怖いですぅ。ミスズお勉強で頭痛くなって死ぬところまで一緒は嫌ですぅ!」
ジタバタ暴れる精霊を、部屋の奥まで引きずっていって扉を閉める。
はっはっは――これぞ、誘拐。
精霊もまさか、自分の《主人》にそれをやられるとは思わなかっただろう。完璧である。近隣住人の皆様へと助けを求めることも配慮して、『叫んだって、誰にも聞こえない』と言葉を付け加えておく。
僕らが入ったのは、狭い学生寮の一室の、そのまた奥――いわゆる、作業部屋や、就寝部屋がごっちゃになっている区間であり、ミスズと僕はここで布団は別にして一緒に寝ている。……毎晩毎晩、人が《燭台灯》をつけて机の上で苦しんでいるのに、よくも『すぅすぅ』と心地良さげな寝息を立ててくれていたな。
何度起こそうと思ったか。その都度、邪悪な嫌がらせをする《魔の心を持った僕》を、《正義の冒険者の心を持った、真っ白な僕》が静止していた。―――だが、それも今日までだ。
勉強部屋になってしまった、そこにあるのは、『文字』の山、山、山――! サルヴァスの《神樹図書館》から特別に借りてきた、この土地に関する歴史が詰まった書物がいっぱいである。よりどりみどり。豊富に取りそろえた頭痛のタネを、さあ、召し上がってもらおうか!
「――今日は勉強日和だ! 一人ではこの世の全ての理不尽さを背負わされた気分がして性格がねじ曲がりそうだったが、一緒に地獄に落ちる道連れがいれば怖くない!」
「ま、間に合わないと思いますよ!? たとえ、頑張ったとしても……。もうすぐ、お日様が高く昇って、お昼ですし……」
「心配するな」
僕はニッと笑みを作り、冒険者が活躍するそのときの表情を浮かべる。案ずることなかれ、ミスズよ。最初からその質問――もとい、疑問は想定してある。
ミスズがちょっと泣きそうな顔をしながらも、ちょっと希望を見いだしたような、小動物の顔で僕を見上げる。期待してしまったらしい。秘策を見つけた顔になる。
そして、
「―――安心しろ、一緒に怒られる準備はできている」
「ふえええええええ―――ん! 何の解決にもなってないですうう――! というか、それだったら最初っから一人で自首して欲しいですぅ!」
理不尽だと声をあげる精霊に、僕は邪悪な笑みを浮かべる。
―――今日も、とてもいい天気。
そして、一緒に地獄に落ちるパートナーがいれば、なおさら気分も快晴だった。




